國民の創生
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國民の創生(こくみんのそうせい、原題:The Birth of a Nation )は、D・W・グリフィス監督による1915年公開の無声映画。主演はリリアン・ギッシュ、ヘンリー・B・ウォルソール。 トーマス・ディクスンの小説『クランズマン』を翻案し、映画化された。アメリカ映画最初の長編作品でもある。日本公開は1924年で、公開時のタイトルは『國民の創生』であった(当時の東京府内の封切館によっては「国民の創生」と表記したパンフレットも残されている)。
物語は、南北戦争とその後の連邦再建の時代の波に翻弄される、アメリカ北部・アメリカ南部の二つの名家(ペンシルバニア州のストーンマン家とサウスカロライナ州のキャメロン家)に起こる息子の戦死、両家の子供達(リリアン・ギッシュ、ヘンリー・B・ウォルソール)の恋愛、娘のレイプ未遂と投身自殺等の出来事を、南北戦争、奴隷解放やエイブラハム・リンカーンの暗殺等が、ドキュメンタリー映画を思わせる迫真の映像とともに描かれる。
長編映画でも4巻(約40~50分)ものが主流であった当時としては前例のない、12巻(上映時間2時間45分)、制作費は6万1千ドル、広告費等を合わせた経費は約11万ドルかかったが、公開するや作品は大ヒットし、ニューヨークでは実に44週間にわたり続映された。当時の記録によると、完成後2年間で2500万人が見たという。1931年には、音楽や効果音を同調させたサウンド版も作成されている。
史実の追求は(あくまでグリフィスの目線からの『史実』との限定はされるものの)徹底しており、エイブラハム・リンカーン暗殺のシーンのため、グリフィスは暗殺当日の演目であった「われらがアメリカのいとこ」という作品の台本を探し出し、暗殺の瞬間の舞台上でのせりふまで再現したという。
一方で、南軍大佐の息子であったグリフィスは、あくまで南部の視点で作品を作成したため、後半の南部再編の物語では、現存する人種差別組織KKK(クー・クラックス・クラン)が窮地に陥ったヒロインを救出するなど英雄的に描いており、「南部再編と秩序回復にはKKKの存在が必要不可欠だった」との誤解を与えかねない点で大きな問題があり、上映に際しては人種差別反対を提唱する団体からの、上映禁止運動もさかんに行われた。1952年に至っても、ボルティモアで本作のフィルムが焼かれるという事件が発生している。現在でも、本作品の持つ映画史上の意義に関わらず、積極的には上映されていない。
また、当時の西海岸には黒人俳優がほとんどいなかったとはいえ、白人俳優が顔を黒く塗って黒人を演じるなど、全編を通じて人種差別的であるとの批判を公開当時から強く受けた。上述の、1931年に公開されたサウンド版では、差別的とされるシーンがカットされたが、リリアン・ギッシュは自伝の中で「結果として、各シーンが脈絡の無いものになった」と酷評している。
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[編集] 映画技法の特徴
現在まで、この映画が語り継がれているのは、主にこの映画の画期的な技術面からである。この映画では、グリフィスが直前まで働いていたバイオグラフ社時代の短編で映画監督としての修業を積み、カメラの使い方、各画面の迫力、各種の動的な効果、観衆に訴える的確な編集法などを次第に身につけてきたのが、一気に開花しているのである。
第1には、場面の動きの見事さである。当時のそれまでの映画はワンシーンワンカットという、たとえて言えば、舞台上での俳優の動きをカメラ側はひたすら動かず固定する手法で撮られていたのである。
この作品では画面内での動きが実に多彩であるばかりでなく、各画面をとてもよく考えて、それらを計算して繋ぐことによって、映画上で絶えずストーリーが流れていることに成功している。また1場面をワイドショット、標準、バストショット、クローズアップ等のショットに分解して、しかもそのショットの長さも変化させ、これを組み立てることによって、迫力のあるシーンを編集できたのである。
また、当時のフィルムはオーソクロマティック・フィルムといい、階調度は低いが近景から遠景までピントを合わせることができたので、これらの様々な撮影技法にはうってつけであった。
