落馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
落馬(らくば)とは、騎乗者が馬から落下することである。
一般的に騎乗者の足は鐙に架かっているため落馬が発生すると上半身(特に頭)から落下することがよくあり、大きな怪我を負ったり、場合によっては死に至ることも少なからずある。
目次 |
[編集] 競馬における落馬
競馬において、落馬した場合には当該馬は競走中止の扱いとなり、その馬が関わる馬券の購入金額の返還もされない。ただし、落馬した地点で再騎乗するか、騎乗後に落馬した地点まで引き返せば競走中止とはならない。再騎乗は障害競走では見られることがある。これは、障害競走における落馬は馬に故障がないことがあり、また完走すれば他馬の落馬等で賞金が得られる順位まで繰り上がる可能性も平地競走より高いためである。
また、他馬の進路を妨害して落馬せしめた場合、妨害した馬は失格となる。加害馬に騎乗していた騎手は騎乗停止などの制裁が課される。
騎手が落馬したまま走っている馬をカラ馬と呼ぶ。
[編集] 落馬の理由としてよくあるもの
- 競走中に馬がつまずく。
- 競走中に馬が故障や疾病を発症する。
- 競争中に馬が競走中の他馬に触れつまづく。
- 競走中に故障を発症して転倒した馬に接触する。(この場合大事故になりやすい)
- 競走中に馬がラチ(柵)や他馬に体をぶつける。
- 競走中に馬が逸走する。
- 馬がゲートを出た直後に立ち上がる。
などがある。
[編集] 競走中の落馬によって命を落としたり、騎手生命を絶たれた日本の騎手(抜粋)
- 西橋康郎(中央競馬・1955年落馬、死亡)
- 大柳英雄(中央競馬・1955年落馬、死亡)死亡年度の全国リーディング7位。2年目での悲劇。
- 阿部正太郎(中央競馬・1956年落馬、引退)のち調教師として厩舎を開き、加賀武見を見出す。
- 矢倉義勇(中央競馬・落馬、死亡)
- 茂木光男(中央競馬・1960年落馬、死亡)
- 目時重男(中央競馬・1960年落馬、1961年死亡)
- 小野定夫(中央競馬・1969年落馬、死亡)
- 石井正善(中央競馬・1969年落馬、死亡)『馬事公苑花の15期生』。
- 丸目敏栄(中央競馬・1971年落馬、引退)引退後は何とか調教師として競馬界に復帰したが、1980年8月4日に急死している。
- 秋元松雄(中央競馬・1976年落馬、1977年死亡)
- 坂本恒三(中央競馬・1977年落馬、死亡)
- 佐藤政男(中央競馬・1977年落馬、死亡)『馬事公苑花の15期生』。
- 角田次男(船橋競馬・1977年落馬、引退)
- 松若勲(中央競馬・1977年落馬、死亡)…この競走では7頭が落馬。(中央競馬の1レース落馬頭数ワースト)
- 町屋幸二(中央競馬・1978年落馬、死亡)
- 福永洋一(中央競馬・1979年落馬、引退)『馬事公苑花の15期生』。
- 坂本敏美(名古屋競馬・1985年落馬、引退)後の東海地区のエース・安藤勝己が敵わなかった天才として知られる。
- 玉ノ井健志(中央競馬・1992年落馬、死亡)
- 岡潤一郎(中央競馬・1993年落馬、死亡)
- 柴田政人(中央競馬・1994年落馬、引退)『馬事公苑花の15期生』。
- 清水英次(中央競馬・1994年落馬、引退)『馬事公苑花の15期生』。この時の後遺症が尾を引き2005年7月5日に死去している。
- 北川和典(中央競馬・1995年落馬、引退)
- 北村卓士(中央競馬・1998年落馬、引退)
- 松井達也(浦和競馬・2000年落馬、死亡)
- 竹本貴志(中央競馬・2004年落馬、死亡)騎手デビューしてわずか3週目での惨事だった。
- 常石勝義(中央競馬・2004年落馬、再起できずに2007年引退)
- 佐藤隆(船橋競馬・2006年落馬、死亡)
この他にも、調教中の落馬事故で死亡したり、騎手業からの引退を余儀なくされた例も存在する。
[編集] 落馬の一覧
[編集] 日本の競馬
