BMWザウバー
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エントリー名 | BMW Sauber F1 Team |
---|---|
チーム国籍 | ドイツ |
チーム本拠地 | スイス・ヒンウィル |
チーム代表者 | マリオ・タイセン |
テクニカルディレクター | ウィリー・ランプ |
ドライバー | 9. ニック・ハイドフェルド 10. ロバート・クビサ |
テストドライバー | セバスチャン・ベッテル ティモ・グロック |
シャシー | F1.07 |
エンジン | BMW P87 |
タイヤ | ブリヂストン |
参戦年度 | 2006 - |
出走回数 | 18 |
コンストラクターズタイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 36 |
表彰台(3位以内)回数 | 2 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2006年バーレーンGP |
初勝利 | - |
2006年順位 | 5位 (36ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
BMWザウバーF1 (BMW Sauber F1 Team)は、2006年からF1に参戦したチームである。
目次 |
[編集] 概要
2005年に自動車会社のBMWが既存F1チームのザウバーを買収して設立したF1チーム。
ザウバーの施設をそのまま使うため本拠地はスイスにあるが、エンジン開発の本拠地はBMW本社のお膝元であるドイツ・ミュンヘンであり、チーム国籍はドイツということで登録されている。
[編集] BMWとF1との関わり
オープンホイールのフォーミュラカーにおけるBMWの活動は、その初期においてF2シリーズへの参戦を中心としたものである。F1には1980年代から本格的に参戦するようになり、主に1980年代と2000年以降の2期に分けて考えることができる。ここでは、その前史であるF2時代についても、簡単に取り上げる。
[編集] 1940年代 - 1950年代
第二次世界大戦後、操業再開を許されたBMWは、会社の技術的な蓄積のため、しばしばF2に自社の「328エンジン」を持ち込んで参戦し、自らのチームや、より小さいVeritas、AFM、Jiceyといったチームのために328エンジンを供給した。しかしながら、1955年にF2シリーズが一時的に消滅し、1956年に再開しという一連の動きがあった際、BMWの経営陣はこれ以上オープンホイールのレースに関わらないことを決め、しばしの期間レース活動から撤退することとなる。
1950年に始まったF1には、1952年から1954年にかけ、AFMチームなどにエンジン供給するとともに自社チームも参戦させ、主にドイツGPのみ、いずれもスポット参戦の形で出場を記録している。
[編集] 1960年代
1967年、F2のレギュレーションが改正され、排気量1600ccのエンジンがレギュレーションで認められた。BMWの新しい経営陣は旧経営陣に比べオープンホイールのレースに理解を示していたこともあり、このレギュレーション改正に合わせてレースへの復帰を決断する。
1968年、ローラとのジョイントでF2に復帰。1969年にはM12と呼ばれる1600ccエンジンを開発し、1970年代にかけてF2に参戦を続ける。この間、ローラなどに供給するだけでなく、BMW自身も自社開発のシャシーで参戦してもいる。
このF2復帰に際し、F1にはやはりドイツGPのみスポット参戦の形で、1967年と1968年にローラにエンジン供給する形で参戦している。また、1980年代(後述)のF1参戦時においても登場するM12/13というエンジン名称はこの時代のF2用エンジンに端を発する。
[編集] 1980年代
1980年、BMWはブラバムF1チームに、ターボチャージャー搭載エンジンを供給することを発表する。
1982年には同チームとともに初のレースに挑む。BMWがF1のために開発したM12/13エンジンはF1の歴史的に見ても珍しい直列4気筒のエンジンで、この年はまだ信頼性が確立されていなかったこともあり、ブラバムチームは既存のコスワースDFVエンジンと併用したが、カナダGPにおいてBMWエンジン搭載車がネルソン・ピケの手によりF1初優勝を遂げる。
翌1983年、前年から引き続き供給していたブラバムのネルソン・ピケが3勝をあげドライバーズチャンピオンに輝いた。また、この年からBMWはATSチームにも供給を始める。
