国鉄485系電車
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国鉄485系電車(こくてつ485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直流特急形車両。
2007年現在、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)が保有している。
1964年(昭和39年)に開発された481系電車の発展型で、1968年(昭和43年)から1979年(昭和54年)にかけて大量増備され、四国を除く日本各地で特急列車に広く用いられた。
本項では、同一グループと見なされる481系(1964年~、交流60Hz対応)・483系(1965年~、交流50Hz対応)・489系(1971年~、交流50・60Hz、EF63形との協調運転対応)の各系列についても記述・解説する。
目次 |
[編集] 車両系列
[編集] 481系
1964年に登場し、北陸本線および関西~九州系統の特急列車向けに直流電化区間と交流電化区間 (60Hz) を直通可能な構造とした交直両用の特急形電車である。北陸本線金沢駅~富山操車場間の電化営業開始にともない、向日町運転所(現・京都総合運転所)に41両を新製配置。同年12月25日(当初は10月1日からの運転が計画されたが、車両落成の遅れなどにより、大事を取ってこの日からとなる)から新設された大阪~富山間の特急「雷鳥」と、名古屋~富山間の特急「しらさぎ」に投入されて運転を開始した。
外観は151系の流れを踏襲しており、先頭車はいわゆる「ボンネット形」であり、その中には151系電車と同じ150KVA電動発電機(MG)と容量3,000 l/min の空気圧縮機 (CP) が搭載されている。ただし、床下機器の寸法の都合により床面高さを近郊形・急行形よりも1cm高い1,235mmとしたため、同様に屋根高さも151系に比べて125mm高く、運転台周りから屋根にかけての造形が若干異なっている。新造時にはバックミラーが取付けられていたが、破損が多く保守困難なため1970年代前半に撤去された。後部にはパンタグラフなどを監視するための窓を運転士側・助士側それぞれに設けた。また使用される路線のホームの高さに合わせるべくドアにはステップが装備されている。
クハ481形先頭部の塗装は、1~8は登場当時スカートを赤く塗装している以外は151系に準じた塗装になっていたが、翌1965年の増備車(9~18)より交直両用車であることを示すべく下部ライトケースの上に赤い「ひげ」もしくは「眉」と呼ばれる塗分が追加されるとともに、スカートの塗色も赤にクリーム帯を付与したものに改められた。これが「交流60Hz区間走行可能編成」であることを表すこととなった(後年変遷が見られる)。
151系電車と同じく、後方防護用として編成後部のクハ481形の前照灯には赤色フィルターを取付け、不時停車時には赤色で交互点滅させる交互点滅回路が設置されている。この取扱はATSの完備等情勢の変化により不要となったため1966年10月のダイヤ改正で181系とともに廃止された。
また、国鉄車両としては側面に初めて自動巻取式の行先表示器(18コマ対応の方向幕)を装備した。ただし就役当初は準備工事にとどまり、従来のサボで代用していた(モハ481・480-1~26、モハ483・482-1~15、クハ481-1~28、サロ481-1~25が該当)。
性能上で重要なのは、電動車に特急形電車としては初めて採用されたMT54系モーター(出力120kW)で、編成MT比1:1でも20‰ 程度の勾配を登坂できるようになり、経済性と輸送力が両立された。M車であるモハ481形には、主制御器に「自動ノッチ戻し機構」搭載のCS15系制御装置も採用。さらに、勾配抑速ブレーキと併せて勾配区間での走行に耐えうる性能が確保されたほか、主抵抗器・誘導分流器などの直流機器を搭載する。M'車のモハ480形には2基のパンタグラフの他主変圧器・主整流器などの交流機器を搭載する。モハ481形の直流機器用電源を供給する「走る変電所」とも言うべき車両で、国鉄交直両用電車MM'ユニットの基本構成として、401系・421系電車から一貫する手堅い方式を採用している。
また、揺枕吊を廃止した新型空気バネ台車DT32・TR69系(電動車はDT32A形、付随車はTR69A形)を装備したので、乗心地が改善された。なおかつ北陸地域での運用に備えて耐寒・耐雪装備が施されている。
この基本的な構成は、483系・485系・489系の各系列にも一貫して踏襲されている。堅実で完成度の高い組合せであることは、485系が津軽海峡線や湖西線などで設計当初想定していなかった130~140km/hでの営業運転を行っていることからも推察できる。
冷房はAU12形ユニットクーラーを1個ないし2個収めた「キノコ形」のケースを屋根上に並べる当時の特急形車両の標準方式である。搭載基数はクハ481形は5基、モハ481・サロ481・サシ481形は6基。ただしモハ480形のみパンタグラフや交流電源機器によって屋根上スペースが不足し、AU12形3基のほかに車室内に設けた機器室に床置冷房装置AU41形を計3基設けた上で補っている。
なお、付随車はサロ481形・サシ481形・クハ481形として設計・製造された。
- 食堂車のサシ481形は基本構造がサシ181形に準ずるものの、回送運転台が調理室側の妻面にも装備されている。食堂定員はサシ151形と同じ40名。調理に電気レンジを使用するため自車給電用として70kVAのMGを搭載。また、本系列では回送運転台装備車両は当形式のみに集約されている。
これらは系列が481系であるが、のちに設計・製造された483系・485系においても付随車は481系のものを使用することになる。そのため485系で誕生したクロについても「クロ481形」となっている。この付随車互換の方針は、1984年以降に他形式から改造され新しい形式を与えられたクロ480形・クハ480形などにも踏襲された。このため483系・485系には専用の付随車が存在しない。ただし、JR化後に登場したジョイフルトレイン用改造車両の一部には485形・484形を名乗る付随車が存在している。
[編集] 形式
- 制御車と付随車については、後述する485系の項を参照。
- モハ481形/モハ480形(1~26)
- 全車新製配置は向日町運転所で、山陽本線・九州島内・北陸特急で使用されたが、1975年に山陽新幹線の博多開業で鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)に転じ、九州内に限定して使用された。1982年の16・22より老朽廃車が開始され、1985年までに全車が廃車となった。一部車両の座席は当時改造が行われていたキハ58系ジョイフルトレイン「らくだ号」用に利用された。
- モハ480形(のちのモハ482・484形をはじめ当時の特急電車に共通)には直流区間での離線対策のため、パンタグラフを2台設置している。ただし、国鉄末期からは架線が傷むのを避けるため直流区間でも偶数(東海道本線基準で神戸側)寄りの第2パンタグラフを使わないケース(九州地区では撤去も行われている)が多くなっている。ただし、JR東日本では、「日光」「きぬがわ」など一部列車で架線霜取のために第2パンタグラフも使用するケースがある。
[編集] 483系
1965年に登場し、すでに交流50Hz電化がなされていた東北方面に直通する特急列車用として開発された形式である。
厳密な意味での本系列はモハ482形・483形の2形式のみで、付随車については481系のままである。481系のモハ480形相当がモハ482形で、差異は搭載する主変圧器が交流50Hz用になっていることである。そしてモハ481形相当がモハ483形である。
基本構造と外見では、クハ481形のスカートが50Hz用を表すためにクリーム1色に変更された以外は481系と同一である。
483系と同時に登場したクハ481形(19~28)は、登場時には481系と同時に登場していたクハ481形と同じタイフォン(警笛)で、カバーはなくスカートの穴に網を取付けたタイプになっていた。しかし、483系は雪の多い東北地区を走行するため、後になって回転式のタイフォンカバーを改造で設置している。さらに485系の登場後はタイフォンの位置をスカート部からボンネット部に移設する改造が行われている。また屋上前照灯カバーについてもホイッスル部のスリットから雪が入って中に溜まるのを防ぐため、カバー後方を切欠いている。
仙台運転所(現・仙台車両センター)に配置され、1965年10月のダイヤ改正から、上野~仙台の特急「ひばり」と上野~盛岡の特急「やまびこ」に投入され、以後東北本線・常磐線系統の特急列車専属で運用された。
[編集] 形式
- 制御車と付随車については、後述する485系の項を参照。
- モハ483形/モハ482形(1~15)
- 1982年の8から老朽廃車が開始されたが、12~15は1985年に仙台運転所から勝田電車区(現・勝田車両センター)に転属し、JR東日本に承継された後、1990年まで使用された。
- このグループのクハ481-26が、勝田車両センターの訓練車編成に組込まれていた。同車は国鉄時代に前照灯がシールドビーム化改造されている他、側面外気取入口の数が他車より少ないなどの差異がある。
[編集] 485系
国鉄が「ヨンサントオ」と名付けて大々的に宣伝活動を展開した1968年(昭和43年)10月1日の白紙ダイヤ改正に合せて登場した形式である。483系と同様に新規形式は電動車のみで、モハ484形・485形の2形式である。また、485系の登場後に481系にも2つの新製形式が登場している。
まず、基本構造は481系・483系と大差ないが、搭載する主変圧器が交流50Hzと60Hzのいずれにも対応できるTM14形となり、「電化区間ならば車両限界が矮小な中央本線・身延線以外はどこにでも直通できる」ようになった3電源形である。しかし、TM14形は絶縁油に PCB(ポリ塩化ビフェニル)を使用していたため1972年以降に製造中止となり、代わりに絶縁油にシリコン油を使用し、TM14形と互換性のあるTM20形が開発され、新造車では1974年製の1500番台(後述)から導入され、それ以前に製造の車両にも交換が施工されている。
この機能が1本の列車運用で活用されたのは、1972年から2001年まで大阪~青森を運転した特急「白鳥」のみである。むしろこの485系登場の真の狙いは、将来の全国に渡る広域転配を考慮したものであり、1975年~1976年には奥羽特急「つばさ」に南福岡電車区で長崎本線・佐世保線電化工事の遅れから遊休状態だった車両を一時的な転属で充当させ、1982年の東北・上越新幹線開業による東北特急網再編の際には多数の485系が北陸・九州へ転属している。
2007年現在でもJR東日本新潟車両センター配置車は3電源直通こそしないものの「いなほ」と「北越」が共通運用されており、3電源形の特長が活かされている。
485系の製造期間は冒頭の通り長期に及び、その間に大きな改良や特殊な派生形式の設定などが行われている。以下では、485系の一部として製造された481形付随車も含めて記す。
[編集] 基本番台前期形
1968年から製造された初期型で、外見は481・483系とほとんど同じである。先頭車はボンネット形、冷房装置はきのこ形ケース入りのAU12形である。台車は481・483系から引き続いて、電動車がDT32A形、付随車がTR69A形であるが、1972年以降製造車は空気バネをベローズ式からダイヤフラム式に変更したDT32E形、TR69E形となっている(MM'ユニット62~96、付随車はクハ481-105~126、サハ481-14、サロ481-36~51、サシ481-29~39が該当)。
クハ481形(29~)のスカートの色は、50Hz用の編成のものと同じクリーム1色のものが採用されている。483系ではクハのタイフォンに耐雪用の蓋を付ける改造が必要となったことを踏まえ、当初から開閉式カバーをスカート部のタイフォンに設けている。東北地区の特急に使用されていたクハにおいては後にタイフォンの位置をボンネット上に移動しており、関西地区に配置されていたものとの区別が可能になった。なお1969年製の30より外気取入口のスリットが横型から縦型となっている。
1980年より当時九州に配属していたクハ481-33・35・37・39の4両は、サービス向上の一環として、運転台仕切にスクリーンを設置、床面をひな壇式に改造してビデオ上映サービスが行われた。出入口付近には「ビデオ特急」のステッカーを掲出し、主に「有明」で使用された。しかしJR移行直前に上映を中止し、のちにビデオ機器が撤去されている。
1993年以降「ひたち」に使用されていたクハ481形は、2編成併結の14両編成運転に対応させるために前面スカートの一部を欠取り、連結器の密着型への交換および電気連結栓の設置を行い、先頭車同士の連結を可能とした。その際、制御回路の引通しのためKE70形ジャンパ栓を新設した。上り方は正面向って左側、下り方は右側に設けて、さらに下り方にはジャンパ栓および栓受を設けたため、引通しが片わたりとなり方向が固定された。
[編集] 形式
- モハ485形/モハ484形(1~96)
- クハ481形
- 0番台(1~40)/100番台(101~126)
- クロ481形
- 0番台(1~5)/100番台(101~104)
- サロ481形(1~51)
- サハ481形(1~14)
- サシ481形(1~39)
- クロ481形0番台
- 奥羽本線米沢~山形間の電化と共に「やまばと」と「あいづ」が電車化されることになり「クロ481形」が登場した。これは「あいづ」を運転するためには9両以下の編成であることが必要で、「やまばと」を運転するためには電動車と付随車の比率を2:1以上にする必要があり、両者を共通運用として、なおかつモハを3ユニット確保した上で、食堂車とグリーン車(この当時は一等車)を同時に連結させる必要に迫られたためである。
- それまで東北地区の特急に使用していた483系も同様の編成に改めることになり、余剰となるサロ481形0番台をクロ481形50番台に改造する工事も行われることになっていたため、クロ481形はクロ481形50番台と合わせた設計となっている。そのため、クハ481形0番台よりも全長が短い21,100mmとなっている(こちらを参照)。車掌室、トイレ・洗面所、出入口は後位側に設けられ、定員は36名。冷房装置はAU12形を4基搭載する。また1969年製の5のみ外気取入口のスリットが横型から縦型となっている。
- 全車日本車輌製造が製造、仙台運転所(現・仙台車両センター)に新製配置されたが、1975年以降、1982年までに「みどり」用として南福岡電車区に転じ、うち3両は1984年に普通車(クハ481形600番台)に改造され、5両ともJR九州に承継された。1988年にクハ481-602がクロ481-4に復元されたが、1994年までに全車廃車となった。
- サハ481形0番台
- 「ひばり」「やまびこ」も「やまばと」や「あいづ」と同一編成に改められてしばらくの間使用されていたが、どちらも需要が多いことから「あいづ」と運用をできるだけ分離し、モハユニットを増結する事態となり、それでも需要に応えることができないため、1970年から新形式である「サハ481形」が製造されて編成に組込まれ12両編成化が図られた。
- クーラーは1~14がAU12形、15~19がAU13E形を搭載。1~15が仙台運転所(現・仙台車両センター)に、16~19が金沢運転所(現・金沢総合車両所)に配属された。1972年に1・2がサハ489形50番台に改造(翌年に250番台へ再改造)、3~11は1975年に長崎本線・佐世保線電化用として南福岡電車区に転属、12~19は1978年に仙台車はサハ481形100番台と交換する形で、金沢車は仙台への転出車を補完する形で向日町運転所(現・京都総合運転所)に転属の後、1984年と翌1985年にクハ480形へ改造(後に一部がクハ481形へ再改造)、未改造車は1996年から2000年にかけて全車廃車となり区分消滅した。なお改造後の車両は、19がクハ481-801として京都総合運転所で、16がクハ183-851として福知山運転所で現存する。
- クハ481形・クロ481形100番台
- 1971年から製造されたクハ・クロ481形のマイナーチェンジ形である。前照灯がシールドビームとなり、CP冷却用のみとなった外気取入口にダクト状のカバーが付いた。またスカート部にあった蓋付きのタイフォンはボンネット上に移動している。1971年上半期製造のクハ481-101とクロ481-101はスカート部にタイフォンを設置して登場したが、1973年に他車と同じ位置に改造された。そのためタイフォンの上に0番台と同様の手擦が残っている。それ以外の外見は0番台とほとんど変わりないが、MGが小型・大容量化(150KVA⇒210KVA)されたため、これまでのボンネット内から床下へ移設している。このためCPのみがボンネットに入っている。台車はクロ481形とクハ481-101~104がTR69A形。105~126がTR69E形。
- クロ481形は101~104の4両が製造され、全車とも仙台運転所に新製配置された。クハ481形も101~104がそれぞれ同日に同じ仙台に配置されている。1982年にクロ481形100番台は4両とも南福岡電車区に転属、そのままJR九州に承継され1988年にまたも全車揃って鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)に転属。1995年から1996年にかけて全車廃車となった。
- このグループのクハ481形は26両製造され、前述の101~104が仙台に配置されたほかは、向日町運転所(現・京都総合運転所)に12両、青森運転所(現・青森車両センター)に10両が新製配置された。しかし、青森への配属車は短い車両で3ヶ月、長い車両でも7ヶ月で200番台に振替られて、全車とも早期に向日町に移籍している(理由はクハ481形200番台の項参照のこと)。また、仙台配置の101~104も1985年に向日町に転属しており、翌1986年まで101~126のグループ全車が向日町運転所に集結をしている。なお、余談だが、101は仙台から向日町に転属する間に9日間だけ(1985年3月14日~3月22日)、書類上のみではあるが勝田電車区(現・勝田車両センター)に所属した珍しい経験も持つ。勿論、これは485系電車における「一車両基地への所属期間」最短記録でもある。
- スカートは50Hz用を表していたクリーム1色が正式であるが、109だけはなぜか赤スカート(クリーム帯入り)の60Hz用塗装で登場している。青森に1972年5月に配置され、9月24日には向日町に転属しているが、その間、東北地区~首都圏で活躍しており、異彩を放っていた。
- クハ481形100番台は、分割民営化時に102のみJR東日本(上沼垂運転区→現・新潟車両センター)に承継された他はJR西日本(向日町運転所と金沢運転所→現・金沢総合車両所)に承継された。向日町に配属されたものの多くはのちに「ゆぅトピア」や「ゴールデンエクスプレス アストル」、キハ65形「シュプール&リゾート」車を連結できるように連結器の密着型への交換および電気連結栓の設置などを施工したが、2004年までに全車が廃車となった。
- なお、同時期に製造されたクハ・クロ481形を除く他の485系車両は0番台のままである。
[編集] 基本番台後期形
1972年下半期から1976年まで製造されたグループで、内外装デザインは同時期に製造された183系電車0番台と共通する物などに一新、モハ484形については新たに200番台の番台区分が与えられた。クハ481形については200番台が製造された後、さらにデザイン変更が行われ300番台に移行した。全体的により機能優先の方向へと移行している。また、このグループから側面方向幕のコマ数が18→40コマ対応とほぼ倍の表示が可能なタイプになった(のちに初期形車も40コマ対応タイプに交換された)。台車は、電動車がDT32E形、付随車はTR69E形だが、クハ481-311・313・315~354、サロ481-115~133はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形を履く。
[編集] 形式
- モハ485形(97~255)
- モハ484形
- 200番台(201~345)/600番台(601~614)
- クハ481形
- 200番台(201~263)/300番台(301~354)
- サロ481形(52~133)
- サハ481形
- 0番台(15~19)/100番台(101~118)
- サシ481形(40~76)
- クハ481形200番台
- ボンネットスタイルを廃止するとともに、分割・併合運転を視野に入れて、1972年に登場した183系電車に準じた前面貫通形となった。581系・583系と同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すのは変わりないが、外扉の開閉は空気シリンダーを用いて自動化されている。MGの床下搭載は100番台と同様で、CPも床下に移し容量が2,000 l/min の物になった。ボンネットを廃止したため、客室スペースが伸び定員が8名増の64名となっているにも関わらず、連結面車体長は250mm短い21,000mm となっている。また、この200番台からはユニット運転台が採用された。前頭の列車名表示器は将来貫通扉の左右に幌を押出すシリンダーを設けるスペースを考慮した扉の幅に制約され、小型の正方形で手動式である。なお、正面貫通形ではあるが実際に貫通路を使用するようになるのは1985年に紀勢本線特急「くろしお」の増発用として485系が抜擢された時であり、それまでは200番台同士の併結運転であっても貫通路を使用していなかった。貫通扉を使用する見込みのない車両は腐食防止の観点から外扉を溶接したり、あるいは貫通路を完全に埋込んだりしている。
- このグループは全部で63両が製造されたが、新造時にその2/3に当る42両が青森運転所(現・青森車両センター)に集中配置された(残り21両も向日町運転所に集中配置)。青森には100番台のクハ481形も10両が配置されていたが、新製配置から早い車両で3ヶ月、遅い車両でも7ヶ月以内に200番台車に置換えられ、全車が向日町運転所に転属となっている。これは、当時東北地区で東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島駅で分割・併合させて運転する計画があり、その準備段階として集中配置を行ったためである。しかし、奥羽本線系統は板谷峠の急勾配でM:T比2:1の制約、ホーム有効長の問題、新形式の導入の必要性や輸送量などの諸事情により、分割・併合運転の計画は白紙に戻された。そうなると逆に200番台車の必要性は薄れ、隙間風や居住性の悪さから乗務員からも不評が多くなり、300番台以降の非貫通型のクハを要望する声を受けて、青森のクハ481形200番台車は国鉄時代に全車転出となっている。その結果、国鉄分割民営化時にJR東日本全体でも3両のみ(258・260・261)が上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に承継され、2001年に全車廃車となっている(ちなみにこの3両は分割民営化直前の向日町からの転属車である)。また、このグループは転属が多く、転属経験のない車両は向日町運転所(現・京都総合運転所)に配置された253(2004年廃車)のみである。
- 青森運転所に新製配置された一部車両(203・204・207・208)には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは来たるべく分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものであったが、数度のテストのみで使用されたにとどまり、1976年に撤去されている。なお、この4両は1975年、奥羽本線秋田電化による「つばさ」電車化の際に全車秋田運転区(現・秋田車両センター)に転属、翌年には1000番台投入により南福岡電車区に再転属、さらに1985年の紀勢本線の特急「くろしお」増発のため揃って日根野電車区に三度転属するも1986年には204のみが「北近畿」用に関西に残留し、他の3両は南福岡に復帰、1987年の国鉄分割民営化の際に203・207・208がJR九州に承継されたが2000年までに廃車、204がJR西日本に承継され、1987年にクロハ481-214に改造、さらに1990年に183系化改造によりクロハ183-801となり、現在は福知山運転所のB41編成で活躍している。また、この車両は踏切事故復旧時に前面貫通扉を埋込んでいるが、スカートには電気連結器装着時代の痕跡を確認することができる。なお、分割民営化後に西日本、九州所属車の一部に電気連結器、自動解結装置を装着した車両が登場している。
- モハ484形200番台
- モハ484形については、冷房装置や車室スペースに大きな変更があったため、新たに番台を起こしている。1基で1両全体を冷房できるかまぼこ状の集中形冷房装置AU71形を採用して室内の床置冷房装置AU41形と業務用室を廃止した。そのため0番台より定員が8名増加し72名となり、200番台の番号区分が行われた。以後に登場した485系の各番台は、基本的にこの200番台車の仕様を踏襲している。
- モハ484形600番台
- 600番台車は200番台と同じAU71形を搭載したが、長大編成時における編成中間の業務拠点として車掌室と業務用室を設けた。このため定員は200番台より8名少ない64名である。
- 一般に特急列車は編成の中央に食堂車とグリーン車を連結しており、専務車掌室は編成中央部にあるサロのものを使用していた。しかし東北地区の特急ではクロ481形を連結しているため、編成中央部にあるモハ484形0番台のものを使用していたのである。そこでクハ481形200番台が配置された青森運転所の編成は、クロ481形を連結する仙台運転所の編成に近付けるため、グリーン車を2号車に連結して対処した。そのため、編成中央部付近に専務車掌室を持ったモハ484形が必要になったのである。そのため、青森の編成においては中央付近のモハ484形は0番台車か600番台車を連結していた。モハ484形600番台の構造は後の1000・1500番台に受継がれることになる。
