新潟交通
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | 950-8544 新潟県新潟市中央区万代一丁目6番1号 |
電話番号 | 025-246-6323(総務部総務課) |
設立 | 1943年12月31日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 旅客運送事業、一般旅行業、不動産業など |
代表者 | 代表取締役 金子仁 |
資本金 | 42億2000万円 |
売上高 | 91億84万円(2006年3月期) |
外部リンク | www.niigata-kotsu.co.jp/ |
新潟交通株式会社(にいがたこうつう、Niigata Kotsu Co.,Ltd.)は、新潟県新潟市中央区に本社を置くバス会社。
目次 |
[編集] 概要
新潟市を中心として、新潟県下越・佐渡地方に路線網を持つ。
バス運行に携わる会社は新潟交通本体と合わせて5社あり、新潟交通は新潟市内の路線バスと県内外への高速バス、村上市に本社を置く新潟交通北は同市と新発田市を中心とした路線バス、新潟市に本社を置く新潟交通観光バスは観光バス事業と阿賀野市、五泉市を中心とした路線バス、新潟市潟東地区に本社を置く新潟交通西は新潟市白根・新津・巻地区、加茂市、三条市を中心とした路線バス、佐渡市に本社を置く新潟交通佐渡は佐渡島内の路線バスを、それぞれ受け持っている。
本社がある新潟市中心部の万代・八千代地区では商業地万代シテイの開発に携わるなど不動産業も手掛けており、この他新潟空港のターミナルビル管理や佐渡汽船への出資、全日空の新潟地区総代理店として市内・空港業務を受託するなど(万代シテイにある万代シルバーホテルは全日空ホテルズ加盟)、県内の公共交通網の中軸的な役割を果たしている。
また、かつては燕市から新潟市中心部に至る鉄道路線も運営していたが、1999年4月に廃線となった(新潟交通電車線を参照)。
ただ近年は少子化に加え、自家用車の普及によって利用者が減少の一途を辿るなどバス離れが深刻で、零細路線の減便・廃止を余儀なくされている。また不動産部門でもバブル崩壊以降、不振を託っている。有利子負債はピーク時には700億円近くにまで達したほどで(2006年3月期決算時点では約486億円)、管内各所にあった営業所・車庫などを閉鎖し跡地を売却するなどして負債の償却を図っているものの、経営状態は決して良いとはいえない状況にある。
[編集] 沿革
- 1913年6月8日 新潟駅前~白山駅前間に、新潟市内初の乗合自動車が営業される。
- 1922年7月12日 新潟駅前~白山神社前間で、初の本格的な路線バスの営業が開始される。車体に赤い塗装がされていたため「赤バス」の通称で親しまれる
- 1929年6月30日 中ノ口電気鉄道が設立
- 1930年7月7日 中ノ口電気鉄道が新潟電鉄に社名変更
- 1932年5月15日 新潟乗合自動車、新潟自動車商会、両新自動車が合併し、新潟合同自動車が設立。この頃から、銀地に青帯を巻いた「銀バス」の塗装が使われ始める。その後、新松交通、新潟市街自動車を吸収合併
- 1933年4月1日 新潟電鉄線・東関屋~白根間が開通。同年7月28日に県庁前~東関屋間、8月15日に白根~燕間が開通し、全線開業
- 1936年3月26日 新潟電鉄線・県庁前駅舎が完成
- 1937年 新潟合同自動車、佐渡乗合自動車と合併
- 1943年12月31日 新潟電鉄と新潟合同自動車が戦時統合により合併し、新潟交通が設立
- 1946年7月17日 戦後のエネルギー供給不足に伴い、新潟市流作場の自社敷地内で天然ガスの試掘を開始
- 1947年2月13日 天然ガス第1号井が自噴を開始。同年7月にガス充填所が完成
- 1948年5月25日 電車線・新潟駅前~県庁前間(万代橋経由)の軌道線工事に施工許可が下りる。その後52・54・57年に延長申請を行うも、結局実現には至らず、1958年10月23日に起業廃止許可を受ける
- 1951年2月1日 新潟交通バスステーションビルが竣工
- 1959年9月1日 新潟市内の地盤沈下対策のため、新潟地区天然ガス採取第1次規制が敷かれる
- 1962年12月3日 前日の八千代橋開通に伴い、バス路線再編
- 1963年8月20日 新潟市内線でワンマンカーの運転を開始
- 1969年 スーパーマーケット事業に進出。子会社「新交ストアー」設立
