三重殺
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[編集] 概要
野球において一回の打席(打撃機会)で3個のアウトが記録すること。実況ではトリプルプレーと呼ばれることが多く、三重殺という言葉はあまり用いられない。連続するプレーで2個のアウトが記録される場合は併殺(へいさつ)またはダブルプレー、ゲッツーと呼び、守備側は併殺として記録される。
大リーグでは1876年から2006年9月2日までに664回記録されている。
[編集] 三重殺のパターン
三重殺として一般に考えられるパターンは次の通りである。いずれも、無死で走者がいる場合を考える。
- 打者がゴロの打球を打ち、1人の走者がフォースアウトまたはタッチアウトの後、もう1人の走者がフォースアウトまたはタッチアウトの後、打球が一塁に転送されて打者アウト。
- 満塁(または1・2塁)の場合に、打者がゴロの打球を打ち、3人の走者がフォースアウトまたはタッチアウト
- 打者がバントをした場合においても、その打球により三重殺が完成された場合には、三重殺として記録される。
[編集] 打者に三重殺が記録されない併殺
一連のプレーで3個のアウトが記録されても、打者に併殺打が記録されない場合がある。フライはインフィールドフライでないものとする。
- 満塁、走者二塁三塁、走者一塁二塁、走者一塁三塁の場合に、打者がフライやライナーを打ち、野手が捕球で打者アウト。そのまま送球が走者のいる塁2つに転送されて走者2人アウト。
- 打者がフライまたはライナーを打ち、守備側が正規の捕球をした瞬間に2人の走者がベースに付いていた場合に、2人走者がその瞬間に走塁(タッチアップ)し、次の塁のベースを守っている野手に送球が転送、転送でタッチアウト。
[編集] 三重殺態勢
無死で走者が一塁二塁にいる場合、守備側は打者の内野ゴロに対し、二塁走者、一塁走者もアウトにした上で打者もアウトにする構想の守備をすることがある。三塁ゴロの場合は5-4-3のように転送すれば三重殺が完成する。
[編集] 珍記録
[編集] 日本プロ野球
- 一人によるトリプルプレー
- 1967年7月30日、阪急ブレーブス対東京オリオンズの2回裏、無死一二塁において阪急の二塁手である住友平選手が達成。無補殺三重殺 (unassisted triple play) と呼ばれる非常に珍しいプレイで、日本のプロ野球ではこれが唯一の達成であり、アメリカメジャーリーグでも20世紀以降現在までに12回しか達成されていない。その希少性において、しばしば完全試合と比較される。
- 打者のライナーを捕って、打者をアウト。
- 二塁ベースを踏んで、飛び出した二塁走者をアウト。
- 飛び出した一塁走者に触球し、一塁走者をアウト。
- 四重殺
- 1962年7月12日、南海ホークス対東映フライヤーズの1回裏、無死満塁から記録。打者ケン・ハドリが外野フライを打ちアウト。三塁走者大沢啓二はタッチアップしてホームイン。二塁走者バティ・ピート、一塁走者野村克也もタッチアップを試みるが、両者ともタッチアウト。その後、大沢のスタートが早かったとの守備側のアピールが認められ、大沢もアウトとなり、四重殺が成立した。公式記録上は第3アウトの置き換えにより大沢が第3アウトとなり、野村には残塁が記録されている。
- なお、このケースで守備側がアピールを怠っていれば、大沢のホームインが認められ、いわゆる「ルールブックの盲点の1点」が入っていたことになる。
- 外野フライから三重殺
- 2001年5月12日、読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズの9回表、無死満塁から記録。打者井上一樹が浅い外野フライを打ちアウト。二塁走者大西崇之がタッチアップで飛び出し、中継を受けた二塁手仁志敏久に走って追いかけられ、二・三塁間でタッチアウト。ハーフウェーから戻っていた三塁走者鈴木郁洋も遅れて飛び出し、三・本塁間でアウト、三重殺が成立し、試合終了となった。攻撃側(中日)の三塁コーチと鈴木の判断ミスが原因とされる。この日、中日は1回表にも無死満塁から中軸が3者連続凡退しており、拙攻が目立ったゲームとなった。
- 2004年10月9日、横浜ベイスターズ対広島東洋カープの9回表にも、無死満塁から記録している。打者木村拓也がセンター方向にヒット性のライナーを放ち、金城龍彦が俊足を活かし好捕。ヒットと思い、飛び出していた二塁走者木村一喜、三塁走者倉義和を順々に刺し成立した。
[編集] メジャーリーグ
- 一試合で二度の三重殺
- 1990年7月17日のボストン・レッドソックス対ミネソタ・ツインズの試合で、ツインズは一試合で三重殺を二度成立させた。一度目は4回裏満塁の場面で、ゴロを捌いた三塁手が三塁ベースを踏み二塁へ送球、順に一塁へ送球して三重殺が成立。二度目は8回裏走者一・二塁の場面で、同じく三塁ゴロからの二塁・一塁送球により二度目の三重殺が成立した。試合は三重殺を二度食らったレッドソックスが1対0で勝利している。現在判っている中で、一試合二度の三重殺はメジャーリーグの中でもこの試合のみである。
- 隠し球による三重殺
- 1929年4月30日のシカゴ・ホワイトソックス対クリーブランド・インディアンズ戦の7回表、無死一・二塁からインディアンズの打者が放ったショートゴロを一塁送球する間に、二塁走者が一気に本塁を狙った。打者が一塁でアウトになった後、本塁を狙った走者は三塁・本塁間に挟まれ、三塁手がタッチして2つ目のアウトを取った。この後シカゴの三塁手ウィリー・カムは自分のグラブにボールを隠したまま、挟殺プレーの間に三塁に達していた別の走者の離塁をうかがい、塁を離れた所をタッチして3つ目のアウトを取った。
- 現役最後の打席が三重殺
- 1962年9月30日のシカゴ・カブス対ニューヨーク・メッツ戦で、当時メッツの捕手だったジョー・ピニャタノが、8回表無死一・二塁から二塁後方のフライを打ち上げ、これをカブスの二塁手ケン・ハッブスが背走してワンハンドキャッチ。飛び出していた二人の走者は塁に戻れず、一塁・二塁と球が送られてそれぞれアウトになった。ピニャタノはこの試合を最後に現役を引退した。