侍従武官
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侍従武官(じじゅうぶかん)とは、天皇に常時奉仕し軍事に関する奏上の伝達等に当たる武官をいう。
侍従のほかに、天皇の大元帥たる地位に鑑みて、1896年から1945年までの間、陸海軍将校からなる侍従武官が設けられていた。侍従武官官制(明治29年勅令第113号)によると「侍従武官ハ天皇ニ常侍奉仕シ軍事ニ関スル奏上奉答及命令ノ伝達ニ任シ観兵演習行幸其他祭儀礼典宴会謁見等ニ陪侍扈従ス」とされた。
なお、終戦時の鈴木貫太郎首相と阿南惟幾陸相は1929年(昭和4年)以降、侍従長、侍従武官として共に昭和天皇に仕えた関係で、この個人的関係がポツダム宣言受諾に寄与したとも言われている。
また、皇太子には東宮武官、皇族には皇族付武官、王公族(旧韓国皇帝の一族)には王公族付陸軍武官が付された。皇族付武官・王公族付陸軍武官は軍服に銀色の飾緒を着用した。
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[編集] 侍従武官歴任者
[編集] 侍従武官長
- 岡沢精中将:1896年(明治29年)4月3日-1908年(明治41年)。萩藩出身で、初代の侍従武官長(陸軍中将)となり、1904年(明治37年)に陸軍大将に昇進し、1907年(明治40年)に子爵に叙せられる。
- 中村覚中将:明治41年12月19日。明治27年8月30日に大本営侍従武官(陸軍歩兵中佐)、明治27年12月25日に東宮武官兼侍従武官(陸軍歩兵大佐)、明治29年4月1日に免東宮武官。明治41年12月19日に侍従武官長(陸軍中将)。
- 内山小二郎中将:大正2年8月22日
- 奈良武次中将:大正11年11月24日-。裕仁親王に東宮武官長として仕え、裕仁親王即位後は侍従武官長となる。
- 本庄繁中将:昭和8年4月6日。実直な人柄で昭和天皇の信任を得ていたが、2.26事件の際、歩兵第一連隊の週番司令を務めていた女婿の山口一太郎大尉が反乱部隊の出動を黙認した上、その後の行動を反乱軍と共にしていたため、宮中で反乱軍よりの立場を取り、即時鎮圧を指示する昭和天皇との間に意見の相違を生じた。事件後山口大尉が起訴されるに及んで、責任を取る形で辞任した。
- 宇佐美興屋中将:昭和11年3月23日
- 畑俊六大将:昭和14年5月25日
- 蓮沼蕃中将:昭和14年8月31日
[編集] 侍従武官(陸軍)
- 岡沢精少将:明治27年8月27日 - 明治29年4月3日(後に侍従武官長。最終階級:陸軍大将)
- 中村覚中佐:明治27年8月30日 - 明治30年4月14日(明治29年10月29日まで東宮武官兼務。後に侍従武官長。最終階級:陸軍大将)
- 広幡忠朝中尉:明治27年8月30日 - 明治29年3月31日(心得)
- 渡辺湊大尉:明治29年5月19日 - 明治35年5月15日(最終階級:陸軍少将)
- 佐々木直大佐:明治30年4月14日 - 明治33年4月25日(最終階級:陸軍中将)
- 宮本照明中佐:明治33年5月18日 - 明治38年4月15日
- 鷹司煕通少佐:明治35年6月12日 - 明治43年2月16日(最終階級:陸軍少将公爵)
- 伊藤瀬平少佐:明治35年9月25日 - 明治39年7月11日
- 白井二郎中佐:明治38年4月15日 - 明治40年10月22日
- 高橋義章中佐:明治39年7月12日 - 明治42年11月30日
- 山中次郎少佐:明治40年10月22日 - 明治41年6月5日
- 上田兵吉少佐:明治41年6月15日 - 大正元年11月27日(陸軍歩兵中佐)
- 山根一貫中佐:明治42年12月2日 - 大正元年11月27日
