スーパーアグリF1チーム
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エントリー名 | TBA Super Aguri F1 Team |
---|---|
チーム国籍 | 日本 |
チーム本拠地 | イギリスオックスフォード州 リーフィールド |
チーム代表者 | 鈴木亜久里 |
テクニカルディレクター | マーク・プレストン |
ドライバー | 22.佐藤琢磨 23.アンソニー・デビッドソン |
テストドライバー | 山本左近 |
シャシー | SA07 |
エンジン | ホンダRA807E |
タイヤ | ブリヂストン |
参戦年度 | 2006- |
出走回数 | 18 |
コンストラクターズタイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2006年バーレーンGP |
初勝利 | - |
2006年順位 | 11位 (0ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
スーパーアグリF1チーム (Super Aguri F1 Team, 略称SAF1)は、2006年からF1に参戦を開始したコンストラクターである。
目次 |
[編集] チーム概要
[編集] エントリー承認までのいきさつ
と発表した。当初これに対して「佐藤琢磨の放出に対する非難をかわすためのものではないか」と揶揄される向きもあったが、11月1日に元F1ドライバーの鈴木亜久里が「純日本チーム」として参戦するためFIAへのエントリーを済ませたことを発表し、ホンダの発表がこれを示していたことが知れ渡る。
しかし12月初めにFIAより発表されたエントリーリストに同チームが掲載されないという事態が発生する。当初「書類申請上の不備」と発表されたが、実際には参戦のための供託金が支払期限までにFIAに入金されなかったことが原因であった(後に鈴木亜久里本人が公言)。これを受けてチームは再申請のために他10チームからの合意を年内に取り付け、新たなスポンサーを獲得することでなんとか供託金支払いも済ませることに成功。その結果「レイト・エントリー」の締切期限前日である2006年1月26日に正式にFIAからエントリーが認められた。
[編集] シャシー
新規参戦発表から開幕戦までの時間が限られているため、当初は2005年のB・A・R、もしくは2006年のホンダのシャシーの知的財産権を譲渡してもらうことを目論んでいたが、コンコルド協定上、過去2年に参戦したチームのシャシーは、知的財産権を含めて使用できないということが判明したため、2002年にアロウズが使用していたシャシー「A23」をベースに2006年のレギュレーションに適合させたSA05を開幕からの数戦の為に製作することとなった(シーズン当初はメルボルン空港で展示されていたものや個人所有の「A23」のモノコックを使用していた)。このシャシーは既にFIAのクラッシュテストに合格したとは言え、2月21日からバルセロナで行われた合同テストで初めて公開された時には「A23」そのままといってもいい姿であった。開幕直前になってようやくレギュレーション準拠のシャシー構成に変更され、シーズン中もレースを経るごとに空力パーツを改良していった。
さらにSA05の改良と並行してオリジナル設計の新シャシーSA06を製作、2006年シーズン中に投入することが発表されていた。当初はヨーロッパラウンド開幕の第4戦サンマリノGPからの投入と噂されていたものの、序盤戦に投入するSA05をレギュレーションに準拠させる作業を優先したことから投入予定時期は遅れ、2006年6月30日になってドイツGPでの投入決定が発表された。
投入が1戦遅れた主な理由はギアボックス決定に時間がかかったことと、風洞にトラブルが起き5日間停止せざるを得なかったことと発表された。
SA06はモノコック部分をSA05と同じくアロウズA23から流用したが、周辺部分を新規製作している。主な改良点は
- 軽量化 (チーム発表で約20kg)
- 低重心化
- メカニカルグリップの向上(サスペンションジオメトリーの最適化、フロントサスペンションのゼロキール化)
となっている。
