不登校
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不登校(ふとうこう)とは、広義には在籍の有無にかかわらず学校に登校しない状態のこと。日本の一般的な用法では、経済的理由や、病期による長期入院等を除いて、在籍していながら学校にある程度の期間登校していない状態のこと。別称で「登校拒否(とうこうきょひ)」とも言う。
ただし、不登校に関する論議や統計を行う場合は、学齢期でありながら、または就学を望んでいながら小学校・中学校・高等学校などに在籍していない非就学者についても、その存在を見落としてはならないとする意見もある。
なお本項では、一般的な用法による日本の不登校を中心として解説する。
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[編集] 概要
文部科学省による公式な定義では、「不登校児童生徒」とは、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しない、あるいはしたくともできない状況にあるため、年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」としている。
一般的に不登校が大きな問題とされるのは、小学校と中学校である。これは義務教育制度が、学齢日本人の全員出席を目指している制度であり、小中学校がその時期の就学先学校に当たるからである。
このため、一般的に学校側は不登校児童生徒に対して、再登校するように働きかける例が多い。また、義務教育の対象ではないものの、高校生にも不登校問題は存在し、学校にもよるが積極的なサポート態勢を取る例が多い(高校の場合は特定校に不登校生徒が集中しやすいとされる)。
不登校の定義は、立場や考え方によってさまざまに異なるが、日本社会では前述の文部科学省が提示している定義が一般的に用いられる。これによる現在の公式統計では、全国で約13万人、1.2%程度とされるが、これも定義の揺れに伴い少ないとも、多いともさまざまな意見がある。
不登校はかつていじめの増加によるものだ、という考えが蔓延したが、全ての不登校がいじめ被害に起因するものではないので、一面的であり、全ての事実を的確に述べているとは言いがたい。
また同様に、「不登校は病気である」という考えがあるが、現在の不登校の定義は身体的・精神的病気によるものを除外して考えることが大勢であり、治療の対象ではないとされる。しかし、病識のない精神疾患の可能性を考えれば、精神医学的アプローチを初めから否定するのは適切ではないとする見方もある。
さらに学校に行ける者でも、登校の際に心身症的症状としての腹痛やめまいなどが現れたり、登校しても保健室や各学校が用意した特別教室までで、自分の学級までは行けないなどの状態もある(俗に「保健室登校」などと呼ばれる)。そのような学校に対する不適応の現象も総称して、不登校という事もある。
[編集] 不登校と再登校の原因
不登校の原因には多くの説があるが、実際は個人によって千差万別である。また「不登校状態が始まる原因」と「不登校状態から復学できない原因」は別のものであることもある。
[編集] 欠席の起きる原因
病気などの直接的な理由のない長期欠席が始まる原因については様々な例がある。代表的なものとしては、以下のようなものがある。
- いじめ・教員との相性問題
- 全ての不登校がいじめに起因するものではないにせよ、NPO法人教育研究所の牟田武生によると、不登校の原因の約70%はいじめであり、別のNPO法人によれば、不登校の約80%がいじめを原因とするとの報告もある。教員の児童・生徒へのいじめは、研究者の間ではずっと以前から存在しているといわれている。
- 教師の問題行為
- 学業上の不安(学業不振・浮きこぼれ)
- 家庭の不和
- コンプレックス(劣等感以外にも、当人に内在する様々な理由による)
- 非行
- 席替え
- 不登校生の社会適応能力、人間関係構築能力の欠如
- 現状の学校制度(管理教育など)
- 上級学校への進学による環境変化(悪化)
- 社会の学校・進学・就職に対する状況・価値観の変化
- 「学校に行くのは当然」「学校を卒業し就職するのが当然」という価値観が稀薄になったため、ちょっとしたきっかけから学校を休み、それが容易に長期化することがある。
- 不登校の一般化による相乗効果
- クラスに2、3人の不登校生がおり、それ自体あまり特殊なものとして見られていない、あるいは、マスコミ等で不登校が頻繁に報道されることにより、自分が不登校になることの抵抗感・不安も減り、さらに不登校生が増加する。
公式の統計では、質問紙に準備された選択肢のどれにも当てはまらない「その他」に該当する例がかなり多いが、選択肢自体が恣意的に提示されていることもその一因である。たとえば学業不振などの選択肢はあるものの、「簡単なのでつまらない」などの選択肢は存在しない。