- 奥村拓治少佐:明治43年2月16日 - 大正3年8月22日
- (兼)村木雅美中将:大正元年8月5日 - 大正元年10月3日(本職:東宮武官長)
- (兼)大内義一中佐:大正元年8月5日 - 大正元年10月3日(本職:東宮武官)
- (兼)西義一少佐:大正元年8月5日 - 大正元年10月3日(本職:東宮武官。最終階級:陸軍大将)
- 西義一少佐:大正元年10月3日 - 大正5年1月21日
- 若見虎治大佐:大正元年12月27日 - 大正5年3月25日
- 田中国重大佐:大正3年8月22日 - 大正6年1月9日
- 中田鉄五郎少佐:大正5年1月21日 - 大正12年7月6日
- 尾藤知勝大佐:大正5年3月30日 - 大正8年7月25日
- 山根一貫少将:大正5年4月1日 - 大正6年8月2日
- 渡辺為太郎大佐:大正5年12月19日 - 大正11年8月15日
- 大内義一少将:大正7年7月24日 - 大正11年5月13日
- 桑田安三郎大佐:大正7年7月24日 - 大正13年12月15日
- 西義一大佐:大正8年12月27日 - 昭和2年7月26日
- (兼)壬生基義大佐:大正10年11月25日 - 大正11年8月15日(本職:東宮武官)
- (兼)浜田豊城少佐:大正10年11月25日 - 大正14年8月7日(本職:東宮武官)
- 大島陸太郎少佐:大正11年5月13日 - 昭和2年7月26日
- (兼)服部真彦大佐:大正11年8月15日 - 大正14年12月2日(本職:東宮武官)
- 川岸文三郎中佐:大正13年2月4日 - 昭和4年8月1日
- (兼)矢野機中佐:大正14年8月7日 - 大正15年12月25日(本職:東宮武官)
- (兼)蓮沼蕃大佐:大正14年12月2日 - 大正15年12月25日(本職:東宮武官)
- 蓮沼蕃大佐:大正15年12月25日 - 昭和6年8月1日(免兼)
- 矢野機中佐:大正15年12月25日 - 昭和5年3月6日(免兼)
- 瀬川章友少将:昭和2年7月26日 - 昭和6年8月1日
- 阿南惟幾中佐:昭和4年8月1日 - 昭和8年8月1日
- 町尻量基中佐:昭和5年5月20日 - 昭和10年3月15日
- 石田保秀中佐:昭和6年8月1日 - 昭和10年8月1日
- 川岸文三郎少将:昭和6年8月1日 - 昭和9年12月10日
- 後藤光蔵少佐:昭和8年12月10日 - 昭和13年7月15日
- 中島鉄蔵大佐:昭和8年8月1日 - 昭和12年3月1日
- 酒井康中佐:昭和10年3月15日 - 昭和12年8月2日
- 四手井綱正中佐:昭和10年8月1日 - 昭和14年3月9日
- 町尻量基少将:昭和12年3月1日 - 昭和12年10月5日
- 清水規矩大佐:昭和12年8月2日 - 昭和16年3月1日
- 沢本理吉郎中佐:昭和12年10月5日 - 昭和16年9月23日
- 徳永鹿之助中佐:昭和13年7月15日 - 昭和17年3月2日
- 横山明中佐:昭和14年3月9日 - 昭和17年12月20日
- 坪島文雄少将:昭和16年9月1日 - 昭和20年4月1日
- 山県有光中佐:昭和16年3月1日 - 昭和19年12月21日
- 尾形健一中佐:昭和17年3月2日 - 昭和20年11月30日(廃止)
- 清家武夫大佐:昭和17年12月1日 - 昭和20年11月30日(廃止)
- 吉橋戒三中佐:昭和19年12月21日 - 昭和20年11月30日(廃止)
- 小池龍二少将:昭和20年4月1日 - 昭和20年11月30日(廃止)
[編集] 侍従武官(海軍)
- 川島令次郎大尉:明治27年9月1日 - 明治29年10月24日
- 斎藤実少佐:明治27年9月7日 - 明治28年2月20日