7月19日に、イギリスのシルバーストーンサーキットでSA06が公開され、佐藤がシェイクダウンとして30周を走行した。しかし、フロント周りはSA05のパーツを流用したもので(SA06Aと呼称)、本格的なバージョン(SA06B)はトルコGPで投入された。同時にSA06のサードカー(Tカー)も投入されている。
ドイツGPの予選では、それまで平均1.5秒離されていたMF1レーシングに匹敵するタイムを叩き出し実力の片鱗を見せ付け、その後の決勝レースでも中位チームを食う走りを披露した。
2006年シーズンの最終戦・ブラジルGPはSA06Bの最後のレースとなったが、第3ドライバーのフランク・モンタニーがフリー走行で8位を記録。決勝レースでは佐藤がレース中盤にトップグループと遜色無いタイムで走り、その中でも41周目は誰よりも速いラップタイムを記録。この結果がライバルであるMF1レーシングやスクーデリア・トロ・ロッソ、レッドブル・レーシングを上回り、ベストリザルトを更新する10位フィニッシュを果たした。リザルト上は2戦連続ダブル完走だが、佐藤がチェッカー後失格になった中国GPを含めると実質的には3戦連続でのダブル「完走」となった。なお、レース中のファステストラップは山本が7位、佐藤が9位を記録している。
[編集] チーム名称
チーム名称については、設立当初は「スーパーアグリ・フォーミュラ1」を名乗っていたが、コンコルド協定において「Formula 1」の名称をチーム名に使用する場合には「使用料」が求められるとされていることから、これを回避するために、チームは2006年3月24日に現在の名称への変更並びに新ロゴマークを発表した。
[編集] ドライバー
[編集] 2006年
[編集] 当初の体制
2006年のドライバーは、当初の経緯から佐藤琢磨の起用は確実視されていた。もう1人のドライバーについては、純日本チームという観点からARTAのドライバーでもある井出有治の起用が有力視されていたものの、チームからは日本とヨーロッパ、アメリカのドライバーと交渉しているという発表があったこと、およびスポンサー関係を考慮すると2人とも日本人ドライバーにはならないのではないかと危惧されていた。
しかし、結局2月15日に、佐藤と井出の起用が決定したという正式発表がなされた。なお、2人のドライバーがいずれも日本人というのはF1史上初のことである。
また、リザーブ(控え)ドライバーについては、当初は開幕3戦目までの限定契約という形で、2005年にルノーのテストドライバーを務めていたフランス人のフランク・モンタニーが務めた。4戦目以降のリザーブに関しては、ホンダのリザーブ・テストドライバーのアンソニー・デビッドソン、ジェームズ・ロシター、アダム・キャロルなどが候補に挙げられたが、ホンダが彼らのドライブを許可しなかったため、4戦目以降はリザーブドライバー無しで戦っていくものと思われていた。
[編集] FIA勧告によるドライバー交代
しかし大半の予想に反して、チームは第5戦ヨーロッパGPにおいてサードカーを走行させることを発表、第3ドライバーはモンタニーが務める予定であった。
ところがチームに対してFIAから「井出がF1でのスキルを向上させるために必要な走行距離を金曜のフリー走行で作るべきである」との勧告が通達される。これを受けてチームは井出を第3ドライバー、モンタニーをレースドライバーに変更したが、その後「フリー走行についても井出は出走させるべきでない」との勧告が通告された事によりヨーロッパGPでのサードカー走行を断念した。
さらにヨーロッパGP終了後、5月10日に井出のスーパーライセンス剥奪が決定されてしまう。チームは井出をテストドライバーとして残し、復帰の道を模索したが
- スーパーライセンスの再交付には全チームの合意が必要となるが、ほとんどのチームが反対の意向を示した
- SA06登場までテスト予定がないことから走行マイルを稼ぐことができなかった
などの理由から復帰は困難となった。その後7月に井出はフォーミュラ・ニッポン、SUPER GTなど日本国内のレースに参戦しているが、いずれも「スーパーアグリからのレンタル」という形態を取っており、契約はシーズン終了まで継続された。
チームはモンタニーとモナコGPまで正ドライバーとして契約し、その後のドライバーに関しては多くの関係者と議論を重ねた上で決定すると発表した。このことから新たな日本人ドライバーの起用も予想されていたが、チームはモンタニーとの契約をアメリカGPまで延長する。
