ベトナムの鉄道
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ベトナムの鉄道(べとなむのてつどう)では、ベトナム社会主義共和国の鉄道に関して著述する。
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[編集] 概要
ベトナムの鉄道は、ラオス・カンボジアとともにこの地帯がフランス植民地の仏領インドシナの時代に多くが開業した。その初めとなるものは、中国(当時は清朝)南部で当時フランスの影響力が強かった昆明からハノイまでを結ぶ鉄道で、そのうち現在のベトナム領にあたる部分は1905年に、全線は1910年に開業した。軌間は山岳地帯の鉄道でもあったため速く建設できるように1000mm(狭軌・メーターゲージ)のものが使われ、以後のベトナムの鉄道もこの軌間で建設されていくようになった。
その後、ハノイ~サイゴン(現、ホーチミン)間などの横断鉄道も建設されたが、以後は独立戦争となる第一次インドシナ戦争、それに伴う南北分断、そしてベトナム戦争などにより多くの施設が破壊された。現在では戦争による荒廃からは復興したといえるが、その一方で鉄道設備自体の老朽化も進んでいて、近頃になって近代化工事を推し進めている。なお中国との国際列車も運行されていて、一時はソビエト連邦のモスクワから車両が乗り入れていたこともあったものの、1979年の中越戦争で運行が中断され、1996年に再開された。現在、高速近代化工事を実施中で、ホーチミンからカンボジアの鉄道を介してタイ王国のバンコクまで路線を延長する計画もある。
[編集] 運行概要
ハノイ~ホーチミン間1726kmの鉄道が本線といえ、南北分断時代は鉄道も分断されていたので「統一鉄道」と親しみを込めて呼ばれることもある。S1・S2列車が代表的列車で以後S3・S4・・・・と続くが、列車番号が若いほど優等列車になる傾向があり、S1列車は全区間を約33時間で走破(表定速度52km/h)で走破するが、一番遅い列車だと44時間半(同39km/h)を要する。また、2003年からは同区間を30時間で結ぶE1・E2列車、更に2004年12月からは29時間で結ぶSE1・SE2列車の運行も開始された。
ローカル線もハノイ近郊にいくつか存在し、またベトナム最初の鉄道である昆明~河口~ラオ・カイ~ハノイ間の路線と南寧~ドン・タン~ハノイ間の路線には、中国国鉄からの直通列車が乗り入れる。前者は週2本の運行で、両国が保有する寝台車が交互に乗り入れる。しかし2002年5月に中国側の路線が運休になって以来、現在に至るまで再開されていない。ただ国境までに関してはそれ以外の日にも列車がお互いに運行されており、国境にあたる河口~ラオ・カイ間の橋を徒歩で渡って乗り継ぐこともできる。後者は北京からの直通列車が乗り入れるものの、中国国鉄の軌間が1435mmの標準軌であるため、国境駅であるドン・タンで列車を乗り換える必要がある。
等級には、ハードシート(2等座席)・ソフトシート(1等座席)・6人寝台・4人寝台があり、またエアコンがあるかないかでも格差がある。食堂車も健在。
[編集] 路線
- 標準軌
- Kep - ウォンビ (Uong Bi) - ハロン線 (106km)
- Kep - リューサ (Luu Xa) 線 (57km)