1984年、この年からアロウズにも供給を開始。2勝をあげる。1985年、この年はわずか1勝に終わる。
1986年、この年はベネトンにも供給し、ゲルハルト・ベルガーにより1勝をあげる(BMWにとって80年代最後の優勝となる)。一方でブラバムは低迷の色を濃くし、リカルド・パトレーゼ、デレック・ワーウィックともにほとんど成果をあげられずじまいとなる。シーズン終盤、翌年限りで撤退することを発表。
1987年、ブラバムにのみ供給し、発表した通りシーズン末に撤退した。
BMWのM12/13エンジンはバッジネームを変えた派生形も存在する。1986年限りで契約を失ったアロウズが1987年にもBMWエンジンを引き続き使うことを欲したため、メガトロン社がエンジン供給の権利を買い、アロウズとリジェにメガトロンエンジンとして前年型M12/13エンジンの改良型をカスタマー供給した。これはBMW本体が撤退した後の1988年まで続く。
BMWのM12/13ターボエンジンは、F1のレースセッションにおいて1000馬力を出力した最初のエンジンとしてよく知られている。予選ではブースト圧の設定を変更することで、最大で少なくとも1400馬力まで出力を向上させることができたと言われている。
[編集] 1990年代前半
BMWはマクラーレンと関係を深め、BMWモータースポーツ社製のエンジンを市販車マクラーレン F1に供給した。このこともあり、1992年に同F1チームがホンダエンジンを失った際、その後継として、マクラーレンにV12エンジンを供給するなどと復帰の噂が一時期たえなかったが、結局実現には到っていない。
[編集] 2000年代: BMWウィリアムズ時代
F1復帰を決断したBMWは1997年にウィリアムズと契約し、2000年の復帰に向け、アドバイザーとしてかつてのドライバー、ゲルハルト・ベルガーを迎えるなど準備をはじめた。手始めにウィリアムズ製のテストシャシーに自社開発のV12エンジンを載せて初期の開発を行ったBMWは、実戦テストという思惑もあって、このエンジンを搭載したBMW V12 LMRを1999年にル・マン24時間レースに参戦させ、優勝というこの上ない形で成果を結実させた。
同時に、同年にはウィリアムズのF1シャシーを使用し、いよいよ翌年のF1参戦用のV10エンジンのテストを開始する。
2000年、ラルフ・シューマッハと、この年デビューとなるジェンソン・バトンを擁して迎える。開幕前の時点ではテスト時のタイムがあまりにも遅かったため「BMWはエンジン開発に失敗した」とのもっぱらの評判であったが、復帰戦となったオーストリアGPで下馬評を覆す好走を見せ、見事に復帰戦を表彰台で飾り、シーズン自体も年間通して復帰初年度としては上々の出来で終える。
続く2001年、この年復帰2年目にしてBMWエンジンは極めて高い評価を得、特にエンジンパワーの面では他の追随を許さず、BMWにとっては大成功といえるシーズンとなった。ラルフ・シューマッハが3勝をあげ、CARTチャンピオンの新人ファン・パブロ・モントーヤも初優勝を記録している。
このように最初の2年間はまずまず順風満帆と言ってよい具合にシーズンを送ることができたが、2000年代初頭の数年間はフェラーリがF1シリーズを席巻していたためその影響も大きく、この翌年からは浮沈の続く厳しい戦いが待っていた。2002年はラルフが1勝するにとどまり、2003年はラルフ、モントーヤともに2勝ずつあげ、モントーヤはシーズン終盤までドライバーズタイトルを争うが、2004年はまたも1勝止まり(この年はモントーヤが記録)、といった具合に、BMWウィリアムズチームはいまいち波に乗り切れずに各シーズンを終えてしまい、また、ウィリアムズのシャシー部門との間には徐々に摩擦が生じ、これらの状況の解消をはかったBMW側はウィリアムズチームの買収を検討するが、これには同チーム代表であるフランク・ウイリアムズ、パトリック・ヘッドが頑として首を縦に振らず、BMWとウィリアムズの間には不協和音が生じつつあった。
2005年、ドライバーのラインナップが一新され、マーク・ウェバーとニック・ハイドフェルドという共に若さと一定の経験を兼ね備えたコンビとなる。ドライバーたちは健闘したといえるが、チームは低迷し、トップからは大きく離されたランキング5位でシーズンを終える。
BMWがこの年に向けて開発していたP85エンジンは、開発段階で信頼性に問題が見つかり、この年は前年型を手直ししたのみのP84/5エンジンで戦っており、そのことも響き、シーズン中、チーム内ではシャシー部門とエンジン部門の間で責任の押し付け合いとなり、いよいよウィリアムズとの亀裂は決定的となる。前年以前からすでにウィリアムズとの関係に嫌気がさしていたBMWはザウバーの買収話を早々にまとめてしまい、この年の6月22日、ザウバーの買収と翌年から完全な自社チームで単独参戦を開始することを発表する。
