プローテウス
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プローテウス(Proteus, ギリシア語 : Πρωτέας)はギリシア神話の海神。長音を省略してプロテウスとも表記される。 ナイル川河口の三角州沖合に浮かぶパロス島でアザラシの世話をしている。ポルキュス、ネレウスとともに「海の老人」と呼ばれ、彼ら同様にポントスとガイアの子とされることもあるが、アポロドーロスではプロテウスは外されており、ポセイドンの子とする説が紹介されている。古い甕絵には魚の尾を持つ身体から、獅子や鹿、蝮が顔をのぞかせている姿で描かれている。カール・ケレーニイによれば、彼ら「海の老人」はポセイドン以前のギリシアの海の支配者であった。
予言と変身の能力を持ち、彼の予言を求める英雄たちに格闘の末取り押さえられている点で、とくにネレウス及びその娘テティスと似たような神話が伝えられている。別の神話では、プロテウスはエジプト人の王としても登場する。 プロテウスの名は、海王星の衛星に付けられている。
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[編集] 神話
[編集] メネラオスとの格闘
ホメロスの『オデュッセイア』では、スパルタを訪ねたテレマコス(オデュッセウスの子)にメネラオスが語った話として次のようになっている。
トロイア戦争の帰途、メネラオスの船団は嵐に見舞われてエジプトまで流された。8年の間帰国できず、パロス島で風を待ったが、ここでも20日間順風が吹かなかった。そこへプロテウスの娘エイドテエ(エイドテアとも)が、自分の父親を押さえつけて方策を聞き出すようメネラオスに助言した。メネラオスは3人の部下とともにアザラシの皮をかぶり、浜辺でプロテウスを待ち伏せた。
やがてプロテウスが多数のアザラシたちと海から浜辺に上がってきて、午睡を始めたところを、メネラオスたちは襲って押さえつけた。プロテウスは獅子、大蛇、豹、野猪、流水、高く茂った樹木などに姿を変えて逃げだそうとしたが、メネラオスたちが手を緩めなかったので、あきらめて元の姿に戻った。メネラオスの問いに答えてプロテウスは、ギリシアの諸将は神の怒りを買っており、メネラオスはエジプトに戻って牛を生け贄に捧げて許しを請わねばならないこと、また、諸将のうち小アイアスが溺死したこと、メネラオスの兄アガメムノンが最期を遂げたこと、オデュッセウスがカリュプソに引き留められて領地に帰れずにいることなどを語った。メネラオスがプロテウスからいわれたとおり、エジプトで牛を神に捧げてアガメムノンの記念碑を建立すると、たちまち順風が吹き始めた。
[編集] アリスタイオスとの格闘
古代ローマの詩人ウェルギリウスの著作Georgicsには次のような物語がある。
アポロンとキュレネの子アリスタイオスが飼っていたミツバチが死んだとき、キュレネはアイスタイオスに助言して、プロテウスを縛り上げてミツバチの病気の理由を聞き出すとよいといった。アリスタイオスはパロス島の洞窟で午睡しているプロテウスを襲い、プロテウスは様々に姿を変えたが、結局打ち負かされた。プロテウスは、ミツバチの病気の原因は、アリスタイオスがかつてオルペウスの妻エウリュディケに恋をしたとき、逃れようとしたエウリュディケが毒蛇に噛まれて死んだ、その祟りだと語った。
[編集] その他
このほか、アポロドーロスではプロテウスに関して次のような物語がある。
- ディオニュソスがヘラによって狂気を吹き込まれて各地をさまよったとき、エジプト人の王プロテウスがこれを歓待したとされる。
- アイギュプトスの50人の息子たちがダナオスの50人の娘たちと結婚したとき、その夜のうちにリュンケウスを除く全員がダナオスの娘たちの手にかかって殺された。殺された一人にプロテウスの名があり、結婚相手はゴルゴポネだとされる。
- ヘラクレスが「アマゾンの女王の腰帯」の功業に挑んだとき、ポリュゴノスとテレゴノスの兄弟の挑戦を受け、二人を相撲で殺した。この兄弟は、ポセイドンの子プロテウスの子であった。
- パリスがヘレネを誘拐したとき、ゼウスの意を受けたヘルメスがヘレネを奪い返してエジプトに連れて行き、エジプト人の王プロテウスに保護させた。パリスは雲で作られたヘレネの似姿をヘレネだと思い込んでイリオスへ赴いた。トロイア戦争のあと、メネラオスはプロテウスのもとでヘレネを見いだすまで、奪還したヘレネが雲の幻であることに気づかなかった。
[編集] グレーヴスの論考
ロバート・グレーヴスによれば、プロテウスとは「最初の人間」という意味で、ネレウスの別名であり、おそらく海岸の島に埋葬された神託の聖王だったとする。古代ギリシアでは、獅子と猪は1年を二つの季節に分ける暦制の表象であり、雄牛、獅子、水蛇は1年を三つに分ける場合の表象、また豹はディオニュソスの神獣であり、葉の茂った樹木は1年の月々を示す神木のことである。『オデュッセイア』でのプロテウスの変身は、これらがごちゃまぜになっている。
メネラオスとプロテウスの格闘は、ペレウスとテティスの格闘の退化した形であり、ヘラクレスとネレウス(「ヘスペリデスの黄金の林檎」の功業)、アリスタイオスとプロテウス(上記ウェルギリウスによる)にも引き継がれている。このうちアリスタイオスの神話はプロテウスと関連がなく、古代ローマでギリシア神話がいかに無責任に利用されたかを示す一例である。
また、プロテウスが住むパロス島には、青銅器時代のヨーロッパ最大の貿易港があり、クレタ人の植民地だったが、のちに海底地震によって港湾施設が水没した。このことはアトランティスに関するエジプトの伝説とも関わりがある。ホメロスの叙事詩は、メネラオスの時代にはすでにパロス島がアザラシの繁殖場所にすぎなくなってしまったことをも示している。