国鉄キハ65形気動車
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国鉄キハ65形気動車(こくてつキハ65がたきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した急行形気動車の一形式である。
キハ65形気動車 | |
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国鉄色のキハ65形34
(讃岐財田駅にて2007年3月25日撮影) |
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最高速度 | 95km/h |
最大寸法 (長/幅/高) |
20,800×2,903×4,085mm
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機関出力 | 500PS/1600rpm DML30HSD型×1/両 |
駆動方式 | 液体式 |
変速段 | 変速1段・直結1段 (DW9) |
台車形式 | 空気バネ式台車 DT39(動台車) / TR218(従台車) |
ブレーキ方式 | 電磁自動空気ブレーキ |
保安装置 | |
備考 | 諸元は新製時の値。 |
目次 |
[編集] 沿革
国鉄は1961年から急行列車用にキハ58系を大量増備し、このグループについては1960年代中期以降、冷房の搭載が本格化した。しかしキハ58系はエンジンが低出力であるという根本的問題を抱えており、急勾配線で運用される場合には、走行用エンジンの基数確保と冷房電源供給エンジン搭載スペース確保との相反する制約に伴う、出力不足の問題が顕著となった(国鉄キハ58系気動車#冷房化・出力不足の問題を参照のこと)。
この問題に対応するため、勾配路線のキハ58系急行列車編成に増結してブースター的な役割を持たせる目的で開発されたのがキハ65形である。当初から冷房付きで、キハ28形同様の冷房電源装置を装備し、かつ、大出力の走行用エンジンを搭載した。
試作車両のキハ91系気動車をベースとしながら、1969年から1972年に掛けて暖地仕様(0番台:1~86)及び寒地仕様(500番台:501~518)の合計104両が新潟鉄工(現・新潟トランシス)・富士重工・日本車両で製造された。
[編集] 諸元
床下に過給器付きの水平対向12気筒30リッターディーゼルエンジン(DML30HSD 連続定格500PS/1600rpm、最大出力590PS/2000rpm)1基と冷房電源装置を設置している。これはキハ58形(DMH17H 連続定格180PS/1500rpm×2)と比較しても1.4倍になる大出力であった。液体変速機は1段3要素型のDW9形であるため、0km/h付近の低速ではキハ58と同等の引張力となってしまうが、中速域や直結段ではその大出力から来る強い引張力が発揮されるようになる。
併せて、自車を含め3両分の冷房電源を供給できるディーゼル発電機「4VK型発電セット(4VK型ディーゼルエンジン+DM83A型発電機・ダイハツ製)」1基を搭載した。無論当初の目的から冷房化されており、屋上にAU13形ユニットクーラーを7基搭載している。
台車はディスクブレーキ付きで、2軸駆動のDT39と付随台車のTR218(80~86はそれぞれDT39A、TR218A)を使用。この台車は揺れ枕を廃して車体を直接ダイヤフラム形空気バネで支える方式である。ブレーキシステムはキハ58系のDAE系電磁自動ブレーキに中継弁を付加したDARE1電磁自動空気ブレーキになった。
トイレと洗面所設備は省略された。実際の運用においては、全車にトイレと洗面所を備えたキハ58系との混結が前提であったことによる構造簡略化・軽量化のための措置である。
客室窓はキハ58系の一段上昇式から上段下降・下段上昇式のユニット窓となり、また、客用扉は、台車形状の関係で戸袋を設けられないという物理的な理由もあり、キハ181系と同様に2枚式折り戸を用い、戸袋を廃して軽量化を図っている。
設計上、車体構造は同時期の12系客車と共通点が多く、車体端部の面取り(絞込み)や雨樋の位置といった、車両限界をフルに活かすための工夫も同じである。
[編集] 運用
当初は中央本線や四国・九州地区の各線などで使用されてきたが、中央本線運用車は後に急行「アルプス」の電車化に伴い関西本線・山陰本線・高山本線などへ転用された。
この関係から、JR化の際には分割後のJR東日本エリアには配置が皆無だった。また、北海道仕様は存在しない。その為、寒冷地用も含めて、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州の4社のみが継承している。
[編集] 現況
大出力エンジンによる走行性能の余裕を買われ、JR移行前後に大規模な改造を受けた車両も存在したが、急行列車の削減や老朽化に伴い、近年は急速に数を減らしている。特に、オリジナルに近い車両は四国旅客鉄道(JR四国)に数両と九州旅客鉄道(JR九州)に1両が残るのみとなった。
多気筒大出力エンジンは保守・点検の面では必ずしも有利とは言えず、ローカル運用には性能過剰な面もあった。またトイレを装備しない関係で運用に制約が生じた一面もあった。これらの背景から比較的早くに廃車が進み、現存数は少ない。