ヨーロッパGPからサードドライバーを走らせる予定が狂ってしまっていたが、イギリスGPより山本左近を起用し、ようやくサードカーを走らせることとなった。山本の契約は当初アメリカGPまでであり、モンタニーとの契約もアメリカGPまでであったが、モンタニーの母国GPでレギュラードライバーからサードドライバーに降格させることは酷であること、新車SA06は予定が遅れドイツGPからの投入見込みとなったことから、フランスGPは従来通り「セカンドドライバーがモンタニー、サードドライバーは山本」として戦い、ドイツGPより山本をセカンドドライバーに昇格させた。なお、モンタニーは2006年シーズン終了までリザーブ&開発ドライバーとしてチームに残留し、2007年はトヨタのテストドライバーとして移籍することが決まっている。
[編集] 2007年
2007年シーズンは佐藤はチームに残留し、チームメイトにはホンダのサードドライバーを務めたアンソニー・デビッドソンが加入することが発表された。リザーブ兼ファーストテストドライバーはオランダ人ドライバーで去年はF3ユーロシリーズに参戦していたギド・バン・デル・ガルデを起用。バン・デル・カルデは同時にフォーミュラ・ルノー3.5に参戦する。しかし、2月1日付けのスパイカーF1チームのリザーブドライバーラインナップにバン・デル・ガルデがセカンドテストドライバーとしてラインナップされているため、「二重契約ではないか」と、物議をかもしている。この出来事の発端となったスパイカーF1チームのページ(尚、年初にスーパーアグリのユニフォームを着たバン・デル・ガルデの写真があったバン・デル・ガルデの公式HPだが、今は"It's a proud moment for me to be selected to start my Formula 1 career with the Dutch Spyker team. This chance will give me everything I need."と書いてあり、スパイカーのF8-VIIの写真が置いてあるあたり、本人はスパイカーに入るつもりのようだ。)
セカンドテストドライバーには2006年のレースドライバーを務めた山本左近が残留。同時にGP2に同時参戦することが明らかとなった。 3/14現在、バン・デル・ガルデの名前が公式ホームページから消され、山本左近が1stテストドライバーに昇格した模様である。
[編集] 純日本チーム
チーム所在地が東京の「エー・カンパニー」(鈴木亜久里代表の事務所)の住所で届けられており、エンジンはホンダが供給し、タイヤもブリヂストンとの複数年契約が明らかになるなど、純日本チームであることをアピールしている。なお、シーズン開幕当初マシンの車体には「Born in Japan」の文字が書いてあった。(その後そのスペースにはアデランス、タイセイ商工のロゴが入ることになった)
2006年シーズン開幕前の2月10日付の日経新聞に「亜久里ジャパン出陣」と銘打った全面広告を掲載、翌日の2月11日には、同日にオープンした表参道ヒルズ近くの特設会場にてF1参戦記念イベントを開催するなどのキャンペーンを実施して、日本国内における認知度向上を図った。
[編集] スポンサー
この様な参戦の経緯・状況・方針から、スポンサーも日本企業を中心に募っている模様。これまでのところ小口スポンサーが大半を占める。以下のスポンサーには現物支給のみの企業も含む。
[編集] 現在のスポンサー
- SS UNITED GROUP - 中国の石油会社(メインスポンサーと思われがちだが首脳陣はこれを否定)
- ホンダ
- ブリヂストン
- サマンサタバサジャパンリミテッド(サマンサキングス) - プロモーションパートナーであり厳密にはスポンサーではない
- ENEOS
- オートバックス
- SEIKO
- NGK
- タカタ
- RODAC - マシン製造・メンテナンス工具の提供
- SPEAKERBUS - レース用インターコムシステムの提供
- METRIS - ハイテク測量システムの提供
