デハビランド モスキート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デハビランド モスキート
デハビランド モスキート (de Havilland Mosquito) は第二次世界大戦中、主にイギリス空軍で使用された爆撃機。
目次 |
[編集] 概要
モスキートはマーリンエンジンを両翼に1基づつ搭載した双発機であり、コクピットには操縦士と航法士が並んで座った。ほとんど木材を使うという変わった構造で、当時でさえ時代遅れだと考える向きもあったが、生産にあたって家具など木工分野の工場も動員できる上、木製ゆえレーダーに察知されにくい、といった副次的なメリットもあった。 モスキートは戦闘機が追いつけない高速昼間爆撃機として開発され、防御用火器の装備を考慮されていなかった。しかし、高速と機敏さ、木製による耐久力を生かして戦闘機としても使用され、その他にも戦術爆撃機、先導機、昼間及び夜間戦闘機、攻撃機、写真偵察機など、幅広い任務に投入された。
[編集] 開発
デハビランド社は航空機業界からの圧力と鉄とアルミニウムが不足している際、使用されていない家具業界の資源とデハビランド社の技術力を利用して木製の航空機を開発することを提案した。しかし、イギリス航空省 (Air Ministry) は当初興味を示さなかったが、デハビランド社が基礎設計し、試作されたモスキートの性能に注目した。
モスキートの設計は1938年から始まっていたが、十分な関心を得られず、1940年3月まで製造されることはなかった。3つの異なる種類の試作機が製作され、爆撃機の試作であるW4050は1940年11月25日に初飛行を行い、それに続いて、1941年5月15日に夜間戦闘機型、1941年6月10日に写真偵察機型が初飛行を行った。
写真偵察機型はPR Mk.I モスキートの原型になり、爆撃機型はB Mk.IVの基礎となった。B Mk.IVは227kg (500 lb) 爆弾を胴体内爆弾倉に4個搭載することができ、両翼のハードポイント(パイロン)には増槽(燃料タンク)か227kg爆弾のいずれかを2つ搭載できた。PR Mk.IとB Mk.IVは273機が生産された。モスキートは1941年9月20日にPR Mk.Iが初の任務に使用され、Mk.IVは1942年5月に第105飛行隊へ引き渡された。
高高度爆撃機はMk.IXであったが、爆撃機として最も多数生産されたのはMk.XVIであり、約1,200機が生産された。爆撃機型のモスキートは4,000 lb (1,816 kg) ブロックバスター爆弾を爆弾倉に搭載できた。これはアブロに搭載して輸送するのに爆弾倉を膨らます拡張を施さなければならず、500 lb爆弾を最大で6個まで搭載できた。モスキートは誘導飛行隊 (RAF Pathfinder Force) に配備され、夜間戦略爆撃の目標に目印をつける役(パスファインダー)を演じ、当初から損耗率は高かったが、他の航空機で同じ任務を実行した際の損耗率と比べれば最も低く、モスキートは大戦終結まで投入された。
モスキートの爆撃に対抗するドイツ空軍の試みはむしろ不成功であり、さらには彼らの「高速爆撃機」のコンセプトをさらに優れた形で実現させていることに注視した。
最初の夜間戦闘機型はNF Mk.IIであり、1942年1月に第157飛行隊にA-20ハヴォックの代替として投入されたのを皮切りに466機が生産された。これはイスパノ20mm機関砲4門を機体下前方に、加えてブローニング7.7mm機銃4挺とAI Mk.IV機上レーダーを機首に搭載していた。
これらの夜間戦闘機の成功と、レーダーの存在を隠す必要から、ジョン「猫目」カニンガムに対し、「彼と他のパイロットたちはにんじんを食べることで驚くほど鋭敏な夜間視力を得ている」などというある程度の悪評がついた。これはイギリスがレーダーの開発をドイツ側に隠匿する必要性から起こした、偽りの情報の流布のためである。
