軍服
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軍服(ぐんぷく、英:Military uniform)とは軍隊の構成員(軍人)が着用する制服をいう。広義においては近代以前の戦闘員の服装も含むが、通常は近代国家以降のそれをいうものであり、本項では後者の意味の範囲内において記述する。また、軍服は概ね下記のように分類できる。
- 正装(最上級の儀礼服装、英:Ceremonial full dress)
- 礼装(式典、夜会、英:Full dress)
- 通常勤務服たる常装(外出、内勤、英:Service or Ordinary duty uniform)
- 戦闘服装(戦闘時に着用する服装、英:Combat dress 米軍ではBDU―Battle Dress Uniformと呼ぶ)
なお、
- 戦闘時に着用する服装全般については戦闘服を参照。
- 各国の軍服については各国軍服関連記事一覧を参照。
目次 |
[編集] 総説
[編集] 概説
軍隊の服制は、時代や国において非常に差があるが、第二次世界大戦以降では一般的には次のようになっている。但し、以下の記載はあくまでも代表的な軍服についてであって、各国の軍に対する位置づけによって差異が大きい。
また、軍服は警察官等の制服に与える影響も大きく(特に一時代前の軍服を参考にされることが多かったという)、英国警察官のヘルメットや、第二次世界大戦前の日本警察官の立襟・肩章の制服にその名残が見られる。
[編集] 沿革
西洋においては、封建制度の時代には軍装が統一されることはなかったが、17世紀以降常備軍の整備が進められたことで制服の統一も図られるようになった。制服着用のはしりはグスタフ・アドルフのスウェーデン軍であると言われる。また、16世紀頃から銃の普及により甲冑が意味をなさなくなり、軽装となっていった。兜もすたれ、二角帽子などが使用された。当時の軍服は、火薬の硝煙が漂う戦場の中で指揮官が部隊を識別するため、派手な色合いのものが多かった。ただし、南北戦争の南軍では灰色系統の軍服を採用する部隊が多かった。
普仏戦争の頃までは派手な軍服を使用している国が多かったが、銃の長射程化と命中精度の向上に伴って、派手な色の軍服では狙撃を受けやすくなり、第一次世界大戦開戦の頃から薄青・灰色・カーキ色系の上下の軍服(戦闘服)に移行していった。また、シャコー帽や通常の軍帽は、野砲の弾丸の破片等に対して無防備であることから、シャコー帽は廃止され、通常の軍帽と併用する形でヘルメットの着用も進んだ。
第一次世界大戦後から第二次世界大戦にかけて、戦場における軍服の特殊化が進み、通常勤務服たる常装と戦闘服装とを分離する必要が高まり、各国とも常装と戦闘服装とを分離するようになっていった。また、立襟(立折襟)から背広型への移行が進んだ。
但し、日本軍においては戦闘服装の分離は進まず、陸軍では通常勤務服兼用のままで終戦を迎えた。海軍では「略装」(褐青色の背広型)を「第3種軍装」として使用した。
三角帽子をかぶった退役軍人(2004年頃) |
フランス軍風軍装をする徳川慶喜(1886年-1887年) |
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19世紀後半の米海軍提督(マシュー・ペリー) |
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1916年当時の米国陸軍将校。立襟乗馬ズボン(ドワイト・D・アイゼンハワー) |
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ワイマール共和国時代のドイツ陸軍将官服(ギュンター・フォン・クルーゲ) |
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1945年当時の米英ソ軍の軍服(ヤルタ会談にて、ポツダム三巨頭) |
[編集] 陸軍制服概説
陸軍では緑又は茶色系統の色が主に用いられる。かつては兵営内や外出時に着用される通常勤務服(常装)と演習や戦場で着用される戦闘服との区別をしない国も多かったが、現代では区別している国が大半である。
礼装は伝統的な形状が多く立襟(詰襟)を採用している国も残っている。また、近衛部隊は帽章や軍装が特別なものとされていることも多い。
国によって種々なので単純化することはできないが、世界的な陸軍軍服の変化の趨勢では、第一次世界大戦頃に、詰襟から折襟や開襟(背広)型の軍服に移行し、第二次世界大戦頃にベレー帽が普及するようになった。現代陸軍では、常装は開襟型でネクタイを着用することが多い。
また、靴については、かつて士官は乗馬に適するように主に拍車付の長靴を、徒歩の兵員は主に編上靴に脚絆等を着用していた。ところが、第2次世界大戦頃に自動車による移動が主体になると、長靴は廃れていった。その結果、現代では兵科階級を問わず、平常勤務には短靴が、戦闘時には半長靴が多く用いられることとなった。
ドイツ連邦軍ヴォルフガンク・シュナイダーハン陸軍大将 |
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[編集] 海軍制服概説
