太田竜
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太田 龍(太田 竜。おおた りゅう、1930年8月16日 - )は、日本のユダヤ陰謀論者。 本名、栗原 登一(くりはら といち)。 当時、日本領であった樺太豊原町出身。東京理科大学中退。元日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)委員長。
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[編集] 経歴
医師栗原達三郎とトミ(旧姓小林)の四男として誕生。父方は千葉県印旛郡物井村(現在の四街道市)に代々続いた漢方医の家系。
1942年、豊原第一尋常小学校入学。このころ、次兄東洋がマルクス主義者として逮捕され、北海道帝国大学予科を退学になる。
1944年3月、父母の郷里である千葉県に引き揚げる。旧制千葉中学校(千葉県立千葉高等学校)2年生の頃までには、次兄の蔵書に読み耽った影響で熱心な共産主義者となっていた。戦争末期には級友たちに日本の敗戦を予告したために売国奴と見なされ、運動部の部室でリンチを受けたこともある[1]。
1945年10月に日本青年共産同盟(のちの日本民主青年同盟)に加盟、1947年、日本共産党党員になったのを皮切りに、1953年に日共離党、黒田寛一等と1955年に第一次革共同を起こす。1958年に第四インターナショナル第五回大会に出席した太田は、帰国するなり革共同の全面的な社会党への「加入戦術」の採用を提起する。提起を拒否された太田は自身の影響下にあった東学大と日比谷高校のグループを引き連れて分裂した(いわゆる「革共同第一次分裂」)。
革共同から分裂した太田は、1958年8月に「トロツキスト同志会」(トロ同)を結成。トロ同は全組織を挙げて、日本社会党の地区組織に「加入戦術」を行う。トロ同は、1958年12月に「国際主義共産党」(ICP)に発展解消した。社会党への「加入戦術」による穏健な活動を続けていたICPだが、1960年6月の安保闘争の大高揚に直面した太田は突如、独断で「大衆は武装蜂起せよ」と呼びかけるビラをたった一人で御茶ノ水駅頭にて配布する。この独断専行によって、太田はICPから除名される。
太田は、なおも「加入戦術」を続行したICPグループに1963年に再び「指導者」として迎え入れられ、1964年に「関西派」と称された西京司、酒井与七らの革命的共産主義者同盟と統一する。1965年に太田が組織決定を経ずして指導した「立川米軍基地内にデモ隊を突入させ、米兵にデモ隊を射殺させることで大衆の憤激を喚起し反米軍基地闘争を全国化させる」ことを目的とした「5.18闘争」が不発に終わり(「十人が射殺される」ことを想定して太田の影響下にあった三多摩社会主義青年同盟のデモ隊が立川基地内に突入したが、結局日本の機動隊に排除されたのみだった)、責任を追及された太田は少数の支持グループを率いて脱党。新たに「第四インターナショナル(ボルシェビキ・レーニン主義派)」(BL派)とその大衆組織である「武装蜂起準備委員会-プロレタリア軍団」を結成するが、この時期から次第にマルクス主義そのものとの決別を開始し1971年に脱党。同党から死刑宣告される。同年頃より竹中労・平岡正明らと3バカゲバリスタと呼ばれる仲になり「世界革命浪人」と自称する。
1971年、記録映画『アイヌの結婚式』に感動。このことが契機で、1972年にはアイヌ革命論者となり、北海道庁爆破、白老町長および北海道知事に「死刑執行」を宣告(ただし実行犯とは別)、土着革命論、「人類独裁の打倒によるゴキブリの解放・ネズミの解放・ミミズの解放を!」(『日本エコロジスト宣言』)を訴える「エコロジー主義」など主義・主張を転々とし、現在は「ユダヤ・ネットワークが世界を裏で支配している」などと主張する反ユダヤ主義およびユダヤ陰謀論の日本における代表的論客の一人。また、自然食運動(家畜制度全廃)を主張している。太田当人は「私のことを主張が転々としている、と言う者がいるが、私は一貫して『反米』なのだ」と語る。