97機のNF Mk.IIは機上レーダーをAI Mk.VIIIに更新されNF Mk.XIIとなった。これと同性能のNF Mk.XIII270機が生産されたが、これらは夜間戦闘時に発射炎が視力を奪ってしまうという理由から機首の機銃を撤去した。これとは別の夜間戦闘機型がMk.XV、Mk.XVII(Mk.IIからの更新型)、 Mk.XIX、Mk.30である。後期の3種はアメリカ製のAI Mk.X機上レーダーを装備した。戦後、夜間戦闘機型はマーリン113/114エンジン装備のNF Mk.36と、イギリス製AI Mk.IX機上レーダーを装備したNF Mk.38の2種が作られた。一方、モスキート夜間戦闘機の機上レーダーに捕捉されていることをドイツの夜間戦闘機乗員に警告するために、ドイツはNaxos ZRレーダー探知機を導入した。
イギリス空軍だけでなく、アメリカ陸軍航空隊、オーストラリア空軍、カナダ空軍、ニュージーランド空軍、イスラエル空軍、さらにベルギー、ビルマ、中華民国、チェコスロバキア、フランス、ノルウェー、南アフリカ、ソビエト連邦、スウェーデン、トルコ、ユーゴスラビア、ドミニカでも運用された。なお、戦後になってアルゼンチンでは本機に空冷エンジンを積んだカルチーンを開発している。
[編集] 戦歴
モスキートは夜間軽攻撃部隊 (LNSF;Light Night Striking Force) の主力機として最も使用され、正確な照準と航法で夜間高速爆撃を行った。モスキートの任務は大きく2つに分けられ、1つは重要度が高いものの、規模が小さく破壊が難しい施設を爆撃した。もう1つは味方の重爆撃機の空襲を掩護するため、チャフを散布して大規模空襲を装った。また、重爆撃機部隊による空襲が予定されていない場合でも、ドイツ軍の防空部隊に休みを与えないよう夜間軽攻撃部隊が襲撃することもあった。
モスキートが投入された最も大胆な作戦はジェリコー作戦 (Operation Jericho) であり、フランスのアミアン刑務所の壁と警備員の宿舎を爆撃し、レジスタンスのメンバーの脱出を助けた。最も素晴らしいのはゲシュタポの司令部空襲で、低高度からの非常に精密な爆撃を必要としたが、囚人を解放して記録資料を焼き払った。
[編集] エースパイロット
ジョン・カニンガム当時:少佐~中佐(夜間戦闘機型によるもの)
[編集] 仕様 (B Mk. XVI)
出典: Jane's Fighting Aircraft of World War II[1], World War II Warbirds[2]
諸元
- 乗員: 2名 (パイロット、航法兼爆撃手)
- 全長: 13.57 m (44 ft 6 in)
- 全高: 5.3 m (17 ft 5 in)
- 翼幅: 16.52 m (54 ft 2 in)
- 翼面積: 42.18 m2 (454 ft2)
- 空虚重量: 6,490 kg (14,300 lb)
- 運用時重量: 8,210 kg (18,100 lb)
- 最大離陸重量: 11,350 kg (25,000 lb)
- 動力: ロールス・ロイス マーリン V型12気筒液冷レシプロエンジン, 1,275 kW (1,710 hp) × 2
性能
- 最大速度: 667.9 km/h (415 mph) 高度8,535 m (28,000 ft) 時
- フェリー飛行時航続距離: km (海里)
- 航続距離: 2,400 km (1,500 海里)
- 実用上昇限度: 11,280 m (37,000 ft)
- 上昇率: 14.5 m/s (2,850 ft/min)
武装
- 爆弾搭載量:1,800kg (4,000 lb)
アビオニクス
使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。
[編集] 参考
- ^ Bridgman, Leonard, ed. Jane's Fighting Aircraft of World War II. "The D.H.98 Mosquito" 115-117. London: Studio, 1946. ISBN 1-85170-493-0
- ^ La Bonne, Frans (2001年2月9日). "The de Havilland Mosquito" World War II Warbirds. .