海軍では黒・ネイビーブルー・白色が主に用いられる。海軍では各国共通で階級により服装の形状が異なっていることが多い。士官の場合、冬服は黒系統のダブルの背広で袖に階級章たる金線が入り、夏服は白の立襟(詰襟)で階級章は肩章となっている。下士官の場合、冬服・夏服共に士官と同じであるが階級章が上腕に付される。水兵の場合、水兵帽にセーラー服が用いられる。また、士官・下士官の帽章も、イギリス海軍に倣って中央に錨を置きその周囲を植物の葉で囲み上部に王冠(日本の場合は桜花)等を付すものが多い。
ロシア海軍将校服(夏季)の着用例(アレクサンドル・コルチャーク) |
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仏海軍士官の夏季略服(2005年頃) |
[編集] 空軍制服概説
空軍は陸軍の服制と同じような詰襟、折襟も一部あるが、大半の空軍で背広型の軍服が用いられている。但し色は大空を連想させる青系統のものが用いられる。帽章には鷲などの鳥や翼の意匠が用いられることが多い。
[編集] 海兵隊
海兵隊を、陸海軍とは別箇独立の軍種として設けている国はさほど多くはないが、 設けている場合、海兵隊は、海軍風の制服を着用する場合、陸軍風の制服を着用する場合、独自の制服を着用する場合がある。国によって大いに異なる。アメリカ海兵隊の場合、夜会用礼装を除いて陸軍型(通常勤務服は褐茶色)を用いている。ネクタイとワイシャツの色も同じという比較的珍しい服制である。
[編集] 世界各国の軍服
世界各国の軍服のうち、各国がほぼ共通してイギリスの影響を受けた海軍、20世紀に入って作られた軍種である空軍には国によるデザインの差が比較的少なく(「海軍制服概説」「空軍制服概説」参照)、また戦闘服装は装飾性を排し機能性を重視したデザインであるので、軍服のデザイン(服全体の仕立て、生地の色、帽章、襟章、階級章等)における国ごとの伝統や個性、また複数国間の影響関係は、陸軍の礼服(概ね19世紀~20世紀初頭までの軍服が踏襲されている)および勤務服にもっとも顕著に現れる。
世界各国の軍服に影響を与えた主な国は、次の通りである。
- イギリス(海軍が世界各国に影響、陸軍・空軍・警察が旧植民地関係)
- フランス(陸軍が19世紀に各国の模範となる、旧植民地関係)
- ドイツ(陸軍が19世紀後半~20世紀前半に各国の模範となる、枢軸国関係)
- アメリカ(冷戦時代に自由主義陣営に影響)
- ロシア(旧ソ連)(汎スラブ主義の影響、冷戦時代に社会主義陣営に影響、ソ連解体後に成立した諸国)
[編集] 日本の影響
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日本陸軍自身は当初フランス軍の影響が強かったが、後にドイツ軍の軍装の影響が強くなる。もっとも、日本の国際的地位が向上するにつれて独自の部分が強くなる。また、日本海軍はイギリス海軍の影響が強かった。もっとも、紺色長立襟ホック留ジャケットはイギリス海軍の影響ではない。
これらの日本軍の軍装の影響は、日本から政治的・軍事的援助等を受けた辛亥革命後の各種軍閥、満州国軍や中華民国汪兆銘政権その他に比較的顕著に見られる。
中国人民解放軍では1955年から65年にかけて、ベトナム人民軍では1950年代~70年代後半にかけて(ほぼ南北統一以前の「ベトナム民主共和国」の時期に相当)、肩章と併用して襟章によって階級が表されたが(主として立折襟の勤務服と開襟の戦闘服に使用)、そのパターンは旧日本陸軍の「九八式軍装」の襟章に近いものがある。[1][2][3]これらの例が実際に日本軍を参考にしたものか、偶然の類似なのかは不明である。しかし、旧日本軍の中国大陸からの撤退に伴う大量の余剰武器や装備を創設間もない中国人民解放軍が運用した影響を指摘する説もある。いずれにせよ第二次大戦中「抗日戦争」を戦った軍隊の軍服に、かつての仇敵に近いデザインが取り入れられたのは興味深い。
[編集] アメリカの影響
アメリカ軍は戦闘服を中心に第二次大戦後の世界の軍服にもっとも強い影響を与えた国のひとつであるが、第二次大戦後独立し、同時に東西冷戦下でアメリカと強い関係を持った国々には、礼服、勤務服を含めてアメリカ軍の影響が強い。例:韓国、台湾、フィリピン、旧南ベトナム(ベトナム共和国)等。日本の自衛隊の制服も、旧日本軍からのデザイン上の連続性を最小限にとどめるという配慮も手伝い、同様の傾向にあるといえ、アメリカ陸軍が常装をカーキ色から緑色へ変更する時期に近似して、陸上自衛官の常装も同様の変更がなされた。
[編集] イギリスの影響
詳細は軍服_(イギリス)を参照
かつてイギリス領であった、あるいはその実質的な支配下にあった国々の軍服にはイギリス軍の影響が強い。例:アジア州のインド、パキスタン、イラク、ヨルダン[4]等、アフリカ州のエジプト、リビア、ケニア、ウガンダ[5]、南アフリカ等、アメリカ州のカナダ等、オセアニア州のオーストラリア、ニュージーランド等。
また香港は現在中国の特別行政区であるが、一国二制度がとられている関係で、同地の警察官の制服はイギリス領時代のデザインをほぼ踏襲している(帽章等のデザインに変更あり)。[6]
[編集] フランスの影響
19世紀後半までの、フランス陸軍が近代陸軍の模範とされた時代には、世界各国の軍服にも、ケピ帽が制帽に取り入れられるなどフランスの影響が強かった。例:明治期の日本陸軍、南北戦争期のアメリカ軍等。
また、フランス領であった、あるいはその実質的な支配下にあった国々の軍服にはフランス軍の影響が強い。例:アフリカ州のアルジェリア、カメルーン、ガボン、中央アフリカ等。