[編集] BMWザウバーF1
- ザウバーについても参照のこと
2006年、新生BMWザウバーF1チームは、BMWウイリアムズ時代に良い働きを見せたニック・ハイドフェルドをファーストドライバーに迎え、ザウバーとの間に交わした契約が依然有効だった1997年のチャンピオン、ジャック・ヴィルヌーヴとのコンビネーションでシーズンに臨む。控えのサードドライバーは、WSBRのチャンピオンである、ポーランド人のロバート・クビサ(Robert Kubica)である。チームは引き続きザウバーのファクトリーと風洞施設を使いシャシー開発をし、ミュンヘンのBMWファクトリーで新型となるP86エンジンの開発をするという体制を取っている。
ザウバーが持っていたスポンサーについて、タイトルスポンサーだったペトロナス、クレディ・スイスともに残留。この他、テクニカルパートナーとして新たにインテルと契約した。
[編集] 記録について
参戦数など、BMWザウバーチームの記録の扱いについてはいくつかの混乱が見られる。
ほとんどの雑誌媒体等ではBMWザウバーを新規コンストラクターとして2006年度より記録をカウントしている。 しかし、F1の主催者であるFIAによる2つの公式サイト上のどちらでも、BMWザウバーの記録欄はザウバーのそれを引き継ぐ形となっている。(FIA公式サイト、F1公式サイト) これらは、2006年度のエントリーリスト上、BMWザウバーというチーム名登録に対し、コンストラクターの登録をザウバーBMWとし、既存のザウバーを主体とした形式をとっているためである。 FIAのスポーティングレギュレーション第20条によれば、コンストラクター名称の登録においては、シャシー銘柄がエンジン銘柄の前に常に位置するものとされている。 したがって、2006年度においてはザウバーというシャシーコンストラクターが継続参戦していたとすることが公式的には正しいのである。 その意味で上記の記録はあくまでチームとしての記録であり、コンストラクターの記録としては不正確である。
2007年度のエントリーリストでは、チーム名登録は引き続きBMWザウバーであるが、 コンストラクター登録においてザウバーの名は外され、BMWのみと変更されている。 これは、レギュレーション上、シャシーコンストラクターとエンジンビルダーが異なる場合、タイトルは前者にしか与えられないため、 同チームがタイトルを獲得した場合、BMWに公式記録上、タイトルが与えられないという事態を防ぐためと思われる。 コンストラクターとしてのザウバーの歴史は、ここでついに終止符が打たれたことになる。 その一方で、BMWは1952年と1953年のドイツGPの2戦だけ、自社名義で単独参戦しており、1952年には決勝12位、1953年には14位と15位でそれぞれ完走を記録している。このため、コンストラクターとしてのBMWにとって、2007年開幕戦はデビュー3戦目という扱いになるものと思われ、FIAの記録表示が気になるところであった。
2007年のFIAの公式サイトによるエントリーリスト(FIAによる2007年エントリーリスト)では、BMWザウバーのデビューが2006年バーレーングランプリと表記されている。このため、FIAの公式記録の取り扱いに訂正が加えられたものと思われる。したがって、FIAの公式記録上では上記に表記の記録が正しい参戦記録ということになった。
[編集] 名称について
2005年6月22日、BMWがザウバーの買収を発表した当初、その名前は「BMW F1」などになるものと考えられていたため、同年11月14日に新チーム名が発表された際、「ザウバー」の名が残されていたことは若干の驚きをもってむかえられた。
これについて、BMWはザウバーの創設者であるペーター・ザウバー、並びに、引き続きチームのために尽力することになるスイスの旧ザウバースタッフに敬意を表してのものだと説明しているが、一方で、仮にチームが不調に終わった時に、BMW単独名での参戦の場合は本社のブランドイメージに傷を付ける恐れがあり、それを嫌ったためだ、とも言われている。しかし、参戦初年度から、不振に喘ぐ老舗ウィリアムズやマシンが決まらないトヨタらを尻目に着実にポイントを重ね、コンストラクターズ5位と上々の成績を収めたことから、BMW本社の心配はひとまず杞憂に終わったと言えよう。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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