- フジテレビジョン(ジャンクSPORTS) - フジテレビで放送される番組(2006年 第4戦サンマリノGP~第7戦モナコGP・第12戦ドイツGPにノーズにロゴが貼られた。チーム設立当初よりフジテレビとして様々な協力やサポートを行っているとみられる)
[編集] 過去のスポンサー
- BERIK(2006年テスト~同年シーズンオフ)
- モバイルキャスト(2006年 第1戦バーレーンGP~第7戦モナコGP)
- ANA(2006年 第1戦バーレーンGP~同年シーズンオフ)
- アサヒ飲料(SUPER H2O)(2006年 第1戦バーレーンGP~同年シーズンオフ、佐藤琢磨の個人スポンサーは継続)
- ライフカード(2006年 第1戦バーレーンGP~同年シーズンオフ、提携クレジットカードの発行は継続)
- アデランス(2006年 第6戦スペインGP~同年シーズンオフ)
- 朝日ソーラー(2006年 第9戦カナダGP~同年シーズンオフ)
- タイセイ商工(2006年 第11戦フランスGP~同年シーズンオフ)
- 久光製薬(サロンパス)(2006年 第12戦ドイツGP~同年シーズンオフ)
- ECC(2006年 第12戦ドイツGP~同年シーズンオフ)
- 日清食品(カップヌードル)(2006年 第15戦イタリアGP~同年シーズンオフ)
- アクサ生命(2006年 第17戦日本GP、同社の日本法人)
- ビームス(2006年 第17戦日本GP)
- ヴァージンアトランティック航空(2006年 第17戦日本GP、佐藤琢磨の個人スポンサーは継続)
[編集] 活動拠点
純日本チームではあるが、実働部隊の拠点はアロウズのファクトリーであったイギリスのリーフィールド・テクニカル・センターに置いている。スタッフもマネージング・ディレクターのダニエル・オーデットやテクニカル・ディレクターのマーク・プレストンを筆頭に、元アロウズのメンバーを中心に構成されている。そのファクトリーは、現在メナード・エンジニアリングの所有であり、メナードからリースを受けている。将来的にはホンダが所有するブラックレーのファクトリーの隣接地に新ファクトリーを建設し、移転すると言われている。これは、ホンダの隣接地にファクトリーを構えることで、2008年から解禁されると言われている、チーム間でのシャシー売買の効果を最大限に高めることを狙っているとみられている。
[編集] 2006年シーズン
さまざまな苦難を乗り越え、ついにバーレーンGPより参戦が実現することとなったが、シーズン前のテストが実質3日間しか実施できず、資金が潤沢でないこと、新車SA06投入に力を注いでいるなどの事情から、マシンの戦闘力・信頼性については他チームとの競争レベルに達していなかった。実際に、SA05はアロウズA23という4年落ちのマシンをベースにしたため、タイムも最も近いMF1とさえも秒単位で遅いタイムしか出せず、SA05時代は実質的に「勉強」のためのシーズンとなることを覚悟したシーズンとなった。
しかし、ドイツGPから新車SA06が投入され、トルコGPにはフロント部分までを含めた完全バージョン(モノコックはA23ベースであるが)のSA06Bが登場し、少なくともMF1とはある程度戦えるまでに戦力が強化された。資金的にも成績的にも苦境にある事は事実であるが、ホンダの支援も期待されるため、短期間での撤退は無いと考えられる。
【第1戦バーレーンGP】
- 佐藤琢磨(予選20位、決勝18位)燃料リグ・無線のトラブルで6回のピットストップも完走。
- 井出有治(予選21位、決勝リタイア)メカニカルトラブルでリタイア。
【第2戦マレーシアGP】
- 佐藤琢磨(予選21位*、決勝14位)スタートで順位を上げ、トロ・ロッソやMF1とバトルを繰り広げる。トロ・ロッソのリウッツィとのバトルではタイヤロックであわや接触の場面もあったが、2戦連続の完走を果たす。
- 井出有治(予選22位*、決勝リタイア)残り19周、前戦と同じくメカニカルトラブルでリタイア
- *予選上位にエンジン交換によるグリッド降格のペナルティが出たため、決勝グリッドは佐藤17位、井出18位に繰り上がった
【第3戦オーストラリアGP】
- 佐藤琢磨(予選21位、決勝12位)スタート直後の混乱をくぐり抜けて順位を上げ、第1スティントではバリチェロ(ホンダ)やクルサード(レッドブル)というベテランを抑える走り。3戦連続の完走。レース後、青旗無視で警告処分。
