佐渡汽船
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | 新潟県佐渡市湊353 |
設立 | 1913年2月3日 |
業種 | 海運業 |
代表者 | 代表取締役社長 戸田正之 |
資本金 | 5億円 |
売上高 | 単体 87億3,432万円 連結 94億4,507万円 (2006年12月期) |
従業員数 | 398名 |
主要株主 | 新潟県 50% |
外部リンク | http://www.sadokisen.co.jp/ |
佐渡汽船株式会社(さどきせん、Sado Steam Ship Co.,Ltd.)は、新潟県佐渡市に本社を置く、新潟県本土と佐渡島とを結ぶ定期航路を運航する海運会社。ジャスダック証券取引所上場。
目次 |
[編集] 概要
1932年、佐渡航路で競合していた商船会社3社を経営安定の見地から新潟県の資本参画のもと統合して成立した。当初から半官半民で設立された日本最初の第三セクター企業である。
現在も新潟県が資本金の50%を出資している。ほかの出資企業には新潟県内の主要企業である新潟交通、第四銀行なども加わっている。
現在、佐渡汽船は両津航路(新潟~両津)、小木航路(直江津~小木)、両泊航路(りょうどまり・寺泊~赤泊)の3航路を運航し、4隻のカーフェリーと、3隻のウォータージェット推進式全没型水中翼船(ジェットフォイル)1隻の高速船を就航させている。
アメリカ・ボーイング社製のジェットフォイルについては、日本で最初に定期航路に採用された例。後にボーイング社から製造・販売のライセンスを取得した川崎重工業(現川重ジェイ・ピイ・エス)にもノウハウを提供している。
[編集] 沿革
直系の前身は1913年2月3日創立の佐渡商船。これに1885年創立の越佐汽船、および新潟商船が、1932年4月に合併し現社名となる。
- 1967年3月 佐渡航路初のカーフェリー「さど丸」が新潟~両津間で運航開始。
- 1968年9月 株式を店頭登録(現在のジャスダック証券取引所)。
- 1972年4月 両津港に旅客ターミナルビルが完成。
- 1972年 カーフェリー「こがね丸」が新潟~両津間に就航。
- 1973年4月 新潟~赤泊~寺泊航路が就航。
- 1973年 カーフェリー「おとめ丸」が新潟~両津間に就航。
- 1977年5月 日本初のウォータージェット推進式水中翼船「ジェットフォイル」(ボーイング社製)による定期航路が新潟~両津間に就航(1号艇「おけさ」)。
- 1979年4月 ジェットフォイル2船目の「みかど」(ボーイング社製)が新潟~両津間に就航。
- 1981年7月 新潟西港・万代島埠頭に旅客ターミナルビルが完成、下大川前の旧ターミナルより機能を移転。
- 1983年7月 8,000t級の大型カーフェリー「こさど丸」が新潟~両津間に就航。国内初の車両甲板2段積み可能となり、この「こさど丸」から佐渡汽船カーフェリーの大型化がはじまる。カーフェリー「こがね丸」が小木~直江津間に就航。
- 1985年2月 小木港に旅客ターミナルビルが完成。
- 1986年7月 ジェットフォイル3船目の「ぎんが」(ボーイング社製)が新潟~両津間に就航。
- 1988年4月 日本国内の離島航路初となる10,000t級のカーフェリー「おおさど丸」が新潟~両津間に就航。カーフェリー「おとめ丸」が小木~直江津間に就航。
- 1988年6月 直江津港に旅客ターミナルビルが完成。
- 1989年1月 新潟~赤泊間の航路を休止、寺泊~赤泊間を通年運航に。
- 1989年4月 ジェットフォイルの国産1号艇「つばさ」(川崎重工製)が両津航路に就航、ジェット4船体制に。これに伴い、ジェットフォイル「みかど」が小木~直江津間に就航(春~秋の季節運航)。
- 1991年4月 ジェットフォイル「すいせい」(川崎重工製)が両津航路に就航。これに伴い最古参の「おけさ」が香港へ売却。
- 1992年3月 寺泊港に旅客ターミナルビルが完成。
- 1992年4月 1,000t級のカーフェリー「えっさ丸」が寺泊~赤泊航路に就航。同航路に就航していた佐渡汽船初のカーフェリー「さど丸」売却。
- 1993年4月 国内の離島航路最大となる12,000t級のカーフェリー「おけさ丸」が新潟~両津間に就航。これに伴い、カーフェリー「こさど丸」が小木~直江津間に就航。カーフェリー「こがね丸」フィリピンへ売却。
- 1995年3月 9,000t級の大型カーフェリー「こがね丸」が小木~直江津間に就航。カーフェリー「おとめ丸」フィリピンへ売却。