[編集] 欠席の長期化の事由
一方、長期欠席からなかなか復学できず、長期化することになる原因も様々ある。それらは
- 過剰な登校要求
- 現状の学校制度(自動進級制度など)
- 周囲の反応
- 自学自習による学習形態に対する自信
- 学習の遅延
などである。
しかし原因が明確なことの方が珍しく、どれも全ての不登校者に対して当てはまるものではない。不登校は、あくまでも個々の異なった現象であり、全体としてはっきりと原因を定義できるものではない。
[編集] 学校に復帰する事由
不登校状態から学校復帰が起きる際には、さまざまな理由が存在する。それらは
- クラスメートと会いたいため
- 学習の遅れに対する危機感
- 学校側の復学支援
- 心身の疲れからの回復
- 親からの強制
- 上級学校への進学による環境変化(良化)
などである。これも個人によって様々である。
[編集] 多数派が不登校にならない事由
[編集] 長期欠席の急増の事由
1990年代ごろから不登校が急激に増加した原因としては、ゆとり教育路線や情報化社会による学校の価値の低下が一因にあげられる。学校に行かなくても自力で学習したり進路を開拓したりすることができるということが認識され始め、また学校の授業内容が物足りない(あるいは重要でない)と感じる機会も増加するなど、学校の魅力が低下した形となった。また、子供の発達や知的好奇心は個人差が大きく、社会の充実化に伴って個性の差が開いたのに、小中学校が画一的な教育体制を脱せなかったことも重要な要素である。
[編集] 問題の汎用化
また、不登校の原因が現在の教育論争、いわば政治的な面で社会問題として注目され、その不登校児童・生徒らの総数ばかりが取り沙汰されるケースは多い。
これらは教師の教育問題や政府批判などで利用され、直接関係の無いまま議論はさまざまに飛び火し、それらが当事者不在で「原因」と「問題」だけで語られることが非常に多い。これらの議論は当事者、特にその場で苦しんでいる本人を置き去りにして行われていることが多く、そしてそれらの政治問題に利用されたままの議論などで発生した「原因」が報道によって伝わり、自らの原因がわからない多くの当事者を苦しめている現状がある。
不登校は原因がはっきりして起こるわけではないため、各々のケアが各々のケースに則して成されるべきではあるが、往々にして政治問題や教育問題として取り沙汰されている場合は、関係者がまるで社会の穢れのように扱われるケースすら見られる。
[編集] 不登校のサポート・対策
学校などでは、教員がほどよくコミットメント、本人や家族とコンタクトを取り交流し不登校中でもサポートを行うような活動が行われている。さらに不登校を含む学校の諸問題を解決するために、専任の教員、スクールカウンセラーを配置、少人数学級や、複数担任をおく、などの制度改革が行われている。
さらに2003年4月21日、小泉内閣の進める構造改革特別区域構想にともない、『不登校児童・生徒のための体験型学校特区』に認定され、2004年4月、小中一貫校である八王子市立高尾山学園が開校するなど、行政側のサポート・対策もおこなわれている。
また、行政ではない民間の動きでは、主に各地で「親の会」と呼ばれる不登校の子どもを持つ親が集まりや、教師などを中心に
- 本人は学校という「居場所」を拒絶し、失っており、まずは学校以外で気軽に通える居場所の必要性。
- 学校で問題がおきているのに学校だけで対応することへの問題
- 結局は学校へ戻すことを目的とした動きへの違和感
- 現実的に学校が不登校者のために割くことができる人的、時間的な資源の問題
などから学校だけの対処には限界があり、それに対処するために、フリースクールとよばれる、不登校者など学校になじめない、学校に行けない子どもたちの「居場所」が各地で作られている。
地方の親の会などが中心となって作られたフリースクールでは、人的、財政的な問題などで活動停止や閉鎖しているものもあるが、近年相次いでNPO法人化し基盤をかため行政などと連携し活動を広げている。
日本の学校システムでは、特に初中等教育において年齢主義が強固であるため、一度つまづくと一般的にはなかなか元に復帰しにくい。このような状況を打破しなければ、不登校の根本的解消は困難である。
[編集] 言葉の遷移
ごく初期では、「学校嫌い」という言葉であらわされていた。しかしそれらはその言葉では片付けられない問題との認識が広がり、「登校拒否」という言葉と共に、この「不登校」という言葉が用いられるようになった。
しかし現実には、学校に行くのを拒否するというよりも様々な理由により「行けない」という心身的な不調状態であることも多く、登校を拒否しているわけではないとして「登校拒否」という言葉は不適切とされ、現在ではこの「不登校」という言葉が、より適切な表現として主に用いられるようになった。