- 600番台は、全部で14両製造され青森・仙台のみの配置であった。しかし、分割民営時にまで全国各地にバラバラとなり、JR東日本に承継されたのは勝田電車区の603のみであり、601・602はJR九州に、604以降はJR西日本に承継され、このうち4両は1990年に183系電車モハ182形800番台に改造された。
- 他の中間車
- ここでは、モハ485-97~、サロ481-52~、サハ481-15~19、サシ481-40~について触れる。
- モハ485形および付随車については変更点が冷房装置などの些末なものに限られる故か在来車の続番となった。冷房装置はAU12形よりも出力の大きなAU13E形ユニットクーラーを採用し、搭載数を5基とした。きのこ形のカバーや薄板をプレスした高級感ある車内ルーバーは廃止されて、急行形電車と同一スタイルの機能優先形になった。
- 1990年3月18日、特急「にちりん47号」が踏切事故に遭遇し、編成中のモハ485-229が床に大きな損傷を受けた。復旧には同時期に保留車となっていたモハ485-23の車体を活用したため、冷房装置がAU12形6基という異端車となった。
- サロ481形のうち、1975年製の115・116・122・123・127・128の6両は床下にMG・CPを搭載し、後位車端部に車販準備室・車販コーナー設置といった仕様変更が行われている。
なお本グループの途中、1974年製以降のモハ485-207~255、モハ484-309~345・603~614、サハ481-15~19は座席を従来のT-17系回転クロスシートからR-51系簡易リクライニングシートに変更した。
- クハ481形300番台
- 1974年に登場したクハ481形のマイナーチェンジ車である。基本構造とスタイリングは200番台に準じているが、先頭車は貫通路を廃止している。同番台は貫通路から運転台への隙間風が激しく、乗務員から不評だったことと、併結運用が当時少数派であり貫通路の必要性を欠いていたことがこの形式の登場の一因である。貫通路の関係で200番台では、運転室の居住性が制限されたことなどから、車体長を250mm延長し0番台、100番台と同じく連結面車体長が21,250mmとなり運転室の環境改善と同時に床上スペースが余ったため、助士席下部へ再びCPを戻している。また列車名表示器は大型の長方形で側面方向幕と連動する電動式となった。この前頭デザインは愛好者から俗に「電気釜」とも呼ばれる。
- 普通車の座席は上記のモハ485-207およびモハ484-309以降と同様に従来の回転クロスシートに代わり、わずかに背ずりの倒れるR-51系簡易リクライニングシートとなった。しかし、この座席はリクライニング機能を付加した代わりに回転クロスシートに比べて座り心地が悪く、しかもリクライニングのロック機構がないため背もたれから背中を離すと自動的に背もたれが元の位置に戻ってしまうので、評判は必ずしも良くなかった。
- 1991年には、上野~鹿島臨海鉄道・大洗間において夏季臨時特急「ビーチイン大洗ひたち」の運転が計画され、勝田電車区(現・勝田車両センター)所属となるクハ481形300番台一部車両の密着連結器を密着自動連結器に交換して、非電化区間におけるディーゼル機関車牽引に対応させた。しかし、同年5月14日に発生した信楽高原鐵道列車衝突事故により、「不測の事態への対応がしにくい」等の理由により、数度の試運転を実施したのみで、営業運転での大洗乗入れは実施されなかった。
- なお、余談だが非電化区間への485系営業列車の乗入れは、分割民営化の直前の1987年3月に当時非電化だった豊肥本線熊本~水前寺間で「有明」をDE10形ディーゼル機関車の牽引・推進により、当初はスハフ12形、その後は電源車に改造したヨ8000形28000番台を連結して、毎日運転の臨時普通列車として入線させた実績がある。この乗入れは後に783系投入後も引続き1994年7月まで行われたが、ヨ8000形1エンド側の連結器は双頭連結器を装備していた。
- サハ481形100番台
100番台を付与されているが、1976年登場と時期の関係からクハ481形100番台とは異なり、AU13E形ユニットクーラーや簡易リクライニングシートを装備するなど、車体構造などは300番台に準じている。「雷鳥」の編成増に伴い、サハ481形の後位側に車販準備室・業務用室を設けた形式である。その関係でサハ481形基本番台車とは定員が異なるため(基本番台より8名減の64名)区分が分けられた。床下にMG・CP設置準備工事が施されていたことから、1978年10月の改正で東北地区の特急を3MG編成(編成内にMGを3個設置した編成)化するために一部が移動され、「あいづ」「ひたち」に運用されていた9両編成中のサシ481形を置換えた。後に大部分がクハ481形や183系・189系の先頭車などに改造された。最後は2両が「ひたち」に使用されたが、1998年に廃車されて区分消滅している。この2両は1988年3月から1989年3月にかけて特急「たざわ」の多客期増結用として南秋田運転所に配属された事がある。
[編集] 1500番台
1974年、北海道の函館本線札幌~旭川間の特急「いしかり」用に製造された特別耐寒耐雪形の形式である。
当時、函館本線では711系による急行「さちかぜ」が札幌~旭川間ノンストップの高速運転でビジネス客の好評を得ていた。そこでさらなるサービス向上を期してこの区間向けの新型特急車が同形式の設計をベースにして計画された。しかし、同年に同形式の制御装置に使われている (PCB) の毒性が判明され、その対応のために交流特急車計画は一時頓挫する。それでも沿線からの要望が強いことからとりあえず485系の耐寒構造を強化して北海道に投入することになった。これが1500番台である。
先頭車は300番台と同様の非貫通型だが、運転台上のヘッドライトは降雪時の視認性向上のため2個に増設、精悍な外観となり、さらに北海道に送られてからの1976年にテールライトが巻き上げて付着する雪に遮られて見えなくなるために、車体内側からライトを交換する標準タイプから車体より突出したランプステーを取付けて外からライトを交換する外付式に苗穂工場で改造した他、前頭部連結器を密着自動型に交換、暖房装置の強化・凍結防止ヒーターの増強などが施された。なお、「いしかり」はモノクラス編成となったため、グリーン車と食堂車は製造されていない。そのため、普通車に専務車掌室や車販準備室を設ける必要があるため、モハ484形1500番台はモハ484形600番台と同様の構成となっている。また6両編成であることから付随車(サハ481形)も製造されていない。台車は耐寒耐雪強化タイプとなり、電動車がDT32G形、クハ481形が路面清掃装置付のTR69G形を履く(本州復帰時にDT32E形・TR69H形に交換)。
1974年に川崎重工と日立製作所の2社で新造されたが、22両全車が札幌運転所への配置である。当初は耐寒耐雪効果の試用を兼ねて日本海縦貫線の特急「白鳥」に使用されたが、名目上は青森運転所(現・青森車両センター)への貸渡しである。翌年に渡道し、7月から新設特急の「いしかり」として運転を開始している。しかし、本州では問題のなかった1500番台も冬季に入ると電装機器を中心に作動トラブルが続出した。可動部品のない無接点制御装置搭載の711系に比べ、485系は制御装置を始め可動部品や接点が多く、酷寒地での凍結に対して脆弱な面があった。また雪の侵入対策が不十分で、北海道特有の細かい雪が出入口から大量に車内に侵入する問題もあった。様々な対策が施されたが、いずれも根本的な解決にはならず、北海道での485系の使用は困難との結論となり、結局711系の技術を発展させた酷寒地用特急車の781系が開発され、試作車が1978年に登場、その後長期運用の結果を反映した量産車が1980年夏に「いしかり」に投入された。
その後、1500番台は本州に戻り、全車揃って青森運転所に転属した。国鉄分割民営化時には全車がJR東日本に承継された。このグループのクハ481形は、その後青森に残った車両と上沼垂運転区(現・新潟車両センター)・南秋田運転所(現・秋田車両センター)に転属する車両に別れたが、最終的には全車とも一度は新潟に転属している。主に東北や日本海側地区で用いられた。JR化後は新潟車を中心に、指定席車両の床面嵩上・側窓の天地方向の拡大・背面テーブル付フリーストップ式リクライニングシートへの交換とシートピッチ拡大などの「グレードアップ改造」を施行され、時に「はくたか」の代走にも使用されたこともあった。1501が1987年にクロハ481-1020へ改造(1999年にクロハ481-3020にリニューアル改造)され、長年青森をベースに活動していたが、2006年に新潟車両センターに転属した。1506も2000年にクハ481-3506へリニューアル改造され、新潟車両センターR24編成の6号車に組まれていたが、2005年12月25日の(いなほ14号脱線転覆事故)で大破した。他の車両は波動用や快速「くびき野」用として残るのみであったが、2006年5月の「くびき野」編成変更に伴い、ステップ埋込みなどの小変更を施された専用編成のT21・T22編成は運用を離脱、T21編成組込のクハ481-1507は廃車となり、クハ481-1502・1503を含むT22編成にT21編成の電動車を組込んで14系和式客車「浪漫」老朽取替用ジョイフルトレイン「彩(いろどり)」の改造種車として長野総合車両センターへ転属し、改造終了後の2007年1月21日より営業運転を開始している。また、この改造によりグリーン車(ハ⇒ロ)に等級変更も同時に行われた。
2002年に勝田電車区(現・勝田車両センター)に転出した車両(クハ481-1504・1505)は関東地区では滅多に見られない「上沼垂色、しかも1500番台」であるため、転入直後に大きな話題となったが、現在は新塗装に変更されている。
JR化後も秋田・青森ベースで活躍した1508は、1985年にJR化前の広域転配の輸送車として鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)にも足を踏入れており、電化区間の最南端と最北端どちらにも足跡を残しているという貴重な車両である。さらに現在まで山梨県、三重県、鳥取県、島根県、香川県、徳島県、愛媛県、高知県、長崎県、大分県、宮崎県と普通鉄道のない(モノレールは存在する)沖縄県を除く35都道府県を走行しているが、これは日本の鉄道用電車としては最多都道府県を走行している。2000年には新潟に転属し、現在は新潟車両センターT18編成の6号車として組込まれている。余談だが、この車両は2度目の青森所属時代にATS-P形を装着しており、時折「ムーンライトえちご」に投入され、首都圏で確認することもできる。
- クハ481形1500番台の現状(国鉄分割民営化後は全車JR東日本に承継・所属)
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- クハ481-1501⇒クロハ481-1020⇒クロハ481-3020(新潟車両センター「R28」編成)
- クハ481-1502⇒クロ481-1502(長野総合車両センター「N201」編成、ジョイフルトレイン「彩」)
- クハ481-1503⇒クロ481-1503(同上)
- クハ481-1504(勝田車両センター「K60」編成)
- クハ481-1505(同上)
- クハ481-1506⇒クハ481-3506(新潟車両センター「R24」編成、2005年12月25日羽越本線特急脱線転覆事故で大破)
- クハ481-1507(最終所属新潟車両センター「T21」編成、2006年6月廃車)
- クハ481-1508(新潟車両センター「T18」編成)
一方、MM'ユニット7組14両は全車動きが一貫しており、1985年2月に青森から向日町運転所(現・京都総合運転所)に転属、さらに1986年11月1日には上沼垂運転区に再転属。全車グレードアップ改造が施工されたが、2001年から2002年にかけて老朽化のために廃車。これほどまで運命を共にしている車両も珍しい。
[編集] 形式
- モハ485形/モハ484形(1501~1507)
- クハ481形(1501~1508)
[編集] 1000番台
1976年、奥羽本線の山形~秋田電化に際して登場した形式である。この区間の電化自体は1975年11月に完成しており、同年に予定されていた長崎本線と佐世保線の電化工事の遅れのため休車扱いとなっていた200番台車を一時的に充当して電車特急「つばさ」の運転を開始している。
485系は元々耐寒設計ではあったが、それでも冬期の東北・北陸方面ではしばしば寒冷が原因の故障を起こした。これに対し1500番台および1974年登場の183系1000番台の耐寒装備をベースに本州向けの耐寒耐雪強化形として製造されたのが1000番台である。床下機器の配置の見直しや密閉化、クハ481形では乗務員室の暖房強化等の設計変更が行われている。その中のひとつが3MG化であり、サロ481形では前年製造の115・116・122・123・127・128に続いてMG・CPの増設などが行われ、しかも運転席からMGの給電区分を変更できるなど、トラブルに即応できる重装備となっている。そのための回路が増えたことにより引通線も増設されたため、クハ481形1000番台はそれまでのクハ481形と異なり方向を転換して使用することができなくなった(後年、改造で方向転換を行った車両もある)。モハ484形1000番台は業務用室を設置したモハ484形600番台の構造を取入れているが、1000番台ではサロにもMG・CPを設置したためそれが編成中央に連結されることとなり、専務車掌室の確保というモハ484形600番台の目的とは事情が異なっていた。モハ484形1000番台における業務用室は、将来のモノクラス化によるグリーン車の専務車掌室の消滅や、食堂車廃止時の車販準備室確保用としての意味合いが強いものであった。台車は電動車がDT32E形、付随車がTR69H形を履く
1979年6月19日付落成のモハ485/484-1085~1088、クハ481-1040~1043をもって長きに渡る485系の新造に幕を閉じた。
本区分番台では食堂車は製造されず、所要となるサシ481形は基本番台後期形車両の一部(57~59・61~63・65~67・75・76)とサシ489形から改造の80番台に引通線増設などの対策を施工の上で充当した。
なお、クハ481-1013以降、モハ485/484-1025以降は座席のリクライニングが背もたれを倒した状態でロックすることが可能なR-51BN形簡易リクライニングシートに改良された。
1988年の津軽海峡線開業により、青函トンネルを通過する青森運転所の車両では、モハ484形の第1パンタグラフを高速走行に優れたPS26B形への換装と、先頭車へのATC-L形設置およびこれにともなうCPの床下移設が行われている。
[編集] 形式
- モハ485形/モハ484形(1001~1088)
- クハ481形(1001~1043)
- サロ481形(1001~1008)
[編集] 3000番台
1996年から2001年にかけて、JR東日本が1000番台車を中心に行ったリニューアル改造車である。改造内容は、グリーン車はクロハ481形はシート交換(座席配列は4列シートのまま)、サロ481形は種車が3列シート化等を施工のグレードアップ改造車のためモケット張替を施工。普通車のシートもフリーストップリクライニングと座面のスライドが可能な物に交換(シートピッチは910mmのまま)。室内は、グリーン車が新幹線200系電車と同様の荷棚への交換(カーテンキセを含めたFRPカバーも交換)。普通車も新タイプの荷棚への交換のほか、喫煙車への空気清浄機の取付やモハ484形の一部車両に車椅子対応座席の設置などのバリアフリー化、モハ485形の一部車両への車販準備室と電話室の設置も行われている。全車に共通した改造内容は、外板塗装の変更。側窓の下辺を台枠から845mmとし、窓を大型化、同時に窓ガラスの内側取付ユニット化。化粧板の張替。出入台照明のダウンライト化。貫通引戸と側引戸をハニカム構造で軽量化を図った物に交換。扉ストッパーのキャッチャ式化。電気式となるパルサーチの検知方式を採用し、客室仕切戸を自動化(ドア挟み防止センサーも内蔵)。出入台と運転室の床敷物をノンスリップタイプに交換。各車両の仕切戸と妻引戸上部に電光表示の室内案内情報装置、号車番号案内装置、禁煙表示装置の設置。行先表示器のLED化。トイレは真空吸引式洋式に交換。洗面所スペースを撤去し、ユニット式男子トイレを新設。洗面所は小スペース用のユニット方式へ変更などが施工されている。またモハ484形では、遮断器が空気式 (ABB) から真空式 (VCB) に変更されている。
この改造で大きく変わったのは、先頭車のクハ481形、クロハ481形で従来の運転台屋根部分をすべて撤去し、新しい屋根構体に載せ換えて前面ガラスを1枚の大型ガラス化。前面にFRP製マスクを取付し、前面愛称表示機をLED化。さらには、スノープラウ部分のカバーを取付、前灯も変更したためにデザインが大きく変わり、大幅なイメージチェンジとなった。また、補助電源もMGからSIVに交換。CPも容量が2,000 l/min から静音タイプの2,500 l/min へ増大した物に交換した。
改造施工は、土崎工場(現・秋田総合車両センター)と青森運転所(現・青森車両センター)東派出所。ただし、青森での改造は中間車のMM'ユニットのみで最終の塗装行程は土崎工場で行っている。9両編成2本、6両編成12本と増結用MM'ユニット3組6両の96両が改造され、青森運転所と上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に配置された。新潟の9両編成は主に「はくたか」で使用されていたが、運用変更で6両編成に組直されることになり、サロ481形は現在保留車となっている。また、新潟のR24編成も2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故により大破し、現在は物的証拠として警察に押収されており、保留車となっている。
また、この区分番台は車内放送のオルゴールがクラシック音楽の名曲となっている。(ヨハン・シュトラウス2世「美しく青きドナウ」、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「主よ人の望みよ喜びよ」、アントニオ・ヴィヴァルディ「春」、フェリックス・メンデルスゾーン「春の歌」など)
現在、青森車両センターには6両編成(A編成)6本と増結用MM'ユニット4組8両の44両が配置され、「白鳥」「つがる」で運用されている。また、青函トンネルを走行する運用が組まれているために全編成の先頭車にATC-L形を搭載。モハ484形は第一パンタグラフを高速走行対応型のPS26B形へと交換している。
なお2006年には、旧A9編成のクロハ481-3020、クハ481-3350、モハ485・484-3056の4両が、JR羽越本線脱線事故による車両補完のために新潟車両センターに転属している。
新潟車両センターには6両編成(R編成)8本(うち1本は保留車)と増結用MM'ユニット1組2両、保留車2両の52両が配置され、「北越」「いなほ」を中心に運用されている。なお、R26・27編成は、9両編成(R1・2編成)時代に「はくたか」運用で北越急行ほくほく線に入線するためにATS-P形を搭載され、波動輸送やまれに「ムーンライトえちご」にも投入され、首都圏でその姿を見ることもできる。
なお、青森車と新潟車について次のような違いがある。
- 外板塗装は、どちらも白と青を貴重にしたものであるが、青森車は若干紫に近い青。新潟車は、側引戸と連結面周辺がアクセント的な要素で緑色に塗装されている。
- クハ、クロハの前面マスク部分の塗装が異なる。青森車は黄色で「North East Express 485」と「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」のロゴが、新潟車は緑色で運転台下付近にJRのロゴマークが入る。また、乗務員扉前に青森車は、先頭部と同じ「North East Express 485」のロゴが入るが、新潟車はかつて「はくたか」運用についていたR26・27編成(旧R1・2編成)のみ翼をモチーフにした銀色のエンブレムが付いている。
- どちらも同じ6両編成で車両構成は同じだが、クハとクロハが逆向きとなる。
- 青森車 (←青森/6号車)ThscMM'MM'Tc(八戸・函館・弘前/1号車→)※4号車に車いす対応車。5号車に車販準備室・電話室。
- 新潟車 (←新潟/6号車)TcMM'MM'Thsc(青森・金沢・新宿/1号車→)※4号車に車いす対応車。5号車に車販準備室・電話室。
青森駅基準で見た場合、編成的にはクロハが先端で同じ位置になるが、MM'ユニットと号車名が逆向きとなる。
[編集] 形式
この区分番台には、モハ485形・484形、クハ481形、クロハ481形、サロ481形のみ。
なお、この書体は、JR羽越本線脱線事故による保留車(新潟車両センターR24編成)。
- モハ485形
車番は原番号+2000。定員は72名で変更はない。一部の車両ではトイレを車販準備室に、洗面所を電話室と荷物置場に変更している。
- モハ484形
車番は原番号+2000。一部の車両では第1パンタグラフ低屋根部の乗務員室と一部客室部に車いす対応大型洋式トイレ、反対側に多目的室を新設。客室出入台側に車いす対応座席を2脚設置した。通常車が定員64名であるのに対し、車いす対応車は定員が58名となっている。
- モハ485形・484形ユニットの車番 <3009>・<3014>・(3018)・<3022>・(3030)・<3031>・(3033)・(3034)・<3035>・(3037)・<3038>・3039・(3040)・3044・<3046>・<3047>・<3049>・3050・<3051>・3054・3056・<3059>・(3060)・<3062>・(3065)・3066・<3067>・<3068>・3070・3075・<3081>・3086・<3087>
- ( )は、新潟車両センター所属、モハ484形車いす対応車。
- < > は、青森車両センター所属、モハ484形PS26B形パンタグラフ搭載車。
- クハ481形
クハ481形からの車番は、1000・1500番台からの改造車が原番号+2000、300番台からの改造車が原番号+3000、クロハ481形からの改造車はクハ時代の原番号+2000である。
- クハ481-<3005>・<3006>・<3010>・(3011)・3018・<3020>・<3022>・<3030>・(3034)・3043・3342・3348・3350・3506
- ( )は、新潟車両センター所属、ATS-P形搭載車。
- < > は、青森車両センター所属、ATC-L形搭載車。
- クロハ481形
車番は原番号+2000。定員はグリーン室16名・普通室36名。2006年には、新潟車両センター車にクハ481形3000番台からの改造車(クハ481-3026・3037→クロハ481-3026・3037 改造施工は同所)が登場している。
- クロハ481-3004・3008・3010・<3012>・<3015>・<3016>・<3017>・<3019>・3020・<3021>・3024・(3026)・3027・(3037)
- ( )は、新潟車両センター所属、ATS-P形搭載車。
- < > は、青森車両センター所属、ATC-L形搭載車。
- サロ481形
車番は原番号+3000。グレードアップ改造施工車であるサロ481-106・107に1997年と1998年に土崎工場でリニューアル改造を施工した。「はくたか」に使用されていたが、683系化により現在は定期運用から外れて保留車となっている。
- サロ481-3106・3107
[編集] 訓練車
1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため、保留車を活用して訓練用の編成を整備することになった。そのために485系でもモハ484形を種車にモヤ484形に改造した訓練車が2編成整備され、青森運転所(現・青森車両センター)と勝田電車区(現・勝田車両センター)に次の編成が組成された。
- 青森運転所訓練車編成(A13編成)
- 青森←クハ481-24・モハ485-60・モヤ484-1・クハ481-16→上野
- 勝田電車区訓練車編成(K26編成)
- 青森←クハ481-17・モハ485-61・モヤ484-2・クハ481-26→上野
クハ481形は481系時代に向日町運転所(現・京都総合運転所)に新製配置された車両と483系時代に仙台運転所(現・仙台車両センター)に新製配置された車両が1両ずつ、電動車ユニットは1972年製で仙台→青森→勝田と運命を共にした車両で編成が組まれた。
訓練車編成は、21世紀になると殆ど壊滅的になったボンネット形クハを東日本地区で見られる数少ない存在のためにファンのみならず、人気を得ることになった。そして2001年には勝田所属であるクハ481-17のスカート部分の塗色を赤色にクリームの帯という60Hz走行可能編成仕様に復元している。
2005年に青森車が廃車となり、勝田車も2007年に郡山総合車両センターに廃車回送されたが、モヤ484-2はモハ484-61に復元し、クハ481-26と2両で2007年10月開館予定の鉄道博物館での保存が予定されている。
[編集] 形式
- モヤ484形(1・2)
- 改造施工は1が青森運転所、2が郡山工場。室内は座席を一部撤去して、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用のモニターやビデオを搭載するためのラックが装備されている。外観上は白線2本と「訓練車」の表記が追加され、一般車とは区別されている。
- モハ484-60・61→モヤ484-1・2
[編集] 489系
1972年3月15日国鉄ダイヤ改正で上野~金沢間に信越本線経由で運転する特急「白山」が誕生することになった。しかし信越本線は、横川~軽井沢間に最大66.7‰ の急勾配区間碓氷峠が存在するため、EF63形の推進・牽引による無動力運転が必要となり、通過する電車連結両数が最大8両に制限、台枠・連結器の強化などをする通称横軽対策の必要があった。しかし、EF63形との協調運転を行えば12両編成まで通過可能となるために、169系電車に搭載されていた協調運転用機器を485系にも搭載したのがこの系列である。1971年~1974年および1978年から1979年(サロ489形1000番台のみ)に製造された交直流両用特急形電車である。
