景行天皇
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景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年(紀元前13年)- 景行天皇60年11月7日(130年12月24日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第12代の天皇(在位:景行天皇元年(71年)7月11日 - 同60年(130年)11月7日)。和風諡号は大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・大帯日子淤斯呂和氣天皇(古事記)。日本武尊(やまとたけるのみこと)の父。記紀の記事は多くが日本武尊の物語で占められ、史実性には疑いが持たれるものの、実在を仮定すれば、その年代は4世紀前半か。
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[編集] 系譜
- 皇后:播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ。若建吉備津日子の女) 景行52年薨去
- 皇后(後):八坂入媛命(やさかいりびめのみこと。八坂入彦命の女)
- 稚足彦尊(わかたらしひこのみこと、成務天皇)
- 五百城入彦皇子(いおきいりびこのみこ)
- 忍之別皇子(おしのわけのみこ、押別命)
- 稚倭根子皇子(わかやまとねこのみこ)
- 大酢別皇子(おおすわけのみこ)
- 渟熨斗皇女(ぬのしのひめみこ、沼代郎女)
- 五百城入姫皇女(いおきいりびめのひめみこ)
- 麛依姫皇女(かごよりひめのひめみこ)
- 五十狭城入彦皇子(いさきいりびこのみこ)
- 吉備兄彦皇子(きびのえひこのみこ)
- 高城入姫皇女(たかぎいりびめのひめみこ)
- 弟姫皇女(おとひめのひめみこ)
- 妃:水歯郎媛(みずはのいらつめ。三尾氏磐城別の妹)
- 五百野皇女(いおののひめみこ、久須姫命) 伊勢斎宮
- 妃:五十河媛(いかわひめ)
- 神櫛皇子(かむくしのみこ) 讃岐国造の祖
- 稲背入彦皇子(いなせいりびこのみこ) 播磨国造の祖
- 妃:阿倍高田媛(あべのたかだひめ。阿倍氏木事の女)
- 武国凝別皇子(たけくにこりわけのみこ)
- 妃:日向髪長大田根(ひむかのかみながおおたね)
- 日向襲津彦皇子(ひむかのそつびこのみこ)
- 妃:襲武媛(そのたけひめ)
- 国乳別皇子(くにちわけのみこ)
- 国背別皇子(くにせわけのみこ、宮道別皇子)
- 豊戸別皇子(とよとわけのみこ)
- 妃:日向御刀媛(ひむかのみはかしびめ)
- 豊国別皇子(とよくにわけのみこ) 日向国造の祖
- 妃:伊那毘若郎女(いなびのわかいらつめ。皇后の妹)
- 真若王(まわかのみこ、真稚彦命)
- 彦人大兄命(ひこひとおおえのみこと)
- 妃:五十琴姫命(いごとひめのみこと。物部胆咋宿禰の女)
- 五十功彦命(いごとひこのみこと)
- (以下は母不詳、多く『先代旧事本紀』に拠る)
- 若木之入日子王(わかきのいりひこのみこ) 五十狭城入彦皇子に同人か
- 銀王(しろがねのみこ、女性)
- 稚屋彦命(わかやひこのみこと)
- 天帯根命(あまたらしねのみこと)
- 大曽色別命(おおそしこわけのみこと)
- 石社別命(いわこそわけのみこと)
- 武押別命(たけおしわけのみこと)
- 不知来入彦命(いさくいりびこのみこと)
- 曽能目別命(そのめわけのみこと)
- 十市入彦命(とおちいりびこのみこと)
- 襲小橋別命(そのおはしわけのみこと)
- 色焦別命(しここりわけのみこと)
- 息長彦人大兄水城命(おきながのひこひとおおえのみずきのみこと)
- 熊忍津彦命(くまのおしつひこのみこと)
- 武弟別命(たけおとわけのみこと)
- 草木命(くさきのみこと)
- 手事別命(たごとわけのみこと)
- 大我門別命(おおあれとわけのみこと)
- 豊日別命(とよひわけのみこと)
- 三河宿禰命(みかわのすくねのみこと)
- 豊手別命(とよてわけのみこと)
- 倭宿禰命(やまとのすくねのみこと)
- 豊津彦命(とよつひこのみこと)
- 大焦別命(おおこりわけのみこと)
『古事記』によれば記録に残っている御子が21人、残らなかった御子が59人、合計80人も御子がいた事になっている。
[編集] 皇居
都は纒向日代宮(まきむくのひしろのみや、現在の奈良県桜井市穴師か)。晩年の景行天皇58年(128年)に、近江国に行幸、志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや、現在の滋賀県大津市穴太)に3年間滞在した後、同60年(130年)崩御。
[編集] 事績
- 年代は『日本書紀』の編年に従って便宜を図った。
垂仁天皇37年(8年)に立太子。景行天皇元年(71年)7月に即位、翌年に播磨稲日大郎姫を皇后に立てる。
4年(74年)、美濃国に行幸し、泳宮(くくりのみや、岐阜県可児市)に滞在。八坂入媛を妃とする。
[編集] 九州巡幸