- 井出有治(予選22位、決勝13位)レースペースは佐藤に及ばないものの、混乱のレースを走りきり、目標だった初完走を果たした。
【第4戦サンマリノGP】
- 佐藤琢磨(予選21位、決勝リタイア)44週を走ったものの、スピンでシーズン初のリタイアを喫した。
- 井出有治(予選22位、決勝リタイア)1周目にMF1のアルバースと接触、アルバースを横転させる。自身もフロントサスペンションを傷めたためピットでの作業後再出走するも、リアサスペンションのトラブルで計23周でリタイア。
【第5戦ヨーロッパGP】
- 佐藤琢磨(予選21位、決勝リタイア)スタート直後の1コーナでの他者の接触事故の間隙を縫う形で、瞬間的に12位まで上昇するも、レースペースは上がらず後退し続け、最後は油圧系のトラブルでリタイア。途中、センターウィングが折れるという珍しいトラブルに見舞われた。
- フランク・モンタニー(予選22位、決勝リタイア)井出に代わってのF1デビューで、パニス以来2年ぶりにフランス人ドライバーとして出走となったが、予選・決勝ともにトラブルで終了。決勝リタイア時には火を噴いたマシンにマーシャルがてこずり、自ら消火器で消火しようと試みる場面も見られた。
【第6戦スペインGP】
- 佐藤琢磨(予選20位、決勝17位)トラブルも無く、オーストラリアGP以来の完走。
- フランク・モンタニー(予選21位、決勝リタイア)ドライブシャフトのトラブルで10周でリタイア。2戦連続のリタイアとなった。
*エンジン交換2度による20番手降格ペナルティのヴィルヌーヴがいたため、決勝グリッドは佐藤19位、モンタニー20位に繰り上がった
【第7戦モナコGP】
- 佐藤琢磨(予選19位、決勝リタイア)電気系統のトラブルでリタイア。ピットストップし、システム再起動を試みたものの改善せず。
- フランク・モンタニー(予選20位、決勝16位)F1キャリア初の完走。
*ミハエル・シューマッハは「予選タイムの全てを抹消」されたため、予選順位は決勝グリッドポジションをそのまま記載した。
【第8戦イギリスGP】
- 佐藤琢磨(予選20位、決勝17位)フリー走行ではクラッシュでマシンを壊し、予選とレースは左近のドライブしたTカーで出走。しかし、粘り強く走り完走。
- フランク・モンタニー(予選21位、決勝18位)フリー走行では車を壊すことはなかったものの、強風もあり、コースオフ・スピン多数。しかし、こちらも完走で、チームとしてはオーストラリアGP以来、今季2度目のダブル完走となった。
*佐藤琢磨は、Tカーにエンジンを載せ換える時間的余裕がなかったため、エンジン交換となり降格ペナルティ。しかし、ノータイムのトゥルーリもエンジンを換装したため、21番手スタートとなった。
【第9戦カナダGP】
- 佐藤琢磨(予選21位、決勝15位)ゴール直前までMF1のモンテイロを抑えて14位を走行していたが、ファイナルラップでウォールにヒットしリタイア(完走扱い)
- フランク・モンタニー(予選22位、決勝リタイア)2周目にエンジントラブルでリタイア。
*予選16番手のデビッド・クルサードがエンジン交換ペナルティで10グリッド降格したため、決勝グリッドはそれぞれ1つくり上がった。
【第10戦アメリカGP】
- 佐藤琢磨(予選18位、決勝リタイア)予選はMI/BSタイヤのパフォーマンス差、有力ドライバーの失敗アタックもあり、ここまでで最高の18位。決勝はSC後の1コーナーでモンテイロと接触し、リタイア。
- フランク・モンタニー(予選22位、決勝リタイア)トラブルはモンタニーにしか出ず、「暗い週末」となった。決勝もその流れは変わらず、1周目1コーナーの多重クラッシュに巻き込まれリタイア。
【第11戦フランスGP】
- 佐藤琢磨(予選21位、決勝リタイア)クラッチトラブルでフォーメーションラップに出遅れ、最後尾グリッドからスタート。スタートでも出遅れ、結局クラッチトラブルで1周目でリタイア。
- フランク・モンタニー(予選20位、決勝16位)前戦までであった契約が延長されて迎えた母国GP。予選では琢磨に先んじ、決勝でも見事に完走。
*予選17番手のリウッツィがエンジン交換ペナルティで10グリッド降格したため、モンタニー、佐藤琢磨の決勝グリッドは1つくり上がった。
【第12戦ドイツGP】