基本設計は485系に準じているが、協調運転用装備を追加した結果、付随車についてもクハ489形など別形式となっている。なお協調運転は不能となるが、基本設計の同じ485系と混結することが可能である。
「白山」運転開始から遡ること8ヶ月。1971年7月に先行して11両編成2本が新造され、向日町運転所(現・京都総合運転所)に配置された。当初は、向日町配置の485系と共用されながらも、碓氷峠での試運転や臨時列車等にも充当。「白山」運転開始の直前である1972年1月~2月にサハ489形を組込み、12両編成となった。その後は、485系のデザイン過渡期と同時期に製造されたために、それぞれに対応する区分番台が誕生した。なお、200番台・600番台の途中までは向日町運転所への配置であったが、1973年以降に製造された車両は、金沢運転所(現・金沢総合車両所)配置となっており、向日町所属車も翌1974年4月までに全車金沢へ転属している。
「白山」は運転開始には6M6Tの12両編成を組成しており、全部で14編成が就役したが、1971年~1974年にTc14組28両、Ts28両、MM'ユニット42組84両、Td、Tが14両ずつと編成単位の製造(うち4両は181系、485系からの改造車)が行われた。 その後、3MG化と編成変更のために1000番台車10両が新造され、分割民営化後にJR東日本が2両を485系から改造編入をしており、総車両数は180両。
分割民営化時にはJR東日本とJR西日本に承継されたが、長野新幹線の開業で信越本線の横川~軽井沢間が廃止され、本来の目的を失ったことや老朽化などにより、東日本所属車はサロ481形改造のサロ489形1050番台の2両を除いて廃車。西日本所属車も485系への改造や廃車も進んできたが、金沢総合車両所に34両が、京都総合運転所にMM'ユニット1組、クハ489形600番台1両、700番台2両の5両が在籍。2007年4月現在総計41両が車籍を有している。なお、最近では横軽対策車を示す車号表示前に付く「●」マークを省略した車両も見受けられる。
[編集] 0・500番台
1971年~1972年上期に製造されたグループ。外観は485系0番台と同じくきのこ型クーラーカバーを備えるAU12形を備えているのが特徴である。ただしクハ489形に関しては製造時期からクハ481形100番台(210KVA・MGは床下、CPはボンネット搭載)に準じる。また、クハ489形のうち碓氷峠でEF63形電気機関車と連結する上野方の車両は500番台を名乗り、機関車と連結するため並型自動連結器やジャンパ栓・ブレーキホースがむき出しになっているのが特徴である。1971年上半期製造(先行製造された2編成)の1・2・501・502はスカートにタイフォンを備えるが、3~5・503~505は尾灯横に移動している。1974年から1976年頃にかけて500番台の一部車両でスカートがクハ181形同様グレーに塗られていた時期がある(本来はクリーム4号)。 なお、台車は1971年製造車が電動車はDT32A形、付随車はTR69A形、1972年製がDT32E形、TR69E形。現存車は、モハ489形・488形ユニットが2・4・6・13~15とクハ489-1~3・5・501~503・505の20両。
金沢総合車両所に、現在では営業用として唯一残る特徴的なボンネット形運転台を備えるクハ489形(4・504は2002年に廃車)を含むH01~04編成が在籍しており、さらに500番台は急行「能登」運用の際「レディースカー」として使用されるためトイレの洋式化と洗面所の増設と改良、デッキへの大型円形ミラー取付が施工されている。クハは首都圏乗入れ時に使用されるATS-P形を装備しており、また夜間走行時に車内の減光が可能なことなどから、現在も一部が上越線・北陸本線経由の急行「能登」、宇都宮線(東北本線)・高崎線上野発の「ホームライナー鴻巣・古河」用に使われている。
[編集] 形式
- モハ489形/モハ488形(1~15)
- クハ489形
- 0番台(1~5)/500番台(501~505)
- サロ489形(1~10)
- サハ489形(1~4)
- サシ489形(1~4)
[編集] 200・600番台
1972年下期以降に登場したグループ。485系200番台と同じく先頭車の貫通化やクーラーの変更(AU12形・AU41形→AU13E形・AU71形)などの仕様の変更により登場した形式である。上野方の先頭車は上記の0番台とは異なり+400の600番台を名乗る。600番台はCPを2台搭載している。また、この時より先頭車前面の連結器を並形自動式から密着式に変更した。サハ489形には当初からCPを搭載、台車は電動車がDT32E形、付随車がTR69E形を履く。なお、1972年製の車両は向日町に、1973年製以降の車両は金沢に新製配置となっており、1974年製のモハ488-216~、モハ489-31~、サハ489-9~の座席はR-51系簡易リクライニングシートを装着して落成。クハ489形200番台は2003年に廃区分番台となり、現在はモハ489形・488形ユニット19~22+204~207、26+211、30+215とサロ489-13・23・25・27、クハ489-604の17両が現存する。
[編集] 形式
- モハ489形(16~42)
- モハ488形(201~227)
- クハ489形
- 200番台(201~205)/600番台(601~605)
- サロ489形(11~28)
- サハ489形(5~12)
- サシ489形(5~12)
[編集] 300・700番台
1974年製造のクハ485形300番台の489系仕様の形式である。上野方の先頭車は200番台と同じく+400の700番台を名乗る。 クハ481形300番台と異なり、CPは床下搭載となっている。外見上は助手席下部のCP用機器搬入口が無い事でクハ481形300番台とは区別が可能である。700番台には2台搭載されている。 なお、座席はR-51系簡易リクライニングシートを装着して落成した。クハ489-702・704の2両が京都総合運転所所属で現存する。一方クハ489形300番台は2004年に廃区分番台となっている。
[編集] 形式
- クハ489形
- 300番台(301~304)/700番台(701~704)
[編集] 1000番台
489系ではサロ489形のみに存在する形式である。1978年10月ダイヤ改正より実施の信越本線特急「白山」および同改正より「白山」と共通運用となった上越線特急「はくたか」の8M4T編成による3MG化にともない、MGおよび三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外されるため、これを補うために、サロ481形1000番台に協調運転機能を装備した形で1978年と1979年に計10両が新製された。外観と性能などは同時期に製造されたサロ481形1000番台に準じ、210kVA MGとC2000形CPを搭載する。1004がMGとCPを供出の上101に改造、それ以外の車両も先頭車化改造の種車となったため、1991年に廃区分番台となっている。
[編集] ジョイフルトレイン
485系をベースとして、改造によって誕生したジョイフルトレインは、次に示す車両がある。すべてJR東日本が保有している。
なお、編成全体の詳細はジョイフルトレイン(「リゾートエクスプレスゆう」と「NO.DO.KA/のどか」については183系も)を参照。
[編集] 和式電車
- リゾートエクスプレスゆう
- 1991年3月に当初は欧風電車として登場した6両編成。改造は、クモロ485-2、モロ484-2・3、サロ485-1が大井工場(現・東京総合車両センター)、モロ485-1、クロ484-2が大船工場(現・鎌倉車両センター)。スロ81系和式客車「ふれあい」の置換え用。1998年10月にラウンジ部分を除いて畳敷の和式電車に再改造された。水戸支社が保有、勝田車両センター]に所属。
- 宴
- 1994年6月に東急車輛製造で改造された6両編成。クロ485-1、クロ484-3、モロ485-2・3、モロ484-4・5で構成。大宮支社が保有、小山車両センターに所属。
- 各車両の愛称は1号車から「いこい」「ろばた」「はなやぎ」「にぎわい」「ほほえみ」「へいあん」となっている。
- 華
- 1997年4月に土崎工場(現・秋田総合車両センター)で改造された6両編成。12系和式客車「なごやか」の置換え用。クロ485-2、クロ484-4、モロ485-4・5、モロ484-6・7で構成。大宮支社が保有、小山車両センターに所属。
- ニューなのはな
- 1998年2月に大宮工場(現・大宮総合車両センター)で改造された6両編成。165系和式電車「なのはな」の置換え用。クロ485-3、クロ484-5、モロ485-6・7、モロ484-8・9で構成。千葉支社が保有、幕張車両センターに所属。客室はモロ484形の一部を除いて畳敷座敷とボックス式クロスシートへの転換が可能となっている。
- やまなみ
- 1999年6月に郡山工場(現・郡山総合車両センター)で改造された4両編成。12系和式客車「くつろぎ」の置換え用。クロ485-4、クロ484-6、モロ485-8、モロ484-10で構成。高崎支社が保有、高崎車両センターに所属。次項の「せせらぎ」と併結運転が可能。
- せせらぎ
- 2001年3月に大宮工場(現・大宮総合車両センター)で改造された4両編成。12系和式客車「やすらぎ」の置換え用。クロ485-5、クロ484-7、モロ485-9、モロ484-11で構成。高崎支社が保有、高崎車両センターに所属。「やまなみ」と併結運転が可能
[編集] カーペット車
- NO.DO.KA/のどか
- 2001年に登場した3両編成。1990年に新津車両所(現・新津車両製作所)でサロ189形の改造により登場した「シルフィード」をキハ58系カーペット車の置換え用に再改造した車両。クモハ485-701・モハ484-701・クハ484-701で構成。新潟支社が保有、新潟車両センター所属。
[編集] 座席車

- きらきらうえつ
- 2001年11月に土崎工場(現・秋田総合車両センター)で改造された4両編成。クハ485-701・モハ484-702・モハ485-702・クハ484-702で構成。新潟支社が保有、新潟車両センターに所属。落成当初より転落防止用外幌を備える。

- 彩(いろどり)
- 1995年以来リニューアルを受けながら使用してきた長野支社が保有する14系和式客車「浪漫」の老朽化が進んだため、その置換え用として2006年に長野総合車両センターで4両編成2本を改造(6両化により2両廃車)した。クロ481-1503(1号車:ふじ:りんどう)・モロ484-1024(2号車:こきくちなし:かもしか)・モロ485-1024(3号車:とき:りんご)・モロ484-1007(4号車:びゃくぐん:信州の自然)・モロ485-1007(5号車:ふじ:ぶどう)・クロ481-1502(6号車:とき:カーネーション)で構成。長野支社が保有、長野総合車両センターに所属。(号車:色:テーマ)
[編集] 型式
485系においては、先に設計・製造された483系を含めて付随車は481系のものを使用することになる。そのため485系には専用の付随車が存在しないが、ジョイフルトレイン用に改造された車両の一部には485形・484形を名乗る付随車が存在している。なお全車とも改造車で、車体構体を流用したケースや、下回りだけ流用してまったく新しい車両構体に載せ換えをした車両まで様々である。
[編集] モロ485形
- 0番台
2以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えて、お座敷(和式)電車として誕生している。
- 1は、「リゾートエクスプレスゆう」の中間電動車。種車がサロ189形のため、電動車化を併施している。登場当初の内装は欧風仕様だったが、首都圏の和式列車の需要が高まり、1998年10月に先頭のラウンジ部分を除き畳敷に改装された。和式化で定員が28名→33名と変更されている。更衣室・休憩室を備える。
- サロ189-6→モロ485-1
- 2・3は、「宴」の中間電動車。休憩室と2は更衣室・テレホンカード式公衆電話、3はトイレを備える。
- モハ485-56・37→モロ485-2・3
- 4・5は、「華」の中間電動車。休憩室と4は更衣室とテレホンカード式公衆電話、5はトイレを備える。
- モハ485-87・149→モロ485-4・5
- 6・7は、「ニューなのはな」の中間電動車。6はトイレなし。7はトイレ付。
- モハ485-1017・1076→クモハ485-1001・1009→モロ485-6・7
- 8は、「やまなみ」の中間電動車。更衣室、休憩室、テレホンカード式公衆電話などを備える。
- モハ485-58→モロ485-8
- 9は、「せせらぎ」の中間電動車。更衣室、休憩室、テレホンカード式公衆電話などを備える。
- モハ485-1071→モロ485-9
- 1000番台
- 「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。3号車(定員28名)と5号車(定員22名)に該当する。室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、フルフラットにすることも可能である。3号車 (-1024) にはマッサージチェアとパウダールーム、5号車 (-1007) には車いす対応座席とトイレ、添乗員室を装備した。種車になった現車の等級変更で誕生した区分番台である。
- モハ485-1007・1024→モロ485-1007・1024
[編集] モロ484形
- 0番台
- パンタグラフ付中間電動車で各車ごとで誕生の経緯が異なる。-4以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なり、すべて1基搭載に変更されている。
- 1は、モハ484形700番台のモハ484-701を参照のこと。
- 2・3は、「リゾートエクスプレスゆう」のパンタグラフ付中間電動車。種車がサロ189形のため、電動車化が併施されている。登場当初の内装は欧風仕様だったが、首都圏の和式列車の需要が高まり、1998年10月に先頭のラウンジ部分を除き畳敷に改装された。和式化で定員が32名→39名と変更されている。
- サロ189-7・8→モロ484-2・3
- 4・5は、「宴」のパンタグラフ付中間電動車。低屋根部にミーティングルームを備える。
- モハ484-56・37→モロ484-4・5
- 6・7は、「華」のパンタグラフ付中間電動車。低屋根部にミーティングルームを備える。
- モハ484-87・251→モロ484-6・7
- 8・9は、「ニューなのはな」のパンタグラフ付中間電動車で。低屋根部に8はミーティングルーム・車販準備室・テレホンカード式公衆電話を、9は業務室・多目的室、畳敷への転換機構のない固定クロスシート4組を備える。
- モハ484-1017・1076→モロ484-8・9
- 10は、「やまなみ」のパンタグラフ付中間電動車。低屋根部にミーティングルームを備える。
- モハ484-58→モロ484-10
- 11は、「せせらぎ」のパンタグラフ付中間電動車。低屋根部にミーティングルームを備える。
- モハ484-1071→モロ484-11
- 1000番台
「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。2号車は、室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、フルフラットにすることも可能。4号車は、フリースペースでソファとテーブルを備えている。「BOSE」社製のスピーカーと液晶ディスプレイを設置。車端部に設けられた多目的室は扉で仕切ることが可能。反対側には喫煙室も設置される。種車の第2パンタグラフを撤去し、第1パンタグラフは485系初となるシングルアーム式PS32形を搭載しており、狭小トンネルである中央本線への乗入れを可能としている。種車になった現車の等級変更で誕生した区分番台である。
- モハ484-1007・1024→モロ484-1007・1024(2号車 1024・4号車 1007)
[編集] クモロ485形
-1は、クモハ485形700番台を参照のこと。
-2は「リゾートエクスプレスゆう」の下り(常磐線基準)向き制御電動車。種車がサロ189形のため電動車化改造を併施している。登場当初の内装は欧風仕様だったが、首都圏の和式列車の需要が高まり、1998年10月に先頭のラウンジ部分を除き畳敷に改装された。和式化で定員が20名→21名と変更されている。トイレ・洗面所を装備。
- サロ189-5→クモロ485-2
[編集] クロ481形1500番台
「彩(いろどり)」の制御車。室内は1列+2列の回転リクライニングシートをレイアウトした。運転室背後に談話スペースを設置し、32Vの液晶モニタには前面展望映像も映し出される。前面の愛称表示機も市販の40Vワイド液晶モニタに交換されている。中央本線の狭小トンネル対策のために静電アンテナを後位に移動し、屋根上のヘッドライトを撤去している。種車になった現車の等級変更で誕生した区分番台である。
- クハ481-1502・1503→クロ481-1502・1503
[編集] クロ484形
3以降は構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。
- 1は、クハ484形を参照のこと。
- 2は、「リゾートエクスプレスゆう」の偶数向き制御車。登場当初の内装は欧風仕様だったが、首都圏の和式列車の需要が高まり1998年10月に先頭のラウンジ部分を除き畳敷に改装された。和式化で定員が20名→21名と変更されている。MG・CPを搭載。
-
- サロ183-1008→クロ484-2
- 3は、「宴」の偶数向き制御車。先頭部に展望室を持つ。MG・CPを搭載。
-
- クハ481-22→クロ484-3
- 4は、「華」の偶数向き制御車。先頭部に展望室を持つ。MG・CPを搭載。
-
- クハ481-28→クロ484-4
- 5は、「ニューなのはな」の偶数向き制御車。MG・CPを搭載。
-
- サロ181-1106→サロ481-1506→クロ484-5
- 6は、「やまなみ」の偶数向き制御車。先頭部に展望室を持つ。MG・CPを搭載。
-
- クハ481-34→クロ484-6
- 7は、「せせらぎ」の偶数向き制御車。MG・CPを搭載。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。
-
- サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107→クロ484-7
[編集] クロ485形
すべて構体を新規に製造して載せ換え、お座敷(和式)電車として誕生している。
- 1は、「宴」の奇数向き制御車。先頭部に展望室を持つ。MG・CPを搭載。
-
- クハ481-25→クロ485-1
- 2は、「華」の奇数向き制御車。先頭部に展望室を持つ。MG・CPを搭載。
-
- クハ481-21→クロ484-2
- 3は、「ニューなのはな」の奇数向き制御車。MG・CPを搭載。
-
- サロ481-1007→クロ485-3
- 4は、「やまなみ」の奇数向き制御車。先頭部に展望室を持つ。MG・CPを搭載。
-
- クハ481-40→クロ485-4
- 5は、「せせらぎ」の奇数向き制御車。MG・CPを搭載。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取り付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。
-
- サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105→クロ485-5
[編集] サロ485形
「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。「ゆう」編成では唯一、構体を新規に製作して載せ換えている。編成他車は1998年10月に畳敷に改装されたが、ラウンジカーであった当該車は未施工である。ドーム型の展望席やイベントスペースを設置。
- サロ481-1002→サロ485-1
[編集] モハ485形700番台
「きらきらうえつ」の中間電動車で、702の1両のみの存在。モハ484-702とユニットを組む。4両編成の3号車で定員40名。シートピッチ970mmの通常座席(リクライニングシート)の他に車いす専用座席2席と対応トイレ、業務用室・多目的室の他客室が全車禁煙となるため喫煙室を設置しているが2007年3月18日からは喫煙室も禁煙となった。
- モハ485-1078→モハ485-702
[編集] モハ484形700番台
701と702が存在する。誕生の経緯は全く異なる。本グループはオリジナルのモハ484形とは異なり、パンタグラフは当初より1基搭載として、狭小トンネル区間走行にも対応させている。
- 701
- 元は1990年に登場した「シルフィード」の中間電動車。種車がサロ189形のため、電動車化改造を併施している。トイレ・洗面所・更衣室を設置。狭小トンネル区間を考慮したパンタグラフ部の低屋根化がなされ、当初はモロ484-1を名乗るが、2001年1月に経年変化のために全車グリーン車扱いから普通車扱いとなり、さらに同年6月24日の運転を最後に座席を全て撤去、カーペット敷き電車に再改造し、「NO.DO.KA/のどか」と改称した。
- サロ189-3→モロ484-1→モハ484-701
- 702
「きらきらうえつ」の中間電動車。モハ485-702とユニットを組む。4両編成の2号車で和風ラウンジカーとなっており、パンタグラフ低屋根部に茶屋(ミニビュフェ)と、フリースペースとして18名分のボックス席、反対側車端部に沿線情報や観光案内などを提供する映像ゾーンで構成されている。
- モハ484-1078→モハ484-702
[編集] クモハ485形700番台
元は1990年に登場した「シルフィード」の制御電動車。種車がサロ189形のため、電動車化改造も併施されている。165系改造車である「パノラマエクスプレスアルプス」(現・富士急行2000形「フジサン特急」)と同じように運転席を2階にし前面展望を備える。但し、名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーのような完全な2階式ではない。
当初はグリーン車扱いでクモロ485-1を名乗るが、2001年1月に経年変化のために全車グリーン車扱いから普通車扱いとなり、さらに同年6月24日の運転を最後に展望スペース以外の座席をすべて撤去、カーペット敷き電車に再改造し、「NO.DO.KA/のどか」と改称した。
- サロ189-2→クモロ485-1→クモハ485-701
[編集] クハ484形
701と702が存在するが、誕生の経緯も車両形態も全く異なる。
- 701
元は1990年に登場した「シルフィード」の制御車。165系改造車である「パノラマエクスプレスアルプス」(現・富士急行2000形電車「フジサン特急」)と同じように運転席を2階にし(名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーのような完全な2階式ではない)、前面展望を備え、MG・CPのほか非電化区間でサービス用電源を自力で供給するための発電用ディーゼルエンジンを床下に搭載。当初はグリーン車扱いでクロ484-1を名乗るが、2001年1月に経年変化のために全車グリーン車扱いから普通車扱いとなり、さらに同年6月24日の運転を最後に展望スペース以外の座席をすべて撤去、カーペット敷き電車に再改造し、「NO.DO.KA/のどか」と改称した。
- サロ189-4→クロ484-1→クハ484-701
- 702
- 「きらきらうえつ」の上り(羽越本線基準)向き制御車。種車の下回りを流用し、構体を新規に製造して載せ換えた。4両編成の1号車で定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースが設置されている。
- サハ489-5→クハ481-753→クハ484-702
[編集] クハ485形
「きらきらうえつ」の下り向き制御車。種車の下回りを流用し、構体を新規に製造して載せ換えた。4両編成の4号車で定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースが設置されている。701の1両のみの存在。
- クハ481-349→クハ485-701
[編集] 改造車
485系・489系の改造車は、軽微な引通線改造や電装解除、さらには車体構体を載せ換える大掛りな物まで多種多様であり、車両番号の変更のない改造事例もある。なお、ここでは使用線区や所属区での使用事情による小改造、グレードアップ改造(デラックス化改造)やクハ481形200番台の前面非貫通化改造、またJR東日本が行ったリニューアル改造車(3000番台)、ジョイフルトレイン、訓練車については割愛する。また特記する場合を除いて、改造施工工場等の名称は、当時のもので表記する。
[編集] クロ481形
- 50番台
- 奥羽本線の山形電化に伴って新設される特急電車列車の編成(これが初めてクロ481形を連結した編成)に、既存車の編成も揃えるべく、1968年に仙台運転所(現・仙台車両センター)所属のサロ481形初期車を郡山工場(現・郡山総合車両センター)で改造して登場した形式である。後年登場する多数の先頭車改造車と異なり、種車の車体の一部を分解し、その台枠上に車両新製時と同様の方式でボンネット型の運転台を組上げる工法が採用された。その際に台枠の延長は行われていないため、クハ481形0番台よりも全長が短くなっている。しかし、この形式は新製車であるクロ481形0番台と同時期の登場であり、同車の設計がこの形式に合わせたものになっていたため、クロ481形0番台との差異はほとんど見られない。余談だか、改造されたサロ481形は全車汽車製造が製造した車両であった。
- 改造後も仙台運転所で活躍したが、1975年に7両とも南福岡電車区に転じ、国鉄時代に廃車された52~54(うち53は事故廃車)を除く4両がJR九州に承継されたが、1995年までに全車廃車された。晩年は RED EXPRESS 塗装を施されたものもあった。
