バターン (空母)
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艦歴 | |
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起工: | 1942年8月31日 |
進水: | 1943年8月1日 |
就役: | 1943年11月17日 |
退役: | 1954年4月9日 |
その後: | スクラップとして売却 |
性能諸元 | |
排水量: | 11,000 トン |
全長: | 622.5 ft (189.7m) |
艦幅: | 71.5 ft |
全幅: | 109.2 ft (33.3 m) |
吃水: | 26 ft (7.9 m) |
最大速: | 32 ノット |
乗員: | 士官、兵員1,569名 |
兵装: | 40mm機銃26基、20mm機銃18基 |
艦載機: | 45 |
バターン(USS Bataan, CVL-29)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の8番艦。艦名はバターン半島に因む。
バターンはニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で軽巡洋艦バッファロー(USS Buffalo, CL-99)として起工する。1942年6月2日に CV-29 に艦種変更およびバターンへ艦名変更する。1943年7月15日に CVL-29 へ再変更、1943年8月1日にジョージ・D・マレー夫人(ジョージ・D・マレー海軍少将の妻)によって命名、進水し、1943年11月17日にV・H・シェーファー艦長の指揮下就役する。
整調航海の後にバターンは太平洋艦隊に配属される。日本軍との初期の交戦でバターンの艦載機は1944年4月21日から24日までホーランディア、ニューギニアへの攻撃を行う。その後トラック島、サタワン、ポナペへの攻撃(4月29日 - 5月1日)、サイパン、マリアナ諸島への攻撃(6月11日)、第一次小笠原諸島攻撃(6月15日、16日)、マリアナ沖海戦(6月19日、20日)。第二次小笠原諸島攻撃(6月24日)に参加する。
その後バターンは修理のために本国へ帰還、修理の完了後第58空母機動部隊に参加し、沖縄攻略支援(1945年3月17日 - 5月30日)に従事する。この間に北緯26°42′東経130°38′の水域で潜水艦伊-56を4月18日に撃沈した。バターンはフィリピンに後退し、第三艦隊に合流、日本本土攻撃に従事する(7月10日 - 8月15日)。バターンはジェラルド・ボーガン少将率いる第38.3任務部隊に加わる。同部隊は、バターン、エセックス(USS Essex, CV-9)、タイコンデロガ(USS Ticonderoga, CV-14)、ランドルフ(USS Randolph, CV-15)およびモンテレー(USS Monterey, CVL-26)で構成された。
バターンは本国に帰還、1945年10月17日にニューヨークに到着する。その後マジック・カーペット作戦に従事し、1946年1月10日にフィラデルフィアに到着、不活性化が行われ、1947年2月11日に予備役となる。
バターンは1950年5月13日にフィラデルフィアで再就役する。1950年7月にサンディエゴに到着、空軍の物資と人員を搭載すると東京湾に向けて11月16日出港する。12月15日に韓国水域に到着し、1951年6月まで艦載機による地上支援攻撃を行う。
バターンは1951年6月2日に西海岸を出発し、サンディエゴで短期間の停泊の後7月9日にオーバーホールのためワシントン州ブレマートンに向けて出港する。11月20日にサンディエゴへ戻り1952年1月27日に横須賀へ向かい、続いて沖縄の中城湾に向かう。バターンは沖縄沖での訓練を4月29日まで続け、朝鮮半島へ展開した。1952年の夏を通して日本と韓国の間で作戦従事し、8月11日にサンディエゴに向かう。10月27日に再び極東に展開し、1953年5月10日まで作戦活動を行った後サンディエゴに帰還する。
バターンは7月31日までオーバーホールと訓練を行いながらサンディエゴに留まる。その後真珠湾から神戸、横須賀に向かい、1953年8月26日に不活性化のため帰国する。1954年4月9日にサンフランシスコで予備役となり、1959年9月に除籍、1961年5月にスクラップとして売却された。
バターンは第二次世界大戦での戦功により6つの、朝鮮戦争での戦功により7つの従軍星章を受章した。