[編集] ドイツの影響
- 詳細は軍服 (ドイツ)を参照
イラク戦争中の米軍の鉄帽 |
ドイツ軍は19世紀後半から20世紀前半までの世界の軍事・軍制に多大な影響を与えた存在であり、日本陸軍など同時期の各国の軍服にも(部分的なものも含め)少なからず影響を及ぼした。しかし、第二次大戦の敗戦とナチス・ドイツのマイナスイメージから、大半の国でデザインの変更が行われ、現在世界各国の軍服にドイツの影響をとどめる例は少ない。
19世紀末から第二次大戦前までドイツ軍をモデルに軍近代化をはかった南アメリカ諸国のなかには、礼服や勤務服、また式典等で着用するヘルメットに、現在でもドイツ軍の影響をとどめる国がある。例:チリ[7][8][9]、ボリビア[10]等
旧ソ連軍とその影響を受けた社会主義諸国の軍服(「ロシア(ソ連)の影響」参照)に多く見られた、折襟の上着、乗馬ズボン、長靴、将官用上着の襟の赤い縁取り、赤い台布に金の刺繍(国を象徴する植物の葉など)を施した将官用襟章、将官用ズボンの太い赤い2本の側線、また制帽において、円形または楕円形の帽章を囲む葉模様刺繍、将校用のモール編みのあごひも、斜めに付くひさし、また海軍において、水兵制帽に略式の帽章(円形章等)がつく、夏服やコートに用いられる肩章に陸軍に似たパターンのものが用いられる、等の要素はかつてのドイツ軍と類似しているが、これらが意識的な模倣か偶然の一致かは不明である。
また、1980年代から世界各国で採用され始めたケブラー樹脂製ヘルメットが、両耳~後頭部を覆う形状から「フリッツヘルメット」(英語圏での「ドイツ兵」の俗称から)と通称されたり、同様に各国で採用されている迷彩パターンが、第二次大戦中にドイツ軍が開発・使用したものの1つに類似していたりと、現代の最新の戦闘服が偶然にせよかつての「ドイツ軍」に似た外観を呈しているのは興味深い。
[編集] ロシア(ソ連)の影響
- 詳細はロシア・ソ連の軍服を参照
ソ連軍がロシア軍から引き継いだもっとも顕著な軍服の特徴の1つである肩章は、第二次大戦後の社会主義陣営の国々の多くに影響を与えた。例:モンゴル、北朝鮮、中国(1955~65年、1988年~)、ルーマニア、アルバニア(1945~66年)、キューバ、南イエメン等。
一方、東ドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーでは戦前との連続性の強い階級章が導入された。またブルガリアはソ連式の階級章を導入したが、先述の戦前のブルガリア軍自体にロシア軍の影響が強かったので(戦中はこれとドイツ軍の折衷とも言うべきデザインであった)、その意味では伝統の踏襲とも取れる。また独力で内発的に抵抗戦争と革命を達成したとの自負の強い国々では、ソ連式の階級章と別の独自のパターンが併用されたり、後者にとって代わられたりした。例:ユーゴスラビア、アルバニア、中国、ベトナム、キューバ等(うちアルバニアと中国では1960~80年代に階級制度と階級章自体が廃止)。
1991年にソビエト連邦が解体して後のロシア軍の軍服は、ソ連軍の軍服から「ソ連」「共産主義」につながる意匠(赤い星等)を排除する一方、1943年に復活した「ロシア軍」の要素と第二次大戦後に新しく加えられた要素(開襟ネクタイ式の上着や迷彩服等)をほぼそのまま踏襲したものになっている。ソ連解体後に新たに加わった要素としては、従来の楕円形の帽章の上に付く「双頭の鷲」(東ローマ帝国の後継者と自任するロシアの象徴)の帽章などがあげられる。
ロシア以外の旧ソ連諸国の軍服のうち、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン等の国々では旧ソ連との連続性(ロシア軍との共通性)が強い。他方、ソ連への併合に対する反感が根強かったバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)等では独自色の強い軍服が採用されている。
旧ソ連諸国ではないがソ連の影響の強かったモンゴルでは従来のソ連軍式の軍装から米軍式の軍装に近いものへと変わった。
北朝鮮では朝鮮戦争期はほぼソ連軍そのままの肩章式の軍装であったが1950年代以降、中国の影響を受け襟章式の折り襟の服がメインとなり肩章は開襟式のパレード服などで主に用いられる。
その他、ロシア(ソ連)軍から各国の軍服に広まった軍服の要素としては、ヘッドホンを内蔵し緩衝パッドをつけた戦車帽、水兵や特殊部隊兵士が着用する、白地に青の横縞のシャツ等がある。
[編集] 共産主義国の軍服の特徴
ソ連軍が原型を作った「共産主義の軍隊」の軍装に比較的共通性して見られる特徴は、次のようなものである。ソ連軍のものはドイツの影響も強いので、ドイツ型軍服の派生の一種とも評価できるが、特有の点もある。
- 軍服全体の仕立てと着用のパターンは、立襟もしくは折り襟に5個のボタンの上着(その上に帯革と負い革を着用)、乗馬ズボン、長靴を履くというのが最も一般的。ただし海軍や空軍、陸軍でも勤務服や礼服には開襟ネクタイ式の上着が取り入れられる傾向があり、時代が下るにつれてこの傾向は強まる。また編み上げ式の短靴に比べ長靴は、高価である事、踝のテーピング効果が薄い、脱着に時間が掛かり、かつ脱げ易いなどの理由から、作業(戦闘)用の装備品としては採用されない傾向がある(東ドイツ軍等例外はある)。また気候条件の合わないベトナムやキューバでは当初から採用されなかったようである。
