カウペンス (空母)
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艦歴 | |
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起工: | 1941年11月17日 |
進水: | 1943年1月17日 |
就役: | 1943年5月28日 |
退役: | 1947年1月13日 |
その後: | 1959年にスクラップとして売却。 |
性能諸元 | |
排水量: | 11,000 トン |
全長: | 622.5 ft (189.7m) |
艦幅: | 71.5 ft(21.8m)(水線) |
全幅: | 109.2 ft(33.3m) |
吃水: | 26 ft(7.9m) |
最大速: | 32 ノット |
乗員: | 士官、兵員1,569名 |
兵装: | 40mm機銃26基 |
艦載機: | 45 |
カウペンス(USS Cowpens, CV/CVL-25)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の4番艦。艦名はアメリカ独立戦争におけるカウペンスの戦いに因む。マイティ・モー(The Mighty Moo)の愛称で呼ばれた。
カウペンスは1943年1月17日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所でM・H・スプルーアンス夫人(ウィリアム・ハルゼー海軍中将の娘)によって命名、進水し、R・P・マコーネル艦長の指揮下1943年5月28日に就役した。1943年7月15日に CVL-25 へ艦種変更される。
1943年8月29日にペンシルバニア州フィラデルフィアを出港、9月19日に真珠湾に到着する。第14機動部隊と共に10月5日、6日にウェーキ島を攻撃、その後真珠湾に帰港しマーシャル諸島攻略の準備に入る。11月10日に配属変更となり19日と24日にミリ環礁、マキン環礁を攻撃、12月4日にはクェゼリン環礁、ウォジェ環礁を攻撃。9日に帰投する。
カウペンスは第58空母機動部隊に加わり1944年1月16日に真珠湾を出港、マーシャル諸島攻略に入る。カウペンスの艦載機は1月31日に行われる上陸に先立ってクェゼリン、エニウェトクへの攻撃を行った。マジュロを拠点として部隊は2月16日、17日にトラック島への攻撃を行い、21日、22日にはマリアナ諸島へ攻撃を行っている。3月4日に真珠湾に入港した後、第58空母機動部隊は再びマジュロからカロリン諸島への攻撃を行い、その後パラオ、ヤップ、ウルシー、ウォレアイへの攻撃期間中カウペンスは3月30日から4月1日までその艦載機を対空、対潜哨戒任務に提供した。4月21日から28日まで行われたホーランディア攻撃の間、カウペンスはニューギニア沖での任務を行い、その後4月29日と5月1日のトラック島、サタワン、ポナペへの攻撃に参加、5月14日に訓練のためマジュロに帰還する。
1944年6月6日から7月10日までカウペンスはマリアナ海域で作戦活動を行う。艦載機はサイパン島の地上部隊の支援を行い、硫黄島、パガン島、ロタ島、グアム攻撃の支援を行った。6月19日、20日のマリアナ沖海戦では多数の敵機を撃墜している。その真珠湾で短期間のオーバーホールを受け、8月17日にエニウェトクで高速空母機動部隊と再合流する。29日にカウペンスはパラオ攻略の事前攻撃を行う。9月13日から17日までモロタイ上陸支援部隊から外れ、再合流すると21日から24日までルソン島に対する攻撃、偵察任務に従事する。10月10日から14日まで沖縄及び台湾の日本軍基地攻撃を行い、巡洋艦キャンベラ(USS Canberra, CA-70)及びヒューストン(USS Houston, CL-81)が雷撃を受けた際には艦載機による航空支援を行った。
ウルシー泊地への帰途に日本艦隊がレイテ島へ接近し、カウペンスは急行、スリガオ海峡海戦で残存日本艦隊を追撃する僚艦のため艦載機による偵察を行った。フィリピン海域での戦闘では12月にわたってルソン島へ艦載機による攻撃を繰り返している。12月18日に台風に遭遇し乗員の一人といくつかの艦載機、設備を失うが、熟練した乗組員による対処で大きな損害を被ることはなかった。被害を修復するため12月21日にウルシー泊地入りする。
1944年12月30日から1945年1月26日の間、カウペンスはリンガエン湾上陸に向けて航海中であった。艦載機は1月の間、台湾、ルソン、インドシナ海岸および香港 - 広東地域、沖縄に対して攻撃を行った。2月10日にウルシー泊地から硫黄島上陸部隊に配置換えされ、2月19日から22日まで上陸支援のため関東地区への攻撃を行う。3月1日には沖縄に攻撃を行っている。
その後サンフランシスコでオーバーホールを行い、真珠湾で訓練の後カウペンスは6月13日にサンペドロ湾に向けて出航する。途中6月20日にウェーキ島を攻撃し、サンペドロ湾に到着すると第58空母機動部隊に再合流する。7月1日に日本本土に対する最終攻撃のため出港、東京や呉を始めとして本州、北海道の様々な都市に対して8月15日まで艦載機による攻撃を行った。
戦争が終了するとカウペンスは上陸が始まる8月30日まで東京湾に留まり、その後日本の残存艦艇や飛行場に対する写真偵察任務に従事、戦時捕虜収容所への供給任務を行った。カウペンスからの要員は連合軍が横須賀飛行場を再使用する際に配置された。1945年11月8日から1946年1月28日の間にカウペンスは復員兵輸送のマジック・カーペット作戦で真珠湾、グアム、沖縄への二度の航海を行った。カウペンスは1946年12月3日にメアアイランドで予備役となり、1947年1月13日に退役した。
1959年5月15日に航空機輸送艦(AVT-1)として艦種変更されたが、同年11月1日に除籍され、スクラップとして売却された。
カウペンスは第二次世界大戦での戦功により海軍部隊章および12の従軍星章を受章した。