スペシャルウィーク
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![]() 1999年10月31日、東京競馬場 |
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1995年5月2日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | サンデーサイレンス |
母 | キャンペンガール |
生産 | 日高大洋牧場 |
生国 | 日本(北海道門別町) |
馬主 | 臼田浩義 |
調教師 | 白井寿昭(栗東) |
競走成績 | 17戦10勝 |
獲得賞金 | 10億9262万3000円 |
スペシャルウィーク(1995年-)は日本の競走馬。東京優駿、ジャパンカップに勝ち、また天皇賞春秋連覇をしてGIを4勝するなどの活躍をした。現在は種牡馬である。
目次 |
[編集] 出自
母キャンペンガールはスペシャルウィーク出産5日後に死亡し、幼少期は農耕馬に育てられる。その頃を過ごした日高大洋牧場では、余り他の馬達と行動を共にすることなくいつも独りで遊んでいた。その反動か人間を恐れず、人懐っこい子馬であったようである。
[編集] 競走馬時代
[編集] 1997年、1998年
3歳(当時の馬齢表記)11月にデビューし、新馬戦を1番人気で快勝。続く自己条件戦は除外続きの影響のため登録をしてあったレースだったため、調整不足で2着に敗れるが、3戦目のきさらぎ賞で初重賞制覇をすると、続く弥生賞も良血馬キングヘイローやデビューから2戦2勝のセイウンスカイを破ってクラシック戦線の主役に躍り出る。この勝利によって皐月賞は1番人気に推されたが、大外18番枠からの発走の影響[1]もありセイウンスカイの3着に敗れた。しかし東京優駿(日本ダービー)ではダンスインザダーク時の騎乗ミス(武豊談)の反省もあり、武豊としては珍しく直線追い通し、さらに興奮のあまりムチを落とすなどもあったが5馬身差で圧勝し、武豊を初のダービー制覇へと導いた。
秋初戦の京都新聞杯をキングヘイローをクビ差抑えて勝つが、菊花賞ではセイウンスカイの世界レコードでの逃亡劇とコース設定[2]の前に屈し2着。古馬初対戦となったジャパンカップでは1番人気に支持されるも最後の直線ではヨレるなど詰めの甘さを見せ、同期のエルコンドルパサーの3着と勝ちきれないレースが続いた。
- ^ 当時は芝の保護を目的として皐月賞の前週まで内側の移動柵を3メートル外側にずらして競走を施行し、皐月賞の週に内側に移動させるという施策がとられていたが、これによって内側の走路に3mの幅の芝生が生えそろった「グリーンベルト」ができ内枠の馬や先行馬に有利な条件になっていた。現在は、開催の前半は柵を内側にし皐月賞が行われる開催の後半を柵を外側にずらす措置を取っているためこのようなことはなくなっている。
- ^ 菊花賞も当時は開催の前半をBコース(Aコースより4m外側)またはCコース(同7m外側)で施行し菊花賞の開催週にAコースに戻すという措置が取られていた。現在は菊花賞の開催自体が当時より2週前にずれたこともあり開催週から柵を移動させずに施行している。
[編集] 1999年
年が明けて古馬になり、アメリカジョッキークラブカップを3馬身差で完勝し、さらに阪神大賞典では昨年の天皇賞(春)に勝ったメジロブライトを破った。そして天皇賞(春)はメジロブライト・セイウンスカイとともに3強を形成した。スペシャルウィークは道中で比較的前の方につけ、直線でメジロブライトの追撃を1/2馬身抑えて勝利した。セイウンスカイは3着だった。この頃から調教でも動かなくなり陣営は年内引退を発表。また凱旋門賞挑戦プランも掲げられ、その壮行レースとして挑んだ春のグランプリ宝塚記念に挑んだ
このレースでは同期のグラスワンダーとの初顔合わせであった。レースはスペシャルウィークをグラスワンダーが後方からマークするという展開で進み、直線でいったんは先頭に立つものの終始スペシャルウィークをマークしていたグラスワンダーに交わされ2着と敗戦。3着のステイゴールドを7馬身もちぎり捨てるもグラスワンダーには3馬身差の完敗であった。この時の武豊と的場均の駆け引きは、競馬史上屈指の頭脳戦と言われている。そしてこの敗戦により凱旋門賞挑戦は白紙撤回されることとなった。
秋初戦の京都大賞典では馬が全く伸びず掲示板にも載れないというまさかの大惨敗を喫する。さらに直前の調教でも500万条件の馬に負け、馬体重も前走から-16kgだったため天皇賞(秋)では4番人気と人気を落としていた。すでにピークは過ぎたと思うファンも多かった。しかしレースでは、道中は後方につけて、直線に入ると見事な末脚を披露しステイゴールドをクビ差抑えてレースレコードで快勝、タマモクロスに続く2頭目の天皇賞春秋連覇を達成。続くジャパンカップでも府中の直線で素早く抜け出すとそのままゴールし、凱旋門賞でエルコンドルパサーを破って勝利したモンジューらを寄せ付けず優勝し、着差以上の完勝。未だ健在ぶりを見せつけた。