- サロ481-19~25→クロ481-51~57
- 300番台
- 1990年にJR九州小倉工場でクハ481-243を全室グリーン車化した形式である。改造に伴い出入台前位に乗務員室を増設したため、乗降扉横の窓は2分割された。また、同種の改造車にならい窓配置とシートピッチは合っていない。1区分番台1両の珍車であったが、2000年に廃車された。
- クハ481-243→クロ481-301
- 2000番台・2100番台
- 1989年、吹田工場で北陸本線の特急「スーパー雷鳥」新設に伴いサロ489形1000番台に展望型運転台を新設して登場した形式である。
- 車内は当時の流行の2+1配置のシートが設置され、展望のためにシートの枕部分が小型化されるなど、以後のJR西日本の特急電車の基礎となった車両であった。その後681系「サンダーバード」の投入にともない一時塗色変更を受けて「しらさぎ」にコンバートされていたが、その「しらさぎ」も683系に置換えられたため、再度国鉄特急色に塗色変更を受け、現在は「雷鳥」に使用されている。
- 同型車にサハ481形100番台(118)より改造されたクロ481形2100番台が存在するが、種車の関係で窓配置や車体長は異なる。
- サロ489-1001・1006・1003・1007・1009→クロ481-2001~2005
- サハ481-118→クロ481-2101
- クハ481-224→クロ481-2201
- 2300番台
- 1990年にJR西日本が「かがやき」「きらめき」へのグリーン車連結に際して用意した車両で、種車はクハ481形300番台である。改造施工は吹田工場。2+1の座席配置とした。2003年に京都総合運転所に転属して、現在は「雷鳥」に使用されている。
- クハ481-307・325・327→クロ481-2301~2303
- 2350番台
- 681系「サンダーバード」の投入による「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」への転用に際し、不足する先頭グリーン車を補うために登場した。改造施工は金沢総合車両所。他の編成がパノラマ型だったのに対して、この車だけはパノラマ型ではなかった。2003年に廃車されている。
- 余談だが、当初はクロ481-2304と付番される計画だったが、種車の相違により、区分が分けられた。
- クハ489-301→クロ481-2351
[編集] クロ480形
- 0番台
- 1984年~1985年に鹿児島本線の特急「有明」を短編成するためにサロ481形を鹿児島車両管理所(のちの鹿児島車両所→現・鹿児島総合車両所)と小倉工場で先頭車化改造した形式で、下り向き専用車である。先述のクロ481形50番台とは異なり、クハ481形300番台車に準じた運転台が台枠ごと接合される形となったため、外観および定員などは大きく異なる(改造当初44名、後にアコモ改造により変更)。1~4は初期車からの改造車であり、485系の最新先頭形状を持ちながらいわゆる「きのこ型クーラー」のAU12形5基を装備するなど異彩を放っていた。このグループは後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設している。
- 15両全車がJR九州に承継されたが、のちに11と12は半室普通車化改造によりクロハ480形となった(12は1992年に復元)。また後年は「かもめ」「にちりん」でも運用されたが、2000年までに全車廃車となった。
- サロ481-40・43~45・53・56・58・64・67・76・78・83・87・103・130→クロ480-1~15(番号順)
- 1000番台
- 1988年]]、北陸本線の特急「北越」の短編成化に伴い吹田工場でサロ489形1000番台より改造された形式で、種車の仕様が異なるため1000番台を名乗り、4両が登場した。0番台同様、運転台は元のトイレ・洗面所側に設置、車販準備室部分をトイレ・洗面所に改造している。金沢総合車両所に配置されたが、「かがやき」用(現在は「雷鳥」用として京都総合運転所へ転属)としてクロ480-2301(後述)に改造された1両を除き2004年までに引退している。
- サロ489-1002・1005・1008・1010→クロ480-1001~1004
- 2300番台
- 1991年に前述のクロ480形1000番台のうちの1両 (1002) を吹田工場で再改造した車両である。座席配置を2+1に変更の上、クロ481形2300番台と定員(36名)を揃えるため、車掌室を撤去のうえ客室化している。
- クロ480-1002→クロ480-2301
[編集] サロ481形
- 134・135
- 1983年にサロ489形を改造・編入した形式である。改造施工は鹿児島車両管理所。2両ともJR九州に承継されたが、1990年に廃車された。基本番台新製車の続番となっているが、種車の関係でクーラーはAU12形である。
- サロ489-6・8→サロ481-134・135(番号順)
- 500番台
- 1985年3月ダイヤ改正で登場した特急「雷鳥」の和式グリーン車「だんらん」用にサシ481形を改造した形式である。改造施工は吹田工場と鷹取工場。車内は衝立で7室に仕切られた和式仕様となり(定員は1卓4名×7の28名)、調理室部にはビュフェを設置し、側窓下には金帯が入れられた。一部列車の「スーパー雷鳥」化により1989年に運用を離脱、502~505・508・509は「スーパー雷鳥」のラウンジ付きグリーン車サロ481形2000番台に改造されたが、残りの3両は1993年に廃車となり区分消滅した。
- サシ481-54・55・69~71・73・74・81・82→サロ481-501~509(番号順)
- 1050番台
- 1978年の東北地区特急列車増発によって車両増備をされることになったが、経費節減のため食堂車とグリーン車の一部は既存車より転用されることになった。そこで、元々は0番台のグリーン車として新製されていたが、当初から車販準備室やMGとCPが設置されているなど1000番台車に準じた仕様であったため、1000番台対応の引通線の追加といったわずかな改造で1000番台化され、改番されたことにより登場した区分である。改造施工は土崎工場。新製車との差異は行先表示器の位置(1050番台車は車販準備室、1000番台車は乗務員室の位置にある)が目立つ他、客用扉やクーラーの位置が少し違っている程度である。
- 1989年に1051がサハ481形300番台(後述)に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車され区分消滅した。
- 本区分番台は1975年に秋田運転区に新製配置され、電車化された「つばさ」で使用されたが、1976年~1978年にかけて一時的に南福岡電車区に在籍、秋田に再転属後1050番台に改造されている。
- サロ481-115・116・122・123・127・128→サロ481-1051~1056(番号順)
- 1500番台
- 上越新幹線の開業に伴い、余剰になった181系のグリーン車であるサロ181形1100番台を1982年~1983年に改造・編入した形式。改造施工は盛岡・土崎・郡山の3工場である。
- 元々サロ181形1100番台がのちの485系への編入を見越して製造された形式であるため、181系時代は他の181系と車体の床面高さが合わず(181系は床面高さが新性能車標準より125mm低い1,110mm)、凸凹編成を組んでいた。181系時代にサボを使用していた関係でサボ受が存置されている以外は、新造時期がほぼ同じであるサロ481・489形1000番台と外観上の大きな違いは見られない。落成当初は秋田運転所に配置され、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区(現・勝田車両センター)に転属した。1989年から常磐線のクハ481形0番台車置換えのため1両を除きクハ481形1100番台に改造され(この時点でまだサボ受が残る車両もあった)、残った1両も1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」の改造種車となって区分消滅している。なお、先述の485系1500番台新製車との関連は全くない。
- サロ181-1101~1106→サロ481-1501~1506(番号順)
- 2000番台
- JR西日本が「スーパー雷鳥」用として1989年と1991年にサロ481形500番台のうち6両を吹田工場で再改造した車両で、車内は座敷部が2+1配置のリクライニングシートに、ビュフェ部がラウンジに改められている。クロ481形のCPが本車両に移設されており、「スーパー雷鳥」時代は常にクロ481形の次位に連結されていたが、2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」への転用時に本車両は対象から外れて廃車となり、搭載のCPはモハ485形500番台(後述)に再度移設されている。また、台車がモハ485・484形の電装解除車(サハ481形600・700番台、後述)に転用されている。
- サロ481-502~505・508・509→サロ481-2001~2006(番号順)
[編集] クモハ485形
- 0番台
- 先述のクロ480形0番台とともに1984年~1985年にモハ485形(AU13E形搭載車)の前位にクハ481形300番台と同様の運転台を設置した形式である。改造施工は鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場(のちの幡生車両所→現・下関車両センター)。運転室直後は機器室として110kVA MGおよびCPを設置し、さらにその後ろに出入台を設置したため、定員は16名減って56名となった。このため、他の非ボンネット形先頭車に比べるとやや特異な形状をしている。改造両数はクロ480形0番台と同数の15両である。
- 全車がJR九州に承継、一部が現存し、「にちりん」などで使用されている。
- モハ485-97・98・100~102・104・105・109・111・113・116・118・120・134・145→クモハ485-1~15(番号順)
- 100番台
- 1986年に「有明」(熊本発着分)の3両編成用として登場した形式である。改造施工は鹿児島車両管理所と小倉工場。0番台と同じくモハ485形(AU13E形搭載車)の前位にクハ481形300番台と同等の運転台を設置しているが、短編成用としてMG・CPを省略し客室面積を拡大(64名)している。また、出入台および行先表示器は後位に移設された。
- 全車JR九州に承継され、のちに「ハウステンボス」に転用された。現在では「K&H」カラーが施され、全車健在である。
- モハ485-235・236・240~245→クモハ485-101~108(番号順)
- 200番台
- 1991年に「スーパー雷鳥」の七尾線乗入れに伴い、付属編成用としてモハ485形の前位に切妻貫通型の運転台を設置した形式である。改造施工は吹田工場と松任工場。後位車端に電話室を設置。指定席車仕様としてシートピッチを1,010mmに拡大。腰掛をフリーストップ型リクライニングシートR55系に換装のうえ座席床面を70mm嵩上げした。定員は60名。のちに「しらさぎ」に転用されたが、683系化で全車運用から外れて2003年に1両(205)が廃車、他は全車がクモハ183形200番台に改造されて区分消滅した。
- モハ485-219・220・235・236・246・247・239~クモハ485-201~207(番号順)
- 1000番台
- 1986年に田沢湖線・奥羽本線の特急「たざわ」の短編成化のために登場した寒冷地用の形式である。100番台と同じく短編成用のためMG・CPは省略されているが、編成中のMGがクハ(クロハ)481形の1基のみとなってしまうため、非常電源装置と非常充電装置を搭載して冗長性を確保している。他の1000番台車と異なり3000番台化の対象とならず、廃車が進行している一方、1001と1009は1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」の改造種車となっている。全車土崎工場改造。現存する車両はすべて秋田車両センター所属である。
- モハ485-1017・1048・1019・1072・1080・1079・1073・1023・1076→クモハ485-1001~1009(番号順)
[編集] モハ485形
- 500番台
- 2001年の「スーパー雷鳥」編成「しらさぎ」転用に際し、編成から外されるサロ481形2000番台に搭載されていたCPを移設の上改番した形式である。改造施工は金沢総合車両所。種車にはトイレと洗面所が撤去されていた車両が選定され、水タンクの撤去跡にCPを設置している。トイレと洗面所の部分には自動販売機が設置されている。
- モハ485-234・222・218・232・248・237→モハ485-501~506(番号順)
- 「インビテーションカー」改造車(モハ485-1008)
1993年11月、「ビバあいづ」運転開始に伴いモハ485-1008を郡山工場で改造した。車番変更は行われていない。3号車に組み込まれ、「インビテーションカー“赤べこ”」と名付けられた。車内は定員0名のフリースペースで会津若松市の歴史や観光案内、物産品の展示などが行われていたが、1998年12月に再び座席車(自由席仕様)に改造されてその使命を終えた後、[2003年に廃車となっている。
[編集] クロハ481形
特急列車の短編成化やフルムーン夫婦グリーンパス・ナイスミディパスの人気などによるグリーン車需要の高まりなどにともない、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
- 0番台
- 1987年と1988年にJR九州でクハ481形200番台から8両(1~8)、クハ481形300番台から5両(9~13)の計13両が改造された形式である。改造施工は小倉工場。グリーン席は後述の201~208とは異なり改造当初から3列×5=15席で登場した(のちに201~208も同数に改造)。JR九州管内の各線で活躍してきたが、1993年に1がクハ481-226に復元された他、2000年にはクハ481形300番台ベースの車両が廃車され、現存するのは200番台ベースの車両の一部(4両)であり、「にちりん」などで運用されている。
- クハ481-226・232~234・239・241・251・262・312・328・329・341・353→クロハ481-1~13(番号順)
- 200番台(201~208)
- 1986年と1987年に「有明」(熊本発着分)の3両編成用としてクモハ485形100番台とともに登場した形式で、クハ481形200番台から8両が改造された。改造施工は小倉工場。200番台を名乗るが、登場は0番台よりも先である。
- 全車がJR九州に承継された。グリーン席は登場当初3列×3席でシートは新幹線0系電車グリーン車の廃車発生品を用いたものであったが、承継後の1989年に全車0番台と同数の15席に増強され、シートも新型のものに交換された。現在でも201・203・205が「にちりん」などで運用されている。
- クハ481-236・242・244・248~250・252・259→クロハ481-201~208(番号順)
- 200番台(209~215)
- 201~208とともに1986年と1987年に登場した形式だが、こちらは「北近畿」用の改造車でグリーン席の座席配置は2+2。またグリーン席と普通席との仕切部の窓の大きさが縮小されている。改造施工は吹田工場。1991年に213はクハ481-201へ復元、それ以外はクロハ183形800番台に改造されて区分消滅した。
- クハ481-209~212・201・204・205→クロハ481-209~215(番号順)
- 300番台
- クハ481形300番台からの改造車で、301・302は1986年施工の「北近畿」用、303はJR東日本が1989年に施工した「たざわ」用の車両である。改造施工は、301・302が吹田工場、303が土崎工場。301は同年にクハ481-309へ復元、302は1990年にクロハ183形へ改造、303は2000年にクハ481-3348に改造されて区分消滅している。
- クハ481-309・354・348→クロハ481-301~303(番号順)
- 1000番台
- クハ481形1000・1500番台からの改造車で、「たざわ」用として1986年に登場した。以後も主に「はつかり」用としてJR東日本が1987年~1988年と1993年に追加改造した。改造施工は土崎工場と青森運転所(現・青森車両センター)。「はつかり」用ではグリーン室定員を16名に増員した他、奇数向きであることが特徴である。一部車両は、リニューアル改造。または、のちにクハ481形に復元。さらに復元時にリニューアル改造された車両もある。
- クハ481-1018・1024・1012・1032・1026・1034・1036・1008・1014・1001・1003・1009・1015・1017・1021・1023・1031・1033・1039・1501・1013・1042・1002・1004・1028・1038・1040・1019・1035・1041→クロハ481-1001~1030(番号順)
- 1500番台
1993年にJR東日本が「ビバあいづ」用としてクハ481形1100番台(後述)1104を改造した形式である。改造施工は郡山工場。接客設備をリニューアルの上前位を定員16名のグリーン室に変更した。また、運転台上部の前灯が取外されている。「ビバあいづ」の廃止後は波動用として勝田車両センターに転出した。現在は新塗色で使用されている。なお、こちらも先述の485系1500番台(新製車)との関連は全くない。
- サロ181-1101→サロ481-1501→クハ481-1104→クロハ481-1501
[編集] クロハ480形
1987年~1988年にJR九州が先述のクロハ481形0番台と同時に登場した形式であるが、クロ480形の半室を普通車化した点で区別されている。改造施工は小倉工場。前位側のグリーン席5列を残して普通車化されたが、52は1992年に復元改造を受けクロ480-12に復帰した。残った51も2001年に廃車されて形式消滅した。
- クロ480-11・12→クロハ480-51・52(番号順)
[編集] クハ480形
1985年実施の紀勢本線の急行「きのくに」の格上げに伴うエル特急「くろしお」の増発によって所要となる車両は、経費節減のために新幹線開業などで余剰となった交直流電車である485系を投入して賄うこととなったため、不足する先頭車両がサハ481・489形からの改造により1984年~1985年にかけて製造された。改造施工は長野工場(現・長野総合車両センター)・広島工場(現・広島車両所)・幡生工場(のちの幡生車両所→現・下関車両センター)と新津車両所(現・新津車両製作所)。
当時、紀勢本線では輸送段差や季節波動により増・解結をすることになり、クハ481形200番台に準じた貫通型運転台が取付けられたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造としている。貫通扉の特急マークは落成当初一部車両が一般的な立体型のものを付けていたが、貫通路を構成した時に通行に支障をきたすため、すぐに平面型のものに交換されている。短編成用のためMGとCPは未搭載で、サハ489形からの改造車についてはCPを撤去している。またサハ489形およびサハ481形(12~14)からの改造車はAU12形クーラーを装備した初期車が種車として用いられたため、貫通型運転台+きのこ型クーラーというスタイルや、交直流電車にも関わらず交流区間に一切乗入れない運用などが当時のファンの注目の的になっていた。
その後、1986年に「くろしお」が381系に再度統一されることになり、南福岡電車区やこれまた直流電化区間のみ走行するエル特急「北近畿」用として、福知山運転所に転属した。南福岡へ転属した車両は車体改修時(後述)に使われなくなった貫通扉を埋込まれるなどの改造が施されたが、2000年までに全車廃車となった。また福知山線に転属した車両は1986年と1987年にクハ481形800・850番台に改造された後に1両を除きそのままの姿で直流化改造され、183系800・850番台に改番された。
- サハ481-12~19→クハ480-1~8(番号順)
- サハ489-201・204・252→クハ480-9~11(番号順)
[編集] クハ481形
- 500番台
- 1984年2月のダイヤ改正における九州地区の特急列車増発に伴い不足する先頭車両を補うため、上越新幹線開業で保留車になった181系の先頭車クハ181-109およびクハ180-5を鹿児島車両管理所(現・鹿児島総合車両所)で改造して登場した形式である。481系よりも車体床面高さが低い、ドアのステップの段差が小さい、交直流型車にも関わらず運転室内に交直切替スイッチを装備していないため直流区間に乗入れができない(のちの改造により解消されたが、これは後述のトラブル発生による)、クハ180形から改造された502に至っては碓氷峠を越える「あさま]]」用の車両であったことから、前面の自動連結器がむき出しになっているなど異彩を放ち、ファンの注目を集めていた。塗装は、落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど、181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム化などが行われている。
- 1986年11月改正で設定された「にちりん」の下関発着列車でこの車両が先頭車となり、交直切替スイッチがなく同列車は小倉で運転を打切るというトラブルが発生したことがあった。これは国鉄民営化の渦中にあって営業サイドの意向が優先され、技術サイドのフォローが追い付かなかったためといわれている(同月中にこの車両も交直切替スイッチが取付けられた)。改造後1980年代は、1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501が1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
- クハ181-109→クハ481-501
- クハ180-5→クハ481-502
- 600番台
- 前述の500番台と同様、東北新幹線開業で保留車になったクロ481-3~5を1983年に鹿児島車両管理所で格下げ改造した形式で、3両が改造された。先頭形状はクハ481-0番台などと同じくボンネット型であるが、車掌室部分を客室化したほかは種車の窓配置がそのまま残され、小窓が並ぶなどの特徴があった。座席は当時「サロンエクスプレス東京」への改造で不要となった14系座席車の簡易リクライニングシートに交換された。窓割と座席間隔は一致していない。
- 3両ともJR九州に承継された。前述の500番台に比べると地味ではあったが、ボンネット型特急車の中では比較的最近まで残っていたため後年はファンからの注目を集めていた。改造後1980年代は、1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、1988年に運用上の都合により602がクロ481-4に復元されている。
- 1995年までに3両とも廃車されたが、そのうち603は北九州市門司区の九州鉄道記念館に保存されている。これは廃車後も解体を免れてJR九州小倉工場に留置されていたものを2000年にクハネ581-8(→クハ715-1)とともに同所で修復工事を行い、2003年の同館開館に併せて一般公開しているものである。
- クロ481-3~5→クハ481-601~603(番号順)
- 700番台・750番台
- 1985年にサハ489形にクハ481形300番台に準じた運転台を取付けた形式で、701の1両のみ在籍している。改造施工は松任工場。AU13E形クーラーを備えた後期型車から改造されたため、新製車との差異は屋根上のクーラーの配置が異なること、運転室側面窓の後ろがやや間延びしていることくらいであまり目立たない。
- 派生形式としてMGの出力が異なる1986年改造の750番台もあり、751・752は種車の関係でAU12形クーラーを備えている。改造施工は幡生車両所。分割民営化時に751・752がJR西日本に承継され、1991年にに183系に改造。753がJR東日本に承継され、2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」に再改造されて区分消滅している。
- サハ489-11→クハ481-701
- サハ489-202・203・5→クハ481-751→753(番号順)
- 800番台・850番台
- 前述のクハ480形を福知山線電化に伴い新設される特急「北近畿」に転用するため、1986年にMGとCPを取付けるなどの改造を施されて登場した形式である。改造施工は大宮工場(現・大宮総合車両センター)。MGとCPは床下搭載としたため、床下機器は全面的に配置変えをしている。
- 派生形式としてMGの出力が160kVAと異なる1987年改造の850番台もあったが(こちらの改造施工は吹田工場)、同線運用車の直流電車化にともない、1991年に北陸特急用に転属したクハ481-801を除く全車両が1990年に183系800番台に改造されている。
- クハ480-8・6→クハ481-801・802(番号順)
- クハ480-5→クハ481-851
- 1100番台
- 常磐線に多数残っていたクハ481形初期車(ボンネット型)を置換えるため、1989年から1991年にかけてサロ481形1000・1500番台を先頭車に改造の上で普通車に格下げした形式である。改造施工は郡山工場。前述のクハ481形600番台と同じく、種車の窓配置がそのまま残されたため小窓が並ぶ外観など特徴がある。
- E653系の投入に伴い定期運用から離脱され、合造車化改造を受けて「ビバあいづ」用のクロハ481-1501に改造された1両と、ジョイフルトレイン「せせらぎ」の改造種車となった2両以外は1999年~2000年に廃車となり廃区分番台となっている。
- サロ481-1003・1004・1006・1501~1505→クハ481-1101~1108(番号順)
[編集] サハ481形
- モハ485形電装解除車(JR九州)
