円山 (札幌市)
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円山(まるやま)は、北海道札幌市にある山で、石狩平野に面する。札幌市の中心から西の近くにあり、札幌市民の行楽の場になっている。山の大部分は円山原始林として保護されているが、過去に人の手が入っているので厳密な意味での原始林ではなく、天然林にあたる。標高226m。
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[編集] 地形と地質
札幌市西部の山地の端にあたるが、山塊はほぼ独立している。北、東、西で平地に面し、南は双子山という低い丘に続く。山頂から北西に長い尾根が、西にはそれより短い尾根が伸びる。登山道はこの尾根沿いにつけられている。
西から北へ、山裾を円山川が流れる。東側の麓にはかつて界川が流れていたが、後にほとんどが地上から消えた。
山の基盤は第三紀中新世から漸新世に作られた西野層で、これを安山岩質の溶岩が第四期初頭に貫いて頂上部ができあがった。
[編集] 歴史
もともとアイヌ人は、この山の事を「モイワ」(「小さな山」と言う意味)と呼んでいたが、札幌中心部から見た山の形が丸いことから、明治時代に日本人によって「円山」と名付けられた(「モイワ」の名は日本人の誤解によって、円山の南東にある藻岩山に引き継がれることとなった)。
札幌に北海道の本府を建設するために訪れた島義勇開拓判官は、都市計画を練るため円山に登った。島開拓判官は、円山に神社を置いて宗教的護りとし、東に市街を設けることを決めた。1871年(明治4年)に、円山の北の麓に札幌神社が造られた。後の北海道神宮である。
開拓使と以後の行政官庁は円山の山林の保護を基本政策とした。1872年(明治5年)に山頂からの石材切り出しが許可され、採石がはじまったが、翌年には禁止された。その1873年(明治6年)に円山の周辺での伐採は禁止された。一方、札幌神社の外苑、円山の西の麓には、1880年(明治13年)に円山養樹園という試験林が作られ、1891年に移転廃止された。山の方は1921年(大正10年)に、円山原始林として天然記念物に指定された。
札幌市は養樹園の跡地に公園を設けることにして、1903年(明治36年)から徐々に円山公園の整備を進めた。1932年(昭和7年)から1934年(昭和9年)にかけて円山公園に運動場が作られた。1951年(昭和26年)には札幌市円山動物園が開園した。
1914年(大正3年)に四国八十八箇所にならって八十八ヶ所の観音像が設けられてから、登山が盛んになった。北西の麓にある大師堂はこのとき建てられた。多くの小さな石の仏像が北西の登山道の脇にある。また、一時は南の西の麓でスキーが行われた。
20世紀に入ると麓に住宅が増え始め、1960年代に周辺はまったく市街地と化した。21世紀初めの現在では一部で中腹まで家が建てられ、山は住宅地に取り囲まれている。
[編集] 登山
円山は低い手ごろな山として夏には大人と子供がよく登る。札幌市内の小学校や幼稚園の遠足で、登るところもある。冬は雪が積もるので、子供は登らない。天気が良ければ札幌市街を一望の下にできる。円山は藻岩山とともに、大都市のそばとしては例外的に、豊富な自然を残しており、バード・ウォッチングなど動植物の観察に適している。
もっともよく使われている道は北西の大師堂からの山道で、約1キロメートルある。もう一つは西の尾根からの0.7キロメートルの道で、円山動物園の裏から登るものである。