第2に、カメラの機能と編集である。明るい場面、暗い場面、鋭角的な場面、ロングショット(遠景)、クローズアップ、パンショット(カメラを左右に動かす)、移動撮影等を多用しているが、1つのカットには1つの事柄のみを含ませてそれらを総合的に組み立て全体の事件を見せるという技法や、1カットの事柄が終わらぬうちに別のカットを入れ込みそれらが統合して新しい意味を生み出すという技法などを用い、エモーショナルな効果やサスペンスを盛り上げることに成功している(モンタージュ効果)。
これらの技法は後に、エイゼンシュテインやプドフキンらがモンタージュ理論として体系化することになるが、それ以前の試みとしては画期的であった。特にサスペンスが盛り上げる時、クロスカッティング(日本では「カットバック」とも呼ばれる)を多用している。
第3に、フラッシュバックの使用である。フラッシュバックとは、プロットにおいて、映画の物語の現在より過去に起きたアクションやシーンを提示することである。これは、グリフィス自身がすでに以前の作品で試みているが、この作品ではとても効果を上げている。
第4に、アイリス・アウト(絞りを開く)の活用である。これは、画面の1部だけから絞りを開いて全体の光景を見せるという技術である。この作品で使われたのは非常に原始的な方法で、レンズの前に穴を開けた紙を置いて、それを破るか外して撮影したと推定される。これは、1つの事象に対してその原因を劇的に提示したのみならず、心理的な効果も狙ったもの である。
第5に、シンボリックな表現を多用している、ということである。これは、画面にある事物を置いて、登場人物の意識なり状況を象徴させるという方法である。これも、エイゼンシュタインらが後に多用した方法である。
最後に、専用の映画音楽が作曲されたということである。フランス映画ではすでに楽譜の提供という形で行われていたが、グリフィスはその効果を意識し、あえてオーケストラ用の伴奏音楽を作曲させ、大規模に活用したのである。
これらは姿・形を変えつつも現代の映画技法に日常のように受け継がれている。また映画の内容よりも遙かに技術面で優れている例としては、レニ・リーフェンシュタール監督、ベルリンオリンピックのドキュメンタリー「オリンピア(民族の祭典・美の祭典)」(1936年)が挙げられるだろう。
[編集] あらすじ
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
序章として、黒人のアメリカへの流入が簡単に描かれている。
物語は北部ペンシルバニア州出身のストーンマン家のフィルとタッドが、級友のキャメロン兄弟を南部のサウスカロライナ州ピドモントを訪ねることから始まる。フィル・ストーンマンはキャメロンの妹マーガレットと恋に落ち、マーガレットの兄ベン・キャメロンはフィルの妹エルジーと愛し合うようになる。そこへ南北戦争が始まり、フィルとタッドの兄弟は南部を去って北軍に加わる。激戦のためにベンの2人の弟とタッド・ストーンマンは戦死する。ベンの故郷の街ピドモントは北軍に攻撃され、ベンは負傷し、偶然にもフィル・ストーンマンの俘虜になるが、エルジーの献身的な看護によって一命を取り止める。
エルジー・ストーンマンとその母は、負傷したベンの解放をリンカーンに請願する。また、フィルとエルジーの父親オースティン・ストーンマンは南部に厳罰を科すよう主張するがリンカーンはこれを許さない。業を煮やしたオースティンは、白人と黒人の混血児サイラス・リンチの手を借りて、直接実力行使に出ようとする。その後、リンカーンの暗殺事件が起きて、その勢力を伸ばす。オースティンは娘エルジーを伴い南部へ移り、キャメロン家の隣に住み、南部への政治工作を始める。混血児リンチは政治権力を与えられて、彼のグループと共に南部で目にあまる行為を始める。これに対して、南部の人々はクランズマンの「見えざる帝国」すなわち、クー・クラックス・クラン(KKK)を結成し、ベン・キャメロンはその指導者の一人となる。やがてキャメロンの父がクランスマンの幇助の罪に問われる。マーガレット・キャメロンと婚約したフィル・ストーンマンは、キャメロンの父を救い出し、キャメロン夫人やマーガレットや黒人の使用人と共に森の丸太小屋に隠れ、彼らの追っ手の一軍との戦闘準備を整える。一方エルジー・ストーンマンはリンチの元に直接赴き、フィルやキャメロン一家の助命を嘆願する。しかし、リンチは彼らの助命と引き替えにエルジーとの結婚を強要する。この危機にベンの率いるクランズマンたちはリンチの本部を襲って、リンチ一味を倒してエルジーを救い出し、丸太小屋で殺されかけているキャメロン一家とフィル・ストーンマンを救い出す。こうして、クー・クラックス・クランの勢力は、南部の混乱を収拾し、ベン・キャメロンとエルジー・ストーンマン、フィル・ストーンマンとマーガレット・キャメロンの2組の恋人は晴れて結ばれる。
