ジャンカルロ・フィジケラ
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F1での経歴 | |
国籍 | ![]() |
車番 | 3 |
所属チーム | ルノー |
年 | 1996 - |
過去の所属チーム | ミナルディ, ジョーダン, ベネトン, ザウバー |
優勝回数 | 3 |
通算獲得ポイント | 250 |
表彰台(3位以内)回数 | 18 |
ポールポジション | 3 |
ファステストラップ | 2 |
F1デビュー戦 | 1996年オーストラリアGP |
初勝利 | 2003年ブラジルGP |
2006年順位 | 4位 (72ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
ジャンカルロ・フィジケラ(Giancarlo Fisichella, 1973年1月14日 - )は、イタリア、ローマ出身のF1ドライバー。愛称:フィジコ。
目次 |
[編集] プロフィール
[編集] 雨の男
1996年にミナルディからデビューし、これまでジョーダン(1997年,2002年~2003年)、ベネトン(1998年~2001年)、ザウバー(2004年)といった主に中堅チームを渡り歩いてきた。(1996年以外はすべてフル参戦)
雨のレースに滅法強く、初優勝を記録した2003年第3戦ブラジルGP(後述)や初ポールを達成した1998年のオーストリアGPをはじめ、多くの雨のレースで殊勲を打ち立てた。またカナダGPの舞台であるジル・ヴィルヌーヴ・サーキットやモナコGPの舞台であるモナコ市街地などの全長が比較的短いコース、不安定な天候で波乱のレースが多いベルギーGPのスパ・フランコルシャンを得意とする。
[編集] 初優勝
2003年に第3戦ブラジルGPにて念願の初優勝を達成したが、このレースは豪雨によるクラッシュ発生により赤旗でレース終了し、またフィジケラが、それまでトップを走行していたマクラーレンのライコネンを交わしたタイミングが微妙であったという様に、あまりに混乱した展開であった為に、周回数の判断をオフィシャルが誤ることとなり、一旦は2位と判定された。しかしレース後の裁定により、フィジケラの優勝が確定し、次戦のサンマリノGPで改めてトロフィーが授与されることとなった。
[編集] 2005年
F1デビュー当初より、才能があるといわれながらなかなかタイミングが合わず、トップチーム入りを果たせずにいたが、2005年からは、2004年にコンストラクターズランキング3位を獲得し上昇気流にあるルノーから参戦。そして開幕戦オーストラリアGPで見事ポール・トゥ・ウィンを飾った。ここで才能が一気に開花するかと期待されたが、チームはこの年史上最年少でチャンピオンに輝いたフェルナンド・アロンソ優先の体制であり、またフィジケラのマシンにトラブルが頻発するなど、結局思うようにいかないシーズンとなってしまった。
[編集] 2006年
ルノーからの参戦二年目となる2006年、フィジケラは第二戦マレーシアGPで鮮やかなポール・トゥ・ウィンを飾った。彼はこのGP開催の直前にレースを始めた頃から付き合っていた親友を事故で亡くしており、「大事な友を亡くしたこの週末、彼のために必ず勝ってやると決意したんだ。」とレース後に述べている。今年前半戦はチームメイトのフェルナンド・アロンソには及ばないものの、コンスタントにポイントを稼いでいる。そして6月、彼の2007年ルノーチーム残留が正式に発表された。 また鈴鹿サーキット最後の開催となった2006年の日本GPでも、フィジケラは直前に上記とは別の親友を亡くしており、3位表彰台を亡き親友に捧げ、ポディウムの上で号泣した。
[編集] 余談
童顔で幼そうに見える顔立ちだが1男1女の所帯持ちである。数年前の「F1グランプリ特集」の担当コラムで、ガンダム好きであることを語っていた。
また、サッカー好きのF1ドライバーは多いが、中でも熱狂的で有名。ドライバー参加のイベント試合ではミハエル・シューマッハと並ぶ常連であり、「フィジケラが一番上手い」との評判である。 地元クラブASローマの大ファン(ロマニスタ)であり、フランチェスコ・トッティら選手とも親交がある。
[編集] F1での年度別成績
(2006年第18戦終了時)
年 | 所属チーム | CarNo. | 出走回数 | ポイント | 順位 | 決勝最高位・回数 | 表彰台 | 予選最高位・回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | ミナルディ | 21 | 8戦 | 0 | - | 8位・1回(カナダ) | 0回 | 16位・2回(オーストラリア・カナダ) |
1997年 | ジョーダン | 12 | 全17戦 | 20 | 8位 | 2位・1回(ベルギー) | 2回 | 2位・1回(ドイツ) |
1998年 | ベネトン | 5 | 全16戦 | 16 | 9位 | 2位・2回(モナコ・カナダ) | 2回 | 1位・1回(オーストリア) |
1999年 | 9 | 全16戦 | 13 | 9位 | 2位・1回(カナダ) | 1回 | 4位・1回(ハンガリー) | |
2000年 | 11 | 全17戦 | 18 | 6位 | 2位・1回(ブラジル) | 3回 | 3位・1回(ドイツ) | |
2001年 | 7 | 全17戦 | 8 | 11位 | 3位・1回(ベルギー) | 1回 | 6位・1回(日本) | |
2002年 | ジョーダン | 9 | 全17戦 | 7 | 11位 | 5位・3回(オーストリア・モナコ・カナダ) | 0回 | 5位・1回(ハンガリー) |
2003年 | 11 | 全16戦 | 12 | 12位 | 1位・1回(ブラジル) | 1回 | 8位・1回(ブラジル) | |
2004年 | ザウバー | 11 | 全17戦 | 22 | 11位 | 4位・1回(カナダ) | 0回 | 5位・1回(ベルギー) |
2005年 | ルノー | 6 | 全19戦 | 58 | 5位 | 1位・1回(オーストラリア) | 3回 | 1位・1回(オーストラリア) |
2006年 | 2 | 全18戦 | 72 | 4位 | 1位・1回(マレーシア) | 5回 | 1位・1回(マレーシア) |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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