協調運転
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協調運転(きょうちょううんてん)とは、保安上・その他運行上の理由で電車と気動車など動力形式が別の種類の列車を、運転時の制御形式を揃えるなどして、それらの動力を協調させて運転させる仕組みならびにそのような運転のことである。
[編集] 電車と電気機関車の協調運転
1997年(平成9年)9月30日に廃止された信越本線横川駅~軽井沢駅間の碓氷峠越えで電車と電気機関車の協調運転が行われていた。
この区間の場合、勾配66.7パーミルを含む区間であることから、この区間専用の電気機関車であるEF63形により牽引していた。しかし、保安上の理由によりEF63形での牽引両数が8両に制限されていたため、輸送力増強のためにEF63形と協調運転可能な電車(169系、489系、189系)が製作された。これにより、最大編成両数が12両となった。なお、客車列車・貨物列車がこの区間を走行する場合は、上り線のみ、信越本線区間用の機関車であるEF62形とこの区間専用のEF63形との協調運転を行っていた。
[編集] 電車と気動車の協調運転
元々は、旧国鉄が、気動車による多層建て列車を多数運行していた昭和40年代より研究されていた分野である。当時、気動車による多層建て列車を運行していた背景として、ローカル線と幹線との直通列車の要望が高かった事がある。しかし、同時に幹線において電化工事が行われたことにより、電車に比して速度が遅い気動車列車を運行する事でダイヤグラムを引く際に気動車列車のことを考慮に入れると前後の電車列車との間に余裕を見なくてはならないことや、何らかの運行に支障をきたす障害が起きた際に回復させる能力が速度の違う列車が運行されることでその列車に合わせなくてはならない事から、電車牽引による気動車列車の運行の可否及びその効果について研究されていた。
当時は、急行列車がいわゆる優等列車として標準的であったことや、運用上多かったことから急行形車両とされたキハ58系と165系とで試験を行った。しかし、良好な結果が得られなかった事から採用が見送られた。
再び脚光を浴びたのは1986年(昭和61年)12月27日に運行を開始した北陸本線と当時全線非電化であった七尾線を結ぶ「ゆぅトピア和倉」の運転の際である。すでに、大阪駅発着の北陸本線昼行急行列車は全廃し、エル特急「雷鳥」がその代わりであった。その為、485系にキハ65形を連結する形を採用。しかし、正確にはキハ65形気動車側が無動力の形で運行された。この列車は七尾線の電化開業に伴い、1993年(平成5年)8月31日で運転を終了している。
実際に電車と気動車の協調運転として気動車のディーゼルエンジンを動かして運行されたものとしてJR九州が保有するキハ183系1000番台が新製された際に「オランダ村特急」として485系と運行された事例が挙げられる。(1989年(平成元年)4月29日~1992年(平成4年)3月24日)
1997年(平成9年)3月22日よりJR北海道で、電車と気動車の動力を総括制御したものとしては初めてである、731系とキハ201系との協調運転が始められた。2007年04月現在、電車と気動車の協調運転はこれが日本では唯一である。