そもそも「登校拒否 school refusal」という概念の由来は、英米の専門家らによる無断欠席児童の研究を通じて、学校に行かないのではなく、「学校に行こう(行かなければ)と思いつつも(そう思えば思うほど)行けない」などと本人が訴えて、強い不安をともなう広い意味での神経症的反応を示す一群の子ども達が発見され、「学校恐怖症 school phobia(のちに分離不安と言い換えられた)」と名づけられたことによってはじまる。
日本でも精神医学や臨床心理学の文脈で登校拒否という語が用いられている場合には、このような学術的な定義および学説の変遷に基づいていることが多い。そのため、厳密な意味での登校拒否は、一般に幅広い意味合いで用いられている広義の登校拒否と区別して狭義の登校拒否と表現されたり、日本では神経症的登校拒否と言い換えられている場合もある。
とはいえ、それが精神医学上で用いられる本来の意味での登校拒否なのであり、いわゆる怠学(遊び・非行型)などと呼ばれることもある無断欠席児童とは識別されていることに注意しておく必要があるだろう。「不登校 non-attendance at school」と訳されている用語も、日本の専門家(特に精神科医や臨床心理士)の間では、基本的に上述した脈絡での「登校拒否 school refusal」の用法を引き継いでいることが多い点にも注意すべきであろう。
[編集] 不登校をテーマにした著書
不登校をテーマにした書籍は数多く存在し、いまや一大ジャンルとなっている。対象者の種類には「保護者向けに書かれた本」、「教員向けに書かれた本」、「当事者向けに書かれた本」がある。また内容の傾向としては、「復学を勧め、具体的な復学支援の方法を紹介している本」、「学校に行かないという選択肢を積極的に勧める本」、「不登校経験者に向いている高校やフリースクールなどの教育機関を紹介する本」、「純粋な研究書」などがある。
あまりにも多くの本が存在し、新たに刊行される本も多いため、時期・運などによって書店で手に取れる本はかなり変わってくる。どの本がその当事者にとって最適な方法を紹介している本なのかは分かりづらく、初心者は情報の洪水に流されそうになる危険性もある。また一冊の本にあらゆるケースを詰め込むことは難しく、自ずと著者の自説に偏ることになるため、初めて出会った本にまずい影響を受けてしまう例も散見される。
- 高橋良臣 - 『不登校・ひきこもりのカウンセリング』 ISBN 4760832343(2005年)
- 長森修三 - 『好きなコトに一生懸命、自分らしく高校卒業―不登校・高校中退からの再出発』 ISBN 4902776057(2005年)
- 荒井裕司 - 『「学校に行きたくない」って誰にも言えなかった』 ISBN 9784938874117(1999年)
『ひきこもり・不登校からの自立』 ISBN 9784838711871(2000年) 『24時間先生』 ISBN 4840111561(2004年)
- 青田進 - 『不登校が輝く』ISBN 4763251287(教育出版センター)
『ゼロからの出発』ISBN 4763251295(グローバルメディア)
- 『小中高・不登校生の居場所探し 2007~2008年版』 ISBN-10: 4902776189(学びリンク)
[編集] 不登校の経験がある著名人
本来不登校とは学校に行っていないということに過ぎないが、日本では就学率が非常に高いため、不登校経験者であることが特筆されるほど珍しく扱われる。また、ここで挙げられている例は、完全な不登校だけではなく、一時期だけ休学したという例も含む。
- 江藤淳=小学校時代、教師と折り合いが悪く、不登校になった。
- 金原ひとみ=中学校・高校にはほとんど登校しておらず、父の金原瑞人のゼミで小説作法を学んだ。
- 亀田和毅
- 桑島由一=小説家。中学二年次より不登校となる。
- ジャック・デリダ
- 高田延彦=元プロレスラー。中学時代に不登校となった。
- 千原ジュニア
- 野川さくら=声優。
- 日高敏隆=小学生時代、当時の軍国主義的なスパルタ教育に適応できず不登校になり、より自由な他校に転校した。
- 真琴=女子プロレスラー。中学時代は登校拒否で高校も一年で中退。
- 松本創
- 宮崎哲弥=BATTLE TALK RADIO アクセスにて「登校拒否児だったから」と語る。
[編集] 関連項目
- フリースクール
- サポート校
- スクールカウンセラー
- 適応指導学級
- 児童相談所
- ホームスクーリング
- いじめ
- 引きこもり
- 学校恐怖症
- ニート
- 戸塚ヨットスクール
- 家栽の人(漫画)-主人公の裁判官・桑田義雄の長男・守は不登校である。
- キッズ・ウォー(ドラマ)