そして迎えたラストラン有馬記念。年間GI3勝の実績にも関わらず、宝塚記念で敗れたグラスワンダーに1番人気を譲ってしまう。引退の花道を飾るべくスタートしたレースでは1000m通過64から65秒という超スローな流れのになり、その中を最後方から、同じく後方に控えたグラスワンダーをマークする宝塚記念とは逆の形あり、かつ大胆な作戦を取る。最後の直線で溜めに溜まった一世一代の末脚を繰り出し、一気にグラスワンダーを捉えた地点がゴールであった。体勢はスペシャルウィークが明らかに有利であり、その会場のほぼすべての人間が武豊とスペシャルウィークの勝利を確信し、そして観客「ユタカコール」に武豊とスペシャルウィークは応えてウイニングランを行っていた。一方の的場とグラスワンダーも負けを確信し引き上げようとしていた。しかし写真判定の結果、鼻の上げ下げの差でわずか4cm差で2着に敗れていたことが判明。映像上では勢いの違いでスペシャルウィークが勝っていたように見えたので、負けたのにウィニングランを行うという「珍事」も起こった。レース内容は明らかにスペシャルウィークが上であっただけにレース後、武豊は「競馬に勝って勝負に負けたという感じです」と答えた。
結局、1999年のGⅠにおいて3勝2着2回という成績を残したにもかかわらず、この年の年度代表馬、最優秀古馬牡馬の座はこれも同期で同年の凱旋門賞2着となったエルコンドルパサーにさらわれた。記者投票ではスペシャルウィークが首位に立ったが、票数が過半数を満たさなかったために審議委員による選考が行われ、その結果エルコンドルパサーに年度代表馬が決定した。この時は大論争となった。結局スペシャルウィークにはグラスワンダーとともに1999年度JRA賞特別賞が贈られた。現役時代のJRA賞はこのひとつだけである。
翌年テイエムオペラオーに記録を更新されるまで、当時の世界最高賞金獲得馬であった。
[編集] 競走成績
年/月/日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 | 騎手 | 重量 | 着順 | 人気/ 頭数 |
タイム | 馬場 | 1着馬(2着馬) | タイム 差 |
1997/11/29 | 阪神 | 新馬 | 芝1600 | 武豊 | 54 | 1 | 1/14 | 1:36.9 | 稍 | (レガシーハンター) | -0.3 | |
1998/01/06 | 京都 | 500万下 | 芝1600 | 武豊 | 55 | 2 | 1/16 | 1:36.0 | 良 | アサヒクリーク | 0.0 | |
02/08 | 京都 | きさらぎ賞 | GIII | 芝1800 | 武豊 | 55 | 1 | 1/16 | 1:51.3 | 良 | (ボールドエンペラー) | -0.6 |
03/08 | 中山 | 弥生賞 | GII | 芝2000 | 武豊 | 55 | 1 | 2/13 | 2:01.8 | 良 | (セイウンスカイ) | -0.1 |
04/19 | 中山 | 皐月賞 | GI | 芝2000 | 武豊 | 57 | 3 | 1/18 | 2:01.6 | 良 | セイウンスカイ | 0.3 |
06/07 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400 | 武豊 | 57 | 1 | 1/18 | 2:25.8 | 稍 | (ボールドエンペラー) | -0.9 |
10/18 | 京都 | 京都新聞杯 | GII | 芝2200 | 武豊 | 57 | 1 | 1/16 | 2:15.0 | 稍 | (キングヘイロー) | -0.1 |
11/08 | 京都 | 菊花賞 | GI | 芝3000 | 武豊 | 57 | 2 | 1/17 | 3:03.8 | 良 | セイウンスカイ | 0.6 |
11/29 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400 | 岡部 | 55 | 3 | 1/15 | 2:26.4 | 良 | エルコンドルパサー | 0.5 |
1999/01/24 | 中山 | アメリカジョッキークラブC | GII | 芝2200 | ペリエ | 58 | 1 | 1/11 | 2:16.8 | 良 | (サイレントハンター) | -0.5 |
03/21 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 芝3000 | 武豊 | 58 | 1 | 2/09 | 3:13.4 | 重 | (メジロブライト) | -0.1 |
05/02 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200 | 武豊 | 58 | 1 | 1/12 | 3:15.3 | 良 | (メジロブライト) | -0.1 |