- 統合軍的色彩が強いため、海軍や空軍も陸軍に似た軍服が採用されることが多い。
- 生地の色はカーキー色、襟章や肩章、制帽の鉢巻(腰、胴部ともいう)等に用いられる色は、陸軍は赤、海軍は黒または紺、空軍は空色、治安組織・国境警備隊は緑が多く用いられる。
- 帽章には、革命と共産主義を象徴する赤または金色の星、農業または農民を象徴する鎌あるいは麦や稲の穂、工業または労働者を象徴するハンマーあるいは歯車といった意匠が用いされる場合が多い。ただポーランドでは伝統的な国の象徴である鷲の意匠が用いられたし、キューバでは、19世紀のスペインからの独立運動の20世紀における到達がキューバ革命であるという解釈から、正式国名(「キューバ共和国」)、国旗、国歌とともに帽章(国章)も革命前と同じものが用いられている。
- これらのパターンが、中国、ベトナム、ユーゴスラビア、アルバニア等、独力で内発的に抵抗戦争と革命を達成したとの自負の強い国々(これらの国々の多くはその後、内外政策においてソ連と距離を置くかまたは対立するに至った)の軍服に、より典型的に取り入れられたのは興味深い。
朝鮮人民軍地上軍の制服 |
朝鮮人民軍地上軍の制服 |
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[編集] その他の国の影響
- オーストリアの山岳部隊でもちいられていたつばつきの戦闘帽(防寒用の耳あてを折り返して前部のボタンで留めているのが特徴)は、第一次大戦後にドイツ、ハンガリー、中国[11]で戦闘服用の略帽に影響を与えた。
- オスマン帝国時代にトルコ軍の軍帽として採用されたフェス帽は、トルコ国内ではトルコ革命にともなって廃止されたが、旧オスマン帝国領の国(エジプト等)や、ヨーロッパの軍隊でムスリム系住民を兵士に編成した場合(オーストリア・ハンガリー帝国、イギリスやフランスの植民地軍、ナチス・ドイツの武装親衛隊等)に、しばしば軍帽として採用された。
- マカオは現在中国の特別行政区であるが、一国二制度がとられている関係で、同地の警察官の制服はポルトガル領時代のデザインをほぼ踏襲している(帽章等のデザインに変更あり)。[12]
[編集] 陸上自衛隊
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[編集] かつて使用されていた制服
[編集] 警察予備隊時代・保安隊時代
1950年(昭和25年)に、警察予備隊の制服が定められた。当初の夏服はカーキ色の開襟型であった。冬服は短ジャケット上衣にワイシャツ、ネクタイ姿であった。
保安隊となった後の1953年(昭和28年)に冬服や夏服が改正された。冬服は、短ジャケット型が第2種冬服となり、長ジャケット型の第1種冬服が制定された。
警察予備隊の徽章は、警察を表す旭日章の前面に平和の象徴である鳩があしらわれたものである。これは、1970年(昭和45年)まで用いられた。
[編集] 昭和29年制
1954年(昭和29年)に陸上自衛隊が発足したのに伴って、服制にも若干の変更が加えられた。幹部保安官及び保安士補は、それまで階級章を右胸に着用していたのを、形状を変更の上、両襟に着用することとなった。1955年(昭和30年)には、部隊章が制定された。
[編集] 昭和33年制
1958年(昭和33年)冬服が改正され、カーキ色から紺灰色となった。背広型で剣襟。前はシングルの4つボタン、胸ポケットは外張り型で、ボタンがつく。ボタンは銀色。
[編集] 昭和45年制
1970年(昭和45年)に、冬服の全面改正がなされた。シングル4つボタンの背広型。生地は茶灰色のカルゼ織。正帽のつばも茶色。階級章は、幹部は肩に、陸曹は上衣襟に、陸士は左肩に付した。また、従来の旭日に鳩の徽章を変更し、現行の桜花に桜葉のものとなった。
[編集] 昭和46年制
1971年(昭和46年)に、夏服の全面改正がなされた。これは前年の冬服改正を受けたものである。
- 第1種夏服:冬服と同形状で、冬服の色を薄くした淡茶灰色のもの。
- 第2種夏服:淡茶灰色の長袖シャツ型上衣に同色のスラックス。ネクタイ着用。
- 第3種夏服:淡茶灰色の半袖開襟シャツ型上衣に同色のスラックス。前年制定の防暑服が採用された。なお、同時期に海上自衛隊も半袖開襟シャツ型の制服を防暑衣から第3種夏服と改称している。
[編集] 常装(1991年制)
[編集] 旧型との変更点
1991年(平成3年)に常装が変更された。米陸軍の制服変更に変更内容は似ている。ベースとなる色が、茶色系から緑色系に変更された。また、女性自衛官の制服が男性自衛官のそれに準じたものに改められた。
平成15年4月1日に、平成15年内閣府令第33号により自衛隊法施行規則が改正されて、女性自衛官が着用する被服の名称が「婦人冬服上衣」から「女性冬服上衣」などと全面的に改められた。
[編集] 冬服・第1種夏服
[編集] 正帽
陸上自衛官の正帽における階級の差について。
- 帽章(桜星を中心に桜葉及び桜蕾を周辺に配したもの):陸士は金色金属製だが、陸曹以上は金色モール製又は合成樹脂製で帽子の地質と同色の布製台地をつける。
- 耳ボタン:陸曹以下は模様がないが、准陸尉以上は桜星及び桜葉を浮き彫りにしたもの。なお、旧日本陸軍でも軍帽に同様の差異が存在した。
- あご紐:陸曹以下は黒色の革製又は合成樹脂製、准陸尉以上は表面にしま織金線を付けたもの。