反ユダヤ主義者に転向した後は太田 龍の表記を用い、現在は、『週刊日本新聞』編輯主幹。なお、「転向後」は白老町長襲撃実行犯に対して、自分は関係ないことを表明している。また、
「恒星や惑星を動かしている莫大なエネルギーはどこから出て来るのか。地球のどこを調べても、べつに、ロケット燃料がついているわけでもなく、ジェットエンジンや、プロペラがついているわけでもない。(中略)UFOをつくり、運行している異星人は、この天体運行のエネルギーを発見し、それを応用している、と考えられないか」(『UFO原理と宇宙文明』)
と著作で書き、「慣性の法則」という物理学の初歩すら理解していないということを露呈してしまっている。[2]
太田は日本みどりの党(略称「みど党」)と言う名の環境政党を結成させたが、何故か党内で路線対立が生じた為、新たに日本みどりの連合(にほんみどりのれんごう、略称「みど連」)を結成させて党は二つの政治団体に分裂した(後に「みどりといのちのネットワーク」として再統合)。
1986年の第14回参議院選挙で、日本みどりの連合公認で比例区から出馬するが落選。1990年の第39回総選挙には地球維新党を率いて東京1区から立候補するも落選。1992年参院選でも候補を擁立(自らは立候補せず)するも落選。1993年の第40回総選挙では、雑民党公認で本名の栗原登一で東京5区から立候補するも落選。以降は選挙に立候補しなくなった。ちなみに、雑民党代表の東郷健は、1990年の総選挙では地球維新党公認で立候補している(落選)。
自称「天寿学会」「文明批判学会」「歴史修正研究所」「宇宙戦略研究所」主宰、「地球維新連盟」会長、日本動物実験廃止協会役員。
[編集] 参考文献
- ^ 太田竜『私的戦後左翼史』(話の特集、1985年)pp.12
- ^ と学会編 『トンデモ本の世界』 洋泉社、1995年。ISBN 978-4896911664 (文庫版、1999年。ISBN 978-4796614672、2006年。ISBN 978-4862480248)を参照。
[編集] 著書
- 『再び、辺境最深部に向って退却せよ!』話の特集 ISBN B000J8BBFQ(1978/03)
- 『世界革命への道』新泉社 ISBN B000J8OSXS (1978/06)
- 『革命理論の革命―マルクス=レーニン主義批判』新泉社 ISBN B000J8ERA2(1979/09)
- 『革命思想の扉を開く―現代思想家入門』流動出版 ISBN B000J87SCQ(1980/06)
- 『いのちの革命』現代書館 ISBN B000J866VA (1980/08)
- 『何から始めるべきか』風濤社 ISBN B000J7TN48(1981/02)
- 『性の革命』現代書館 ISBN B000J7R85O(1982/01)
- 『日本原住民史序説』新泉社 ISBN B000J7E1G8(1982/06)
- 『琉球弧独立と万類共存』新泉社 ISBN 4787783076(1983/01)
- 『日本の食革命家たち』柴田書店 ISBN B000J77XRC (1984/03)
- 『私的戦後左翼史―自伝的戦後史 1945-1971年』話の特集 ISBN B000J6PNE8(1985/06)
- 『家畜制度全廃論序説―動物と人間は兄弟だった』新泉社 ISBN B000J6R8L4(1985/11)
- 『たべもの学入門Ⅰ・Ⅱ』 緑光出版 (1989)
- 『UFO原理と宇宙文明―21世紀科学への展望』日経企画出版局 ISBN 4795247552 (1991/06)
- 『ユダヤ七大財閥の世界戦略―世界経済を牛耳る知られざる巨大財閥の謎 』日本文芸社 ISBN 453702268X (1991/11)
- 『ユダヤ世界帝国の日本侵攻戦略―列島支配を目論む「陰の帝国」を暴く!!』日本文芸社 ISBN 4537023007 (1992/06)
- 『ユダヤの日本侵略450年の秘密』日本文芸社 (1993)
- 『天皇破壊史』成甲書房 ISBN 4880861324 (2002/05)
[編集] 訳書
- 「9・11 アメリカは巨大な嘘をついた」ジョン・コールマン 成甲書房
- 「9・11 陰謀は魔法のように世界を変えた」同