07/11 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200 | 武豊 | 58 | 2 | 1/12 | 2:12.6 | 良 | グラスワンダー | 0.5 |
10/10 | 京都 | 京都大賞典 | GII | 芝2400 | 武豊 | 59 | 7 | 1/10 | 2:25.1 | 良 | ツルマルツヨシ | 0.8 |
10/31 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000 | 武豊 | 58 | 1 | 4/17 | R1:58.0 | 良 | (ステイゴールド) | -0.1 |
11/28 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400 | 武豊 | 57 | 1 | 2/14 | 2:25.5 | 良 | (インディジェナス) | -0.2 |
12/26 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500 | 武豊 | 57 | 2 | 2/14 | 2:37.2 | 良 | グラスワンダー | 0.0 |
[編集] 種牡馬時代
引退後は種牡馬入りし、北海道の社台スタリオンステーションに繋養されている。2003年に産駒がデビュー、ヤマニンラファエルが産駒初出走でいきなり初勝利を収めるも初年度産駒は概して出世が遅めで、その点では当初は生産者の期待を裏切ったことになる。しかし2年目の産駒がそれを覆し、スムースバリトン(母ウインドフレスカ)が2004年の東京スポーツ杯2歳ステークス(GIII)に優勝するなど活躍を見せている。
代表産駒はシーザリオ(母キロフプリミエール)である。シーザリオは2005年の優駿牝馬(オークス)(GI)を優勝し、スペシャルウィーク産駒初のGI勝利となった。同年のアメリカンオークス招待ステークス(米国GI)をも優勝し、産駒初の国際重賞勝利のみならず父内国産馬としても日本のクラシック馬としても初の日本以外の国際GI制覇となった。
[編集] 代表産駒
- 2001年産
- サンバレンティン(福島記念)
- 2002年産
- 2003年産
- ニシノアンサー(ホープフルステークス)
- タッチザピーク(紅梅ステークス)
- 2004年産
- オースミダイドウ(デイリー杯2歳ステークス、野路菊ステークス)
- シルバーストーン(フェニックス賞)
[編集] 特徴
サンデーサイレンス産駒としては穏やかな性格で荒々しい所は少なく、競馬でかかる事も稀だった。レースも、調教も、自分に与えられた仕事を黙々とこなす馬で、厩舎で牝馬とすれ違っても見向きもしなかったという。
また、飛び抜けたスピードがあったわけではないが、騎手に忠実な性格と、したたかな勝負根性を併せ持ち、トータルバランスが優れていた。1998年のジャパンカップに出走した時に騎乗した岡部幸雄も「スペシャルウィークはシンボリルドルフに似ている」と語っている。
[編集] 血統表
スペシャルウィークの血統 サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/アウトブリード | |||
父
*サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 アメリカ |
Halo 1969 黒鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Wishing Well 1975 鹿毛 アメリカ |
Understanding | Promised Land | |
Pretty Ways | |||
Mountain Flower | Montparnasse | ||
Edel Weiss | |||
母
キャンペンガール 1986 鹿毛 北海道門別町 |
マルゼンスキー 1974 鹿毛 北海道早来町 |
Nijinsky | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
*シル Shill |
Buckpasser | ||
Quill | |||
レディーシラオキ 1978 鹿毛 北海道浦河町 |
*セントクレスピン Saint Crespin |
Aureole | |
Neocracy | |||
ミスアシヤガワ | *ヒンドスタン Hindstan | ||
シラオキ F-No.3-l |
母のキャンペンガールは未出走だが母系は日本有数の名牝系として知られるシラオキ系の血筋で、更に遡れば小岩井農場の名牝フロリースカップに繋がる。フロリースカップからインタグリオー、ガロン、シアンモア、ダイオライト、プリメロ、ヒンドスタン、セントクレスピン、マルゼンスキー、サンデーサイレンスと当時の最高級種牡馬を代々配しているのも特徴である。
[編集] 関連項目
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