- 1992年~1994年にJR九州で「ハウステンボス」用にモハ485形を電装解除の上付随車とした形式である(相方のモハ484形はこの時に廃車)。改造施工は鹿児島車両所と小倉工場。2000年までに全車廃車となった。
- モハ485-93・126・153・159・163・195→サハ481同番号(改番なし)
- 200番台
- 1983年にサハ489-251を改造・編入した形式である。改造施工は小倉工場。JR九州に承継されたが、1990年に廃車になった。元はサハ481-1だった。
- サハ481-1→サハ489-51(489系化)→サハ489-251(CP取付)→サハ481-201(481系化・CP撤去)
- 300番台
- 1989年の常磐線特急「スーパーひたち」の投入に伴い、「ひたち」のまま残される列車は短編成化の上モノクラス化されることになった。グリーン車がなくなることから車販準備室のある普通車が必要となり、一部サハ481形100番台が転用されたが不足する車両は他列車の短編成化のため保留車となっていたサロ481形1050番台や183系・189系のサロ183形1050番台・サロ189形50番台などから改造された。改造施工は郡山工場。改造種車の形式は多岐に渡っているが、これらはすべて元々サロ481形0番台車からの改造車であり、種車による差異はほとんどない(元サロ481-1051の303には種車の車販準備室が残っていた)。その後のE653系の投入による置換えで2000年までに区分消滅している。
- サロ481-126・129・1051・サロ183-1054・1051・サロ189-51~53→サハ481-301~308(番号順)
- 500番台
- 「しらさぎ」用付属編成の捻出と「スーパー雷鳥」用編成の10両貫通編成化を目的として、1997年にサロ481形より改造された形式である。改造施工は金沢総合車両所(次項の600・700・750番台も同じ)。外観は種車と大差なく、窓割と座席間隔が合っていない。
- サロ481-66・121・131→サハ481-501~503(番号順)
- 600番台
- 2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」への転用時にモハ484形を電装解除して登場した形式である。冷房装置がモハ484形時代のAU71形のままなのが、いかにも変形車然としている。
- モハ484-333・335・332・331→サハ481-601~604(番号順)
- 700番台
- 2003年の「しらさぎ」「加越」の683系投入で「雷鳥」に転用の際、サハ481形600番台のみではサハが不足するために登場した形式で、種車はモハ485形である。派生形式として1000番台を種車とした750番台も存在する。なお、サハ481形600・700・750番台はトイレ・洗面所を撤去して、そこへ自動販売機を設置している。
- モハ485-227・228→サハ481-701・702(番号順)
- モハ485-1029→サハ481-751
[編集] サシ481形
- 1000番台対応引通線改造車
- 1000番台は耐寒対策が強化された他、MG・CPの増設などが行われ、運転席からMGの給電区分を変更できるなど、トラブルに即応できる重装備となっている。そのための回路が増えたことから引通線も増設され、サシ481形も対応する改造工事が行われた。本来ならサシ481形1000番台ともいえる改造ながら、番号変更は行われていない。改造施工は土崎工場。
- 1000番台が登場した1976年に57~59、61~63の6両が改造された。この6両は1973年の新製時は向日町運転所に配属、1975年に南福岡電車区に転属、長崎本線と佐世保線の電化用として確保されたまま、電化工事の遅れのために休車扱いとなっていた200番台車を「つばさ」電車化時に一時的な充当をすることになり、他の車両と共に秋田運転区へ再転属。1000番台が落成し、他の車両が南福岡に復帰後も秋田に残って改造された車両である。なお、このグループは1982年に57~59が向日町に、61~63が金沢に転属しているが、いずれもJRに承継されず、1986年3月31日に廃車されている。
- 増発のために1978年に改造されたグループは65~67(1973年製)、75・76(1974年製)である。そして次項で解説するサシ489形から改造した80番台グループの計8両で、全車とも金沢運転所からの転入車両である。このグループは1982年に金沢に出戻り転属するという珍しい転配歴を経験している。1986年3月31日に一旦廃車になるも翌年67・75・76の3両が車籍復活し、67が松任工場でスシ24 501に、75が吹田工場でスシ24 502に、76が新津車両所でスシ24 503にそれぞれ24系化改造され、JR北海道に承継、札幌運転所に所属し寝台特急「北斗星」で現在も使用されている。
- 80番台
- 1978年、「白山」の第1回食堂車廃止で捻出されたサシ489形に協調運転機構の撤去・485系1000番台組込対応改造を施工した車両である。改造施工は土崎工場。3両が改造されたが、1985年に81・82はサロ481形500番台に改造、83は1982年にサシ489形に復元されたが、1988年にスシ24 506に再改造されている(詳細は「サロ481形500番台」「サシ489-83」も参照)。
- サシ489-10→サシ481-81→(サロ481-508)→(サロ481-2006)
- サシ489-11→サシ481-82→(サロ481-509)→(サロ481-2005)
- サシ489-12→サシ481-83→(サシ489-83)→(スシ24 506)
[編集] サロ489形
- 100番台
- 1988年に1000番台のMGとCPを他の先頭車化改造車に供出するために撤去した上で改番した形式である。2003年に廃車されている。なお、撤去したMGとCPはサハ481-118→クロ481-2101の改造の際に使用されている。松任工場が改造施工。
- サロ489-1004→サロ489-101
- 1050番台
- 1990年にサロ481形1050番台に協調運転に必要な装備を長野工場(現・長野総合車両センター)で付加して登場した形式である。防弾対策などを備え、お召列車に使用されることもある(←本件の詳細は新潟車両センターを参照)。
- (サロ481-122・116)→サロ481-1053・1052→サロ489-1051・1052(番号順)
[編集] モハ489形
- 「ラウンジ&コンビニエンスカー」改造車
- 1989年、特急「白山」用にモハ489-18~21の前位側の窓4枚分の座席を撤去して、ショーケースを備えたラウンジに改造した形式である。その際洗面所を冷蔵庫に、トイレを倉庫に改めている。この改造により、座席定員が32名に変更されたが、改番などは行われていない。
- 2002年に18が廃車となったが、残りの3両は現在も金沢総合車両所に所属。急行「能登」で使用されているが、すでにコンビニエンスストアの営業は行っていない。
[編集] サハ489形
- 50番台→250番台
- サハ481形を1972年に489系に編入した車両。翌1973年にCPを取付けてサハ489形250番台となる。改造はすべて吹田工場。サハ489形にCPを取付改造をした理由は、横川駅~軽井沢駅でEF63形との協調運転時にパンクさせる空気バネ台車への空気の再供給を短時間で行う必要があったためで、これは189系のサロ189形でMGとCP双方を装備する100番台の他、0番台についてもCPを装備することにフィードパックされている。なお、251は1983年にサハ481-201に再改造され、九州地区に転属している。
- サハ481-1・2→サハ489-51・52→サハ489-251・252(番号順)
- 200番台
- サハ489形のうち、1~4には5以降と異なり当初CPを搭載していなかったが、1973年に吹田工場で取付を施工して改番を実施した。取付理由は250番台と同じであり、これによりサハ489-1~4は以後欠番となる。1985年と1986年に他形式に改造されて区分消滅した。
- サハ489-1~4→サハ489-201~204
[編集] サシ489形
- 83
- 元は1974年に製造され金沢運転所(現・金沢総合車両所)に配置されたサシ489-12で、1978年「白山」の編成変更(3MG化。食堂車の廃止)によって、土崎工場で横軽協調装置を取外されると同時に485系1000番台対応の引通線追加改造が行われ、サシ481-83となり、秋田運転区(現・秋田車両センター)に配置、その後1982年の「白山」食堂車復活のために協調運転に必要な装備を松任工場で再装着してサシ489-83となった。再配置も古巣の金沢であったが、1985年の「白山」食堂車全廃後は国鉄分割民営化直前の1987年3月11日に北長野運転所(現・長野総合車両センター)に転属、JR東日本に承継されるも1988年2月に新津車両所でスシ24 506に改造され尾久客車区(現・尾久車両センター)に配置。現在も寝台特急「北斗星」で活躍している。24系化改造の際には調理室の小窓がひとつ埋められている。
- サシ489-12→サシ481-83→サシ489-83→(スシ24 506)
- 100番台
- 181系の食堂車サシ181形100番台を1972年に長野工場で489系に転用改造した形式である。台車は種車が181系のためマクラばりの低いTR69C形を改造の上で床面高さを揃えているが、181系と485系列では車体断面が微妙に違うために若干の違和感が見られる。また、回送運転台の増設も施工している。しかし内装には手が加えられておらず、特徴的なベネシャンブラインドや「あずさ」充当を記念して壁面に飾られた中央東線沿線の名峰のレリーフもそのまま残されていた。2両とも1986年に廃車となり、JRには承継されなかった。
- サシ181-102・103→サシ489-101・102
[編集] 他系列への改造車
[編集] 181系電車への改造車
181系に編入改造されたものとしては、以下の形式がある。
- サロ481形0番台→サロ181形1050番台(サロ481-26~28→サロ181-1051~1053 改造施工は3両とも新津車両管理所)
- 1978年のダイヤ改正における181系編成の3MG化とそれに伴うモロ・サシの連結廃止に際し、所要となるグリーン車はサロ181形1100番台の新造の他、新製両数を抑止する見地からサロ481形などを編入改造することとなった。当初は上越新幹線開業後には廃車とする計画だったことから初期型のサロ481形が種車に選定(あと1両はサロ180-101→サロ180-1001)されている。
- 改造内容は幌およびサン板、引通回路をサロ181形1100番台と同様なものへの交換、車端ダンパの移設、前位側洋式トイレ・洗面所の物置への変更、サボ受の設置などである。
- 上越新幹線開業後、1051・1052は113系のグリーン車サロ110形300番台(302・303)に改造され、1053は保留車となった後1986年に廃車されてサロ181形は形式消滅した。なお、サロ181形は1975年に0番台車3両の廃車をもって一度形式消滅しているので、今回が2度目の形式消滅と言うことになる。
[編集] 183系電車への改造車
- 詳細は国鉄183系電車を参照
[編集] JR東日本所属車
編入改造されたものとしては、以下の各形式がある。
- サハ489形0番台・サハ481形100番台→クハ183形100番台(サハ489-7・9、サハ481-107・105・104→クハ183-101~105)
- 2005年に廃車となり、区分消滅している。
- サハ489形0番台→クハ183形150番台(サハ489-8・6→クハ183-151・152)
- 2003年に2両とも廃車され区分消滅している。
- サハ481形100番台→クハ182形(サハ481-110・111→クハ182-1・2、サハ481-117・103・112・104・102→クハ182-101~105)
- 101・102が、大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターOM101・102編成の上り向き(東北本線・高崎線基準)制御車として現存する。
- サロ481形0番台→サロ183形1050番台(サロ481-90・98・112・133→サロ183-1051~1054)
- 主に制御系統のみが変更されたため、種車との外観上の違いは485系の特徴であるドアステップも含め全く変わっていない。そのために183系より床面が高く、客室窓が高い位置に設置されていたことにより、窓周りの赤色の塗装(赤2号)が編成を組む183系新製車と合わないなど、アンバランスな形態をしていた。
- 1051・1054は、1989年に全車がサハ481形300番台に格下げ改造のうえ勝田電車区(現・勝田車両センター)へ転出した。その後、E653系の投入に伴い2000年までに全車が廃車されている。サハ481形300番台の項も参照のこと。
- 1052・1053は、1988年サロ481-98・112に復元改造(同時にシートの3列化などのグレードアップ改造も施工)されている。
[編集] JR西日本所属車
いわゆる200・700・800番台の改造車である。交流機器の撤去、もしくは使用停止によって183系化されたもので、制御回路は485系と共通しており、直流区間内であれば無改造の485系との併結運転も可能であるが、本来の183系であるJR東日本車とは制御回路が違うことから併結はできない。
[編集] 189系電車への改造車
詳細は国鉄183系電車も参照のこと。 189系に編入改造されたものとしては、以下の各形式がある。
- モハ485/484形→モハ189/188形500番台(モハ485-109・203~205/モハ484-301・305~307→モハ189/モハ188-501~504)
- MM'ユニットの改造は、横軽協調装置の取付と交流関連機器の撤去、車体関係は構体を0番台に準じて新規に製作して載せ換えたため、他の485系編入改造車とは異なり外観上では0番台車とほとんど区別が付かない。登場当初は種車の備品を流用したことから座席が、0番台の簡易リクライニングシート(R51形)とは異なり、旧型のリクライニングができない回転クロスシート(T17形)を装備していたなどの特徴があったが、のちのリニューアルによる座席の変更で差異もほとんどなくなった。またこのうちユニット501は、後年グレードアップ改造が行われた。2002年に廃車となり、区分消滅している。
- サハ481形100番台→クハ188形(サハ481-113・106→クハ188-101・102、サハ481-101・115→クハ188-601・602)
- 102・602が、長野総合車両センターN103編成の制御車として現存する。
- サロ481形0番台→サロ189形50番台(サロ481-110・111・113→サロ189-51~53)
- 主に制御系統のみが変更されたが、サロ183形1050番台と異なりCPを追設している。種車との外観上の違いは485系の特徴であるドアステップも含め全く変わっていない。そのために189系より床面が高く、客室窓が高い位置に設置されていたことにより、窓周りの赤色の塗装(赤2号)が編成を組む189系新製車と合わないなど、アンバランスな形態をしていた。1989年に全車がサハ481形300番台に格下げ改造のうえ勝田電車区(現・勝田車両センター)へ転出した。その後、E653系の投入に伴い2000年までに全車が廃車されている。サハ481形300番台の項も参照のこと。
[編集] 113系電車ヘの改造車
113系に編入改造されたものとしては、以下の各形式がある。
- サロ481・26・27→サロ181-1051・1052→サロ110-302・303
- サロ489形0番台→サロ110形350番台(サロ489-1~5・10~12・7・9・17・18→サロ110-351~362)
- サロ481形・489形0番台→サロ110形1350番台(サロ489-19~22・24、サロ481-93・95・96→サロ110-1351~1358)
- 国鉄末期の設備投資が抑制されていた折、老朽化したサロ110(0・1000番台)・111形の置換え用に新幹線開業や編成短縮によって余剰となった特急形グリーン車が転用された。これらは客用扉を増設し、非常時の換気のため一部の窓を中折れ式に開閉可能にした程度で車体はそのまま利用された。東海道本線東京口と横須賀・総武快速線で使用されてきたが、後者は地下仕様として1000番台に付番されている。全車がJR東日本に承継されたが、横須賀・総武快速線のE217系置換えで余剰となった2階建グリーン車の東海道本線への転用により、1998年7月に廃車され、ユニークな特急形改造グリーン車は消滅した。詳細は国鉄113系電車も参照のこと。
[編集] 24系客車への改造車
24系客車に編入改造されたものとしては、以下の各形式がある。
- サロ481形0番台→オハ24形300番台
- サロ481-52・101・102→オハ24 301~303
- 1990年に寝台特急「なは」「あかつき」のレガートシート車として改造された。車体内外の改造のほか、引通回路の変更、ブレーキ装置のCL化が行われている。
- サロ481-52・101・102→オハ24 301~303
- サシ481形0・80番台、サシ489形0番台→スシ24形
- サシ489-3・4、サシ481-52→スシ24 1~3
- サシ481-67・75・76・64・68、サシ489-83・7、サシ481-50→スシ24 501~508
詳細は国鉄24系客車も参照のこと。
[編集] 保存車・民間転用車両
鉄道車両としての使命を全うし、廃車後に静態保存やカットモデルとなる以外に車両を丸ごと他の施設に転用する例もある。485系の場合は圧倒的に食堂車が多いが、閉店→解体の運命をたどっている車両も少なくない。
[編集] 保存車
- クハ481-603(元・クロ481-5)
- クハ481-26 モハ484-61
[編集] 他の民間に転用された車両
- サシ489-9
- サシ481-48
- サシ489-1・2
- サシ481-24・26 サロ481-16
- サロ481-41
[編集] 運用実績
[編集] 国鉄時代
1964年に481系は北陸本線特急「雷鳥」「しらさぎ」用として登場し、さらに東北方面や山陽方面に進出、特急「つばめ」「はつかり」「つばさ」「白鳥」などに充当された。その後は新幹線の開業などにともなって地方へ散り、短距離・短編成の特急を多く生み出し、民営化に至る。
[編集] 北海道
1975年~1980年に1500番台を札幌運転所に配属して、特急「いしかり」で運用したが、冬季に入ると電装機器を中心に作動トラブルが続出。根本的な解決にはならず、北海道での485系の使用は困難との結論となり、のちに開発された酷寒地用交流型特急電車781系に置換えられた(1500番台参照)。
その後は、1988年からJR東日本の特急「はつかり」→「白鳥」が青函トンネルを通って函館駅まで乗入れる程度で、それ以外は道内での485系の使用実績はない。しかし、分割民営時にJR北海道に承継された車両が7両ある。詳細は、こちらを参照のこと。
[編集] 東北・常磐方面
東北本線優等列車沿革も参照のこと。
1965年に483系電車を仙台運転所(現・仙台車両センター)に配置し、特急「ひばり」「やまびこ」に基本6M4Tの10両編成で運用を開始。1968年のヨンサントオダイヤ改正では奥羽本線山形駅電化と磐越西線への特急運転開始により「やまばと」「あいづ」も運転を開始する。しかし、「やまばと」は板谷峠越えのためにMT比2:1。「あいづ」は有効長の関係から9両に抑えられかつ食堂車を連結する制約のためにクロ481形を登場させた経緯がある。その後も東北地区での特急は増発され、モハ1ユニットとサハ481形を増結させた12両編成(8M4T)やさらに「ひばり」用としてサロ481形を増結させた13両編成(8M5T)なども登場し、仙台運転所の485系は最初のピークを迎える。
そして、1972年から1973年にかけて東北地区の485系は大きな変化を迎えることになる。
- 1972年3月15日国鉄ダイヤ改正
- 「やまびこ」2往復、「ひばり」2往復(ただし1往復は583系を充当)、「やまばと」1往復増発。
- 1972年10月2日国鉄ダイヤ改正
さらに改正後の車両落成を待って、11月3日からは休日運転の「やまびこ」1往復を運転開始。また、翌1973年3月1日からは季節列車の「はつかり」1往復の運転がされた。
また、1973年1月31日からは、「ひばり」にグリーン車2両組込の13両編成も登場し、東北特急は増発に次ぐ増発が行われた。これによって、仙台運転所のみではまかないきれなくなり、青森運転所(現・青森車両センター)にも485系を配置し、583系電車と共に東北特急の主力と活躍するようになる。また、編成もバラエティに富んだものになった。
- 仙台運転所の編成
- TscM'MM'MTdM'MTc(6M3T)
- TscM'MM'MTdTM'MM'MTc(8M4T)
- TscTsM'MM'MTdTM'MM'MTc(8M5T)
- 青森運転所の編成
- TcTsM'MM'MTdM'MM'MTc(8M4T)
- TcTsTsM'MM'MTdM'MM'MTc(8M5T「白鳥」専用編成)
「白鳥」は当時、「運行距離世界最長の電車列車」といわれた。但し、1975年3月の山陽新幹線博多開業以降は東京~博多間直通列車の方が長くなり、「運行距離在来線最長の電車列車」となった。しかも、大阪から見ると電化区間は「直流1,500V~交流20KV(60Hz)~直流1,500V~交流20KV(50Hz)」となっており、485系が持つ特性である3電源方式が生かされた唯一の直通列車でもあった。
また1973年10月1日国鉄ダイヤ改正では、「はつかり」・「ひばり」をさらに2往復増発。「ひたち」も1往復増発と順調に特急列車の運転本数は増えつつあった。
1975年3月10日国鉄ダイヤ改正で「ひたち」が2往復増発で8往復体制となるが、仙台運転所の12両編成からは、クロ481形とサハ481形をクハ481形とサロ481形に差替え、青森運転所の編成と同じになった。外されたクロ481形とサハ481形は、南福岡電車区に転属し、翌1976年の「かもめ」「みどり」に転用された。
1975年11月、奥羽本線秋田電化によりキハ181系で運転されていた「つばさ」にも485系が投入される。当初は耐寒耐雪性能を大幅に強化した1000番台を投入する予定であったが、電化工事が早期完成したために車両落成が間に合わず、長崎本線と佐世保線の電化用として確保されたまま、電化工事の遅れのために南福岡電車区で休車扱いとなっていた200番台車を一時的に秋田運転区(のちに南秋田運転所、現・秋田車両センター)に転属させ充当した。翌1976年に1000番台をが落成し、200番台車は食堂車を除き南福岡に復帰している。この頃が東北方面485系特急のピークである。
- 「つばさ」は、他の東北特急のグリーン車が上野寄りの1号車(クロ481形使用列車)、2号車(583系も含む)だったのに対して6号車に組込まれていた。これは3MG方式を導入する1000番台投入時に再び編成変更して、乗客などに混乱を与えない配慮もあったが、MGトラブル発生時に運転台から給電区分を簡単に変更できるようにするため、編成中央部付近にMG・CP装備のサロ481形1000番台が組成されている方が都合がいいためでもある。
しかし、在来車(200番台)が暫定投入されていた時期の「つばさ」のサロ481形は、115・116・122・123・127・128が使用されていた。この車両は、当初から車販準備室やMGとCPが設置されているなど1000番台車に準じた仕様であり、1000番台対応の引通線の追加といったわずかな改造で1000番台化できる構造で、当初の計画ではこの6両を1000番台投入時に改造する計画であったが、転用先の「かもめ」の編成計画が変更になったために他の南福岡転属の200番台車と行動を共にすることになる。そして、1978年の東北地区特急増発で1000番台大量投入の際に秋田に復帰し、晴れて1050番台に改造されている。 - また、上野口グリーン車の連結位置に関しては、信越特急「あさま」「白山」、上越特急「とき」「はくたか」が編成中央付近に連結されていたが、東北特急を含めて連結位置を統一する動きがあり、1978年10月の改正で仙台運転所のクロ481形組込編成と臨時列車として設定されていた田町電車区(現・田町車両センター)受持(183系1000番台7両編成)の「白根」を除いた、上野口定期特急電車のグリーン車は6号車(2両組込編成は7号車も)に統一された。
1978年10月2日国鉄ダイヤ改正では、「はつかり」「つばさ」が1往復、「ひばり」が2往復、「ひたち」が3往復増発された反面、「やまばと」1往復が廃止。東北本線、高崎線で規格ダイヤが導入され、特急列車が軒並みスピードダウンさせられた。また、仙台運転所の9両編成からサシ481形が外され、サハ481形に置換えられた他、食堂車の営業休止する列車も登場という陰りが見え始め、1982年には東北新幹線と上越新幹線が開業するとこれら多くの特急は廃止・削減され、上野直通の特急は「あいづ」がほぼそのままの形で残った以外は「つばさ」と「やまばと」の一部のみになった。「つばさ」は大きく削減され、「はつかり」は盛岡発着の新幹線連絡特急に転進した。またこの時盛岡~秋田間に「たざわ」も設定されている。「いなほ」は「鳥海」と名を変え、それまでの「いなほ」は新潟駅発に改められた。
その後1985年3月のダイヤ改正で、東北・上越新幹線の上野開業により、「やまばと」の上野乗入りが打切られ全廃。「鳥海」も臨時列車に格下げ。東北本線で上野に出入する485系特急は、「つばさ」1往復と共通運用の「あいづ」だけとなり、東北地区の特急は、新幹線連絡の性格を強め、短編成・モノクラス化が進められたが、フルムーンパスなどによるグリーン車需要に応えるべく、分割民営化と前後してクハ→クロハ化の改造が推進された。また、「ひたち」はこの改正で勝田電車区(現・勝田車両センター)に移管となり、仙台から485系が消滅。合わせてこれまでの急行「ときわ」をすべて格上げすることにより一気に下り12本、上り11本が大増発され、下り24本、上り23本にまでになった。これに合わせて九州からボンネット形のクハ481形が大挙して転入している。
