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シャルル5世(Charles V le Sage, 1338年1月31日 - 1380年9月16日、在位1364年 - 1380年)はフランス・ヴァロワ朝第3代の王。賢明王(ル=サージュ)と呼ばれる。通称は税金の父。
百年戦争のさなか,ポワティエの戦い(1356年)に敗れた父王ジャン2世がイングランドに捕囚の身となったため,王太子のまま摂政として困難な国政を担当した。当時フランスは疲弊の極にあり,大諸侯,わけても反覆常無き王族シャルル・ド・ナヴァール(ナバラ王カルロス2世、エヴルー伯シャルル)の画策に悩まされた。エティエンヌ・マルセル指導下のパリの反乱およびジャックリーの乱を鎮定(1358年)し、イングランドとブレティニーの和約(1360年)を結ぶことに成功した。
現在の税金の基礎となる定期的な臨時徴税(矛盾した表現であるが)を行ったり、常備軍を持つなど、後年の絶対王政のさきがけを成す。
軍事面では、名将ベルトラン・デュ・ゲクランを重用し、イングランドに奪われた国土を回復すべく行動を起こす。コッシュレルの戦い(1364年)で英軍を撃破し、着実に英軍を圧迫し、治世末には王国内のほぼ全土を奪回した。社会不安(傭兵の盗賊化による治安悪化)の原因であった傭兵隊をカスティーリャ王国援助に誘導し、あわせて外交上の成功をおさめる。