三遊亭円丈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三遊亭 圓丈(さんゆうてい えんじょう)は落語の名跡。当代は3代目。
- 初代 三遊亭圓丈 - 6代目司馬龍生。
- 2代目 三遊亭圓丈 - 最初4代目橘家圓喬の門で喬太、後に圓丈となる。
- 3代目 三遊亭圓丈 - 本項にて詳述。
3代目三遊亭圓丈(さんゆうてい えんじょう、1944年12月10日 - )は主に新作落語を演じる落語家。愛知県名古屋市瑞穂区出身。本名は大角弘(おおすみ ひろし)。明治大学文学部演劇学科中退。出囃子は『官女』。定紋は三ツ組橘だが、ローリング・ストーンズのベロマーク(タンロゴ)を着物に貼付して高座に出る事もある。
1964年に6代目三遊亭圓生に入門。前座名は三遊亭ぬう生。1969年に二つ目、1978年に真打に昇進。この年、落語協会が分裂し師匠の圓生と共に脱会し落語三遊協会に参加。圓生の死後の1980年に落語三遊協会は解散、落語協会に復帰した。2003年に落語協会監事に就任。
1981年に第9回フジテレビ放送演芸大賞最優秀ホープ賞を受賞した。
新作派として知られ、その演目の殆どは自作。漫才ブームの頃は独自の実験落語などで勝負した。(※ 自作の作品は師匠の三遊亭圓生が死去し落語協会に復帰して以降がほとんど。これは師匠が徹底的に新作を嫌っていたため存命中は新作で勝負できなかった。)ただし近年、高座で古典落語を演じる事を解禁した。元々修業時代に将来は新作で勝負するつもりで、基礎固めとして古典を習得していたとの事。勿論弟子に教示する噺は全て古典で、しかも三遊派の演じ方に拘る。この圓丈の口演する古典は弟子曰く相当な出来らしい。
兄弟子の三遊亭圓楽とは師匠の圓生の死後対立、自身が落語協会に復帰したのに兄弟子が復帰せずに第3の行動を取ると暴露本を書き兄弟子を罵倒したほどであるが表面化にまでは至らなかった。
趣味のひとつに狛犬の研究がある。1996年には日本参道狛犬研究会を設立した。
中日ドラゴンズのファンとしても知られ、球団誌月刊ドラゴンズにも『三遊亭円丈の頑張ろみゃ~ドラゴンズ』を連載している。
パソコンやゲームに精通していることでも知られ、パソコンゲーム雑誌『ポプコム』(小学館、休刊)にてゲーム評を連載、さらには趣味が高じてパソコンゲーム「サバッシュ」「サバッシュ2」を作るほどである。
因みに、名古屋まつりのテレビ中継にゲスト出演した際、同まつりの目玉である「郷土三英傑行列」(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の仮装巡行)について、アナウンサーから『三英傑の中で、誰が一番好きですか?』と聞かれた時、『僕は3人共嫌いです。みんな郷土を捨てた人物ですから。』と答えている。
目次 |
[編集] 出演
- コンピュートないと(後に「なんでもコンピュート」と改題。)
- 忍者戦隊カクレンジャー:講釈師役
[編集] 主な新作落語
- 『悲しみは埼玉に向けて』
- 『悲しみの大須』
- 『肥辰一代記』
- 『いたちの留吉』
- 『夢一夜』
- 『遥かなるたぬきうどん』
- 『稲穂の絨毯』
- 『振り返れば』
- 『わたし犬』
- 『横松和平』
- 『一ツ家ラブストーリー』
- 『グリコ少年』
- 『ぺたりこん』
- 『ランゴランゴ』
- 『ランボー怒りの脱出』
他
[編集] 著書
- The 狛犬!コレクション 参道狛犬大図鑑
- はまった!
- 雁道
- ファイナル雁道
- 御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち
- 圓丈のまるでせこい回覧板
- 三遊亭圓丈・実験落語の世界
- 円丈18ラウンド・デスマッチ 5段階採点つき
[編集] 音楽
- 恋のホワン・ホワン(作詞:Iam Gomm、作曲:Nick Lowe、日本語詞:有川正紗子、編曲:藤田大士)
[編集] 一門弟子
色物弟子
- 小堀達夫(がっぽり建設)元は三遊亭ぐん丈。
[編集] 外部リンク
[編集] 出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X