そして1986年11月1日に国鉄最後のダイヤ改正が行われ、再び増発が行われると共に上沼垂運転区(現・新潟車両センター)にも485系が配置され、「白鳥」を受持つことになる。この体制で、5ヵ月後に国鉄分割民営化を迎えることになった。
[編集] 北陸方面
「中京圏対北陸本線優等列車沿革」並びに「京阪神対北陸優等列車沿革」も参照のこと。
北陸地区での485系の使用は481系が誕生した1964年からではあるが、当初はすべて向日町運転所(現・JR西日本京都総合運転所)の車両で運用を賄っていた。最初の北陸地区への485系車両の配置は、1972年の「白山」運転開始の翌1973年に489系を向日町運転所から金沢運転所(現・金沢総合車両所)へ転属させたことによる。ただし、同じ上野⇔金沢間を上越線経由で運転する「はくたか」に関しては向日町運転所の車両が使用され続け、「白山」の489系と運用が共通化される1978年まで変化はなかった。一方、金沢配置の489系は「白山」のみならず「雷鳥」「しらさぎ」「北越」にも投入されるが、1975年に「雷鳥」がそれまでの米原経由から湖西線経由に変更されたために「加越」が新設された。これにより485系も金沢に配置される。その後は「白山」の間合運用で「あさま」にも使用されるようなった。489系はグリーン車にMG・CP搭載・車販準備室設置の1000番台車の登場と食堂車の廃止→復活などがあったが、国鉄分割民営化を前に「あさま」用の189系を補完する名目で1986年11月1日付で、200番台を中心とした489系27両がJR東日本に所属となる長野運転所(1987年3月1日付の組織変更で北長野運転所に改称→現・長野総合車両センター)に転属している。
[編集] 東海道・山陽方面
山陽本線優等列車沿革も参照のこと。
1964年10月1日の東海道新幹線開業により、向日町運転所は東海道本線での運用を終了した151系120両を田町電車区から受け入れ、さらには北陸特急用に481系が新製配置されている。この改正で「つばめ」「はと」は新大阪駅~博多駅間に運転区間を変更する。当時、九州島内の電化区間は交流電化であり、本来なら481系を投入すべきであったが、車両数が少なかったこと、また、交流区間の走行距離が短かったこともあり、151系で運転することになり、EF30形(関門トンネルの区間のみ)・ED73形電気機関車牽引となり、車内電源は電源車サヤ420形を間に挟んで確保していた。翌1965年10月に九州連絡特急用の481系が落成し、「つばめ」は名古屋駅~熊本駅間の特急に変更される(「はと」は運転区間の変更なし)。これが、東海道・山陽方面における485系グループの活躍のスタートである。
山陽地区への481系投入によって、151系は181系への改造工事が行われると共に当面は安泰と思われたが、関東地区での特急の増発のために181系が必要になり、向日町への485系新製配置→捻出された181系を転属させることにより、皮肉にも485系による181系の駆逐という様相が繰り広げられることになる。1973年に向日町から181系は姿を消す。
一方、北陸方面も特急の増発が行われたこともあり純増となる485系の増備も行われ、最初の大きな動きがあったのは1969年、上野~金沢間運転の「はくたか」が上越線経由に変更の上で電車化される。これにより向日町の485系は、東は上野、西は熊本までの広域運用を行うことになる。
1972年3月15日山陽新幹線の岡山暫定開業により、対九州特急と「はと」が岡山始発になるも「しおじ」が乗換を嫌う乗客対策で大阪発着として残る。さらに、「有明」への投入による西鹿児島(現・鹿児島中央駅)への進出、また、4月27日には日豊本線の「にちりん」にも投入され、大分にも姿を見せ、九州島内特急の運用もまかなむうようになる。さらに、翌1974年4月25日には宮崎電化で運用区間が延長。東海道・山陽地区のみならず、向日町の485系は新潟、上野、宮崎、鹿児島とさらに広範囲な運用が行われるようになり、同時にこの時がピークでもあった。
しかし、1975年3月10日山陽新幹線が博多開業をしたために山陽本線を走る昼行特急は全廃。向日町の485系は北陸運用に使われる車両を除いて、南福岡と鹿児島に転属して山陽特急での485系の歴史は幕を閉じることになる。
なお、営業運転ではないが、その後の広域転配により東海道・山陽方面で485系が走行している記録はある。
[編集] 近畿方面
東海道・山陽線、並びに対北陸方面を除いた近畿方面での485系の本格的使用は、1985年3月14日、この時のダイヤ改正により紀勢本線で「くろしお」を4往復増発することになった際、不足する車両に他地区で余剰となっていた485系を充てたことが起源である。鳳駅以南で振子を効かせている381系と比較して、天王寺~新宮間で所要時間が1時間半も差があって、気動車急行列車と大差ない時間で運行されたこともあり、評判は必ずしも芳しくなく、1986年11月1日に行われた国鉄最後のダイヤ改正に伴い、運行区間の見直しが行われる。この改正では同時に福知山線宝塚駅~山陰本線城崎駅間電化に伴い同区間を運行する新設エル特急「北近畿」に「くろしお」で使われていた485系を転用することとなった。なお、両線とも純粋な直流電化区間であったことも特筆される。
[編集] 九州方面
九州管内における481系・485系の運用は1965年に始まる。当時は向日町運転所(現・JR西日本京都総合運転所)所属の車両による本州からの直通運用が主体であったが、1975年の新幹線博多開業により関西・中国~九州間の昼行特急がなくなり、同所所属の車両の半数以上が南福岡電車区や鹿児島運転所(現・JR九州鹿児島総合車両所)に転入してきた(それと入れ替わりに581系・583系が南福岡から向日町に転出している)。ここでは、新幹線博多開業以降について述べる。
充当列車は、新幹線博多開業以降民営化に至るまで複雑な動きはない。ただし運用本数は急行列車の特急格上げや短編成化による増発、および他特急用系列の撤退による本系列への一本化により、大幅に増加した。
1976年には、新幹線博多開業以前から充当されていた「有明」「にちりん」に加え、長崎本線および佐世保線全線電化に伴い「かもめ」「みどり」にも充当されるようになった。この「かもめ」「みどり」は大部分の列車が肥前山口駅で併結・解結を行っていた。
1980年に九州島内完結の気動車特急からキハ80系が運用を終了。1984年2月改正で581系・583系が九州から撤退したのに伴い、九州管内完結のすべての特急列車はすべて本系列に一本化された。
さらに1985年3月および1986年11月の改正では充当列車は変わらないものの増発が行われ、特に後者の改正では「かもめ」「みどり」がすべて分離運転となった。以降、民営化後の783系登場までこの体制が続くことになる。
[編集] 車両関係
九州の485系は大部分が本州からの転入車である。新製配置された車両は、1975年に長崎本線・佐世保線電化用名義のMM'ユニット9組18両のみで、書類上は南福岡電車区に配置されたものの同所では使用されずに秋田運転区に転属しており、純粋な意味での新造車配置はない。当初は山陽新幹線博多開業による向日町運転所からの転属だったが、東北・上越新幹線開業前後には青森運転所(現・JR東日本青森車両センター)や仙台運転所(現・仙台車両センター)からも車両が転入してきた(一部本州に再転出した車両もある)。なお、南福岡の基本番台車の一部は長崎・佐世保線電化工事の完成が遅れ、特急「つばさ」の電車化にあたって電化工事は完成したものの必要な車両の製造が間に合わなかったことから、1000番台車が落成するまでの間、秋田運転区(現・秋田車両センター)に一時的な転属となり、「つばさ」に運用されていた(ただしサシ481後期形はそのまま秋田に残った)。
九州に配置されたボンネット形先頭車は、1977年以降下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された。またスカート部が60Hz仕様の赤塗色であるクハ481-1~18は1975年以降鹿児島運転所に集中配置されていた。これらボンネット車の多くは1985年に勝田電車区に転属したが、このうち9・12は鹿児島時代の1981年頃に、残る1~8・10・11・13~18も勝田転属後、1986年3月までに郡山工場(→同郡山総合車両センター)で検査を受けた際にスカート部がクリーム1色となった。また勝田転属車は郡山での検査の際、上記の9・12を含め「ひげ(眉)」が復活した。
1981年6月には長崎本線で「かもめ・みどり」の脱線事故が発生し、当該車両のうち3両(モハ485-117・モハ484-221・クロ481-53)が7月27日付で廃車となった。これは旧国鉄時代に発生した本系列唯一の事故廃車である。
1980年代に入ると追加転入車による初期車の置換えが始まり、鹿児島に転属して来た481系電動車全車及び同所所属のサシ481形AU12形搭載車は1985年までに全廃され、これら3形式はJR九州に承継されなかった。
1985年3月および1986年11月の改正では特急の増発による短編成化が推進され、上述の先頭車化改造車や半室グリーン車が登場した。特に後者の改正では「有明」(熊本発着分)向けに本系列初の3両編成が登場した。
また1985年頃からモハ484形の第2パンタグラフの撤去も始まった。撤去方法は碍子のみ残す形態や、碍子も含め完全撤去する形態など様々であった。
1987年、本系列は九州管内唯一の特急用電車系列として、JR九州に324両が承継された。
[編集] 広域転配
直流1,500V、交流20KV/50Hz・60Hzの3電源方式に対応し、「電化区間ならば車両限界が矮小な中央本線・身延線以外はどこにでも直通できる」ようになった485系の真の狙いは、将来の全国に渡る広域転配を考慮したものであり、国鉄時代には何度となく次のような広域転配が行われた。
[編集] 山陽新幹線博多開業による広域転配
1975年3月10日国鉄ダイヤ改正により、山陽本線の昼行特急は全廃され、新幹線連絡のために九州島内の特急列車が増発されることになった。そのために向日町運転所(現・京都総合運転所)に所属する485系車両のうち北陸方面運用に充当する車両を除いて、南福岡電車区と鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)に転属した。
- 鹿児島には、モハ481・480形を含む初期車中心、南福岡には200番台中心に振分けられている。これは、長崎本線・佐世保線電化時に分割・併合運用を行うことが予定されていたためである。
- 上記のような鹿児島向けと南福岡向け、そして向日町に残る車両の振分けをするために向日町運転所では半年近く前から、編成替えや運用には細心の注意を払い準備していた。転属のための回送列車を極力減らし、そのまま改正ダイヤでの新列車運転をスムーズに行うために前日に九州や下関、広島で運用が終了する編成は、軒並み転属車で運転されたという。
- また、東北地区の予備車確保のために小数ではあるが、青森運転所(現・青森車両センター)と仙台運転所(現・仙台車両センター)に転属した車両もある。
[編集] 奥羽本線秋田電化と長崎本線・佐世保線電化による広域転配
奥羽本線の山形~秋田間電化により、キハ181系で運行されていた「つばさ」には耐寒設備を強化した1000番台の投入を1976年に予定していたが、電化工事は1975年秋に完成をしていた。
一方、長崎本線・佐世保線電化は1975年に完成予定であったが、こちらはこの工事の遅れで完成は1976年に延期された。そこで、長崎本線・佐世保線電化用として確保されたまま、電化工事の遅れのために南福岡で休車扱いとなっていた「かもめ」「みどり」充当用の200番台車を一時的に秋田運転区(現・秋田車両センター)に転属させ、「つばさ」に充当することになるが、実際には次の複雑な問題も関係する転配であった。
- 東北地区のクハ481形200番台から300番台への置換え。
- 長崎・佐世保特急は、分割・併合運用を行うための考慮と東北地区ではそのような運用がなく、逆に隙間風の侵入や居住性で乗務員からの不評も多かったために300番台の投入が要求されていた。
- 佐世保編成(「みどり」)は4両でグリーン車連結のためにクロ481形が不可欠。長崎編成(「かもめ」)用にはサハ481形が必要になる。そのために仙台運転所所属のクロ481形とサハ481形を捻出させ、クハ481形とサロ481形に置換える必要があった。
- (参考)各編成の比較
- 向日町→南福岡に転属した編成
- TcM'MTsTsTdM'MM'MTc(6M5T)
- 「つばさ」編成
- TcM'MM'MTsTdM'MM'MTc(8M4T)
- 「かもめ」「みどり」編成
- TcM'MTsTM'MTc+TcM'MTsc(6M6T)
- 山陽新幹線博多開業によって、向日町から南福岡に転属した編成からは、南福岡に残留する車両と秋田に転属する車両、さらに一部のクハ481形200番台とサロ481形は仙台運転所と青森運転所に転属する車両に分けられた。これによって、捻出された仙台のクロ481形とサハ481形は交換される形で直接南福岡に転属。青森への転属車は別途製造されたMM'ユニットと今後の増発と予備車確保のためであった。
- クロ481形に関しては、先頭部同士での連結ができない上に方向転換の必要性もあったために回送経路はさらに複雑な動きを要求されたと共に、事前に郡山工場(現・郡山総合車両センター)で両セン構造への改造も行われていた。
- 転属車とは別にクハ481形300番台20両とサロ481形2両、さらにMM'ユニット9組18両が新造されている。クハは東北地区取り替え用名義で青森と仙台に配置、サロ2両は仙台に配置。MM'ユニットは、長崎・佐世保電化名義のために書類上は南福岡配置をされてから、同所で使われることなく秋田転属となっている。
- 青森に配置されたクハ481形300番台で捻出した同所の200番台車を秋田に転属させる。
- 「つばさ」用サロ481形は、秋田に115・116・122・123・127・128を新製配置。
これによって、在来車で組成された「つばさ」は次のような72両で構成されていた。
- クハ481形200番台12両。青森からの転属車10両。南福岡から転属車2両。
- MM'ユニット24組48両。南福岡からの転属車。
- サロ481形在来車6両。115・116・122・123・127・128の新製車。
- サシ481形在来車6両。南福岡からの転属車。
翌1976年に1000番台が落成。秋田に配置されたことにより、在来車はサシ481形を除いた全車が南福岡に再転属している。また同時にサロ481形が青森から1両、東北地区にクハ481形300番台の投入による捻出で、クハ481形200番台が青森から6両、仙台から2両転属した。
[編集] 1978年10月改正と特急増発による広域転配
いわゆる「ゴーサントオ(5・3・10)」と呼ばれる1978年10月2日に実施した白紙ダイヤ改正では、急行列車を特急列車に格上げすることで増収を図ろうとし、特急が36本増えた代わりに急行が57本削減された。特に、東北地区の利用率が高かったために増発が集中、大量の485系が必要になった。
一方、首都圏対北陸を運行する「白山」「はくたか」の増発も行われたと同時に信越特急「あさま」、上越特急「とき」との編成を揃えること(グリーン車連結位置の共通化と食堂車の不連結、並びに3MG化)が図られることになった。そのために次の車両が新造されることになる。なお、一部列車の増発は車両落成の遅れから、1979年4月1日にずれ込んだ。
- 485系1000番台161両(クハ481形…25両 サロ481形…2両 MM'ユニット64組128両)を青森運転所と秋田運転区に集中配置。
- サロ489形1000番台10両を金沢運転所に配置。
東北地区への1000番台集中投入により、捻出された青森運転所の在来車は、仙台運転所と金沢運転所に転出することになった。
- 青森→金沢転属車(44両)
- クハ481形6両 MM'ユニット19組38両
- 青森→仙台転属車(34両)
- クハ481形7両 MM'ユニット13組26両 サロ481形1両
さらに、仙台運転所の9両編成からサシ481形を外し、サハ481形へ置換えられることになった。同時に3MG化も行われるためにMG・CP搭載準備工事が施行されていた向日町運転所の100番台と車両交換を行っている。
- 仙台→向日町転属のサハ481(12~14)
- 向日町→仙台転属のサハ481(101~107)
- 仙台転入車が多いのは、13両編成置換え分も含まれているため。
- 仙台転入車は1985年3月に向日町へ全車出戻り転属をしている。
また、181系で運転されていた「とき」の編成変更(食堂車の不連結とグリーン車のサロ181形への置換え)と増発。「あさま」も増発のために183系・189系の増備を行われることになったが、逼迫する国鉄財政の中、新製車にかかる経費を押える目的で不足するグリーン車や食堂車は、形式間改造や直流化改造で対応することになった。このため全国から485系が集められ、次のような改造が行われた。
- サロ481形1000番台化改造(南福岡電車区→秋田運転区)
- 115・116・122・123・127・128→1051~1056に改造改番で投入。
- サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
- 65~67・75・76の5両に施行。
- サシ489形→サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
- 10~12の3両をサシ481-81~83に改造改番。
- サロ481形→サロ181形改造(鹿児島運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- 25~27→サロ181-1051~1053
- サロ481形→サロ183形改造
- 90・98→サロ183-1051・1052(南福岡電車区→新潟運転所上沼垂支所)
- 112→サロ183-1053(金沢運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- 133→サロ183-1054(青森運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- サロ481形→サロ189形改造(金沢運転所→長野運転所)
- 110・111・113→サロ189-51~53
さらに2年後の1980年には、北海道で使用されていた1500番台22両が札幌運転所から青森運転所に転属してくると玉突きで200番台車が青森から南福岡電車区に転属している。また、仙台運転所からもクハ481形200番台2両とサロ481形1両、MM'ユニット4組8両の計11両が南福岡に転属している。これらの車両は、1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で九州地区の増発に充当された。
[編集] 東北・上越新幹線開業による広域転配
1982年11月15日のダイヤ改正により、6月に開業した東北新幹線の増発、上越新幹線の大宮暫定開業が行われ、東北本線の特急「ひばり」や「やまびこ」が廃止され、上越線を経由する特急「とき」「はくたか」も廃止された。485系を使用した在来線特急は、次に示すような動きがあった。
- 首都圏と直結する東北特急は軒並み全廃、もしくは大幅削減。主力は新幹線連絡列車としての役目に移行した。
- 常磐線特急の「ひたち」は、余剰車を使って増発が行われた。
- 北陸地区、九州地区での特急列車の増発が行われた。
- 北陸特急「白山」の食堂車復活。
このために青森運転所、秋田運転区、仙台運転所を中心に次のような広域転配が行われている。
- 青森運転所からの転出車両(東北地区以外への転属)
- 青森運転所→向日町運転所(4両)
- MM'ユニット2組4両
- 青森運転所→南福岡電車区(43両)
- MM'ユニット15組30両 サロ481形13両
- 青森運転所→鹿児島運転所(22両)
- MM'ユニット10組20両 サロ481形2両
- 青森運転所→向日町運転所(4両)
- 秋田運転区からの転出車両(東北地区以外への転属)
- 秋田運転区→金沢運転所(11両)
- サシ481形11両(ただし1両はサシ489形に改造して転属)
- 秋田運転区→向日町運転所(3両)
- サシ481形3両
- 秋田運転区→金沢運転所(11両)
- 仙台運転所からの転出車両(東北地区以外への転属)
- 仙台運転所→向日町運転所(12両)
- MM'ユニット2組4両 クハ481形4両 サロ481形4両
- 仙台運転所→南福岡電車区(16両)
- クハ481形12両 クロ481形4両
- 仙台運転所→鹿児島運転所(14両)
- MM'ユニット7組14両
- 仙台運転所→向日町運転所(12両)
鹿児島への転属は中間車のみで、老朽化していたモハ481形・480形の取替がその目的であったと言われている。これらの転属車の受入れと引換えにモハ481形・480形ユニットは大量廃車が進み、翌1983年末には3ユニット6両のみが残存した。最後まで残ったユニット2組も1985年に廃車となっている。
また、東北地区内では「ひたち」の増発と新幹線連絡特急の編成の見直しが行われ、次のような転属も行われた。
- 青森運転所→仙台運転所(14両)
- MM'ユニット7組14両
- 青森運転所→秋田運転区(12両)
- クハ481形1000番台12両
- 秋田運転区→青森運転所(9両)
- 1000番台MM'ユニット3組6両 サロ481形1050番台3両
また、「ひたち」編成ではサシ→サハ置換えのために九州から仙台に転属する車両もあった。
- 南福岡電車区→仙台運転所(3両)
- サハ481-112~114
さらに運転の終了した181系から、1978年に新製したサロ181形1100番台の485系化改造が行われるとともに、増発された「あさま」用に485系から189系化改造された車両も誕生した。
- サロ181形→サロ481形改造(新潟運転所上沼垂支所→青森運転所)(6両)
- サロ181-1101~1106→サロ481-1501~1506
- モハ485・484形→モハ189・188形改造(青森運転所→長野運転所)(8両)
- モハ485-199・203~205→モハ189-501~504
- モハ484-301・305~307→モハ188-501~504
この広域転配によって、「白山」の食堂車復活や、向日町運転所でも485系が転属してきたことによって「雷鳥」を増発、および583系運用の一部を置換え、九州地区の特急増発が行われた。
[編集] 分割民営化前・短編成化による広域転配
1985年3月14日国鉄ダイヤ改正ではさらなる特急の増発が行われた。しかし、485系はすでに製造が打切られており、車両の捻出は東北・上越新幹線の上野開業で常磐線特急「ひたち」と共通運用の磐越特急「あいづ」、また、信越特急「あさま」と1往復が減便となった「白山」と近距離運転の新特急を除き、上野乗入れが打切られることになり、これらの車両を中心に行われることになった。また、短編成化の推進と食堂車やグリーン車の余剰、並びに不足する先頭車の確保も要求されることになり、余剰となる車両の再利用、つまり、改造も含めた広域転配が行われることになった。
この改正での485系に関する動きは、次が焦点となる。
- 東北地区の特急列車運用の見直しと短編成化
- 「ひたち」を仙台受持から、勝田電車区へ移管。
- 「雷鳥」をはじめとする北陸特急からの食堂車の廃止と和式グリーン車「だんらん」(サロ481形500番台)の導入。
- 「くろしお」に余剰車の投入
- 九州地区の短編成化と初期車の老朽化による置換え
東北地区では、車両の余剰化が激しく、今回の改正では、編成替えのために向日町への転出と南福岡、鹿児島への転出が多数を占めることになる。また、「ひたち」は急行「ときわ」を全廃し格上げが行われる増発が図られることになるが、同時に仙台運転所から勝田電車区への移管となるための転属が行われる。増発用車両は青森と仙台の余剰車が充てられるが、同時にクハ481形を非ボンネット形からボンネット形への置換えが行われ、九州地区から大量に初期車の転属が行われた。
- 九州地区から勝田電車区に転属したクハ481形
- 鹿児島運転所→勝田電車区
- 1~20・34・38・40
- 南福岡電車区→勝田電車区
- 22・24・31・32
- 鹿児島運転所→勝田電車区
この移動は改正前の1984年から行われており、改正前に転属した車両は、一旦仙台運転所の所属となり、改正に併せて勝田に再転属という形を取っている。なお、この一連の移管により仙台運転所は、485系の配置がなくなっている。
勝田区にボンネット車を集中配置した背景には、短編成化した際の座席確保の問題があり、改正後11両編成となる「ひたち」にボンネット車を充当させることで非ボンネット車を捻出させる目的があった。このために東北地区からは、クハ481形の200・300番台が軒並み向日町や九州地区に転属している。
東北地区からは、初めて1000番台車両の他地域転出が行われ、青森運転所や秋田運転区からMM'ユニットのみだが、向日町運転所に転属が行われている。また同時に1500番台のMM'ユニットも全車青森から向日町に転属が行われた(1500番台車は翌年、全車が上沼垂に再転属している)。
向日町ベースでは食堂車の廃止が行われ、サシ481形改造の和式グリーン車サロ481形500番台「だんらん」の連結、並びに編成替えと増発に必要な車両が青森、秋田、仙台から転入している。なお、翌1986年3月に余剰となったサロ・サシ481形が廃車となっている(一部車両は分割民営化直前に車籍を復活している)。この改正では、紀勢本線で「くろしお」を4往復増発することになったが、本来381系を投入すべきところを経費節減のために余剰化していた485系44両を日根野電車区に投入することで対処することになった。
- モハ485・484形ユニット 青森運転所・仙台電車区から11組22両が転入
- モハ484形は車掌室装備の600番台。
- クハ481形200番台 南福岡電車区から11両が転入
- クハ480形11両
- 向日町運転所・金沢運転所所属のサハ481形、サハ489形を先頭車化改造し投入
