北海道旭川東高等学校
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北海道旭川東高等学校(ほっかいどうあさひかわひがしこうとうがっこう、Hokkaido Asahikawa higashi High school)は、北海道旭川市6条通11丁目にある道立高等学校。
北海道旭川東高等学校 | |
過去の名称 | 北海道庁立上川中学校 北海道庁立旭川中学校 北海道立旭川高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 北海道 |
創立記念日 | 1903年5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科(7クラス) |
高校コード | 01219 |
所在地 | 〒070-0036 |
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電話番号 | 0166-23-6318(全日制) 0166-26-1053(定時制) |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 沿革
- 1903年 2月14日 文部省告示第27号を以て北海道庁立上川中学校を旭川に設置することを許可される。
- 1903年 5月1日 上川外2郡農会事務所を借用し、職員6名、生徒第1学年2学級、102名を以て授業を開始する。(この日を開校記念日とする)
- 1907年 塩田弓吉(教諭)による作詞作曲の校歌を制定する。(突冗七千有余尺の歌)
- 1915年 4月19日 校名を北海道庁立旭川中学校に変更する。
- 1923年 5月1日 旭川中等夜学校(現在の定時制の前身)を設立。
- 1935年 4月10日 旭川中等夜学校が旭川夜間中学と改称。
- 1942年 6月16日 旭川夜間中学が財団法人北辰中学校と改称。
- 1943年 6月16日 旭川中学校内に夜間授業課程が設置される。
- 1948年 4月1日 学制改革により、校名を北海道立旭川高等学校に変更する。
- 1950年 4月1日 高等学校の統合により、校名を北海道旭川東高等学校と改称する。
- 1953年 8月20日 新校歌(作詞:風巻景次郎、作曲:長谷川良夫)と新校旗を制定する。
- 1973年 10月22日 制服の自由化を実施する。
- 1991年 11月1日 現校舎が完成。(一部は1989年より供用開始)
[編集] 概要・特色
全日制普通科と定時制普通科から成る。学校標語の「シマレガンバレ」「挙校大和」や、校訓である「生をよろこべ 矩にしたがえ 全力をつくせ」の元、自由な校風が特徴。北海道大学への進学者数で北海道内で五本の指に入る、道北地方、旭川市を代表する公立進学校である。
1973年に制服自由化となったが、制服自体は廃止されたわけではなく、現在も校則には男女それぞれの制服の規定があり、生徒手帳にも掲載されている。しかし実際には制服の入手は困難であり、生徒は通常時は私服、入学式・卒業式等の式典時にはスーツ等を着用している。
地元での通称は「旭東(きょくとう)」もしくは「東高(とんこう)」。また、「東高(とんこう)」は応援歌の歌詞にもある。
全国高等学校クイズ選手権においては、1991年(第11回)に準優勝を果たしたほか、2002年(第22回)には同大会史上初の男女混成チーム(いわゆるドリカム編成)で初優勝を達成している。
[編集] 著名な出身者
- 西川将人(06年10月37歳で旭川市長選挙に当選 06年11月17日付で旭川市長)
- 青野武(声優)
- 明石英一郎(札幌テレビアナウンサー)
- 安念潤司(法学者、成蹊大学教授)
- 加藤建夫(陸軍少将・加藤隼戦闘隊)
- 国忠崇史(政治家)
- 佐々木倫子(漫画家)
- 清水博子(小説家)
- ヴィクトル・スタルヒン(故人・プロ野球選手)
- 寺沢武一(漫画家)
- 永江朗(フリーライター)
- 葛西信也(マーケティング技術者)
- 納谷廣美(明治大学学長)
- 原一平(コメディアン)
- 藤田和日郎(漫画家)
- 村田真(ソフトウェア技術者)
- 八木祐四郎(故人・元JOC会長)
- 斎藤忍随(故人・哲学者・元東京大学名誉教授)
- 本間哲郎(元プロ野球選手・横浜大洋ホエールズ投手)
- 折坂章子(気象予報士)