- 1971年9月30日 天然ガスバス全廃。全車両がディーゼルエンジン車となる
- 1973年11月23日 万代シテイがオープン。万代シテイバスセンターとダイエー新潟店が営業を開始
- 1978年9月22日 北陸自動車道・長岡IC~新潟黒埼IC間開通に伴い、新潟駅~長岡駅間の高速バスが運行を開始
- 1983年 赤字に白の“N”の現行カラー色貸切車(ネオプラン製2階建てバス)導入
- 1985年6月1日 新潟県庁が新潟市一番堀通町から同市新光町に移転。また5月21日に千歳大橋が開通したのに伴い、市内・郊外の路線網を大幅に改編するダイヤ改正を実施
- 1985年12月10日 関越自動車道全通に伴い、新潟駅~東京・池袋間の高速バスが運行を開始
- 1990年 同年導入の新車より、路線車「銀バス」の屋根部分の塗色を赤に変更。在籍車も順次赤に塗色された。新潟市初の路線バス(上項)に因む
- 1991年10月 バスカードシステムを新潟市近郊の一般路線バス車両に導入
- 1993年 経営合理化のため、路線バス事業を地域別に5社に分割。新交貸切バス、新交北貸切バス、新交西貸切バス、新潟交通佐渡の4社が発足する。
- 1993年11月2日 大和・横浜~新潟駅間の高速バス「サンセット号」を運行開始。相模鉄道と共同運行。
- 1997年「サンセット号」廃止。
- 1999年4月5日 新潟交通電車線が全線廃止
- 1999年10月1日 1系統(昭和大橋線)にノンステップバス運行開始
- 2002年12月 新潟交通所属の路線車の自動放送装置を8トラックテープから音声合成装置に更新開始
- 2005年9月以降 郊外線にも順次、系統番号が付与される
- 2005年11月30日 万代シテイのダイエー新潟店が閉店。また同日、スーパー「セサミ」3店舗をパワーズフジミに譲渡し、新交ストアーを解散
- 2006年12月1日運賃改定。新潟交通と、子会社が運行する一部の路線が対象。(市内区間は200円均一に、対キロ区間は初乗り160円に。上限運賃の600円は変更なし。)また、買物バスカードが土曜日も終日利用可能になる。
- この他、電車線については「新潟交通電車線」の記事を参照。
[編集] 主な運行路線
- 新潟交通のバス路線一覧を参照。
- 高速バス、新潟市周辺の路線バスの運行体制については新潟市の項も参照。
[編集] コミュニティバス運行受託路線
- 赤塚地区住民バス(新潟市赤塚地区)
- 内野営業所が受託運行。
- 運行区間は、内野営業所~四ッ郷屋~赤塚~赤塚駅前。
- 市内の一般路線同様、系統番号も付与されている(650系統)。なお、土曜・休日は全便運休。
- 白根地区循環バス(新潟市白根・味方・月潟地区)
- 新発田市コミュニティバス・市街地循環バス(新発田市)
- 新潟交通北・新発田営業所が受託運行。この他、NPO法人七葉の路線も一部乗り入れている。
- 新発田駅を起点に市街地を循環する。30~60分間隔で運行している。
[編集] 営業所
[編集] 新潟交通
- 新潟東部営業所
- 万代検車場
- 新潟西部営業所
- 新潟南部営業所
- 酒屋車庫 ※現在は折返場
- 新潟北部営業所
- 入船営業所
- 下山営業所
- 内野営業所
[編集] 新潟交通北
- 勝木営業所
- 村上営業所
- 塩野町車庫 ※現在は折返場
- 下関営業所
- 中条営業所
- 新発田営業所
- 赤谷車庫 ※現在は折返場
[編集] 新潟交通観光バス
- 本社営業部
- 京ヶ瀬営業所
- 五泉営業所
- 津川営業所
[編集] 新潟交通西
- 潟東営業所
- 加茂営業所
- 三条営業所
- 弥彦営業所
[編集] 新潟交通佐渡
※新潟交通佐渡を参照
[編集] 廃止された営業所
1990年代以降についてのみ掲載する。
- 新潟中部営業所(2004年1月廃止、東部に統合)
- 万代第三車庫(2001年廃止、同)
- 新潟西部営業所
- 東関屋車庫(2003年廃止、西部に統合)
- 内野営業所
- 赤塚車庫(2005年3月廃止)
- 明田車庫(2005年9月廃止)
- 山ノ下営業所(1992年頃廃止、東部営業所新設により統合)
- 松浜営業所(1985年頃、老朽化に伴い豊栄市・新潟競馬場東側に仮移転。1989年に東港工業団地完工に伴い北部営業所に)
- 新津営業所(1993年頃廃止、水原と統合し京ヶ瀬営業所に)
- 水原営業所(同上)
- 京ヶ瀬営業所
- 村杉車庫(1999年2月廃止、京ヶ瀬に統合)