紀勢本線は、季節並びに区間によって乗客推移が大きいために4両編成を基準に2本つな合わせることで対応することになった。その際に不足する先頭車は付随車改造のクハ480形を充当することとし、同時に4両と短編成のためにMG・CPはクハ481形からの供給で充分と判断され、未搭載となっている。しかし、振子電車である381系に比較すると天王寺駅~新宮駅間で所要時間が1時間半も差があって、気動車急行列車と大差ない時間で運行されたこともあり評判は必ずしも芳しくなく、翌1986年に日根野から485系は撤退し、新設エル特急「北近畿」に転用され、福知山運転所に転属する車両と九州地区に復帰する車両とに分けられた。また、クハ481形の一部には半室グリーン車を設置したクロハ481形に、クハ480形にはMG・CPが搭載されクハ481形に改造された車両もあった。
一方、九州地区で前年の1984年のダイヤ改正で増発を行ったが、短編成化による先頭車不足から、東北新幹線開業による保留車であったクロ481形をクハ481形600番台に、上越新幹線開業による保留車となっていたクハ181-109とクハ180-5をクハ481形500番台に改造して対応していたが、本改正に向けて、モハ485形をクモハ485形に、サロ481形を運転台取付けクロ480形に改造するなど短編成化改造を多数行っている。特にモハ485形→クモハ485形への改造は、定員数の問題からAU71形クーラー搭載のモハ484形200番台のユニットが充当されたために初期車の多い鹿児島運転所の車両と南福岡の車両との交換が行われた他、青森運転所からMM'ユニット9組18両が転入している。また、東北地区にボンネット形クハを大量供出した見返りに非ボンネットクハ16両が南福岡電車区に転入している。
この後、各地でモハ485形からクモハ485形への改造や、半室グリーン車化したクロハ481形への改造が頻繁に行われるようになり、短編成化はさらに推進された。そして、国鉄分割民営化時に安定した承継と列車運行を前提とした国鉄最後のダイヤ改正が行われる。この改正では、分社化時のJR各社の車両運用や供給も考慮された車両転配が行われた。485系に関しては、些細な転配を除くと次の点が目立った点である。
- 日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行い、新潟運転所上沼垂支所を上沼垂運転区(現・新潟車両センター)と独立させ、青森運転所、秋田運転区、向日町運転所から485系が転入。「雷鳥」「白鳥」「北越」の運用を担当することになった。
- 金沢運転所に所属する489系車両の中から、200番台車を中心に27両が「あさま」用として長野運転所(1987年3月1日付で組織変更により北長野運転所に改称、現・長野総合車両センター)に転属した。
こうして、483系8両、485系1,087両(付随車含む)、489系136両がJRに引継がれることとなった。
[編集] 広域運用
485系電車は、特急用車両であるために当初から長距離運用が組まれており、さらに複雑な組み合わせにより、自然と広域運用が組まれてしまう傾向があった。特に東北地区では、最も北端となる青森運転所(現・青森車両センター)から首都圏は700km、「白鳥」で訪れる近畿圏は1,000kmも離れており1日1列車への投入しか運用を組み込めないケースもあった。また、最盛期の向日町運転所(現・京都総合運転所)の運用も上野・新潟・宮崎・西鹿児島と文字通りの広域運用を行っていた。しかし、一連の共通運用は編成の共用や予備車などの投資縮小というメリットがある反面、事故などのアクシデントによっては運用を崩さざるを得ない状況の発生や運休、もしくは代車による運行。さらには車両の検修問題といったデメリットも多く、一概にどちらがいいとは言い切れない面もある。
[編集] 青森運転所の広域運用
東北・上越新幹線開業以前の青森運転所の運用は長距離かつ青森以外(仙台・盛岡・秋田など)で停泊する運用が多く、一度、青森を出ると1週間近く所属基地に帰れない運用も多数存在した。その中には、不定期列車運用も組まれ、丸一日上野口で停泊する運用や折返し間合の時間を長めに取られた運用も存在した。これは、車両故障や冬期の雪による遅延でダイヤが混乱した際に後続の折返し列車に停泊中の編成を充当させることによって、定時性確保や不用意な運休を避けることと首都圏側に485系が配置されていなかったための措置である。しかし、この運用変更を多用すると検修周期の問題が発生し、予定外の場所で検査切れになるケースもあるため、深夜に車両を入換のために青森⇔上野で回送列車を仕立てたことや仙台運転所の車両で代走させたなど青森運転所の苦労は絶えなかったという。
[編集] 向日町運転所の広域運用
最盛期の向日町運転所の運用は、北陸特急・山陽特急のみならず九州島内の運用まで担当していたが、広域運用の問題点を露呈させたのが1969年に北陸⇔関東エリアを結ぶ「はくたか」を担当することからである。この列車が向日町担当となった理由は、上野駅発着であるならば、東北特急を担当する仙台運転所(現・仙台車両センター)の車両と共通運用を組んだ方が効率は良さそうだが、「はくたか」の交流20KV区間は60Hzのために仙台所の483系が運用に入ることができない。そのために金沢で「雷鳥」を介して、向日町所の481・485系と共通運用を組むことになった。そのことから、当時の上野駅は、すべての485系グループの電車が訪れる駅になった。しかし、「雷鳥」と共通運用を組んだことで「はくたか」の運用は極めて複雑な広域運用のリスクを負うことにもなる。「はくたか」は冬期になると豪雪地帯で名高い上越線を経由するために上野駅からの下り「はくたか」が大幅な遅延をするケースも多々あり、そのような場合には、本来金沢に到着した「雷鳥」から上り「はくたか」に入る予定の編成を再び「雷鳥」で大阪駅に戻し、遅延した下り「はくたか」を上り「はくたか」で上野駅に再び送り返す運用に変更するようにプログラムされていた。しかし、こちらも「はくたか」の遅延が慢性化し、折返し運用が続くといつまでたっても当該編成が向日町に戻ることができず、検修問題や場合によっては金沢運転所の489系による代走など、青森運転所と同じような弊害が発生するために現場としては、痛し痒しな心情だったという。
[編集] 教訓から得た秋田運転区の「つばさ」運用
青森運転所や向日町運転所の「はくたか」の運用問題は、広域運用を行う点では、どうしても避けることのできないリスクでもあった。その教訓として、1975年に485系電車化された「つばさ」は1日2往復運転のために本来3編成でも運用が可能なところを有効時間帯の見直しも含めて、4編成での運用をすることになった。これは、豪雪地帯である奥羽本線を走行することで雪による遅延による運用混乱を避けるためと当初は在来車による運行であるために用心したからである。そのために秋田運転区(現・秋田車両センター)には、使用48両のところ予備車を含めて72両と大量配置がなされている。
[編集] JR化後の広域運用
国鉄分割民営化後は、JR各社で地域支社化が進んだり、新幹線網が発展したこともあり、国鉄時代のような広域運用は減少したが、現在ではJR東日本新潟車両センターの運用が直流区間はもちろん、交流60Hzの北陸本線、交流50Hzの羽越本線・奥羽本線にも乗入れるため、3電源対応の485系の性能を存分に発揮していると共に、定期運用では青森、金沢、新井、新宿、黒磯にまで足を伸ばし、さらにシーズンによっては、郡山、会津若松や大阪にも姿を見せる広域運用を組んでいるが、ここでも問題点は存在する。
同センターで唯一対首都圏に運行される「ムーンライトえちご」には、旧国鉄色をまとうK1・2編成が専従で運用されている。しかし、K編成には予備車がないため、検査・故障の際にはATS-P搭載のT18編成が投入され、T18編成も投入できない場合は、R26・27編成のいずれかが投入されることになる。また、万が一首都圏側停泊中に車両故障が発生した場合は、新潟から予備車を回送するか、運休させるかの手段を取るしか方法がなかったが、2007年2月2日下り「ムーンライトえちご」に充当予定のT18編成が、大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターから回送中に車両故障を起こし、急遽同所のOM102編成(183系1000番台)を投入し代走させた。なお、同所の183系はモノクラスのため本来グリーン車利用客に対してグリーン料金の払戻しと1号車の指定券を持った乗客はグレードアップ車である3号車の同番号席に、3号車の指定券を持っていた乗客は1号車の同番号席への振替が行われた。
[編集] 国鉄分割・民営化後
2007年現在、437両の485系がJR北海道・JR東日本・JR西日本・JR九州の4社で営業運転を行っている。しかし、最も車令の若い車両でも製造から28年以上を経ていることや、651系・E653系・681系・683系・E751系・783系など後継車両の登場により廃車が着実に進んでいる。
また、485系はすべてアスベストを使用している事から、今後、全廃が想定されているが、JR東日本は、未撤去車両については同年3月をもって全廃させると発表している。
[編集] 北海道旅客鉄道
所属車はないが、JR東日本青森車両センター所属の車両が「白鳥」(1988年3月13日~2002年11月30日は「はつかり」)で函館駅まで乗入れている。かつては1000番台も使われたが、現在では3000番台のみで運転されており、津軽海峡線、つまり青函トンネルを通過するためにATC-Lを搭載した編成に限られる。ただし、車両の故障時には485系の予備車が少ないために函館運輸所の789系による代走が行われるケースもある。JR北海道と東日本の乗務員交代は原則として蟹田駅で行われるが、同駅通過の列車は青森駅で行われる。
[編集] JR北海道に承継された485系
1500番台の北海道撤退後にサシ481形1両とサロ481形6両がサハネ581形7両とともに北海道に渡り、JR北海道に承継されている。
- サロ481形は、全車向日町運転所の所属車両で1986年3月31日に一旦廃車扱いとされ渡道。分割民営化直前の1987年3月6日に札幌運転所所属で車籍復活したが、営業運転に使われることなく1990年に全車廃車となった。ジョイフルトレインの種車に使われるという計画もあったが、その真偽は不明である。
- 渡道したサロ481形(37・41・47・60・63・94)
- サシ481形は、分割民営化直前の1987年3月27日に青森運転所から札幌運転所に転属。当初は車籍抹消後にレストランに転用するという計画もあったが、寝台特急「北斗星」1往復(3号・4号)が季節運転から定期列車に格上げで食堂車組込が必要となったため、1989年に苗穂工場で24系のスシ24 508に改造され、現在もで活躍中である。
- サシ481-50→スシ24 508
[編集] 東日本旅客鉄道
現在、JR東日本では240両(保留車、車籍の残る勝田車両センターの訓練車を含む)が在籍しており、主に東北・上越・長野新幹線との連絡特急列車や快速列車などに充当されているケースが多い。また夜行快速「ムーンライトえちご」や新潟駅~新井駅間の快速「くびき野」号などに使用されている。
また、以前は「白鳥」(大阪~青森を運転していた2001年まで)「雷鳥」「北越」などでもJR西日本所属車が乗入れていたが、現在では急行「能登」で金沢総合車両所の489系のみが乗入れている。この車両は、間合運用で「ホームライナー鴻巣・古河」にも使用されている。
[編集] 青森車両センター(盛アオ)

東北新幹線八戸開業までは特急「はつかり」「いなほ」(南秋田運転所→現・秋田車両センターと共管)などの新幹線連絡特急に使用されたとともに波動対応の編成や運用も多く、1992年には夜行急行「津軽」にも投入された。そのために首都圏乗入れも考慮したATS-P形を搭載した車両も在籍していた。1996年からは車体改修などのリニューアル改造を施行した車両である3000番台が登場。現在は3000番台の6両編成(A編成)6本と増結用の中間車8両が配置されており、「白鳥」「つがる」に使用されているほか、間合運用で津軽線の普通列車にも投入されている。
青森運転所の485系は全検を郡山総合車両センターで行うが、その際の回送ルートは奥羽本線→羽越本線→上越線→高崎線→東北本線→武蔵野線→常磐線→東北本線とかなり遠回りの経路をとる。これは東北本線八戸~盛岡間が青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道となり、この区間を通過する場合に線路使用料が発生するためである。また、入出場の際には、同センター所属の双頭型両用連結器を装備したEF81形の136号機、139号機に牽引される無動力回送となっている。これは、485系がATS-P形を搭載していないためで、一旦武蔵野線から常磐線を通り田端運転所を経由する理由は、方転・機回しの手間を省くためである。
[編集] 秋田車両センター(秋アキ)
東北新幹線盛岡開業後も「つばさ」「やまばと」の奥羽特急で上野乗入れを続けるほか、「たざわ」「こまくさ」などの新幹線連絡特急も担当し、上野口では共通運用で「あいづ」にも投入されるなど、すべて1000番台で運用が行われいた。しかし、東北新幹線上野開業時に「やまばと」が廃止。山形新幹線に伴う改軌工事で「つばさ」は仙山線経由で上野乗入れを継続するも、山形新幹線山形開業時に廃止され上野口から撤退。さらに新庄延伸で「こまくさ」の快速格下げ。秋田新幹線関連では「たざわ」の廃止。「いなほ」は、上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に移管など、常に新幹線によって運用を縮小され続けてきたという特徴が見受けられる。現在では、専用色に塗装された1000番台3両編成3本の在籍となり、秋田駅~青森駅間の特急「かもしか」のみで運用されている。
[編集] 仙台車両センター(仙セン)
東北特急撤退後の1993年に「ビバあいづ」用の485系1編成が配置されたが、2002年の運転終了後に勝田車両センターに転出。その後青森運転所より国鉄色の485系(旧A7編成)が転入し、特急「あいづ」と快速「あいづライナー」に使用されていたが、「あいづライナー」の455系化後、2004年10月で一旦運転を終了した。東武鉄道乗入れを前提とした最初の改造を行い、2005年の「あいづデスティネーションキャンペーン」開催に合せて夏の臨時列車「あいづ」で復活。さらにその後東武ATSや列車無線の保安機器の搭載と車体の一部改造を行うと同時に小山車両センターに転属した(詳細は後述)。そして、2006年の夏以降再び臨時特急「あいづ」「仙台あいづ」が運転されることになり、青森車両センターから6両編成1本(旧A3編成)が転入している。こちらはA1・2編成と名付けられ、転入時に座席交換とシートピッチの拡大(定員380名→319名)。半室グリーン車クロハ481-1013の普通車化(原番号のクハ481-1015に復元)。ATC-L形を取外し、ATS-P・Ps形を搭載。車体塗色を会津大学短期大学部学生のデザインをベースとした赤と黒の2色に変更などのリニューアル改造などを郡山総合車両センターで施工し、「あいづデスティネーションキャンペーン」のマスコットキャラクター「あかべぇ」をまとい人気車両となった。同編成は2007年2月から3月にかけて臨時特急列車「かつうらひなまつり号」で運用された後、同月18日のダイヤ改正より磐越西線郡山~会津若松間で快速「あいづライナー」2往復(多客期には会津若松での運転間合を活用して3往復)として運転中。
[編集] 新潟車両センター(新ニイ)
民営化後に特急「雷鳥」「白鳥」用に指定席車両のシートピッチ拡大と窓の大型化、グリーン車の3列シート化(その際、元サロ481-98・112のサロ183-1052・1053がサロ481-98・112に復元されている)などを行ったグレードアップ編成が登場し、塗装も「上沼垂色」と呼ばれるものに変更されたが、のちに更新工事を行っていない車両も同様の上沼垂色に変更された。1996年には青森運転所(現・青森車両センター)南秋田運転所(現・秋田車両センター)から「いなほ」も運用を移管され、翌1997年には所属車両にリニューアル改造車の3000番台車も登場している。過去には1000番台グレードアップ車を組込んでいた「雷鳥」「白鳥」用の9両編成が5本(T1~T5編成)在籍していたが、2001年3月3日改正で「雷鳥」の新潟乗入れが廃止されたため運用を離脱し、一部は4両に減車されて快速「くびき野」用のT21・22編成となった。その後2編成とも2006年に長野へ転属し、T21編成のクハ481形を除いて6両がジョイフルトレイン「彩(いろどり)」に改造された。かつては、サロ481形3000番台を組込んだ「はくたか」用の9両編成(R1・2編成)も在籍していたが、2005年3月1日改正で「はくたか」の全列車が681系・683系化したため、短編成化と半室グリーン車改造を行ってR26・27編成となった。2003年には、「ムーンライトえちご」から165系電車が引退することになり、置換え用に青森運転所のA10・11編成が国鉄色のまま転入し、K1・2編成として就役した。また、1997年~2000年には特急「みのり」で長野まで運用されていたこともあるが、2004年10月27日~11月28日には10月23日に発生した新潟県中越地震の影響により、上越新幹線越後湯沢駅~新潟駅間が不通になったことを受けて、長野新幹線への乗継ぎを図るため、新潟駅から越後線・信越本線を経由し、長野駅まで結ぶ臨時快速列車にT編成、K編成のみならずR編成も充当され、久々に長野まで足を伸ばした。
現在では、リニューアル改造を受けた3000番台のR編成8本(R21~28編成、ただし旧R24編成はJR羽越本線脱線事故で物的証拠として警察に押収されており、現在は保留車のために実質稼動は7本)、上沼垂色をまとう1000番台中心のT編成8本(T11~T18編成)が定期運用で日本海縦貫線特急の「いなほ」「北越」の他、旧国鉄色のK編成2本(K1・2編成)によって快速「ムーンライトえちご」と「フェアーウェイ」(間合い運用による)にも運転しているが、これらはすべて6両編成である。さらには、増結用3000番台MM'ユニット2両(モハ485・484-3086)、ジョイフルトレイン「NO.DO.KA」「きらきらうえつ」、保留車のサロ481形3000番台2両とVIP仕様で防弾対策などを備えたサロ489形1050番台2両も配置されており総数は121両(実質稼動車は、111両)となっており、現役車両の1/4強、JR東日本だけ見ても同社所属の約半数が集結するJRグループ最大の485系配置基地となっている。なお、「ムーンライトえちご」に使用される車両は青森車両センターからの転属後も国鉄特急色のまま活躍しているK編成が充当され、予備車はATS-P形と車内減光設備を装備したT18編成(青森所属時代に波動運用対策と急行「津軽」運用のためにATS-P形を搭載)、もしくはR26・27編成(この編成は、R1・2編成時代に「はくたか」で北越急行ほくほく線に乗入れるためにATS-P形を搭載)が使用される。なお、JR羽越本線脱線事故で脱線転覆したR24編成の補完のために2006年に3000番台4両が青森車両センターから転入し増結用のMM'ユニットを組入れR28編成として組成した。
同区の485系は直流区間はもちろん、交流60Hzの北陸本線、交流50Hzの羽越本線・奥羽本線にも乗入れるため、3電源対応の485系の性能を存分に発揮していると共に、定期運用では青森、金沢、新井、新宿、黒磯にまで足を伸ばし、さらにシーズンによっては、郡山、会津若松や大阪にも姿を見せる広域運用を組まれているのも特徴である。
なお、2004年4月1日の組織変更で上沼垂運転区から新潟車両センターに名称変更された際にに略号も「新カヌ」から「新ニイ」に変更されており、所属車両への表記も変わっている。
[編集] 小山車両センター(宮ヤマ)
ジョイフルトレイン「宴」(G4・5編成)「華」(G6・7編成)の6両編成2本と2006年3月18日のダイヤ改正より栗橋駅構内で東北本線(宇都宮線)~東武日光線連絡線を介して運転されている新宿駅~東武日光駅・鬼怒川温泉駅間の特急「日光」「きぬがわ」用6両編成(G58編成)1本が配置されている。
なお、本形式が大手私鉄の路線へ直通運転されることは初となる。この車両は、元は青森運転所(現・青森車両センター)所属のA7編成で2003年仙台運転所(現・仙台車両センター)に転属させ、「あいづライナー」に充当。2004年10月、「あいづライナー」での運用終了後に外装変更や座席の交換とシートピッチ(1,100mm)の拡大による定員の変更(380名→319名)。クロハ481-1014→クハ481-1017への復元。ATS-P形搭載などの改造を郡山総合車両センターで行い、2005年夏に開催された「あいづデスティネーションキャンペーン」の観光用臨時特急「あいづ」(新宿駅~喜多方駅を結んだ)に使われていた。その後、「日光」「きぬがわ」に転用されることになり小山車両センターに再転属。先頭車正面の列車愛称表示器の撤去、運転台部分を1枚窓の新しい構体へ交換。3号車(モハ484-1058)の業務室を多目的室への変更。東武線内での運転のため東武ATSや列車無線の搭載などの再改造を行っている。また、新たに自動放送装置も搭載されている(JR・東武区間共に485系は堺正幸の声)。しかし、この車両は予備車がないので、検査や車両故障などの場合は東武100系が代走を行い、列車名にも「スペーシア」が付けられるが、東武車の都合が付かない場合は大宮総合車両センター所属の189系(OM201編成「彩野」東武乗入改造済み)が使用される。→ 詳細はスペーシアを参照。
[編集] 勝田車両センター(水カツ)
かつては特急「ひたち」や南秋田運転所(現・秋田車両センター)から運用移管された「あいづ」に使用されていた485系が多数在籍しており、中には初期ボンネット車のクハ481形0番台や483系のモハユニットもあったが、ボンネット形クハ481形(-17・-26)を含む4両を残していずれも転属・廃車、またはジョイフルトレインへ改造されている。これらの485系は1992年以降、近畿車輛デザイン室によるデザインの白灰色をベースにはとばねずみ色とうぐいす色の「ひたち色」に変更されて運用された。その際正面の特急シンボルマークは一部車両を除いて撤去している。なお新潟車両センターのクハ481-332は勝田時代にそれを施工されて現在もそのスタイルのままで運用されている。残った4両は訓練車として活躍していたが、すでに運用を離脱し、2007年2月17日に郡山総合車両センターへ廃車回送された。今後はクハ481-26とモハ484-61(モヤ484-2より復元)が10月オープン予定の鉄道博物館に保存されることになり、同センターで整備中である。E653系電車の投入で一旦営業用の485系オリジナル車が消滅したが、現在の所属車両は、ジョイフルトレイン「リゾートエクスプレスゆう」(K30編成)。2003年に新潟車両センターから転入の6両(K60編成)と仙台車両センターから転入の4両(K40編成「ビバあいづ」で使用されていた車両)が所属。塗装変更され、主に臨時列車や団体列車に使用されている。当区の車両にはいわゆる定期運用はない。
[編集] 長野総合車両センター(長ナノ)
1986年11月から特急「あさま」用の489系9両編成3本が在籍しており、189系同様「あさま色」に変更された。長野新幹線開業後2000年までに全車廃車となっている。
一方、2006年末にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」が登場したことで久々に交直流車が配置された。
[編集] 高崎車両センター(高タカ)
ジョイフルトレイン「やまなみ」「せせらぎ」の4両編成2本が所属する。時として、連結して8両編成として運転するケースもある。
[編集] 幕張車両センター(千マリ)
ジョイフルトレイン「ニューなのはな」6両編成1本が所属する。
[編集] その他
全般検査は、秋田総合車両センターが秋田・新潟所属車。長野総合車両センターが自所所属の「彩(いろどり)」。郡山総合車両センターが他の車両をすべて担当している。
[編集] 東海旅客鉄道
481系電車の歴史スタートと同時に「しらさぎ」で名古屋駅への乗入れが開始され、1965年~1972年には、「つばめ」でも485系電車が顔を出していたが、分割民営化以後は、エリア内に交流電化区間もなく、承継された車両もなかった。定期運用では、JR西日本所属車両で「しらさぎ」と間合運用で「ホームライナー大垣・関ヶ原」に用いられていたが、2003年に485系が683系電車に置換えられたためにJR東海エリアでの485系電車の定期運用は終止符が打たれた。現在では北陸地区からの団体列車が稀にJR東海エリアに入線するものの、最近では683系電車で運転されることが多くなっている。
[編集] 西日本旅客鉄道
JR西日本には124両が在籍している。主に北陸本線系統のエル特急「雷鳥」と急行「能登」に使われている他、臨時・団体列車にもよく使われている。
また、「北越」でJR東日本新潟車両センター所属車が乗入れている。
現在では残存する全車両が旧国鉄色となっている。
同社車両の特徴として、電動車ユニットの組換えが頻繁に行われていることが挙げられる。
[編集] 京都総合運転所(京キト)

485系9両編成10本(A01~A10編成)が在籍しており、10編成中6編成が大阪方に「スーパー雷鳥」「しらさぎ」に使われていたパノラマグリーン車を連結しており、残る4編成も「加越」などに使われていたクロ481形を大阪方に連結している。全車国鉄特急色である。489系も5両が健在で、A07編成にクハ489-604、A08編成にクハ489-704、A05編成にはクハ489-702、モハ489-26+モハ488-211が組込まれている。2003年9月まではボンネットスタイルのクハ481形100番台やサロ481形も連結されていたが、現在は全車廃車になっている。現在は主に特急「雷鳥」に使用されているほか、金光駅への臨時列車(通称:金光臨)にもよく使用される。
なお、以前は向日町運転所と称していたが、1996年3月16日に組織変更により向日町操車場と統廃合され、京都総合運転所と改称。その際に略号も「大ムコ」から「京キト」に変更されている。
[編集] 金沢総合車両所(金サワ)
489系9両編成3本(H01~H03編成)と7両編成1本(H04編成)が在籍している。いずれも編成両端にボンネットスタイルのクハ489形0・500番台を連結している上に2002年までに全編成が、それまでのオイスターホワイトをベースに窓周りバラ色・腰部がライトコバルトブルーのいわゆる「白山色」から国鉄特急色に塗替えられた(ただし同所の国鉄特急色は、雨樋がオリジナルと異なりクリーム4号となっている)ことから愛好者に高い人気を誇っている。H01~03編成は急行「能登」の他、たまに特急「はくたか」の代走に充てられることがあったり、京葉線沿線にある大型テーマパークへの団体列車に使われることもある。H04編成は定期運用を持ってないが、まれに「しらさぎ」や「北越」の代走に充てられる。
