十勝沖地震
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十勝沖地震(とかちおきじしん)は北海道の十勝地方の沖合を震源として起こる地震で、過去に数回発生している。このため、発生年を付して「----年十勝沖地震」と呼称することにより区別されている。
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[編集] 発生要因
北海道十勝沖からロシア連邦のカムチャッカ半島沖にかけて千島海溝が存在しているが、この海溝では太平洋プレートが北アメリカプレートの下に年間数㎝の速度で沈み込んでいる。このため両プレートの境界で歪みが発生し、その歪みの開放により発生する逆断層型地震である。想定マグニチュードはM8前後、発生間隔は約60~80年と言われている。
[編集] 1952年十勝沖地震
1952年(昭和27年)3月4日10時23分に発生。震源は北緯41度48分・東経144度08分の十勝沖で、地震の規模を示すマグニチュード(M)は8.2。
北海道南部から東北北部で揺れや津波などの被害があり、28人が死亡、5人が行方不明、287人が重軽傷を負った。また、住宅は全壊815棟、半壊1324棟、一部損壊6395棟、流失91、浸水328、全半焼20だった。このほか、非住家被害1621棟、船舶被害451だった。
津波は厚岸湾が最高で3~4m、青森県八戸市で2mなど。津波警報制度発足後、最初の大津波だった。ただ、前日が丁度昭和三陸地震記念日で警報伝達訓練や避難訓練も多数行われ、防災に大変役立った。
[編集] 1968年十勝沖地震
[編集] 概要
[編集] 本震
この地震の震源は、1994年に発生した三陸はるか沖地震の北東にあたり、本来であれば『三陸沖地震(または三陸はるか沖地震)』と命名されるべきものだったが、津波警報の発令の際に震源を十勝沖として発表されたため、そのまま流用されて『十勝沖地震』と命名されている。
[編集] 最大余震
- 発生:1968年(昭和43年)5月16日午後7時39分(日本時間)
- 震源:青森県東方沖 北緯41度25分、東経142度51分、深さ40km
- 地震の規模:M7.5
- 最大震度:震度5
[編集] 被害
北海道から東北北部で揺れや津波の被害があり、52人が死亡、330人が重軽傷を負った。また住宅被害は釧路市で被害が最も多く全体では、全壊673、半壊3004、一部損壊15697、浸水529だった。このほか、非住家被害1781、船舶被害358などの被害もあった。津波は干潮時に発生したため被害はそれほど多くなかったが、十和田湖の名勝であった蝋燭岩が倒壊したり、南部鉄道が廃止に追い込まれるなど特に青森県で揺れによる被害が目立ったほか、函館大学の校舎も倒壊するなど、鉄筋コンクリート製の公共建築物の被害が集中した。この地震を受けて、防災対策を見直したところも多い。
激震で本州と北海道を結ぶ海底通信ケーブルが切断され通信が途絶、北海道は一時孤立状態になった。これを教訓に災害時応急復旧用無線電話・孤立化防止用無線電話が開発配備されている。
[編集] 2003年十勝沖地震
[編集] 概要
[編集] 本震
- 発生:2003年(平成15年)9月26日午前4時50分(日本時間)
- 震源:釧路沖 北緯41度46分、東経144度04分、深さ42km
- 地震の規模:M8.0(なお、モーメントマグニチュード(Mw)は8.3)
- 最大震度:震度6弱
[編集] 最大余震
[編集] 被害
北海道から東北地方の太平洋沿岸に津波が襲来し、最高で2m55cmに達した。この津波で、北海道では釣り人2名が行方不明となり、うち1名の遺体が2005年に発見された。また北海道では、津波が川を10km以上も逆流する現象も発生した。津波による行方不明者の他には今回の地震による犠牲者はいない。
この地震の被害は釧路市が最も大きな被害を受け、釧路港などでは液状化現象が多数発生した他、道東の各地方都市と釧路市を結ぶ鉄道、国道が途絶し復旧には数ヶ月を要した。また、地震直後及び2日後に苫小牧市にある出光興産北海道製油所で石油タンクの火災があった。これは、震源からやってきて苫小牧周辺の堆積平野で増幅された長周期地震動の周期と石油タンクの固有周期が一致し、石油タンクの内容物が共振するスロッシングと呼ばれる現象が発生し、浮き蓋の上に溢れ出した重油やナフサが浮き蓋と側壁の接触により発生した火花に触れて引火することによって引き起こされた。地震後、このような巨大地震によってもたらされる長周期地震動による大規模構造物の被害が注目された。