- 1956年日本ダービー - エンメイ。1コーナーで馬群が内側に詰まり混乱が発生、その中で発生した落馬事故。エンメイは予後不良、鞍上の阿部正太郎も騎手としては引退に追い込まれる瀕死の重傷。馬主であった作家の吉川英治は大きなショックを受け、競馬の世界から離れる事となる。
- 1969年日本ダービー - 1番人気タカツバキ(嶋田功)がスタート直後に落馬。
- 1985年札幌日経賞 - 2番人気ギャロップダイナ(東信二)がスタート直後に落馬。因みに、同馬は落馬後も何事も無かったかの様に走り続け、鮮やかな好位差しで1着入線を果たし、この年の年末スポーツ特番の格好のネタとなっている。
- 1987年有馬記念 - 2番人気メリーナイス(根本康広)がスタート直後に落馬。1番人気サクラスターオーもレース中に競走を中止し大波乱。
- 1993年日本ダービー - マルチマックス(南井克巳)がスタート直後に落馬。
- 1995年宝塚記念 - ライスシャワー(的場均)が第3コーナーで故障を発生し落馬。同馬は予後不良。
- 1997年マイルチャンピオンシップ - タイキフォーチュン(柴田善臣)がスタート直後に落馬。
- 2001年京都大賞典 - ナリタトップロード(渡辺薫彦)が最後の直線でステイゴールド(1位入線。失格)とテイエムオペラオー(2位入線。繰り上がり1着)に挟まれ落馬。ステイゴールドの斜行によるもの。
- 2002年菊花賞 - 1番人気のノーリーズン(武豊)がスタート直後に躓き落馬した。
- 2002年東海菊花賞 - レジェンドハンター(安藤勝己)がスタート直後に落馬。
- 2007年1月27日1回東京開催1日目 - 計3レース連続して9頭の落馬事故が起こった。2レースの3歳未勝利戦(ダート2100m)でクリフバニヤン(武豊)が直線にて馬体故障で落馬し競争中止した。アロハスタイル(オリビエ・ペリエ)ゴールドリヴァー(佐藤聖也)も同馬に接触して落馬し競争中止した。佐藤騎手は落馬の影響で土日の騎乗を変更しクリフバヤニン号は左第3中手骨開放骨折で予後不良になった。3レースでは同じく3歳未勝利戦(ダート1600m)にてハッピーパヒューム(木幡初広)が第4コーナーで馬体故障のため転倒し落馬で競争を中止した。同馬に触れたセトウチハート(柴田善臣)とスガノロイヤル(柴山雄一)も落馬して競争中止。2頭が落馬した後ナミノオト(吉田隼人)が先に落馬したセトウチハート号に触れ落馬して競争中止。ハッピーパヒューム号は左下腿骨開放骨折で予後不良になり騎乗していた木幡騎手とセトウチハート号騎乗の柴田騎手が落馬の影響で土日の騎乗を取りやめにした。4レースにも障害未勝利戦(障害3000m)にてオンワードワンダー(沢昭典)が4号障害でブラッドシフト(黒岩悠)が2週目の6号障害でそれぞれ落馬した。(10レースでもドラマチックテナー(オリビエ・ペリエ)が故障して落馬したという説あり)余談だが同じ日の小倉で2頭。1月28日の東京で2頭。同じく小倉ではツルマルボーイの全妹であるツルマルオジョウが4レース新馬戦で1着入線後落馬した。2日間で14頭落馬した事になる。
[編集] その他
- 1198年 - 源頼朝が落馬。その後死亡。(異説あり)
- 1337年 - 新田義貞が福井県の藤島城攻めで落馬、敗死。
- 1430年 - ジャンヌ・ダルクがコンピエーニュ攻めで落馬、捕縛されて後処刑される。
- 1626年 - 徳川家光が高田馬場へ狩猟に向かう途中の早稲田にて落馬。現地には現在も「落馬地蔵」がある。
- 1995年 - 俳優のクリストファー・リーヴが馬術大会の競技中に落馬。脊髄損傷により俳優の引退を余儀なくされた。後に福祉活動家となり、自身も負った脊椎損傷の回復の研究などの支援も行った。
- 1998年 - 俳優のトミー・リー・ジョーンズがポロの試合中に落馬。
- 2005年 - 歌手のマドンナが誕生日に自宅で乗馬中に落馬。肋骨と鎖骨、腕の骨を骨折する重傷。
- 2006年 - ドーハ・アジア大会の馬術競技中、韓国代表の金亨七選手が馬とともに転倒・落馬し、馬の下敷きになり死亡。