また、同所にはかつて485系も大量に配置されていた。使用する列車によって様々な色の485系が在籍していたのが特徴である。
- 「しらさぎ」「加越」用(K編成) 7両編成 1988年~2001年
- 国鉄特急色で組成。4号車にサロ481形が組込まれ、両端は基本的にボンネット車となっていたが、米原方クハ481・489形の電気連結器の有無によって、3両付属編成(後述)と連結を行う0番台とそうでない20番台とに分けられていた。1997年からは「スーパー雷鳥」から転用されたクモハ485形200番台を組込んだ3両編成(k11~13編成)も登場し、7+3の10両編成も登場した。7両固定編成は引退までクハ481形100番台を中心に組成されていた。
- 「かがやき」「きらめき」用(S編成) ハイグレード車6両編成(登場当初は4両編成) 1988年~1996年
- 「かがやき色」と呼ばれる専用塗装に変更されていた。金沢方にクロ481形2300番台を連結。
- 「はくたか」用(V編成) ハイグレード車8両編成 1996年~2002年
- 当初は「かがやき」「きらめき」でも使われていた。ATS-P形の取付とともに塗装変更が行われ、のちに「JR西日本色」と呼ばれるものになった。このカラーリングは現在福知山所の183系「まいづる」「たんば」編成や京都所のキハ181系で見ることができる。
- 「スーパー雷鳥」用(R編成) ハイグレード車10両(登場当初は7両固定)編成 1989年~2001年
- 大阪方先頭車にクロ481形2000・2100番台を連結し、2号車にサロ481形2000番台を組込んでいたデラックス編成。1997年までは7+3両編成で7号車にクハ481形200番台、8号車にクモハ485形200番台を組込んでいた。一部の編成はその後、7号車がサハ481形500番台、8号車がモハ485形にそれぞれ差替えられ、10両固定編成となった。
- 「しらさぎ」用(Y編成) ハイグレード車10両編成 2001年~2003年
- Y01~04は7両編成で、3両編成のY11~13編成と併結運転を行っていた。Y21~23編成は7両固定編成、Y23編成以外は富山方にクロ481形2000・2100番台を連結。この編成のカラーリングはファンの間で「あおさぎ色」と呼ばれていた。
- 「加越」「北越」用(O編成) 6両編成 1988年~2001年
- 米原方にクロ480形1000番台を連結。2001年3月改正で4両編成に減車された。
- 「加越」用(K編成) 4・6両編成 1997年~2003年
- 「かがやき」「きらめき」編成を国鉄色に戻したもの。金沢方にクロ481形2200・2300番台を連結。4両編成(K1~K3)、2両増結編成(K4~K6)、6両編成(K11~K13)。
- 共通予備編成(Y31~Y33編成) 2001年~2005年
- 元「しらさぎ」用K編成でサロ481形を組込んでいた。Y33編成は増結用のモハユニット。臨時特急「ふるさと雷鳥」などに使用された。Y33は489系H04編成に組込んで「はくたか」や「能登」の運用に入ったこともある。
2000年8月26日に運転された「リバイバルはと」で博多駅まで乗入れたりもしたが、2005年12月に最後まで残ったY31編成の廃車によって金沢の485系は姿を消した。
[編集] その他
一部の車両は交流電気機器を撤去、あるいは使用停止として183系200・700・800番台に改造した上で、エル特急「北近畿」を中心に京都駅・新大阪駅~城崎温泉駅・天橋立駅・東舞鶴駅間を走る特急網「北近畿ビッグXネットワーク」に使用している。これらの車両はいずれも福知山運転所に在籍している。
[編集] 四国旅客鉄道
国鉄時代も含めて、JR四国エリアには485系の配置はおろか、入線すらなかった。また、電化された現在でも予讃線箕浦駅以西はトンネル断面が極めて狭いため入線不可とされている。しかし、2001年5月12日・13日に大阪駅から運転された臨時列車「サンポート高松」号が高松駅まで乗入れた。このときはJR西日本金沢総合車両所の485系(両端ボンネット編成)が使用されたが、現在まで485系の四国入線は、この列車一回のみである。
[編集] 九州旅客鉄道
民営化直後はすべての九州島内の特急に充当されていた。また1989年~1992年に「有明」で世界初の気動車(キハ183系1000番台「オランダ村特急」)との動力協調運転が行われた。
しかし、783系以降の新型特急電車の台頭にともない充当列車も徐々に減少していった。まず1992年の「有明」(西鹿児島発着分)改め「つばめ」への787系投入により鹿児島本線熊本以南から特急として、次いで1994年には「有明」(熊本発着分)の783系統一により「有明」からは撤退し、同線鳥栖以南から姿を消した。
一方、1992年に登場した「ハウステンボス」に、1995年に「にちりん」を系統分割した「きりしま」に充当された。また1997年には博多~大分間の「にちりん」から改称された「ソニック」に、1往復のみ(大分電車区への入出庫)充当された。
そして2000年3月、885系「白いかもめ」の投入、「有明」の787系統一およびこの玉突きによる「みどり」と「ハウステンボス」の783系統一により、「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」の全列車から撤退し、鹿児島本線博多以南及び電化完成以来運用されてきた長崎本線および佐世保線から定期列車として姿を消した。一方、この改正では「にちりん」を系統分割した「ひゅうが」に充当された。
加えて翌2001年3月、885系「白いソニック」の投入および博多乗入れ「にちりん」の783系充当「にちりんシーガイア」「ドリームにちりん」集約により、遂に鹿児島本線全線から撤退し、博多駅から定期列車として姿を消した。
さらに2003年3月、別府での「ソニック」と「にちりん」の乗継制度が開始され、「にちりん」は大部分が別府発着となり、日豊本線別府以北での運用は小倉発着の1往復となった。その一方で、2004年3月には霧島神宮折返しの「きりしま」に、2005年3月には中津発着の「にちりん」に新たに充当されている。
[編集] 車体改修車の登場
783系以降の新型特急電車と比較し、格差が生じたため、車内外にわたり改修が行われた。主な内容は以下の通り。
- 外板塗装の変更(デザインは水戸岡鋭治主宰のドーンデザイン研究所が担当)
- グリーン車の3列シート化(改修前4列シート車のみ)
- グリーン車、喫煙普通車への空気清浄機の取付
- トイレへの換気扇の取付
- クロ480形連結5両編成中のモハ485形のトイレ・洗面所を業務員室・車販準備室に変更
- 普通席のリクライニングシートへの交換(自由席車など一部はモケット張替のみ)
この結果、以下5種類の改修車が登場した。現存する車両はすべてこの改修車のうちのいずれかであるが、2000年にミレニアム記念で大分車両センターのDO2編成(クハ481-230+モハ484-328+クモハ485-102)が旧国鉄色に塗替えられ、現在も営業運転中である。
- KAMOME EXPRESS(「かもめ」専用 消滅)
- MIDORI EXPRESS(「みどり」専用 消滅)
- RED EXPRESS(汎用、現存:DK10~16、DO31編成)
- HUIS TEN BOSCH(配色を変更した「K&H色」として現存:DO1・3~7、DK8編成)
- 「ハウステンボス」時代は4両でクモハ(緑)-モハ(青)-サハ(黄)-クハ(緑)の配色だったが、「きりしま」「ひゅうが」に転用する際、サハが廃車され、クモハ(緑)-モハ(黄)-クハ(青)の「K&H色」となった。
- KIRISHIMA EXPRESS(2000年に一旦消滅したが、2004年に復活し現存:DK9編成)
[編集] 車両関係
国鉄時代は南福岡および鹿児島のみの配属であったが、のちに大分にも配属されるようになった。また、下関発着の「にちりん」が廃止され、交直流切換の機会がなくなったため、現在は直流区間でしか使用されない機器(直流避雷器など)を撤去して交流区間専用の車両となっている。
一方、廃車も民営化直後から初期車を中心に進められていった。前述の改修を受けることなく廃車された車両もある。特にサロ481形は他形式に比べて速い時期から消滅(廃車だけでなく他形式への改造もある)していった。これは、JR九州に特急列車のグリーン車を下り方先頭車に、しかも半室のみ設定するという方針があったからと思われる。現に、783系以降の特急電車のグリーン車はすべて下り方先頭車で、かつクロ782形(のちに全車がクロハ782形500番台に改造され廃形式)およびクモロ787形以外はすべて半室グリーン車である。
1995年からは改修車にも廃車が始まり、当年度でサロ481形およびボンネット車は廃形式となった。そして2000年と2001年には、運用の大幅な縮小によりそれぞれ70両、36両が一気に廃車され、特に前者では南福岡車の定期運用がなくなった他、このときに廃形式または廃区分番台となったものもある。
2007年現在17編成73両が在籍するが、現在でも本系列が運用されている旅客3社の中では両数、残存率(23%)ともに最も低い。これらの車両も2010年度の九州新幹線の博多延伸開業時には、それに伴って余剰となる783系や787系に置換えられて全廃される予定となっている。2007年3月現在の所属および運用は次項、充当列車は次々項で解説する。
[編集] 大分鉄道事業部大分車両センター(分オイ)
DO1~7編成(3両編成)、DO31編成(5両編成)、電動車4ユニット8両(計34両)
- DO1~7編成は鹿児島より転入。また多客期には電動車を1ユニット増結し、5両編成となる。
- 「にちりん」(小倉発着除く)、「ひゅうが」、「きりしま」(霧島神宮折返し除く)、「みどり」(臨時列車のみ)、宮崎・南宮崎~宮崎空港間普通列車に充当。
- DO31編成は波動用。DK11~16編成と同様の編成内容。
[編集] 鹿児島総合車両所(本カコ)
DK8~10編成(3両編成)、DK11~16編成(5両編成)(計39両)
- DK9編成はRED EXPRESS保留車を再リニューアルした編成。
- DK10編成は大分のDO21編成から電動車を2ユニット脱車した編成で、クハ481-213は現在クハで唯一のRED EXPRESS色。
- DK8・10編成は「きりしま」(霧島神宮折返しのみ)、DK-9編成は一部宮崎行に、DK11~16編成は「にちりん」(中津発着除く)「ひゅうが」「きりしま」、宮崎・南宮崎~宮崎空港間普通列車に充当。2006年9月17日に発生した脱線転覆事故によりDK12編成が被災したが、同年12月クロハ481-4が復旧し、MM'ユニットに大分車両センターの波動用ユニットを組込み運用復帰した。なお、モハ485-164+モハ484-266は依然修理中との情報があるが、詳細は未確認。
[編集] 現在の充当列車
- 「にちりん」(1972年4月~):1~5・9・11・15・17・21~25号、2~6・10・12・16・20~26号
- 「きりしま」(1995年4月~):全列車
- 「ひゅうが」(2000年3月~):2号を除く全列車
- 宮崎地区の一部の普通列車・ホームライナー
- 「みどり」(1976年7月~):2000年3月以降は有田陶器市の際の臨時列車のみに運用
[編集] かつて485系が配置されていた車両基地
[編集] 札幌運転所(札サウ)
1974年4月~1980年9月 1500番台車22両が特急「いしかり」で使用された。ただし、初年は青森運転所に貸渡し。
1987年3月~1990年6月 サロ481形6両とサシ481形1両。サロは、ジョイフルトレイン改造用の種車と言われているが、真偽は不明。全車1990年6月廃車。サシは、1989年にスシ24形に改造。
[編集] 南福岡電車区(門ミフ→本ミフ→北ミフ)
1975年3月~2004年2月 山陽新幹線博多開業に伴う広域転配で向日町運転所から転入。しかし後継車両の導入で、廃車、そして鹿児島総合車両所と大分車両センターへと転出し、配置ゼロに。約30年の配置基地としての歴史に幕を閉じた。
[編集] 日根野電車区(天ヒネ→本ヒネ→大ヒネ)
1985年3月~1986年10月 紀勢本線の特急「くろしお」用に44両を配置。運用の見直しで、「北近畿」転用で福知山運転所と南福岡電車区に全車転出。2年にも満たない配置区だった。
[編集] 福知山運転所(福フチ)
1986年11月に「北近畿」運転のため転入。しかし、その後所属する485系電車は、すべて交流機器を撤去、もしくは使用停止にして183系電車に改造、あるいは他区所へ転出したために現在は485系としての配置はゼロとなっている。
[編集] その他のエピソード・トリビア
- 1970年代初頭に向日町運転所(現・JR西日本京都総合運転所)所属のクロハ181形、クハ181形を含むボンネット車には、吹田工場でヘッドマークを独特のロールマーク式に改造した車両が多数見受けられた。これは盗難防止とがかなりの重量を持つヘッドマークの交換作業省力化という見地から行われた改造で、電動の自動巻取式。故障時には、ヘッドマーク正面向って右側に取付けられた対応用クランクハンドルの差込口で手動で動かすことも可能なものであった。もちろん従来のプラスチックヘッドマークも装着可能である。向日町から転属後はロールマークは使用されていないが、クランクハンドルの差込口が残されているので識別は可能である。難点は、奥まって付いているため晴天の日中判読しにくいことであった。
- ロールマークで確認されている列車名
- 「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」
- ロールマーク式に改造されたクハ481形
- 2~7・9~11・15~18・37・38(このうち17が勝田車両センターで現存)
- ロールマークで確認されている列車名
- 「つばさ」電車化時に充当されたクハ481形200番台のヘッドマークの英文字表記には「TSUBASA」「TUBASA」の2種類が存在した。同様に「雷鳥」のヘッドマークの英文字表記にも「RAICHO」「RAICYO」という2種類の存在が確認されている。
- 1964年10月1日国鉄ダイヤ改正で山陽本線に転用された151系・181系は一等車(現・グリーン車)の乗車効率が芳しくなく、1965年10月より編成中のサロ180形・181形が(当時151系→181系改造はすべてが完了していないが、便宜上181系の形式で呼称)1両減車された(合計10両)。そこで1966年10月ダイヤ改正に向けての転用計画に際し、このうちの5両をサロ481形に改造する案も立案されたが、同改正ではサロ481形の需要がなかった事から実現には至らなかった。しかし、信越特急「あさま」でのサロ転用が浮上したために再検討した結果、3両が「とき」「あずさ」用として普通車に格下改造されサハ181形として、7両が「あさま」用としてサロ180形・181形に改造され田町電車区(現・田町車両センター)に転属している。この件についてはこちらも参照と。
- 国鉄時代に大量に増備され、日本各地で特急列車に広く用いられた485系だが、2007年現在、普通鉄道のない沖縄県と三重県、鳥取県、島根県、愛媛県、徳島県、高知県の7県にはまだ足を踏み入れていない。このうち徳島・高知の両県にはJRの電化区間は存在しない。また、神奈川県、静岡県、奈良県、香川県は定期列車での入線はなく、すべて臨時列車もしくは車両転配などの回送による非営業列車によるもの。山梨県はJR東日本が改造したジョイフルトレインによる入線のみである。
- 夏期臨時列車に充当する狙いもあったため、489系電車の先行製作車2編成は本来の使用目的である「白山」運転開始の8ヶ月前である1971年7月に落成している。また、派生形式ではあるものの新形式であるため、北陸特急で実績のある向日町に配置して様子を伺うという慎重さも含まれていた。そのため、向日町車に合わせた11両編成で落成し、定期運用にも組込まれ九州地域での運転も確認されている。さらに、秋以降に碓氷峠でEF63形との協調運転テストを行い、年末にはスキー臨時列車である「あさま銀嶺」で実戦投入のリハーサルとも言うべき横軽区間での営業運転が行われた。年が明けた1972年に3編成がサハ489形組込の12両編成で落成し、さらに先行2編成分にも追加されるのだが、追加新製は1両のみで後はサハ481形から2両の改造で充当が予定された。しかし、改造は「白山」運転開始から8ヶ月経った11月であった。また、同年の10月~11月に200番台・600番台車3編成が落成しているが、サハ489形の新造車は翌1973年3月の金沢運転所に初めて新製配置された2編成の追加までなかった。つまり、編成数に対応したサハ489形は常に1~2両足りない状態であり、7月にサハを2両製造して辻褄が合うことになった。これには、向日町の485系も車両が不足気味で、11両状態の489系も共通予備車として運用が組み込まれていたこともあり、金沢への転属が概ね1973年9月までに完了した後も1編成だけ残された。最後の編成が金沢に転属したのは、純増備の485系(クハ481形300番台の初落成車)が向日町に配属されるを受けた後の1974年4月であった。
- 1971年上野~盛岡に停車駅を特急並に減らし約6時間30分で結ぶ455・457系電車による臨時急行「エコーもりおか」が運転された。この列車は、本来は特急「やまびこ」の臨時列車と計画されていたが、485系の予備車捻出ができずに急行列車として運転されることになった。翌年485系が大量増備されたために格上げされるが、速達性が好評だったため1972年3月15日国鉄ダイヤ改正で仙台~青森の急行「くりこま」2往復を455・457系電車化した。うち1往復は全車指定席で停車駅を大幅に減らし、485系特急列車が4時間30分程度のところを4時間45分で結ぶダイヤ設定を行った。本来なら特急として運転しても遜色のない急行列車であったが、当時の社会情勢もふまえて1往復だけ特急化することに仙台鉄道管理局が難色を示した上、対上野口のエル特急を大増発したために485系の運用に余裕がなくなり急行列車として運転されることになった。この列車は途中で定期気動車急行を追い抜き、表定速度81.6km/h は歴代急行列車最速であったが、1982年の東北新幹線開業で快速列車に格下げ、盛岡~青森は「はつかり」に発展的解消を遂げている。
- JR化後には列車別・車両所別に様々な塗装の485系が登場したことで、混色編成になることも多かった。車両の転属後や貸出中、運用変更にともなう塗装変更の最中、車両故障時などに予備車を連結した際などに混色になることが多かった。上沼垂運転区(現・新潟車両センター)の485系9両編成に勝田電車区(現・勝田車両センター)から転属した「ひたち色」のMM'ユニットが組込まれたのが好例。また、JR西日本の「シュプール号」運転時に京都総合運転所の583系との併結運転がなされた。これは営業列車で唯一の例でもあり、583系としても初めて先頭貫通路が使用された(北陸トンネル走行時の防災対策のため)。さらに583系に旧国鉄特急色の485系のMM'ユニットが組込まれたことがあったり、北陸地区での103系USJ色の車両展示の為に電源車として485系が使用されたことがあるなど、他形式との混色(混結)もあった。これらは鉄道ファンの興味をそそり、記録として残そうと撮影するファンも多く、鉄道趣味雑誌などでその写真が掲載されたこともあった。485系の運用が減った現在ではそのような光景が実現することは極めて稀である。
- 1982年頃から老朽化により初期車の廃車が始まったが、分割民営化直前の1985年~1986年にかけて短編成化により、サロ481形やサシ481形、サハ481形といった付随車に大量の余剰車が発生した。一方で先頭車が不足したためクハ480形、481形への改造の種車となるケースやJR化後のサービスを考慮した和式グリーン車等への改造も行われたが、多くのサロ481形やサシ481形は転用の道が少なく、そのまま保留車になったケースや車籍抹消されたのちも解体されずに放置されるケースもあった。これらの車両は、のちにジョイフルトレイン改造の種車や24系客車化などが行われ、今なお現役車両として活躍する車両もあれば、車籍復活がされたものの転用計画が破棄され解体されてしまった車両などもあり明暗を分けている。
- 口コミやインターネット、さらにはDVDで人気を集め今や全国区の人気番組となった、北海道テレビ放送(HTB)制作のバラエティ番組「水曜どうでしょう」でも485系電車が何度となく映像として登場している。特にサイコロの出た目で指定された公共交通機関を使用し、移動する「サイコロの旅」シリーズでは、登場頻度も高く、現在では廃止、もしくは485系を使用しなくなってしまった列車も登場するために懐かしさだけはなく、貴重な映像資料ともなっている。同番組で確認されている485系登場シーンは次の通り。ただし、車内のみの撮影シーンだけもある。なお、企画の詳細などはこちらも参照のこと。
[編集] 関連商品
KATO、TOMIX、マイクロエースから鉄道模型が販売されている。
- KATO
- Nゲージのみで、485系初期型(クハは100番台)、485系後期形(クハは300番台)、489系(0番台)がある。全て国鉄仕様である。
- TOMIX
- NゲージとHOゲージの2種類がある。様々な種類の485、489系が販売されているのが特徴。Nゲージは2004年頃から製品のリニューアルが始まり、順次HG仕様に差替えられている。
- Nゲージ
- 485系初期形(クハ481形0番台のセットとクロ481形0番台のセットがある・国鉄仕様)、485系後期形(クハは200番台・国鉄仕様)、「しらさぎ(限定品)」、「スーパー雷鳥」がある。「ゆうトピア和倉(クハは100番台)」が近く発売される予定。リニューアル前は485系1000番台(国鉄色)、「ひたち色」、「上沼垂色」、489系「白山色」などがあった。
- HOゲージ
- 485系初期形(クハ481形100番台のセットとクロ481形100番台のセットがある・国鉄仕様)、485系後期形(クハは300番台・国鉄仕様)、「かがやき・きらめき色(限定品)」、489系200番台「あさま色」がある。
- マイクロエース
- Nゲージのみで、485系RED色、K&H色、国鉄色(DE10とヨ28000を加えた特急「有明」の豊肥線乗入れ仕様)といった九州の485系が販売されている。2007年夏に485系「あいづ(東武色)」、「あいづ(あかべぇ色)」、ジョイフルトレイン「華」「やまなみ」「せせらぎ」が発売される予定となっている。
[編集] 参考文献
- 交友社「鉄道ファン」
- 1978年10月号 No.210「特集:交直流特急電車PART.1」
- 1978年11月号 No.211「特集:交直流特急電車PART.2」
- 1983年3月号 No.263「特集:電車の引越し大作戦」
- 1985年4月号 No.288「特集:485系20年」
- 1985年11月号 No.295「特集:がんばれボンネット特急」
- 1987年4月号 No.312「特集:485系とその一族」
- 1990年12月号 No.354「新車ガイド シルフィード登場」
- 1991年6月号 No.362「新車ガイド RESORT EXPRESS ゆう」
- 1992年3月号 No.371「特集:485系特急形電車」
- 1992年7月号 No.375「特集:惜別485系“つばさ”」
- 1994年8月号 No.400「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『宴』」
- 1996年6月号 No.422「新車ガイド JR東日本485系3000番台」
- 1997年2月号 No.430「特集:ボンネットSTYLE」
- 1997年7月号 No.435「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『華』」
- 1998年4月号 No.444「新車ガイド JR東日本485系『ニューなのはな』」
- 1998年10月号 No.450「特集:今どきの485系」
- 1999年7月号 No.459「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『やまなみ』」
- 2001年6月号 No.482「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『せせらぎ』」
- 2002年2月号 No.490「新車ガイド JR東日本485系『きらきらうえつ』」
- 2003年12月号 No.512「特集:月光形 その顔の世界」
- 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」
- 1988年7月号 No.498「特集:485・489系特急形電車PART.1」
- 1988年8月号 No.499「特集:485・489系特急形電車PART.2」
- 2001年8月号 No.705「特集:485系電車の現状」
- JR電車ライブラリーシリーズ2 特急形交直流・交流電車
- ネコ・パブリッシング「レイルマガジン」
- 1991年3月号 No.89「特集:I LOVE ボンネット」
- 1991年7月号 No.93「新ジョイフルトレインゆう」
- 1991年8月号 No.94「特集:もっと知りたいボンネット」
- 1994年12月号 No.135「特集:485系総整理」
- 2003年4月号 No.235「特集:さらばボンネット特急」
- 2006年8月号 No.275「特集:485系『雷鳥』最後の戦士」
- イカロス出版
- 交直両用特急形電車形式485系
- 「名列車列伝シリーズ 特急ひたち&ボンネット特急」
- 「名列車列伝シリーズ 特急雷鳥&485系電車NOW」
- 「名列車列伝シリーズ 特急はくたか&北陸の485/489系」
- 「新名列車列伝シリーズ 東北線の名列車電車篇」
- 季刊j train 2003年 Vol.9「特集:北陸路のボンネット特急」
- 国鉄型車両の系譜シリーズ5 形式183・189系
- 学習研究社「鉄道ナビVol.2」
- 2000年「特集 特急電車485系分類大百科」
- JTBパブリッシング
- 石井幸孝「九州特急物語」 ISBN 978453306870