加藤博一
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加藤 博一(かとう ひろかず、1951年10月9日 - )はプロ野球選手、野球解説者。佐賀県多久市出身。
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[編集] 来歴・人物
多久工業高等学校(現・佐賀県立多久高等学校)から1970年テスト生で西鉄ライオンズに入団。1976年に阪神タイガースに移籍し、1980年、打率.313で打率ベストテンの5位に入る。翌1981年は盗塁王争いを演じ、阪神から吉田義男以来25年ぶりの盗塁王誕生かと思われたが、ヤクルトスワローズの青木実に及ばずタイトルを逃した。(阪神の盗塁王はその後世紀を超えて赤星憲広が出現するまで誕生しなかった)
1983年に横浜大洋ホエールズに移籍し、高木豊、屋鋪要と「スーパーカートリオ」を結成。3人で3ケタ盗塁をマークする。個人では通算で169盗塁を記録。1986年には17年目で初のオールスター出場を果たす。目立った数字は残せなかったものの、そのキャラクターでファン、選手に親しまれ、1990年まで21年間現役生活を送った。
現役時代から「面白いキャラクターの野球選手」として有名で、プロ野球界オフの主役としてプロ野球ニュースなどに度々登場していた。1991年よりフジテレビの野球解説者を務めている。
短距離ヒッターであり、小細工のきくタイプであるが、意外と大柄で180cm近くある。また、江川卓を比較的得意としており、時折打ち崩して存在をみせつけていた。
[編集] 通算成績
- 1063試合出場 628安打 打率.271 23本塁打 176打点
[編集] タイトル・表彰
- オールスター1回(1986年)
[編集] エピソード
- ライオンズ時代初期、薄給で食うにも困る経済状況ゆえシーズンオフに靴問屋の整理作業から飲食店のカウンターなどまで各種アルバイトをして糊口をしのいだ経験がある。(現役時代後年テレビ番組で明かした)
- タレントの才能は古くから有名で、阪神時代のオフの納会などにはピンクレディーの形態模写をやってチームメイトの人気を集めた。選手時代晩年は、フジテレビの「プロ野球ニュース」でレギュラーコーナーを担当していた。
- 高校時代は中堅手だったため、西鉄での入団会見では「背番号8をつけるまでやめない」と宣言、阪神時代の1981年に実現した。前任者の島野育夫からは「ケガする番号だからやめたほうがいい」と言われ、掛布雅之からも「32で結果を出したんですから32が加藤さんにとって一番いい番号なんじゃないですか?」と助言されたものの、プロ入りしてからの夢だったので32から変更したところ、島野の言うように怪我をしてしまった。
- なお現役時代、加藤は75→67→35(以上西鉄・太平洋時代)→32→8(以上阪神時代)→22→44(以上大洋時代)と7つの背番号をつけていた。大洋時代にフロントから「22番を銚子利夫に譲るから」と打診を受けた時に「背番号をルーキーに取られるぐらいなら引退する」と激怒したが、数日後には持ち前のプラス思考で「背番号を倍にしたら成績も倍になるかもしれない」と考え、44への変更を了承した。
- ちなみにベースボールマガジンで背番号について関本四十四と対談した時には、「自分は44を『ヨイヨイ』と読んでいたが、ファンからは『シッシッ』と追い払われた」「背番号を22の倍の44にしたら成績が上がったから、今度背番号をその倍の88にしたらコーチにでもなれるかなと思っていたら、行き先が8チャンネル(=フジテレビ)だった」と笑いのネタにしている。
- 大洋・横浜のファンであるやくみつるは後年、「スーパーカートリオ」の他の二人を引き合いに出して、加藤を堅実で信頼感のある選手であったと述べている。
- 大洋時代、左中間へのフライを追ってレフトの長崎啓二と衝突。この時長崎の顔面と加藤の顔面がぶつかったのでプロ野球珍プレー好プレー大賞では「空中キッス」呼ばれ珍プレー大賞を受賞した。
- 後輩である掛布が東北楽天ゴールデンイーグルスの監督オファーを受けたように報道されたがその後田尾安志監督を発表されたことについて、田尾監督が解任された後にCSプロ野球ニュースにて「掛布は楽天の取引先である三井住友銀行の西川善文頭取とも会わされ、三木谷浩史オーナーと1週間後に会って翌日発表と決まっていたが、1週間経たないうちに田尾監督を発表した。楽天はおかしい」と問題提起した。
- 島田紳助・KONISHIKIとは古くからの親友として知られる。
- 髪型は現役時代からパンチパーマである。
- 打席でのヒッティングマーチは「蒲田行進曲」。加藤が代打に告げられた時のスタンドからの「ひろかずコール」は名物であった。現在では珍しくなくなった選手名連呼コールのはしりともいえる。加藤は、スタンドのファンがきっちり3回コールするのを待って打席に入っていた。
- 趣味は下駄の収集である。