- 佐藤琢磨(予選17位、決勝リタイア)SA06投入によるパフォーマンスアップにより、MF1勢にほぼ追いつくこととなり、予選ではMF1の1台を上回る結果を得た。決勝ではSA06で導入されたシームレスシフトギアボックスからのオイル漏れによりリタイア。
- 山本左近(予選19位、決勝リタイア)フリー走行3回目でSA06をクラッシュさせてしまい、予選はスペアカー(SA05)で挑むが、タイムを出した中では最下位。決勝では修復をしたSA06に乗車したが、ドライブシャフトトラブルで1周リタイア。
*予選13番手のトゥルーリ、同18番手のアルバースがエンジン交換ペナルティで10グリッド降格したため、佐藤琢磨、山本左近の決勝グリッドは1つ繰り上がった。(左近はその後SA06に乗り換えたためピットレーンスタート)
【第13戦ハンガリーGP】
- 佐藤琢磨(予選19位、決勝13位)決勝序盤は、MF1の2台との差を広げていった。中盤以降、ギヤボックストラブルを抱えたものの、5周遅れで久しぶりの完走を果たした。しかし、結局MF1勢、4回ピットインのスピードには及ばなかった。(レース直後には、14位とされていたものの、上位でゴールしたマシンの重量違反で、一つ順位が繰り上がった。)
- 山本左近(予選21位、決勝リタイア)決勝では1コーナーにオーバースピードで突っ込んでコースアウト。その際にエンストを喫し、1周もすることができずリタイア。
*予選19番手のスピード、21番手のアルバースのペナルティで、順位が一つ繰り上がった。
【第14戦トルコGP】
- 佐藤琢磨(予選21位、決勝リタイア)SA06の完全パッケージ導入もトラブル続きで奮わず。予選は最下位、決勝では接触等の影響もあり、ピットでの修復作業で15周遅れになりながらも再出走し、規定周回数不足ながらもチェッカーを受けた。
- 山本左近(予選20位、決勝リタイア)3戦目にして初めて予選で琢磨を上回る。決勝では単独スピン、その際またもエンストを喫しリタイア。
*予選16番手のアルバースのエンジン交換ペナルティで、佐藤、山本それぞれ順位が一つ繰り上がった。
【第15戦イタリアGP】
- 佐藤琢磨(予選21位、決勝16位)ハイドロリック(油圧)系トラブルがスタート直前に判明、ピットスタートに。しかし、当面のライバルであるMF1のアルバースの前で16位完走。アルバース車がレース序盤から幾つかのトラブルに見舞われていたことに助けられた形だが、MF1より上位での完走は初めて。
- 山本左近(予選22位、決勝リタイア)予選でタイヤバースト、以降アタックできずに最下位。決勝では、スタートで数台抜いて、一時は17位までジャンプアップしていたが、油圧系のトラブルにより18週目にリタイア。
【第16戦中国GP】
- 佐藤琢磨(予選21位、失格)決勝は良いスタートを決めて順調に周回を重ね、14位で完走を果たしたが、最終ラップで起きたアクシデントに絡み、青旗無視との裁定が下った。同様に青旗無視をしたMF1のアルバースはレース結果に25秒加算のペナルティであったが、佐藤の場合はオーストラリアGPでも青旗無視のペナルティを受けていたことから、今回についてはレース結果から除外となってしまった。なお、本人はFIA裁定後のインタビューでは「青旗は振られていなかった」と発言している。
- 山本左近(予選22位、決勝16位)決勝は良いスタートを決めて順調に周回を重るが、山本は2度立て続けにピットに入り21番手に後退、さらに青旗無視でピットスルーのペナルティを科されてしまうが、終盤には上位マシンのリタイアもあって2つ順位を上げ、チームメートの佐藤と共に17位でチェッカーを受けF1初完走を果たすが、佐藤のペナルティにより、最終的には16位完走となる。
【第17戦日本GP】
- 佐藤琢磨(予選20位、決勝15位)予選では、MF1のモンテイロを上回り、決勝では、トップから1周遅れながら、イタリアGPに続きMF1の前で完走。
- 山本左近(予選22位、決勝17位)予選では、第1セクターこそ佐藤を上回るタイムで入っていったものの、スピンからエンジンストールでノータイムとなる。決勝はピット停電中に運悪くピットインしてしまい、再度のピットインを余儀なくされるトラブルはあったが、2戦連続となる完走を果たした。
【第18戦ブラジルGP】