- 前庇:1等陸尉以下は黒色の革製又は合成樹脂製、3等陸佐以上は更にその前縁に沿って金色モール製又は合成樹脂製の桜花桜葉模様(佐官と将官とで差がある。)をつける。
[編集] 略帽
略帽は、ベレー帽が採用されている。この略帽(ベレー帽)はイラク派遣部隊の隊員も迷彩服と共に着用している。部隊識別帽がある場合はそれを着用する場合もある(部隊の統制に従う)。
[編集] 上衣
冬服・第1種夏服は、同形状で4つボタンの背広型である。冬服が濃緑色(サージ織)で、第1種夏服は淡緑色となる。センターベント。准陸尉以上は、両袖に縞織濃緑色の飾線をつける。(将補以上になると飾線が著しく太い。)ポケットは、胸部左右の蓋及びボタン付き貼り付け型(襞付き)と、腰部左右の蓋付き隠し型がある。
肩章は、同生地で、外側の端をそで付に縫い込み、又は着脱できるようにし、襟側を隠しボタン1個で留める。准陸尉以上は、肩章に階級章を付す。
襟は、セミピークラペルで、陸将及び陸将補を除き職種き章を下襟に付す。陸曹の場合は、上襟に階級章を付す。
陸士の階級章は、左腕(左肩上端から10センチメートル下方)に付ける。精勤章は、陸曹・陸士とも左袖下端から10センチメートル上方に付ける。
[編集] 部隊章
全ての陸上自衛官は冬服及び第1種夏服の上衣並びに外套の、肩上部から30ミリメートル下の右腕に、部隊章を着用する。部隊章は、盾形で、横幅60ミリメートル、最下部と最上部とは70ミリメートル、下部に楕円の師団等標識、上部に屋根型の扁平な5角形の隊種標識、隊種標識の中央に隊号標識を付する。隊種標識は、最も短い両端の高さが7ミリメートルで、最も高い中央の高さが12ミリメートル。隊号標識は6ミリメートルである。
部隊章は次の3つの要素からなる。
- 師団等標識
- 陸上幕僚監部、各方面隊、各師団、各旅団、各混成団、空挺団、中央即応集団及び防衛大臣直轄部隊等(その他の防衛大臣直轄の部隊及び機関)毎に定める。防衛大臣直轄部隊等は「直」の字を図案化したもの。それ以外の部隊のものについては、各部隊の記事を参照。
- 隊種標識
- 部隊の職種による。もっとも、普通科、特科、機甲科、施設科、武器科、衛生科、航空科、通信科、需品科及び輸送科又はこれと同種の部隊等以外の部隊等(陸上幕僚監部、方面総監部、師団司令部、混成団本部及び空挺団本部を含む。)は藍色。
- 隊号標識
- 冠称番号(独立部隊、編合部隊又は単位部隊名に冠する番号。)を有する連隊、群、独立大隊(防衛大臣並びに団以上の部隊の長及び機関の長に直属する大隊。)及び陸上自衛隊陸曹教育隊は、その冠称番号。なお、方面総監部、師団司令部、混成団本部及び空挺団本部はH(Headquarters)、陸上自衛隊幹部候補生学校はO、化学防護隊・化学学校はC、富士学校はF(Fuji)、警務隊はP(Military Police)、高射学校・高射特科団・特科連隊・高射特科連隊・高射特科群はA、会計隊はF、音楽隊はB、後方支援連隊はL、少年工科学校はYT、教育団・教育連隊・教育大隊はT、自衛隊体育学校はPT、空挺教育隊はAB、補給統制本部はGMC、陸上自衛隊幹部学校はSC。群はG、学校はS、補給処はD、病院はH。なお、かつて存在していた陸上自衛隊調査学校はI、陸上自衛隊業務学校はSであった。
[編集] ネクタイ
ネクタイは、濃緑色で、帽章と同じ模様(桜星を中心に桜葉及び桜蕾を周辺に配した模様)が入る。但し、自衛隊生徒の場合、色は臙脂色。陸海空のネクタイの内、模様が入るのは陸上自衛官のもののみである。
[編集] 靴
常装には、短靴又は半長靴を履く。常装にも半長靴を履きうる定めがあるのは陸上自衛官のみである(海上自衛官は短靴のみ。航空自衛官は短靴又は編上靴。)。もっとも、冬服や第1種夏服に半長靴を履くのは儀式等において甲武装(戦闘服での武装は乙武装)を指定された場合のみであって、常装に半長靴を履くことは実際には殆どない。
[編集] 第2種夏服・第3種夏服
第2種夏服は長袖ワイシャツ型(冬服・第1種夏服のワイシャツと兼用)、第3種夏服は半袖ワイシャツ型(開襟)である。第2種・第3種夏服は、それまで上衣とズボンとの色が同一であったが、この改正により色違いとなって、上衣は白色、ズボンは緑色となった。
第2種・第3種夏服の階級章について、それまで冬服・第1種夏服と同一のものであったが、全く新しいタイプの階級章である乙階級章が採用された。これは、布製台地に刺繍によって階級を表示し、肩章に通す形のものである。幹部及び陸士は、甲階級章(冬服などに着用されている。)の意匠をそのまま、刺繍したものが用いられている。ところが、陸曹の甲階級章の意匠をそのまま乙階級章に採用すると不都合(3等陸曹のそれが3等陸尉のそれに、2等陸曹のそれが3等陸佐のそれに類似する虞がある。)があるため、陸曹乙階級章の意匠は海曹と同様のものが採用された。
[編集] 自衛官の職務又は技能を識別するために用いるき章
陸上自衛官のき章としては次のものがある。
- 募集広報き章(陸海空共通)
- 地方協力本部に勤務する自衛官で、募集広報に従事することを命ぜられているものが着用する。いぶし銀色の金属製のもので、翼及びいかりの中央に、桜星を桜葉で抱ようしたものを配したもので、桜星の中央には、金色の金属製の募という文字を配するもの。陸海空共通のものなので、陸上自衛隊を表す桜星、海上自衛隊を表す錨、航空自衛隊を表す翼が共に入っている。
- 営内班長き章
