シーキングザパール
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性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1994年4月16日 |
死没 | 2005年6月10日 |
父 | シーキングザゴールド |
母 | ページプルーフ |
生産 | レイジー・レーン・ステーブル |
生国 | アメリカ |
馬主 | 植中倫子 →植中昌子 →ジェイエフ "ビー" ステーブル |
調教師 | 佐々木晶三(栗東) →森秀行(栗東) →アラン E. ゴールドバーグ(アメリカ) |
競走成績 | 21戦8勝 |
獲得賞金 | 4,021,716ドル |
シーキングザパール(Seeking the Pearl)は日本の競走馬。アメリカで生まれ、日本およびアメリカで調教された外国産馬である。1998年に日本調教馬として初めて海外のGI競走を優勝した。
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[編集] 生涯
年齢は全て当時の旧表記。レース名に年齢が含まれるものもそのままとする。
1994年にアメリカで生まれ、アメリカのセリ市に上場され日本人馬主の目に留まるが主取。そののち庭先取引で購入され来日した。当時の日本競馬(特に短距離路線)は外国産馬による全盛期で、シーキングザパールのライバルの多くも外国産馬であった。
3歳となった1996年、小倉競馬場の新馬戦で7馬身差の圧勝。続く新潟3歳ステークスではスタート直後によれて落馬寸前にまで追い込まれるが、それでも3着に食い込んだ。このときの5着はメジロドーベル。続くデイリー杯3歳ステークスは後の天皇賞(春)の優勝馬メジロブライトを突き放して快勝するも、阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)では全く伸びず、メジロドーベルの雪辱を許した。当時は武豊騎手も「気難しい」と言うほどのムラ馬であった。
4歳、シンザン記念を勝利した後に当時の調教師とオーナーのトラブルから森秀行厩舎に転厩するも、そのまま重賞4連勝でNHKマイルカップまで勝ち続けた。この頃の勢いには凄まじいものがあり、行く行くは牝馬の重賞勝利数記録を更新するとの声も挙がっていた。 秋はローズステークスから始動するも距離が長かったのかキョウエイマーチを捉えられず3着となった。その後秋華賞での決戦が期待されるも、喉鳴症を患い休養に入った。この頃からだんだんイレ込みがきつくなる。
5歳の初戦シルクロードステークスを勝利するも、高松宮記念、安田記念は苦手の道悪に泣き敗戦。しかしその後に遠征したフランスでは、モーリス・ド・ギース賞[1]をレコードタイムで快勝。日本調教馬初の欧州GI制覇の栄冠を手に入れた。その翌週には日本のライバルであったタイキシャトルもジャック・ル・マロワ賞を優勝、2週連続での日本調教馬による快挙はフランスを驚かせた。その後ムーラン・ド・ロンシャン賞5着、スプリンターズステークスではこの競走限りで引退が決まっていたタイキシャトルを差し切り意地を見せたがマイネルラヴの2着に敗れた。
6歳初戦でアメリカのGIサンタモニカハンデキャップに挑戦し4着に食い込むと、続く高松宮記念、安田記念でも2、3着に入った。
その後アメリカの馬主にトレードされることとなった。日本調教で国際GIを優勝した現役競走馬としては唯一の国外移籍である。他にはアラブ首長国連邦の国際GIIと日本国内GIを優勝したユートピアがイギリスにトレードされた程度であり[2]、かつて「名馬の墓場」と揶揄された日本競馬にとって国外移籍は栄誉ではあるのだが、同時に日本では同馬に対する情報不足に陥ってしまった。
その年の秋にアメリカでGIIIを2戦走ったが振るわず、そのままアメリカのクレイボーンファームで繁殖牝馬生活に入った。
初仔のシーキングザダイヤ(父ストームキャット)も日本に輸入されニュージーランドトロフィーでは母子優勝を達成しているが、日本のGIでは2着9回を重ねながら未勝利である。続く2頭はアメリカで競走生活を送っている。
そして2005年6月、死因も正確には伝わってこないまま、死亡という話が日本にも伝えられたが、実際の死因は落雷による感電死であった。
日本・欧州でGIを制しているという実績の割には、JRAが2000年に実施したファン投票企画「20世紀の名馬Dream Horses2000」で100位以内に選ばれないなど(シーキングザパールは107位)、競馬ファンの間での評価は低い。
[編集] 年度別競走成績
1996年(4戦2勝)
- デイリー杯3歳ステークス (JRAGII)
1997年(5戦4勝)
- NHKマイルカップ(JRAGI)、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(JRAGIII)、シンザン記念(JRAGIII)、フラワーカップ(JRAGIII)
1998年(7戦2勝)
- モーリス・ド・ギース賞(仏GI)、シルクロードステークス(JRAGIII)、スプリンターズステークス2着 (JRAGI)
1999年(5戦0勝)
- 高松宮記念2着 (JRAGI)
日本調教19戦8勝、海外調教2戦0勝(アメリカ)もしくは中央競馬16戦7勝、海外5戦1勝(フランス、アメリカ)
[編集] 繁殖成績(主な産駒)
- シーキングザダイヤ - ニュージーランドトロフィー (JRAGII)、日本テレビ盃 (NARGII) ほか
[編集] 血統表
シーキングザパールの血統 (ミスタープロスペクター系/アウトブリード) | |||
父
Seeking the Gold 1985 鹿毛 |
Mr.Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Con Game 1974 黒鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Broadway | Hasty Road | ||
Flitabout | |||
母
*ページプルーフ Page Proof 1988 黒鹿毛 |
Seattle Slew 1974 黒鹿毛 |
Bold Reasoning | Boldnesian |
Reason to Earn | |||
My Charmer | Poker | ||
Fair Charmer | |||
*バーブスボールド Barb's Bold 1978 黒鹿毛 |
Bold Forbes | Irish Castle | |
Comely Nell | |||
Goofed | Court Martial | ||
BarraF-No.17-b |
[編集] 脚注
- ^ 競走名(Prix Maurice de Gheest)は、当時はモーリス・ド・ギース賞と呼ばれることが多かったが、その後表記を見直し現在ではモーリス・ド・ゲスト賞と呼ばれることが多い。
- ^ 日本の現役競走馬が移籍されない理由は日本競馬の賞金水準が世界でも群を抜いて高いためであり、逆に日本では現在も外国籍の現役競走馬を移籍させることは不可能である。
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