景行12年(82年)熊襲が背いたので、これを征伐すべく、8月に天皇自ら西下。周防国の娑麼(さば、山口県防府市)で神夏磯媛から賊の情報を得て誅殺した。筑紫(九州)に入り、豊後国の碩田(おおきた)で土蜘蛛 を誅して、11月ようやく日向国に入る。熊襲梟帥(くまそたける)をその娘に殺させ、翌年夏に熊襲平定を遂げた。日向高屋宮(宮崎県西都市か)に留まること6年。18年(88年)3月に都へ向け出立し、熊県(熊本県球磨郡)や葦北(同葦北郡)・高来県(長崎県諫早市)・阿蘇国(熊本県阿蘇郡)・的邑(いくはのむら、福岡県浮羽郡)を巡り、19年(89年)9月に還御した。なお、この天皇親征について、古事記には一切記されていない。しかし最近九州の宮崎県で景行天皇と同時期の前方後円墳が発見されている事から、その関連性に興味が持たれている。
25年(95年)7月、武内宿禰を遣わして、北陸・東方諸国を視察させる。
[編集] 日本武尊の活躍
27年(97年)8月、熊襲が再叛。10月に日本武尊を遣わして、熊襲を征討させる。首長の川上梟帥を謀殺し、翌年に復命。
40年(110年)10月、日本武尊に蝦夷征討を命じる。尊は途中、伊勢神宮で叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より草薙剣を授かった。陸奥国に入り、戦わずして蝦夷を平定する。日高見国から新治(茨城県真壁郡)・甲斐国酒折宮・信濃国を経て尾張国に戻り、宮簀媛(みやずひめ)と結婚。その後近江国に出向くが、胆吹山の荒神に祟られて身体不調になる。そのまま伊勢国に入るが、能褒野(のぼの、三重県亀山市)で病篤くなり崩御した(景行43年)。白鳥陵に葬られた。なお、『古事記』によれば、死の直前に大和を懐かしんで「思国歌(くにしのびうた)」を詠んだとされ、この歌は、戦中に東アジア地域へ派遣された兵士の間で大変流行ったという。
- 倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし(『日本書記』歌謡三一)
53年(123年)、息子の日本武尊を追慕し、東国巡幸に出る。東国から戻って伊勢に滞在し、翌年9月に纒向宮に帰る。
58年(128年)、近江国に行幸、高穴穂宮に滞在すること3年。60年(130年)11月に崩御、143歳。『古事記』では137歳。
[編集] 御陵
山辺道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)に葬られた。『古事記』は「御陵は山邊の道上にあり」と記す。
現在、同陵は奈良県天理市渋谷町の渋谷向山古墳(前方後円墳・全長300m)に比定される。
[編集] 在位年と西暦との対照表
景行天皇 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
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西暦 | 71年 | 72年 | 73年 | 74年 | 75年 | 76年 | 77年 | 78年 | 79年 | 80年 |
干支 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 | 戊寅 | 己卯 | 庚辰 |
景行天皇 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | 19年 | 20年 |
西暦 | 81年 | 82年 | 83年 | 84年 | 85年 | 86年 | 87年 | 88年 | 89年 | 90年 |
干支 | 辛巳 | 壬午 | 癸未 | 甲申 | 乙酉 | 丙戌 | 丁亥 | 戊子 | 己丑 | 庚寅 |
景行天皇 | 21年 | 22年 | 23年 | 24年 | 25年 | 26年 | 27年 | 28年 | 29年 | 30年 |
西暦 | 91年 | 92年 | 93年 | 94年 | 95年 | 96年 | 97年 | 98年 | 99年 | 100年 |
干支 | 辛卯 | 壬辰 | 癸巳 | 甲午 | 乙未 | 丙申 | 丁酉 | 戊戌 | 己亥 | 庚子 |
景行天皇 | 31年 | 32年 | 33年 | 34年 | 35年 | 36年 | 37年 | 38年 | 39年 | 40年 |
西暦 | 101年 | 102年 | 103年 | 104年 | 105年 | 106年 | 107年 | 108年 | 109年 | 110年 |
干支 | 辛丑 | 壬寅 | 癸卯 | 甲辰 | 乙巳 | 丙午 | 丁未 | 戊申 | 己酉 | 庚戌 |
景行天皇 | 41年 | 42年 | 43年 | 44年 | 45年 | 46年 | 47年 | 48年 | 49年 | 50年 |
西暦 | 111年 | 112年 | 113年 | 114年 | 115年 | 116年 | 117年 | 118年 | 119年 | 120年 |
干支 | 辛亥 | 壬子 | 癸丑 | 甲寅 | 乙卯 | 丙辰 | 丁巳 | 戊午 | 己未 | 庚申 |
景行天皇 | 51年 | 52年 | 53年 | 54年 | 55年 | 56年 | 57年 | 58年 | 59年 | 60年 |
西暦 | 121年 | 122年 | 123年 | 124年 | 125年 | 126年 | 127年 | 128年 | 129年 | 130年 |
干支 | 辛酉 | 壬戌 | 癸亥 | 甲子 | 乙丑 | 丙寅 | 丁卯 | 戊辰 | 己巳 | 庚午 |
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |
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