[編集] 改造車
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- 急行「かすが」と快速「みえ」の運転用にキハ58形とともに室内をリクライニングシート化された。塗装もクリームにオレンジのラインと一新した。また、「みえ」では110km/h運転を行うため、台車枠を交換しC-DT39CとC-TR218Cとなった。このため、前者は3000番台、後者は5000番台と区分されたが、キハ75形に置き換えられ、消滅した。
- ゆぅトピア和倉(国鉄→JR西日本、2両、消滅)
- 1986年に、七尾線直通の不定期特急「ゆぅトピア和倉」に使用するため改造された2両編成のジョイフルトレイン(グリーン車扱い)である。グリーン車への格上げにより、形式はキロ65形に改められ、番号はトイレ付きが1、トイレなしが1001となった。国鉄時代唯一のキハ65形に対する形式番号の変更をともなう改造例である。
- 先頭部は、キハ59形「アルファコンチネンタルエクスプレス」に準じた形態の高床式の前面展望式に改造、側窓は固定化された。座席もフルリクライニングシートに交換されている。1はトイレ取り付けにともない、冷房電源用発電機を取り外している。
- 最大の特徴は、大阪~金沢間で特急「雷鳥」と併結して120km/h走行を行うため、そのための装備を行なっている点で、485系電車との連結のため連結器を密着型に、台車をDT39BとTR218Bにそれぞれ交換している。併結時は無動力で牽引され、ブレーキのみ協調した。単独運転時の最高速度は95km/hのままである。塗装は青と白に金の斜線というものだった。
- 七尾線直通車として使用されていたが、同線の電化により団体臨時列車用に転用されたが、その後、故障を起こしたのを契機に、1995年3月に廃車された。
- ゴールデンエクスプレス アストル(JR西日本、2両、消滅)
- 前出の「ゆぅトピア和倉」の予備および団体臨時列車用として、1987年に改造されたジョイフルトレインである。形式番号は、キロ65 551および1551に変更された。
- 基本的な構成や機能は「ゆぅトピア和倉」に準じるが、角に丸みが付けられ、展望室部分の側窓も屋根肩部に達する曲面ガラスとされている。こちらは団体向けの臨時列車に重点を置いており、中間にラウンジカー(半室)として、キロ29形を挟んでいる点が大きく異なる。塗装はゴールドと白に青とピンクの帯が入っていたが、現在はオレンジと白に変更されている。2006年11月に臨時快速「ありがとうアストル」号が運転され、同年12月に引退した。
- なお、現在の中間車キロ29 554は2代目で、初代の552は1998年に廃車されている。
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「エーデル丹後」(JR西日本、2両)
- 前記2種類のジョイフルトレインと同じく、電車連結改造が施されたジョイフルトレインで、1988年に改造された。こちらは、福知山線の電車特急「北近畿」(183系電車)に併結して、福知山から宮福鉄道(現・北近畿タンゴ鉄道)宮福線に乗入れる臨時特急「エーデル丹後」として運用された。
- 展望室部分は角が完全になくなり、側面の窓は階段状の座席に合うように台形にされた。それ以外の部分の窓も座席配置に合わせて拡大され、展望性が向上している。全2車がグリーン車であったのに対し、こちらは普通車であるのが大きく異なるが、特急として運用されるため、座席は回転リクライニングシートに交換されている。
- キハ65だけで編成を組むため、片側にトイレが取り付けられ、車番はトイレ付きが600番台(601)、トイレなしが1600番台(1601)に改番された。
- 塗装は白にピンクと水色のラインと一転してさわやかなものになっている。北近畿タンゴ鉄道への乗り入れ用として使われた後、「タンゴディスカバリー」(北近畿タンゴ鉄道KTR8000形気動車)に役目を譲り、波動輸送、団体輸送用に転用されている。
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シュプール&リゾート(JR西日本、4両)
- 冬場の「シュプール号」に使用するため、1989年に改造された車両である。その他の時は臨時列車として使用され、電車との併結機能も備える。また、多客時はエーデル丹後の中間車となることを前提としたため、機器類はエーデル丹後と同じ改造がなされたが、前面は貫通式のままとなっており、側窓の拡大も行なわれていない。そのため、トイレ付きは610番台(611, 612)、トイレなしは1610番台(1611, 1612)と区別された。前面では、ライトの移設(元の種別表示窓の部分に3灯)や左側(助士席側)窓の拡大が行われており、印象は変化している。また、610番台からは冷房電源が取り外された。2編成4両が本グループに属するが、第2編成(612, 1612)の走行装置は改造当初は後述の「エーデル鳥取」と同仕様であり、712, 1712と称しており、1990年の改造により現番号となった。
- 塗装は第1編成が白にピンクとライトグリーンのライン、第2編成が白に黄と水色のラインで、連結時に統一感が出る様に配慮されている。
