井上一樹
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井上 一樹(いのうえ かずき、1971年7月25日 - )は、プロ野球・セントラルリーグの中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手である。ポジションは外野手。背番号は9番。2006年からは、選手会長を務める。
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[編集] 来歴・人物
鹿児島商業高校時代は、投手兼外野手として甲子園に1度出場。高校通算40本塁打を記録し、野手としても有望な左腕として注目を浴びる。1989年のドラフト会議で中日より与田剛に次ぐ2位指名を受けて入団。入団直後は投手として起用されたが、満足のいく成績を残せずに終わり1994年から打者転向。
1998年より徐々に素質が開花し始め、1999年では7番打者として開幕21試合連続安打を記録するなど、正外野手として攻守にわたってその年のリーグ優勝に貢献する働きを見せる。この時期にピンク色のリストバンドを好んで使用していた事から「ピンキー」というニックネームが、当時の背番号99とともにファンに定着した(「ピンキー」にはピン=一 キ=樹という、名前とかけた意味もあり、井上には特別に思い入れのあるニックネームだった)。
その後一時低迷した時期もあった。それか2003年には応援歌を1999年中日優勝当時の曲に戻した。2004年から背番号99とピンキーの愛称を返上し、水色のリストバンドを使用するようになった。一塁手の転向も視野にいれるなど積極的にレギュラー争いに挑み、ときにはレギュラー、又はスーパーサブとしてチームを引っ張った。同年の日本シリーズでは惜しくも日本一を逃したものの、活躍が認められ敢闘賞を受賞している。
2005年は一時森野将彦に左翼手の座を奪われたものの、途中から盛り返し、二桁本塁打と初の3割に到達。2006年、中日の選手会長を4歳年下の井端弘和より受け継ぐ。ファンサービスに熱心に取り組み、「福留デー」などといった企画の実行にこぎつけた(後述)。また、この年の8月15日の対広島13回戦でプロ野球史上411人目となる通算1000試合出場を達成した。8月30日の対阪神戦では、9回表2死走者無しの局面で、英智の代打として登場。中日2-3阪神と劣勢の中、阪神の守護神藤川球児からカウント2-1と追い込まれていながらも、高めのボール球を捕らえ値千金となる同点本塁打を放った(試合は引き分けで、中日はマジックを1減らし、勝ちに等しい引き分けと言われた)。それにより、この回の裏の守備についたとき阪神ファンから凄まじいヤジを浴びたが、本人にとって人生で経験のしたことのないほどだったという(ちなみに守備位置はライトだった)。規定打席には足りないものの、2年連続で3割と2桁本塁打を達成するなど、リーグ優勝に大きく貢献した。
左バッターだが左ピッチャーを苦にせず、九分割ストライクゾーンの外側の所謂ボール球をホームランにすることが多いバッターである。また、元投手だったためなかなかの強肩であり、足も遅くは無いので外野守備も無難にこなす。
当初はチャンスやインローの球に非常に弱かった。ランナー無しなら驚異的な打率を残す。だが、近年は徐々に改善され2006年は非常に得点圏打率が高く、打率・本塁打ともにこの年齢にして毎年上昇している。
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
- 投手成績 9試合 0勝1敗0セーブ 防御率6.75 奪三振12
- 打撃成績 1045試合 打率.277(2769打数767安打)75本塁打 306打点 12盗塁
[編集] 略歴
- 身長・体重:184cm 93kg
- 投打:左投左打
- 出身地:鹿児島県姶良郡溝辺町(現・霧島市)
- 血液型:A型
- 球歴・入団経緯:鹿児島商高 - 中日(1990年 - )
- プロ入り年度・ドラフト順位:1989年(2位)
- FA取得・行使:2005年(1回目・現在も有資格者)
- 英語表記:INOUE
- 守備位置:外野、一塁、(投手)
- 推定年俸:9000万(2007年)
[編集] 背番号
[編集] エピソード・人物
- 大相撲の錣山親方(元関脇寺尾)、井筒親方(元関脇逆鉾)、元鶴ヶ嶺(元井筒親方)とは親戚。子供の頃、体を生かして大相撲入りを進められたこともあり、中学3年の時には井筒親方の招きで東京のけいこ場に見学に行っている。
- 2003年には、個人で病院を訪問して子どもたちを励ましていた活動が評価され、野球選手の社会貢献活動を表彰する第5回ゴールデンスピリット賞を受賞。
- 2006年、新選手会長として様々なファンサービスをナゴヤドームで実践し、営業面での努力と才能も見せた。例えば、「井端デー」「川上デー」など、選手の誕生日の試合で行った様々なサービス、井上自身が習字の腕前が優れていることを利用した、井上の書いた題字と選手写真を組み合わせた力強いポスターなど。井上自身の明るく豪快なキャラクターとともに、この年ドラゴンズファンを大いに盛り上げたと言えるだろう。また、自らデザインを手がけたテンガロンハットもグッズとして発売された。
- 2006年からファンサービスの一環として、ピンクのリストバンドをたまに使用している。
- 2006年のラスベガスへの優勝旅行で、「みんなで優勝旅行に行こう」と呼びかけたにも拘らず出発直前にパスポートを紛失。自宅で発見するも一行が乗ったチャーター機には間に合わず、翌日自腹で航空券を購入し1日半遅れで「こんなことになって申し訳ない」と恐縮しながら合流した。
- 選手会長に就任する以前から、オフを中心にテレビなどに出演することが多かったが、就任してからは、持ち前の明るさを出している。2005年のオフからは、週1回のラジオに電話出演している(ドラゴンズNo.1ジョッキー)。
[編集] 関連項目
- 鹿児島県出身の有名人一覧
- 星野仙一(背番号99番を薦めた人物)
- 高木守道
- 山田久志
- 落合博満
- 光る!スポーツ研究所(年末スペシャル企画をプロデュースしている)
[編集] 外部リンク
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201(育成選手) 加藤光教 | 202(育成選手) 竹下哲史 | 203(育成選手) チェン | 220(育成選手) R・クルス | 222(育成選手) E・ラミレス 66 監督 落合博満 | 81 高代延博 | 80 森繁和 | 89 高橋三千丈 | 88 高柳秀樹 | 78 小林聖始 | 77 宇野勝 | 87 仁村薫 | 72 田村藤夫 | 90 三木安司 | 85 二軍監督 辻発彦 | 84 早川和夫 | 75 石嶺和彦 | 83 音重鎮 | 86 古久保健二 | 71 川相昌弘 | 92 勝崎耕世 | 74 風岡尚幸 | 79 長谷部裕 | 82 奈良原浩 | 76 近藤真市 | 93 宮前岳巳 | 91 塚本洋 |
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