- 陸上自衛隊服務規則(昭和34年陸上自衛隊訓令第38号)第13条第1項の規定により営内班長を命ぜられている陸上自衛官が着用する。金色の金属製のもの又は緑色の布製台地に金糸で縫取りをしたもので、隊舎を模したものの中央に、桜星を配したもの。
- 服務指導准尉き章
- 陸上自衛隊の編制に関する訓令(昭和44年陸上自衛隊訓令第11号)に定める中隊(隊)付准尉又は先任陸曹の職務を命ぜられている陸上自衛官(方面総監又は防衛大臣直轄部隊若しくは機関の長がこれらに準ずる職務を行っていると認める陸上自衛官を含む。)が着用する。金色の金属製のもの又は緑色の布製台地に金糸で縫取りをしたものとし、桜星を中心にし、その両側に金剛石を模したものを配したもの。
- 航空き章(陸上)
- 操縦士又は航空士の航空従事者技能証明を有する自衛官が着用する。金色の金属製のもの又は緑色の布製台地に金糸で縫取りをしたものとし、盾の中央に桜花を配したものを中心にして、その両側に翼を配したものとする。ただし、航法以外の航空業務に係わる航空従事者技能証明及び計器飛行証明に関する訓令(昭和30年防衛庁訓令第21号)第3条の規定による高級航空士、上級航空士又は航空士(以下「航空士」という。)の航空従事者技能証明を有する者にあつては、いぶし銀色の金属製のもの又は緑色の布製台地に銀糸で縫取りしたもの。
- 航空士の航空従事者技能証明を有する者
- いぶし銀色の金属製のものとし、桜花を中心にして、その両側に翼を配したものとする。
- レンジャーき章
- 陸上自衛隊の教育訓練に関する訓令(昭和38年陸上自衛隊訓令第10号)第23条又は第33条の課程において、レンジャー又は空挺レンジャーの教育訓練(同訓令の施行前に行われたこれに準ずる教育訓練を含む。)を修了した自衛官及び同訓令第16条、第26条又は第42条の規定による集合教育において、レンジャーの教育訓練(同訓令の施行前に行われたこれに準ずる教育訓練を含む。)を陸上幕僚長が定める期間受けた自衛官が着用する。いぶし銀色の金属製のもの又は黒色の布製台地に銀糸で縫取りをしたものとし、金剛石を中心にして、その両側に月桂樹の葉を配したものとする。ただし、陸上幕僚長の定める者にあっては、金色の金属製のもの又は緑色の布製台地に金糸で縫取りをしたものとする。(不屈の闘志を表すダイヤモンドと、栄誉を表す月桂冠の組み合わせ)
- 空挺き章
- 空挺従事者の取扱に関する訓令(昭和30年陸上自衛隊訓令第39号)第4条の空挺基本訓練課程を修了した陸上自衛官が着用する。いぶし銀色の金属製のもの又は緑色の布製台地に銀糸で縫取りをしたものとし、落下さんを中心にして、その両側に翼を配したものとする。
- 不発弾処理き章(陸上)
- 陸上自衛隊の教育訓練に関する訓令(昭和38年陸上自衛隊訓令第15号)第26条又は第42条の規定による集合教育において、不発弾の処理に関する教育訓練を陸上幕僚長が定める期間受けた陸上自衛官及びこの者と同等以上の技能を有すると陸上幕僚長が認める陸上自衛官が着用する。いぶし銀色の金属製の桜星及び金色の金属製の弾丸を中心にして、その両側にいぶし銀色の金属製の桜葉を配したもの又は緑色の布製台地に銀糸で縫取りをした桜星及び金糸で縫取りをした弾丸を中心にして、その両側に銀糸で縫取りをした桜葉をはいしたものとする。
- 詳細は不発弾処理き章を参照
- 特殊作戦き章
- 詳細は特殊作戦群を参照
- 体力き章(陸海空共通)
- 体育訓練の種目等に関する訓令(昭和33年防衛庁訓令第82号)第3条の規定により実施される体力測定において、陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長が定める基準以上の成績を修めた陸上自衛官、海上自衛官及び航空自衛官が着用する。いぶし銀色の金属製のもの又は緑色の布製台地に銀糸で縫取りをしたものとし、表面が6面の星を模したものを中心にして、その両側に月桂樹の葉を配したものとする。
- 射撃き章
- 陸上自衛隊の教育訓練に関する訓令第53条第1項の規定により実施される射撃に関する技能検定において、陸上幕僚長が定める基準以上の成績を修めた陸上自衛官が着用する。いぶし銀色の金属製のものとし、桜花、標的及び照星を桜葉で抱ようしたものとする。ただし、陸上幕僚長の定める者にあっては、照星を金色とする。
- 格闘き章
- 陸上自衛隊の教育訓練に関する訓令第53条第1項の規定により実施される格闘に関する技能検定において、陸上幕僚長が定める基準以上の成績を修めた陸上自衛官が着用する。いぶし銀色の金属製のもの又は緑色の布製台地に銀糸で縫取りをしたものとし、盾と2先の剣2本を組み合わせたものを中心にして、両側に月桂樹の葉を配したものとする。ただし、陸上幕僚長の定める者にあっては、盾と2先の剣2本を金色とする。
- スキーき章
- 陸上自衛隊の教育訓練に関する訓令第53条第1項の規定により実施されるスキーに関する技能検定において、陸上幕僚長が定める基準以上の成績を修めた陸上自衛官が着用する。いぶし銀色の金属製のもの又は緑色の布製台地に銀糸で縫取りをしたものとし、スキーと雪の結晶を組み合わせたものを中心にして、両側に月桂樹の葉を配したものとする。ただし、陸上幕僚長の定める者にあっては、雪の結晶を金色とする。
- 職種き章
- 詳細は職種 (陸上自衛隊)を参照
[編集] 音楽隊員
音楽隊の隊員には、通常の服装のほか次の服装が定められている。
- 特別儀じよう演奏服装
- 通常演奏服装
- 略演奏服装
[編集] 礼装