- 佐藤琢磨(予選20位、決勝10位)予選では期待された初のQ2進出は叶わなかった。決勝レースは1周目から荒れる展開となった。1周目終了後には15位、SCが解除後は13位に上がり前を塞ぐライバルがピットイン後はペースが一段と上がった。佐藤が2回目のピットインする前のレース中盤には上位陣と同等あるいは速いタイムで走り10位までポジションアップを果たす。レース終盤には9位クビサより速いタイムで走るが順位逆転までは及ばなかった。
- 山本左近(予選21位、決勝16位)予選では佐藤より約0.09秒落ちと悪くないタイムを出した。決勝レースでは14周目以降は14位を走行、44周目には第10コーナーでの速度は4位の速度を記録し佐藤の7位よりも速さを見せた。3回目のピットイン後には自己ベストタイムを出しレース中のファステストラップとして7位を記録し3戦連続完走でシーズンを締めくくった。
[編集] 2007年シーズン
昨シーズン終了から約1ヵ月後にあたるバルセロナテストでは、ホンダ栃木研究所と協力して、新しいシャシーを使っていた(ペイントはSA06B、チームリリースによるとシャシーの扱いは「SAF1 Team 暫定マシン」となっている)。このマシンをベースにSA07を製作したが、当初はウィリアムズやスパイカーなど一部のチームから「カスタマーシャシーではないか」(2008年からは解禁だが、それまでは他チームのシャシーの使用は禁止)として、提訴も辞さない構えでいた。バルセロナとへレステストでのドライバーは、アンソニー・デビッドソンが行っていて、デビッドソンにとっては、スーパーアグリでの初走行になっている。琢磨は2回目のヘレステストから参加した。
年が明けた2007年のテストでも暫定マシンでテストに励んでいた。亜久里代表曰く「マシンの外見はマクラーレン、BMWザウバーやウィリアムズの良いところばかりを真似した?と言われる位いいマシンに仕上がっている」と自信を見せている。ちなみに、SA07は開幕戦直前の2007年3月12日に東京でお披露目される予定だったが、さらにずれ込み、開幕戦オーストラリアGPの金曜フリー走行の前々日の3月14日にアルバートパークサーキットで行われることになり、結局、新車SA07はぶっつけ本番で開幕を迎えることになった。開幕戦のフリー走行1回目では新車SA07で初走行であったが、琢磨が13番手、アンソニー・デビッドソン(英国)が11番手で、ホンダの2台をともに上回る好タイムをマークするなど、順調な船出を飾った。この時、亜久里代表は6日に新たなスポンサーと契約したと話している。
【第1戦オーストラリアGP】
- 佐藤琢磨(予選10位、決勝12位)ピットストップで手間取るも、収穫ある完走。
- アンソニー・デビットソン(予選11位、決勝16位)スティールとの接触で背中を痛めるも、F1初完走。
(チーム初の予選Q2・Q3進出)
[編集] 変遷表
(2006年 第18戦終了時点)
年 | エントリー名 | 車体型番 | タイヤ | エンジン | オイル | ドライバー | ランキング | 優勝数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007年 | スーパーアグリF1チーム | SA07 | ブリヂストン | ホンダRA807E | ENEOS | 佐藤琢磨 アンソニー・デビッドソン |
位 ( pts) | |
2006年 | スーパーアグリF1チーム | SA05 SA06 SA06B |
ブリヂストン | ホンダRA806E | ENEOS | 佐藤琢磨 山本左近 フランク・モンタニー 井出有治 |
11位 (0 pts) | 0 |
*斜体になっているドライバーはスポット参戦など
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
2007年のF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||||
マクラーレン | ルノー | フェラーリ | ホンダ | BMWザウバー | トヨタ | ||||||||
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カテゴリ: 予定 | F1コンストラクター | スポーツ関連のスタブ項目