全日空機墜落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
全日空機墜落事故(ぜんにっくうきついらくじこ)は、日本の大手航空会社、全日本空輸の航空機墜落(全損を含む)事故の一覧である。一部にオーバーラン事故などの航空事故も含まれている。
目次 |
[編集] 1950年代
[編集] 全日空下田沖墜落事故
- 1958年8月12日:全日空ダグラスDC-3(JA5045)
- 羽田空港を離陸後、近隣を飛行中の全日空機にエンジン故障を報告した後静岡県下田沖に墜落した。なお、コックピットボイスレコーダーやフライトデータレコーダーが装着されていなかったこともあり、事故原因は完全に解明できなかった。全日本空輸(前身の日本ヘリコプター輸送・極東航空を含む)が創業後はじめておこした人身死亡事故である。
- 乗客30人と乗員3人全員死亡。
- 羽田空港を離陸後、近隣を飛行中の全日空機にエンジン故障を報告した後静岡県下田沖に墜落した。なお、コックピットボイスレコーダーやフライトデータレコーダーが装着されていなかったこともあり、事故原因は完全に解明できなかった。全日本空輸(前身の日本ヘリコプター輸送・極東航空を含む)が創業後はじめておこした人身死亡事故である。
[編集] 1960年代
[編集] 全日空小牧空港衝突事故
[編集] 全日空バイカウント機墜落事故
- 1962年11月19日:全日空ビッカース828バイカウント(JA8202)
[編集] 藤田航空機八丈富士墜落事故
- 1963年8月17日:藤田航空(事故直後に全日空に合併)デハビランド DH.114 ヘロン1B(JA6155)
[編集] 全日空貨物機失踪事件
[編集] 全日空羽田沖墜落事故
- 1966年2月4日:全日空60便 ボーイング727-100(JA8302)
- 千歳空港発羽田空港行きの60便が羽田空港に着陸進入中東京湾に墜落。コックピットボイスレコーダー、フライトデータレコーダーともに搭載していなかったため原因は不明だが、目的地への到着を急ぐあまり高度を下げすぎた説や誤ってスポイラーを立てたとされる説、グランドスポイラーの機構欠陥による誤作動説、第3エンジンの不調説などがあげられた。
- この事故をきっかけに、日本で運航される全ての旅客機にコックピットボイスレコーダーとフライトデータレコーダーを装備することが義務付けられた。また、当時顧客サービスの一環として飛行時間短縮の競争が激化していたことから、操縦士が目的地への飛行時間を短縮することに専念するあまり操縦ミスを起こしたという説もあったことから、この事故以降は原則的にフライトプランにそって飛行するよう義務付けられた。
- 乗客乗員133人全員死亡。(単独機として当時世界最悪の事故)
[編集] 全日空機鹿児島空港オーバーラン事故
- 1966年9月18日:全日空 フォッカーF-27フレンドシップ
- 旧鹿児島空港(鹿児島市鴨池)に着陸の際にオーバーランし滑走路を逸脱、50m先の海中に突っ込み水没した。機体が破損した。回送便だったため乗客および客室乗務員は搭乗していなかった。
- 乗員1名軽傷。
- 旧鹿児島空港(鹿児島市鴨池)に着陸の際にオーバーランし滑走路を逸脱、50m先の海中に突っ込み水没した。機体が破損した。回送便だったため乗客および客室乗務員は搭乗していなかった。
[編集] 全日空松山沖墜落事故
[編集] 全日空機宮崎空港オーバーラン事故
[編集] 1970年代
[編集] 全日空機雫石衝突事故
(一説には、事故現場は民間機進入禁止の自衛隊の訓練空域であり、戦闘機に全日空機が追突したとの本もある。文献や書籍が錯綜しており真実は不明である)
[編集] 全日空機大島空港オーバーラン事故
- 1977年9月8日:全日空855便 YS-11(JA8755)
- 羽田空港を離陸し大島空港に着陸する際に、滑走路をオーバーランして車輪が破損、機体が中破した。滑走路の中央付近に接地したため止り切れなかったことが原因。
- 乗客13名が負傷した。
- 羽田空港を離陸し大島空港に着陸する際に、滑走路をオーバーランして車輪が破損、機体が中破した。滑走路の中央付近に接地したため止り切れなかったことが原因。
[編集] 2000年代
[編集] 全日空機下地島オーバーラン事故
[編集] 全日空機高知空港胴体着陸事故
- 2007年3月13日:全日空ボンバルディア DHC8-Q400 (JA849A)
- 大阪・伊丹空港から高知空港へ着陸しようとした1603便(エアーセントラル運航)が高知空港に着陸の際に前輪が出なかった。手動操作でも車輪が出なかった。そのため機長はタッチ・アンド・ゴーなどで前輪を出そうとしたが成功せず、最後の手段として燃料を上空旋回して消費したうえで胴体着陸をした。適切な緊急着陸操作のため比較的衝撃も少なく火災も発生しなかったため、乗員4名乗客56名にけが人はなかった。事故の影響で高知空港は終日閉鎖され航空ダイヤは大きく乱れた。原因は前輪格納庫の開閉扉を動かすアームのボルト1個が脱落していたため、バックアップシステムの手動操作も出来なかったためと判明したが、整備不良のためか製造段階での欠陥によるものかについては調査中。
[編集] 参考図書
- 『マッハの恐怖』柳田邦男(著)文庫 1986年 新潮社 ISBN 4101249059
- 『続・マッハの恐怖』 柳田邦男(著)文庫 1986年 新潮社 ISBN 4101249067