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大阪府第9区
行政区域 |
池田市、茨木市、箕面市、豊能郡 |
比例区 |
近畿ブロック |
設置年 |
1994年(平成6年) |
選出議員 |
原田憲治 |
有権者数 |
- |
大阪府第9区(おおさかふだい9く)は日本の衆議院議員総選挙における選挙区域。
1994年(平成6年)、公職選挙法改正で設置。
[編集] 行政区域
大阪府池田市、茨木市、箕面市
豊能郡豊能町、能勢町
[編集] 特徴・実情
都市部・住宅地が多いとあって無党派層が多く、時々の情勢に左右されやすい。1996年の新進党ブーム、2000年の保守党退潮、2003年の民主党ブーム、2005年の郵政解散など、追い風が吹いた候補者が当選し向かい風が吹いた候補者が落選している。2006年10月、この選挙区の現職議員が死去したため、公職選挙法の規定により補欠選挙が行われた。
[編集] 歴史
- 新進党ブームに乗った西田猛が、旧大阪府第3区選出で自由民主党現職の原田憲、日本共産党新人の小林ひとみ、民主党新人の大谷信盛を破り、初当選を果たす。元々、原田自身は地盤があまり強くはなく、以前から共産・革新票に押されていた。
当落 |
得票数 |
候補者 |
党派 |
議員歴 |
当 |
72,267 |
西田猛 |
新進党(比例重複) |
新人 |
|
59,817 |
原田憲 |
自由民主党(比例重複) |
前職 |
|
43,316 |
小林ひとみ |
日本共産党 |
新人 |
|
25,156 |
大谷信盛 |
民主党(比例重複) |
新人 |
- 新進党、自由党を経て、保守党に籍を変えた現職の西田、前回敗れた民主党の大谷、共産党新人の藤木が立候補。西田は保守党の退潮に苦しみ、民主党の大谷に多くの無党派層を奪われて敗れた。
当落 |
得票数 |
候補者 |
党派 |
議員歴 |
備考 |
当選 |
82,563 |
大谷信盛 |
民主党(比例重複) |
新人 |
|
|
65,469 |
西田猛 |
保守党(比例重複) |
前職 |
前回は新進党 |
|
38,262 |
藤木邦顕 |
日本共産党 |
新人 |
|
- 民主党現職の大谷が民主党伸張の波に乗り、前回よりも得票数を伸ばして2度目の当選。元職の西田は保守党から保守新党を経て自民党に渡ったことで集票力が増し、比例当選。共産党は前回より大きく得票数を減らして退潮。社会民主党は候補を立てたがほとんど票を取れずに終わる。
当落 |
得票数 |
候補者 |
党派 |
議員歴 |
備考 |
当 |
97,572 |
大谷信盛 |
民主党(比例重複) |
前職 |
|
比当 |
93,662 |
西田猛 |
自由民主党(比例重複) |
元職 |
前回は保守党 |
|
21,491 |
藤木邦顕 |
日本共産党 |
新人 |
|
|
9,705 |
中北龍太郎 |
社会民主党(比例重複) |
新人 |
|
- 郵政解散による選挙で自民党に追い風か吹き、自民党現職の西田が当選を果たす。民主党現職の大谷も前より大きく得票を増やしたものの、西田に及ばず比例復活も果たせなかった。共産党は新顔の榎波憲治を送り込み、前回より得票は増やす。(大阪府道余野茨木線の道路崩落事故により、豊能町及び茨木市北部住民の足が閉ざされた。その道路復旧に努めたのが主に共産党であると地元では伝えられており、共産党の得票が若干増えた理由の一つとしてこれが挙げられてもおかしくない)
当落 |
得票数 |
候補者 |
党派 |
議員歴 |
当 |
142,243 |
西田猛 |
自由民主党(比例重複) |
前職 |
|
111,809 |
大谷信盛 |
民主党(比例重複) |
前職 |
|
27,347 |
榎波憲治 |
日本共産党 |
新人 |
現職議員の死去に伴う補欠選挙。小泉内閣退陣(06年9月)後の最初の国政選挙となり、安倍内閣の信任投票という位置づけがなされ、全国的にも注目された。したがって与野党とも選挙戦には全力を注ぎ自民党からは元府議の原田憲治(新人)、民主党からは自民党前職・西田猛の宿命のライバルであった大谷信盛(元職)、共産党からは弁護士の藤木邦顕(新人)が立候補。原田候補がわずかにリードし、それを大谷候補が追う展開と報道されていた。支援を受けた公明党の堅い組織票なども功を奏し、原田候補が当選を果たした。
当落 |
得票数 |
候補者 |
党派 |
議員歴 |
備考 |
当 |
111,226 |
原田憲治 |
自由民主党 |
新人 |
公明党推薦 |
|
92,424 |
大谷信盛 |
民主党 |
元職 |
国民新党推薦 |
|
17,774 |
藤木邦顕 |
日本共産党 |
新人 |
|
[編集] 議員
- 西田猛 1996-2000、2003-2006
- 大谷信盛 2000-2005
- 原田憲治 2006-
[編集] 関連項目