- 保田車庫(2002年9月廃止、同)
- 三川営業所(2005年11月廃止、五泉・津川に統合)
- 白根営業所(1990年頃廃止、老朽化に伴い潟東へ移転)
- 潟東営業所
- 小須戸車庫(2002年11月廃止、潟東に統合)
- 巻営業所(2002年9月廃止、潟東に統合)
- 三条営業所
- 新飯田車庫(2002年9月廃止、三条に統合)
[編集] バスの特徴
[編集] カラーリング
[編集] 路線バス
路線バスは、濃銀色のボディに青色のラインが入り、ルーフは赤色。通称「銀バス」と呼ばれる。戦前から1980年代までは赤屋根ではなく、ボディ全体が銀色となっていたが、1990年から赤屋根の塗装となった。これは日本海の夕日、さらに新潟市で初めて本格的に運行された路線バスが赤い車体をしていたことに因んでいる。
現在では新潟市中心部の路線車については、新車を積極的に投入するようになっているものの、かつては設備の近代化の面においては立ち遅れた面が多く、路線車の冷房化が本格的に進められたのは1984年、新潟駅前~西小針~内野・新潟大学線(西小針線)に、県内で初めてバスロケーションシステムが導入されたのがきっかけだった(バスロケに対応できる冷房付きの新型車両には当時「銀太郎」という愛称が付与されていた)。現在、新潟県内の路線バスのうち、前述のバス停設置型のバスロケを導入しているのは西小針線と、市役所前・バスセンター~下山~松浜~北部営業所・太郎代浜線(下山・松浜線)の2路線のみにとどまっている。また、地域子会社を含む車両の完全冷房化は1990年代後半に入ってからのことだった。
バス停設置型のバスロケは導入・維持管理ともコストが膨大である事が大きなネックとなり、上記2路線以外に導入は進められなかったが、新潟交通グループは代替策として国土交通省などと共同でインターネットによるバス位置表示システム「にいがたバス-i」の導入を進めており、新潟市中心部発着の路線については2007年3月末までに全49路線に対応する予定である。
[編集] 高速バス・観光バス
高速バスや貸切などに使用される観光用車両は、白色のボディに緑色と薄茶色の「N」字を模したラインが入る。白いボディは「雪」を、緑と茶色は新潟名産「笹団子」の草餅と餡をそれぞれ指している。この塗装は1978年に北陸自動車道の県内一部区間(新潟黒埼IC~長岡IC間)が開通したのを機に採用されて以来、現在に至るまで使用されている。
また、県外高速バス線車両(県内向け車両を用いる会津若松線を除く)とサロン等を装備した観光バス特別車両のみに、ボディ横に赤のラインと金文字「Niigata Kotsu」のロゴが入る(2006年現在、観光バス特別車両は存在せず)。
なお、高速バスは県内線の全線と、県外線の東京(池袋)・前橋・長野・名古屋・富山・金沢・仙台・郡山・会津若松・山形の各線には前述の「にいがたバス-i」を導入しており、一部の高速バス停にはバス-iのシステムによる位置表示装置が設置されている。
[編集] 車番
新潟交通グループの車両には、1台ごとに社番と呼ばれる番号が付与されている。これは“アルファベット1文字 - 1~4桁の数字 - アルファベット1文字”で構成されており、ナンバープレート(登録番号)と車両のメーカーを表したものである。
- 最初のアルファベットは、ナンバープレートの運輸支局名・分類番号・ひらがなを表す。
- A:新潟22 あ(小型)
- F:新潟200 あ(小型)
- G:新潟22 か
- H:新潟200 か
- 数字はナンバープレートの一連指定番号を表す。
- 最後のアルファベットはメーカーを表す。
- I:いすゞ自動車
- M:三菱ふそうトラック・バス
- N:日産ディーゼル工業
例えば、いすゞ製の車両で、ナンバーが「新潟200 か 12-34」の場合、車番は「H1234-I」となる。
[編集] グループ企業
[編集] 地域子会社
[編集] その他
- 万代開発
- 万代シテイ内各ビル、新潟フェイズの施設管理など
- 新潟交友事業
- 廃棄物収集など
- 新交企画
- グループ内のバス車体・車内広告の販売・管理を担う広告代理業
[編集] かつてのグループ企業
- 新交ストアー
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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