四股名
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四股名 (しこな) とは、日本の国技「相撲」における力士の名前である。
もともとは醜名と書き、自らをへりくだって呼ぶときの名前であった(また「醜」の字には、「憎まれるほど強い」との意もある)。いつからか四股と相まって「四股名」と書かれるようになった。しこ名と書かれることも多い。
改名するときは、各場所の千秋楽から番付編成会議までの間に改名届を提出し、編成会議において承認される。
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[編集] 歴史
四股名の誕生は江戸時代、興行としての勧進相撲が始まった頃からと考えられている。例えば「信長公記」など戦国時代の歴史書にあらわれる相撲取りは、本名かそれに準ずる通り名などで相撲を取っていた。
職業として相撲を取る者があらわれたことで、四股名が用いられる様になったが、当初は古典に登場する豪傑の名をとったような、荒々しいものが多かった。
由比正雪の謀反事件の後、江戸幕府によって一時期四股名の使用が禁じられた。叛意を持った浪人が来歴をいつわって相撲取りの巡業の中に潜伏するようなことを、取り締まるためだった。やがて幕政が安定すると、これも解禁され、谷風梶之助、小野川喜三郎らの活躍する寛政期になると、現在に通ずるような勇ましさだけでなく優雅さを強調した、「山」「川」「花」「海」といった文字を盛り込んだ四股名が使われ始めた。
現在では、「朝青龍明徳」の「朝青龍」のように、一般で言う「姓」の部分が四股名であるという認識が強いが、かつては「姓+名」までが四股名だった。例えば、現存する最古の相撲部屋のひとつである高砂部屋では、師匠が代々「高砂浦五郎」を襲名しているのを始め、部屋ゆかりの四股名にも「小錦八十吉」「朝潮太郎」など姓名がひとくくりになったものがあり、その名残を残している。
近年の傾向として、かつてほど「山」や「海」が用いられなくなっている。日本人の郷土意識の希薄化と、自然破壊の進行でかつての名勝地でも荒廃がすすみ、避けられるようになったことが、要因としてあげられる。「川」は、山や海よりも前に若瀬川あたりを最後として四股名から消えた、川は流れるので星も流れるというので好まれなくなったという。一方、琴欧洲、把瑠都のように郷土を遠く離れた外国出身力士に郷土ゆかりの四股名が目立つ。(ただし、欧州、東欧などの漠然とした地名や「把瑠都」など強引とも取れる当て字の使用に関しては批判もある。)また、垣添、片山のように学生相撲出身力士が十両、幕内に昇進しても本名で取り続けることが多くなってきている。幕内力士が最初に本名で土俵に上がった例は1947年6月場所で入幕した岩平貞雄だが、これは幼少のときに生き別れた母親に健在を知らせ、名乗り出てほしいという希望をこめたものと言われている(しかし母親は現れず、一場所で若葉山貞雄と改称した)。
[編集] 分類
- 自然現象などに由来
- 郷里の地名、名勝などに由来
- 本名
- 恩人の名前、母の旧姓などに由来
- 古典文学などに由来
- 師匠や先輩の四股名から文字を受け継ぐなど
- 母校に由来
- 部屋ごとに四股名に決まった一文字を必ずつける例。
[編集] 変わった四股名
- 九 九之助(いちじく きゅうのすけ)
- おだやか 常吉(おだやか つねきち)
- い 助治郎(かながしら すけじろう)
- ステッセル 寅太郎(すてっせる とらじろう)
- 一二三山 四五六(ひふみやま しごろく)
- 三ッ△ 鶴吉(みつうろこ つるきち)
- 平成
- 武蔵坊 弁慶(むさしぼう べんけい、武蔵川部屋)*ハワイ出身で素質は後輩の武蔵丸以上だったといわれるが、相撲界になじめず帰国してしまった。
- 前進山良太(ぜんしんやま りょうた、高田川部屋)*新弟子の頃から投げ技に頼るところがあり、師匠から「もっと前に出ることを心がけるように」と命名されたもの。最高位十両2枚目。
- 大翔鶴 亀太郎(だいしょうかく きたろ、追手風部屋)
- 大魔王 暁志(だいまおう さとし、芝田山部屋)*細身で弱気な性格だったので脱皮させる意を込めた。改名の場所で一番相撲から5連勝(2敗)した。
- 月ノ輪 熊之介(つきのわ くまのすけ、錣山部屋)*気が優しく大人しい性格だったので、土俵上では熊のように荒々しく
- 猫又 虎右衛門(ねこまた とらえもん、伊勢ノ海部屋)*部屋伝統の出世名
- 鳩弾力 豆太郎(はとだんりき まめたろう、出羽海部屋)*鳩のように素早く、弾丸のように力強く。豆のように小さいが強くなれることを証明したい
- 桃太郎研二(ももたろう けんじ、朝日山部屋)*同部屋に「赤鬼」「青鬼」がいたので、他の部屋に鬼退治をする桃太郎が出ないように
- 闘牙進(とうき すすむ、高砂部屋)*「とうが」でなく「とうき」と呼ばせる当て字に、改名当初は首をかしげる好角家も多かった。最高位小結。
- 横綱
横綱の阿武松緑之助や稲妻雷五郎なども一種の掛け言葉になった四股名である。大鵬幸喜も漢語由来の四股名ということで最初は違和感を覚えるむきもあった。北の湖敏満も「湖」を「うみ」と呼ばせる当て字が、千代の富士貢も5文字の四股名は珍しいと話題になった。平成の横綱では武蔵丸光洋なども、「丸」の文字がやや異色で、これは本名のフィヤマル・ペニタニから来ている。いずれ大関、横綱になったら別の四股名を名乗るものと思われていたが、結局この名で現役を通した。これらの人たちは四股名より土俵上の実績で名が残った。