大日本帝国憲法第1条
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大日本帝国憲法第1条は、大日本帝国憲法第1章にある。大日本帝国は立憲君主制であることを規定した。
伊藤博文による半官撰の註釈書『帝国憲法・皇室典範義解』は、君主の徳は、日本国の臣民を統治することにあるのであって、これは天皇家のために奉仕する私事ではないと説き、国民の福祉と幸福を目的とする憲法の理解に誤りがないよう釘を刺している。「天下を調べたまい、平らげたまい、公民を恵みたまい、撫でたまわん」(表記を現代風に改めた)という文武天皇の即位の詔も紹介している。
統治権の対象である領土について、同義解は「わが帝国の版図、いにしえに大八島といえるは、淡路島(すなわち今の淡路)・秋津島(すなわち本州)・伊予の二名島(すなわち四国)・筑紫島(すなわち九州)・津島(津島すなわち対馬)・隠岐島・佐渡島をいえること古典に載せたり。景行天皇、東蝦夷を制し、西熊襲を平らげ、彊土大いに定まる。推古天皇の時、百八十四の国造あり。延喜式に至り、六十六国及び二島の区画を載せたり。明治元年、陸奥出羽の二国を分かち七国とす。二年、北海道に十一国を置く。ここにおいて、全国合わせて八十四国とす。現在の彊土は、実に、いにしえのいわゆる大八島・延喜式六十六国及び各島・ならびに北海道・沖縄諸島及び小笠原諸島とす」(表記を現代風に改めた)としている。この後、日本国憲法の制定に至るまで、千島樺太交換条約・日清講和条約・韓国併合条約・第一次世界大戦講和条約・ポツダム宣言受諾などで領土の変動があったが、特に朝鮮と台湾については、大日本帝国憲法の場所的適用範囲に関して論争となった。
なお、大正期においては,国家法人学説を前提に,天皇に主権はなく,法人である国家の最高機関としてその意をうけて権能を振るうとする天皇機関説が憲法学会の通説であった。
[編集] 原文
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
[編集] 現代風の表記
[編集] 参照
大日本帝国憲法 |
全文 | 旧字体(ウィキソース) | |
告文|勅語|上諭 | 前文 | 第1章 天皇 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 |第2章 臣民権利義務 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32|第3章 帝国議会33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 | 第4章 国務大臣及枢密顧問55 56 | 第5章 司法57 58 59 60 61 | 第6章 会計62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 | 第7章 補足73 74 75 76 |
関連項目 : Category:大日本帝国憲法 | Category:日本の旧法令 | Template:大日本帝国憲法 |