- 吉井幸蔵少佐:明治28年2月20日 - 明治28年12月15日
- 斎藤孝至少佐:明治28年12月15日 - 明治31年5月24日
- 有馬良橘大尉:明治29年11月1日 - 明治32年12月21日
- 井上良智大佐:明治29年11月1日 - 明治32年12月21日
- 松村龍雄少佐:明治32年12月21日 - 明治36年7月11日
- 大城源三郎中佐:明治36年7月11日 - 明治40年2月7日
- 関野謙吉大佐:明治39年12月24日 - 明治43年12月1日
- 西伸六郎大佐:明治41年5月27日 - 大正元年12月1日
- 島内桓太中佐:明治43年12月1日 - 大正2年12月1日
- (兼)関野謙吉大佐:大正元年8月5日 - 大正元年10月3日(本職:東宮武官)
- (兼)宇佐川知義少佐:大正元年8月5日 - 大正元年10月3日(本職:東宮武官)
- 関野謙吉少将:大正元年12月1日 - 大正5年12月22日(免兼)
- 松村純一大佐:大正2年12月1日 - 大正5年7月15日
- 丸山寿美太郎大佐:大正5年7月8日 - 大正6年7月12日
- 向井弥一少将:大正5年7月8日 - 大正12年2月10日
- 四竈孝輔大佐:大正6年2月21日 - 大正12年12月1日
- 松下東治郎大佐:大正7年8月3日 - 大正13年12月20日
- (兼)犬塚太郎大佐:大正10年11月25日 - 大正13年2月5日(本職:東宮武官)
- 及川古志郎中佐:大正10年11月25日 - 大正11年12月1日
- 加藤隆義大佐:大正11年12月1日 - 大正14年10月20日(加藤友三郎子爵の子。大正12年(1923年)12月10日襲爵)
- 倉賀野明中佐:大正12年3月20日 - 昭和2年3月1日
- (兼)近藤信竹中佐:大正13年2月5日 - 大正15年12月1日(本職:東宮武官)
- 小山田繁蔵少将:大正13年9月1日 - 昭和2年12月5日
- 今村信次郎大佐:大正14年10月20日 - 昭和6年5月1日
- 住山徳太郎大佐:大正15年12月1日 - 昭和6年12月1日
- 山内豊中少将:昭和2年12月5日 - 昭和7年6月1日
- 出光万兵衛少将:昭和6年5月1日 - 昭和10年6月5日
- 桑折英三郎大佐:昭和6年12月1日 - 昭和10年12月2日
- 小林謙五中佐:昭和7年6月1日 - 昭和11年5月25日(中村覚陸軍大将男爵の五男。最終階級:海軍中将)
- 平田昇少将:昭和10年6月5日 - 昭和14年11月15日
- 遠藤喜一大佐:昭和10年12月2日 - 昭和13年12月15日
- 山澄貞次郎中佐:昭和11年5月25日 - 昭和15年11月15日
- 醍醐忠重大佐:昭和13年12月15日 - 昭和16年10月20日
- 鮫島具重少将:昭和14年11月15日 - 昭和17年10月26日
- 城英一郎中佐:昭和15年11月15日 - 昭和19年1月20日(侍従武官時代につけていた日記は「侍従武官城英一郎日記」として1982年に出版される。昭和18年6月に差遣武官として南東方面を視察した際に航空戦力の激減に衝撃を受け、体当たり攻撃を海軍航空本部総務部長大西瀧治郎中将に進言したとされる。昭和19年2月、航空母艦「千代田」艦長に転任。昭和19年10月、レイテ沖海戦に参加。「千代田」と運命を共にする。戦死後少将。)
- 佐藤治三郎大佐:昭和16年10月20日 - 昭和20年2月1日(廃止)
- 中村俊久少将:昭和17年10月26日 - 昭和20年11月30日(廃止)
- 今井秋次郎中佐:昭和19年1月20日 - 昭和20年11月30日(廃止)
- 野田六郎大佐:昭和20年2月1日 - 昭和20年11月30日(廃止)