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「エーデル鳥取」(JR西日本、5両)
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- 1988年、山陰本線城崎駅(現・城崎温泉駅)以西の非電化地区への直通運転用に改造された車両で、姿はエーデル丹後に準じるが、こちらは単独運転をすることとなり、電車連結改造はなされていない。
- 5両が改造されたが、このうち展望室が取り付けられたのは2両のみで、残りは原形前面のままで中間車代用とされた。また、連結器だけは密着型に取り替えられており、丹後やリゾートと連結することもある。運用消滅後も団体用として残っているが、721は廃車となった。餘部鉄橋を見るための観光列車「あまるべロマン号」に使用されることもある。
- 塗装は白に水色のラインで展望部のみが赤色。付番の仕方は丹後、リゾートを踏襲しているが700番台となり、展望室・トイレ付きが700番台(701)、展望室付きのトイレなしが1700番台(1701)、トイレ付きの中間車が710番台(711)、トイレなしの中間車が1710番台(1711)、トイレと冷房電源の両方を持つ中間車が720番台(721)となっている。
- 「エーデル北近畿」(JR西日本、6両、消滅)
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- 1989年、「エーデル鳥取」の増強と「北近畿」の運転区間延長のために改造された車両である。塗装は、「エーデル鳥取」の塗色を反転したもので、展望室まわりが青、帯が赤である。車体の改造は、「エーデル鳥取」に準じる。
- 一方で、走行機器は全く改造されておらず、最高速度は95km/hのままである。連結器は原形の小型密着自動連結器のまま存置されており、600番台、700番台の各車との連結はできない。
- 番号は、展望室・トイレ付きが800番台(801)、展望室付きのトイレなしが1800番台(1801)、トイレ付きの中間車が810番台(811, 812)、トイレなしの中間車が1810番台(1811, 1812)である。種車は、同社で保有していたキハ65形すべてを合わせても所要数が足りず、不足分をJR四国から購入している。その中には、キハ65 1も含まれていた。
- このタイプは、一時期だけだが座席定員制列車「ほくせつライナー」(現在は特急「北近畿」に吸収。大阪行きのみ)に使用されていたこともあり、正面運転台真下の表示幕部分が容易に転換できるよう、バス汎用品を使用した電動式となっていた。
- 他のジョイフルトレインとの互換性がないことから、後にキハ58形に砂丘用と同等の改造を施して増結用7300番台(7301)として編入し、エーデル廃止まで使用していた。
- エーデル運用を失った後も、夜行急行「だいせん」に転用され、3両程度で運用に就いていたが、2004年10月15日のダイヤ改正での「だいせん」廃止と運命を共にして、全車が廃車されている。
- 「よしの川」(JR四国、最大39両、消滅)
- 快適性向上のため、座席をバケットシート化したものである。塗装はJR四国標準色のクリームと水色。なお、「最大」としたのは全車が常に「よしの川」運用に就いていた訳ではないこと、本数削減などにより廃車となった車両があることからである。廃車となった車両のうち4両はJR西日本に、6両はJR九州にそれぞれ譲渡されている。
- 「よしの川」は廃止となったが、その後も普通用として残存している。同社のキハ58形・キハ28形のうち過去には転換クロスシート、回転クロスシート、回転リクライニングシート設置改造車(いずれも現存しない)がいたり、現在は一部ロングシート設置改造車がいるが、同社のキハ65形には同種の改造が行われた車両はない。
- 今の所安泰だが、1500形が登場したため、数年以内には消滅、又はそれに近い状態になる予定である。
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ゆふいんの森(I世)(JR九州、2両)
- ジョイフルトレインとして使用するため、車体は完全に新造のものに取り替えた。機器類のみを流用している。そのため、一見して元キハ65形と全く分からない姿になった。「ゆふいんの森」は4両編成だが、キハ65形を種車とするものは先頭車のキハ71形2両で、中間車キハ70形2両はキハ58形からの改造となっている。
- 最近になり、スピードアップのために機関換装工事を受けており、種車の面影は一層薄くなっている。詳しくはJR九州キハ71系気動車の項目を参照のこと。
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TORO-Q(JR九州、1両)
- トロッコ列車の牽引用としてキハ58形と共に改装された。外部は濃緑で、列車名のロゴが入る。相方のキハ58系が元「SSL」車から選ばれたのに対し、キハ65形は一般車を種車としており、内装に違いが見られる。なお、これに使われたキハ65 36はJR四国からの購入車の1両で、これが同社で最後のキハ65形となった。