- 1996年8月 ジェットフォイル「ファルコン」(ボーイング社製・元関西汽船「ジェット8」)が就航、ジェットフォイル5隻体制へ(「ファルコン」は予備船扱い)。
- 1999年11月 九州郵船から予備船を保有する佐渡汽船にジェットフォイル売却の要請があり、「ファルコン」が九州郵船へ売却。ジェットフォイル4隻体制へ戻る。
- 2000年4月 赤泊港に旅客ターミナルビルが完成。
- 2003年5月11日 JR東日本との連絡運輸取扱廃止。
- 2003年10月31日 小木航路のジェットフォイルを廃止、余剰となる一隻のジェットフォイル「みかど」をいわさきコーポレーションに売却。新潟~両津間のジェット3船体制に(「すいせい」「つばさ」「ぎんが」)。
- 2005年 航送費が値上げされる。また前年の新潟県中越地震による観光への打撃対策として社会実験を複数に分けて実施。
- 2005年6月10日 両泊航路に高速船「あいびす」就航。これに伴い、カーフェリーを廃止。余剰となるカーフェリー「えっさ丸」をいわさきコーポレーションに売却。
- 2005年11月 カーフェリー内で予約用の用紙を裏紙として、船内のスタンプ用紙などに転用していたことが発覚。
- 2006年6月 「燃料油価格変動調整金」を導入。旅客130円/片道(ジェットフォイル・カーフェリー・高速船とも)、四輪車850円/片道、二輪車200円/片道の運賃アップとなった。
- 2007年2月 カサ増しされたカーフェリーのt数が経営不振のため減t(経費面で不利にも関わらずわざわざ大きく見せるだけのカサ増しt数から、国内他社と同一の基準に戻った)され、おけさ丸は12,419t→5,862tへとなった。
[編集] 運航路線
[編集] 現在の運航体制
[編集] 両津航路
両津航路は県庁所在地の新潟市が発着地になっていることや、新潟で新幹線や航空機との接続のしやすさから、佐渡観光や佐渡市民生活の中心路線であり、唯一の黒字航路となっている。
[編集] 小木航路と赤字運航問題
小木航路は関西や中京地域からの玄関口となる直江津港からの最短距離でもあるが、現状は地域密着型航路としての傾向が強く、観光客は両津航路ほど多くはない。不採算航路なのが実情である。出資元の新潟県は休止・廃止を含め運航体制の縮小を示唆している。
島の影にならず、日本海からの波を他の航路より受けやすいため、台風や冬の荒天時には波が高くなりがちで、安全上の問題から欠航になることが多い。これも赤字を増大させた要因の一つである。
小木航路に就航しているカーフェリー「こさど丸」は1983年に就航したもので更新時期が迫っている。小木港の構造的制約で10,000t級以上の船は入港できないため、両津航路から「おおさど丸」等を転用・就航させるのは困難で、運航継続には9,000tクラス以下のフェリー調達が必要だが、赤字航路には非現実的である。よって本航路の更なる減便(「こがね丸」1隻のみの運行)や季節運航、佐渡汽船の航路撤退や最悪の場合は航路そのものが廃止される可能性もある。
地元の上越市、佐渡市は観光キャンペーンの強化や北陸新幹線の金沢開通後の観光客誘致への悪影響、さらには小木航路が国道350号の経路で、廃止によって幹線交通路が絶たれてしまうことなどを理由に、存続を強く主張している。
[編集] 両泊航路
両泊航路は2005年夏から、小型カーフェリーに代わって高速船「あいびす」による路線に転換した。
しかし、例年にない寒波が襲った同年12月の運航率は約10%と、1ヶ月の大半で運行できないという最悪の事態に陥った。これは、導入した船が小型で軽量であるにもかかわらず、スタビライザーなど横揺れを防止する装置が設けられていないため、少々の高波でも激しく横揺れを起こして乗り心地が著しく低下するという問題があったことによる。このため佐渡汽船では、2006年1月18日から1ヶ月掛けて実施した「あいびす」の定期検査の際に横揺れ防止システム「ARG」を船内に8台追加設置し、2月15日から運航を再開した。今後はARGの効果を見極めながら運航体制を再構築する予定。
[編集] その他
原油高に伴う燃料費の高騰で、2006年から閑散期はカーフェリーの運航所要時間が通常時より10分程度長くなっている。
さらに、2006年6月からは、「燃料油価格変動調整金」を導入し、旅客は一律大人130円・子供70円、自動車850円・二輪車200円の加算となっている。2007年1月からは旅客は一律大人260円・子供130円、自動車1690円・二輪車400円の加算と値上げした。
[編集] グループ企業
- 佐渡汽船運輸
- 佐渡汽船通運
- 佐渡汽船商事
- 佐渡汽船観光
- 佐渡汽船コンピュータサービス
- 佐渡汽船ビルサービス
- 佐渡汽船モータース
他