平成14年12月に礼装の改正がなされた。陸将補以上の礼装には金色の礼装用飾緒を着用する。陸海空のうち礼装に飾緒を着用するのは陸上自衛官のみである。また,准尉以上の自衛官は,礼装用肩章という,金モールを編んで銀桜で階級を示す,旧陸軍の礼装用肩章と酷似した物を両肩につける。
[編集] 海上自衛隊
[編集] 海上自衛官の制帽
制帽には、正帽(女性正帽)・冬略帽・夏略帽(女性自衛官は夏冬の区別なく女性略帽が定められている。)・作業帽(海曹長以下)などがある。幹部自衛官の候補者たる海曹長については、例外が多く定められているので、ここでは原則記述しない。
[編集] 正帽
正帽は、天井及びまちが白色で、その他の部分は黒色である(正帽は夏・冬の区別がない)。陸上自衛官と異なり、海上自衛官は、礼装においても常装と同様に、正帽を着用する。旧日本海軍では、軍帽は紺色で、夏季のみその上に白布の日覆いをかけていたが、海上自衛隊の場合は始めから天井及びまちは白色である。
海士の正帽は、水兵帽型。前庇がなく、顎紐は革製ではなく黒色のゴム入布製のものである。帽章はペンネント(黒色八丈織の鉢巻式で、前面に所属部隊を示す文字。更に両端に錨各1個を金色の金版打としたもの。)。ペンネントの文字は、「海上自衛隊」や「護衛艦○○」などである。通常は国名は入らないが練習艦隊の場合のみ、「日本国練習艦隊」という文字となる。
海曹の正帽は、黒色の革製前庇及び黒色の革製顎紐をつける。顎紐の両端は、帽の両側において、錨を浮き彫りにした金色の耳ボタン各一個で留める。帽の腰周りには、生地と同色の七子織の周章をつける。帽章は黒色羅紗の台地に金色金属製の錨とその上位に銀色金属製の桜花をつけ、下部を金色金属製の桜葉及び銀色金属製の桜蕾で囲んだもの。
准海尉以上の正帽は、海曹の制帽の形状を基本に、顎紐の外側に縞織金線をつける。帽章は、黒色羅紗の台地に金色金属製の錨の周囲を金色輪金で囲み、その上位に銀色金属製の桜花をつけ、下部を金モール製の桜葉及び銀モール製の桜蕾で囲んだもの。なお、2等海佐以上(陸上自衛官及び航空自衛官は3佐以上)は、前庇表面の前縁に沿って金モール製の桜花模様(陸上自衛官及び航空自衛官は共通であるが、それとは別の模様が使用される。)をつける。
海曹の帽章と准海尉以上の帽章との最も大きな違いは、輪金の有無である点は、昭和17年以降の旧日本海軍の場合と同様である。
[編集] 略帽
略帽は、旧軍以来の戦闘帽型のもの。舟型であって、共布の前庇及び顎紐をつける。顎紐の両端は、帽の両側において、錨を浮き彫りにした金色の耳ボタン各一個で留める。冬略帽は冬服(黒色毛織物等)、夏略帽は夏服(白色綿等)の生地にそれぞれ同じ。
帽章は、略帽の共布の台地に,金色金属製の桜花をつけた金色金属製の錨の周囲を金色輪金で囲んだもの。旧日本海軍のものと異なり、階級による周章の違いなどはない。
略帽は、常装(第1種夏服を除く。)等で用いる。もっとも、常装を着用する場合は甲板要員など特殊な部署以外では、正帽が用いられることが多く、曹士にあっては、装備品として貸与されているが、着用の機会は少なく、分隊点検の際、確認される程度のことが多い。
他方、准海尉以上にあっては、作業服装をする際など、海曹長以下が作業帽を着用する場合に、着用するので比較的着用の機会はある。
[編集] 作業帽・部隊識別帽
作業帽は、野球帽型。半球型であって、共布の前庇及び顎紐をつける。顎紐の両端は、帽の両側において縫いつける。天井に6個の鳩目をつけ、通風口とする。後面に共切れのバンドをつけ、帽子用調整具で留める。前面に共切れの楕円型台地に金色の糸で桜花をつけた錨を刺繍し、台地の周囲を金色の糸で縁どりした帽章をつける。この作業帽は、曹士のみが着用し、曹士の作業服類似の色となっている。また、部隊識別帽も使用される。
[編集] 旧型帽章
なお、海上警備隊創隊から1970年(昭和45年)までの間は、現在の帽章とは異なるものが用いられていた。この旧型帽章制定の際に参考にされたのは、海上警備隊が属する海上保安庁の帽章である。
錨の周囲を輪金で囲み、その上位に鴎をつけ、下部を桜葉及び桜蕾で囲んだものであった。ちなみに、海上保安庁のそれはほぼ配置が同じであるが、錨(海上保安庁はコンパス)、輪金(救命浮環)、桜(梅)の違いがあった。
[編集] 海上自衛官の冬服
海上自衛官の場合、海曹以上の冬服は黒色のダブル6つボタンの背広型、海士の冬服はセーラー型である。3等海曹以上の常装冬服では、冬服上衣、冬服ズボン、正帽又は冬略帽、第1種又は第2種ワイシャツ、ネクタイ、短靴(黒色に限る。)、甲階級章及び冬服バンドを着用する。士官・下士官の冬服は、旧日本海軍が濃紺の立襟(詰襟)であったのに対して、海上自衛隊幹部・海曹では米海軍同様に黒のダブルの背広となっている。
水兵・海士の制服はともにセーラー服で共通であるが、旧軍と異なり海上自衛隊では、冬服の袖口にカフスがつき、襟に付されている白線が2条(旧軍は1条)などの細部においては差異がある。
冬制帽の天井及びまちは、黒色を基調とする冬服にあっても白色となっている。
[編集] 海上自衛官の夏服
[編集] 第1種夏服
3等海曹以上の常装第1種夏服では、第1種夏服上衣(白色立襟型の5つボタン。胸に外貼り式のポケット2つ。腰には外ポケットなし。)、第1種夏服ズボン、正帽(略帽は着用しない。)、短靴(幹部及び幹部候補者たる海曹長は白又は黒色。その他の海曹は黒色に限る。)、丙階級章(幹部は肩章、海曹は左腕。)及び第1種夏服バンドを着用する。