[編集] その他
- この映画は、南北戦争終了後約50年余りで作られ、ドキュメンタリー・タッチの作品がまだ物理的に可能であった。また、同じ南北戦争を題材にして有名な『風と共に去りぬ』(1939年)よりも20年以上も前に作られた作品である。
- 監督のD・W・グリフィス は一切脚本等は作らずに、彼の頭の中のアイディアだけで映画を完成させてしまった。
- ロサンゼルスのプレミアの時は、題名は小説の通り"The Clansman”であった。
- 黒人の主要な登場人物は上記の通り白人の黒塗りであったが、更に男性がキャメロン家の女中を演じていた。
- オースティン・ストーンマンは実在のペンシルバニア州の下院議員をモデルとしている。
- D・W・グリフィスはこの作品の製作前に、すでに1巻ものの南北戦争をモデルとしている短編を13本制作していた。
- D・W・グリフィスの父親は、実在の南軍の指揮官であった。
- クランスマンの白衣装はロサンゼルスで広告に使われた。
- ホワイトハウスが撮影された史上初の映画である。
- 上映時間が100分を越えた史上初の長編映画である。
- ニューヨークで公開されたときの入場料は2ドルであった。これは、当時からのインフレで換算すると現在の17〜20ドルにあたる。それでも公開後1年間で100万人以上が観たという。
- 発煙弾の過剰な利用は、人のいない戦場場面を隠すために使われた。
- リンカーンが暗殺されるフォード劇場のセットは屋外に作られた。
- 大量の劇場用プリントが1本しか存在しないネガから作られたために、後にプリントを作るたびに画質はどんどん悪くなった。
- 当時4万ドルの予算でスタートしたが、グリフィスは11万ドルも予算を使ってしまい、当時では最も予算を使った映画になった。だが、映画の売り上げも当時の300万ドルを超える大ヒットになった。
- オリジナルのタイトル"The Clansman"では映画のテーマの広大さに合わないとして改名させられた。
- 将来大物になる映画監督がこの作品ではキャストやスタッフで登用されていた。エリッヒ・フォン・シュトロハイムやジョン・フォード、ラオール・ウォルシュなどである。
- カメラ・オペレーターのカール・ブラウンによると、これは恋愛映画になることを予想していた。しかし、プレミア上映の時、ロサンジェルス・フィルハーモニックのフル・オーケストラが劇場に入り、指揮者がタクトを振り上げスコアを演奏し始めたのには、そのような初の試みとあまりの大音響のために文字通り腰を抜かすほど驚いたという。しかもグリフィス自身もいくつかのテーマを鳴らすとき、指揮者に合図を送っていたという。
- それぞれの登場人物が伴奏音楽のテーマを持っていた。また、上映劇場の形態によってオルガン用とオーケストラ用のスコアがそれぞれ用意された。
- 公式には165分版であるが政治的な観点から1921年と1927年に短縮されたヴァージョンが作られた。また、1931年に作られたサウンド入り短縮版では、グリフィス自身が監修の上、再編集と短縮が行われ、オーケストラのスコアがサウンドトラックに入れられた。ビデオ化されたものにはより短縮された125分版が多いが、現在無削除の190分版のDVDも米国では販売されている。
[編集] スタッフ
- 原作:トーマス・ディクスン "The Clansman”
- 監督:D・W・グリフィス
- 脚本:D・W・グリフィス、F・E・ウッズ、トーマス・ディクスン
- 撮影:G・W・ビッツァー
- 衣装:ロバート・ゴールドスタイン
- 伴奏音楽編曲:ジョセフ・カール・ブレイル
[編集] キャスト
- エルシー・ストーンマン:リリアン・ギッシュ
- ベン・キャメロン:ヘンリー・B・ウォルソール
- フローラ・キャメロン:メイ・マーシュ
- マーガレット・キャメロン:ミリアム・クーパー
- オースティン・ストーンマン:ラルフ・ルイス
- エイブラハム・リンカーン:ジョゼフ・ヘナベリー
- グラント将軍:ドナルド・クリスプ
- リー将軍:ハワード・ゲイ
- ジョン・ウィルクス・ブース:ラオール・ウォルシュ
[編集] 外部リンク
- アメリカ映画“南部もの”大全集 より「國民の創生」
カテゴリ: アメリカ合衆国の映画作品 | サイレント映画 | 1915年の映画