スーパースター・ビリー・グラハム
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スーパースター・ビリー・グラハム("Superstar" Billy Graham、本名:エルドリッジ・ウェイン・コールマンEldridge Wayne Coleman、1943年9月10日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。本名で呼ぶ場合は通常ウェイン・コールマン。
アリゾナ州パラダイスバレー出身。1970年代を代表する文字通りのスーパースター。1980年代以降続々と登場するハルク・ホーガン、ジェシー・ベンチュラ、ランディ・サベージなどのボディビルダー系、「筋肉マン」系と称されるタイプのレスラーたちのモデルとなった人物で、彼の存在がプロレス史を変えたとすら言われる。来日した際に付けられたキャッチコピーは「鉄腕」。
怪力と反則を駆使したスタイルでテクニックには乏しかったが、観客とのやり取りやインタビューには抜群の才能を発揮し、ヒールでありながら脅威的な人気を誇った。ハルク・ホーガンも元々は彼の熱狂的なファンの一人であったことは有名。饒舌で知られるリック・フレアーも、元々はグラハムの話術をコピーしたと告白している。一方、インタビューも少なく言葉の通じない日本では現役当時の評価は低く、「期待外れ」と呼ばれた。
[編集] 経歴
10代の頃からアメフトや陸上の投てき競技で活躍し、ボディビルのコンテストでは優勝経験も持つ。NFLにも所属したが、その後はボディビルとパワーリフティングを行っていた。
カルガリーに赴いた際に知り合ったスチュ・ハートにプロレスのトレーニングを受け、1970年にカナダでデビュー。帰国後、偶然知り合ったドクター・ジェリー・グラハムの「弟」となり、スーパースター・ビリー・グラハムのリングネームを名乗った。スーパースターは当時大ヒットしていたミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』から、ビリーはキリスト教伝道師ビリー・グラハムからそれぞれ付けられたとされる。
NWA、WWWF、AWAの他にも全米の様々な団体を渡り歩き、パット・パターソンやレイ・スティーブンスといった名人たちから、ヒールとしての観客の心理操作の極意を吸収した。1977年4月30日にはブルーノ・サンマルチノを破ってWWWF王座を獲得。マネージャーにはザ・グランド・ウィザードがついていた。ミル・マスカラスやダスティ・ローデスを相手に防衛戦を行い、1978年2月20日ボブ・バックランドに敗れるまで10ヶ月間王座を保持。当時のWWWFでヒールの王者がこれだけ防衛するのは極めて異例のことであり、彼の人気の高さを証明するものである。なお、この間の1978年2月8日には新日本プロレスのリングで坂口征二とWWWFタイトルマッチを行い防衛に成功している。
王座陥落後は長年使用していたステロイドの副作用による病気や怪我に苦しんで引退と復帰を繰り返し、1987年正式に引退。1990年代に行われたいわゆる「ステロイド裁判」では検察側の証人に立ったため、被告側のビンス・マクマホンとは絶縁状態となってしまった。
2003年ビンス・マクマホンと和解し、翌年にはWWE殿堂入り(プレゼンターはトリプルH)を果たした。現在はステロイドの危険性を訴える活動をしているほか、特別ゲストとしてWWEのテレビ放送に登場することもある。
[編集] 得意技
[編集] 外部リンク
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