南条あや
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南条あや(なんじょう あや、本名:鈴木純(すずき じゅん)、1980年8月13日 - 1999年3月30日)は、メンタルヘルス系ネットアイドル。東京都出身。
幼い頃に両親が離婚、母親は再婚し、イタリアンレストランを経営する父親に引き取られ、父子二人だけの環境で育つ。小学校を卒業するまでにいじめ、不登校を経験。高校時代に精神科の閉鎖病棟へ1998年7月27日から1998年10月2日まで入院する。小学校の同級生からのいじめから逃れるために、地元の中学校へは行かず、受験で私立中学校に進学したが、そこでもイジメを受けた。やがて中学1年の頃からはリストカットをするようになり、晩年まで慢性化していた。
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[編集] プロフィール(1998年当時の本人作成のものから抜粋)
※その他ファーストキッチンのバジルポテト、焼肉、ユッケなどを好んでいたこと、嫌いだったものはヨーグルトということが日記中に記載されている。しかし、カロリーの低さからアロエヨーグルトやウイダーインゼリーしか口にしないなどの過激なダイエットを度々していた。
※他にもモーニング娘。やkiroro、SPEEDなどを愛聴していた。
[編集] 経歴
都内の中高一貫の女子校出身。
高校3年生の頃に町田あかね氏のウェブサイト「町田あかねのおクスリ研究所」(現在閉鎖)上に1998年5月28日~1999年3月17日まで日々を綴った日記を公開し始める(実際の公開は南条自身が行っていたわけではなく、日記の文章をEメールで町田に送信し、その日記メールを受信した町田が南条あやの日記として自身の「町田あかねのおクスリ研究所」内にアップロードしていた)。
心に病を抱えた内容を吐露した日記は同好の士を中心に多くの人々から支持を集め、ファンクラブも結成されるまでに至る。また、当時はメールマガジン方式の会報を不定期発行していた。
趣味の一つのカラオケに友人を誘ってはよくカラオケボックスに出掛けたり、リストカットの衝動を抑えるために献血に精を出していた。
しかし、卒業式を終えて二十日後の1999年3月30日正午ごろ、一人でカラオケボックスに入店し、その後3時間の間に向精神薬を大量に服用し昏睡状態で病院に搬送される。その後死亡。しかし、本人は薬物にたいしての知識が十分あり、服用した薬も致死量には満たなかった。そのため、本人に明確な死の意思があったかは不明。未だに推定自殺とされている。自殺の理由も定かではない。まだ18歳の若さだった。
当時人気を博していたため、インターネット上では彼女のファンが半ばパニックになり、掲示板ではさまざまな論争が繰り広げられ、多くのファンから、追悼の言葉が寄せられた。
司法解剖の結果、日常的に繰り返した自傷行為により、心臓の弁に穴が空いていたことが結果としての死因に結びついた。
これらは1999年8月30日のフジテレビ火曜ファイル“インターネットな女たち”、2001年4月10日のNHK『にんげんゆうゆう』で紹介された。『にんげんゆうゆう』の方は約二ヵ月後に再放送された。
死より8年が経過した現在でも、メンタルヘルス界では支持され続け、カリスマ的存在である。
代表作として詩に『終止符』(死の前に恋人にメールで送られた)、著書に下記『卒業式まで死にません』がある。
[編集] 著書
- 卒業式まで死にません(新潮社 ISBN 4-10-142021-1)