士官・下士官の夏服は、ともに白の立襟(詰襟)に5つ金ボタンと共通であるが、海上自衛隊では米海軍式で胸ポケットが外貼り式となっている。
海士の第1種夏服はセーラー型である。
[編集] 第2種夏服
第2種夏服は白色ワイシャツ(第2種夏服上衣)に黒ズボン()に黒ネクタイである。平成8年の服制改正時に陸上・航空の第2種夏服に合わせて制定された。この制服はそれまでの海上自衛官の制服とは異なり、上下で色違いで、准尉以上・海曹・海士全ての階級で形状が同じという特徴を有している。
常装第2種夏服では、第2種夏服上衣(白色長袖ワイシャツ型)、第2種夏服ズボン(黒色。生地・形状とも冬服ズボンと同じであるが、冬服ズボンとは別に第2種夏服ズボンという名称で規定されている。)、ネクタイ、正帽又は夏略帽(略帽は冬服のものと同じ形状。但し、生地及び色が夏服の生地と同じになっている。なお、帽章は黒色ではなく金色なので見にくい。)、短靴、乙階級章及び冬服バンドを着用する。
[編集] 第3種夏服
海曹以上の第3種夏服は開襟ワイシャツの白色の上下、海士の第3種夏服は半袖のポロシャツ型である。3等海曹以上の常装第3種夏服では、第3種夏服上衣(白色開襟半袖ワイシャツ)、第1種夏服ズボン、正帽又は夏略帽、短靴、丙階級章及び第1種夏服バンドを着用する。
[編集] 海上自衛官の短靴
ズボンの色が黒色の場合(冬服ズボン及び第2種夏服ズボン)に着用する短靴は黒色に限られている。ズボンの色が白色の場合(第1種夏服ズボン)、幹部及び幹部候補者たる海曹長は白又は黒色のいずれでもよい。その他の海曹及び海士は黒色に限られている。幹部自衛官の短靴は、内羽式のストレートチップである。
[編集] 海上自衛官の制服の沿革
- 昭和29年7月
- 常装冬服・夏服(幹部は灰色の背広型、海曹は白色立襟、海士はセーラー服)が制定される。
- 昭和33年6月
- 旧幹部夏服が幹部第1種夏服と、旧海曹・海士夏服が第2種夏服となる。
- 幹部第2種夏服(白色立襟ジャケット)・略衣(白色半袖)が制定される。
- 昭和39年8月
- 旧略衣が防暑衣となる。
- 昭和45年10月
- 旧防暑衣が第3種夏服となる。航空学生等に7つボタンの制服が制定される。
- 平成8年7月
- 背広型の幹部第1種夏服が廃止される。旧第2種夏服(白色立襟ジャケット)が第1種夏服となる。ワイシャツにネクタイの第2種夏服が制定される。
[編集] 航空自衛隊
航空自衛官の場合は、陸上自衛官のそれと類似しているが、色が青系統になっている。
略帽は、米軍で多用されているギャリソンキャップ型のものが使用されている。
[編集] その他
[編集] 付属品
- 勲章等
- 儀礼刀
- 詳細は軍刀を参照自衛隊では、旧軍と同様に幹部自衛官の儀礼刀は武器ではなく服装の一部として理解されており幹部は個人で購入し、刀自体に刃は張ってない。防衛駐在官が外国において礼装をする場合・練習艦隊司令官等が遠洋航海に際し、外国において礼装をする場合・儀仗隊の指揮官が特別儀仗服装をして儀儀仗を行う場合又は練習艦隊が遠洋航海に際して儀じょうを行う場合・幕僚長が、国際儀礼上特に必要があると認め、儀礼刀を着用することを命じた場合に儀礼刀を着用する。刀帯は、儀仗隊指揮官のみ上衣の上に締めるが、その他の幹部は上衣の下に締める。
- 飾緒(モール)
[編集] 戦闘服装
- 詳細は戦闘服を参照
近代陸軍においては保護色・迷彩服が多用される。戦闘用には緑や茶色のほかに迷彩色があり、これは森林などの戦闘で敵から見えにくくするという効果がある。迷彩柄は各国軍が主に活動する場所の特徴により変化するため、多種多様である。なお、アメリカ陸軍では2005年4月から全地域型迷彩であるACU迷彩の配備を開始した。
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[編集] 社会に与える影響
軍服はその機能性、装飾性から社会に与える影響も大きく、軍服に由来するものとされる衣服も多い。
- アタッシェケース
- 軍手・軍足
- 軍で使用された作業用手袋等。
- 国民服
- 陸軍の軍服の影響が強かった。
- 学ラン
- セーラー服
- ダッフルコート・ピーコート
- 漁師服に由来するが、英国海軍の制服として用いられて以降普及する。
- トレンチコート
- ベルト
- 古くはズボンはサスペンダーで吊られており、ベルトは携行装備を吊るす役割を担っていたが、サスペンダーにとって代ってベルトがズボンを吊るす役割を担うようになった。現在ではズボンを吊るすのはギャリソンベルト・パンツベルト、装備品の着装をするのはサムブラウンベルト(開発者のSamuel Browneに因む)・ガンベルト(弾帯)と区別されている。
- ミリタリー系服装
- 迷彩柄シャツ・カーゴパンツ・軍用ジャンパーを市井において着用する若者もいる。なお、特にヨーロッパ諸国では、迷彩戦闘服を所持して入国しようとすると、傭兵の疑いをかけられて拘留される恐れがあるので注意。
- リュックサック
- Tシャツ
- 軍用肌着。
[編集] 関連項目
- 各国軍服関連記事一覧
- 制服
- 階級章
- 円形章(軍帽の帽章に用いられる)
- 飾緒
- セーラー服
- コスプレ(一般用語)
- 軍服をステージ衣装に用いた芸能人
- 救世軍
- 国防服
- 三島由紀夫(平岡公威) - 「盾の会」結成に際してオリジナルの軍服を製作した。