島唄
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島唄(しまうた)(あるいはシマ唄)とは、本来奄美諸島で歌われる民謡の総称。三味線の伴奏とともに歌われることが多い。
奄美諸島の方言である「島口・シマユムタ」では、シマは自らの郷里の集落を指し、シマ唄とは郷里の民謡を意味する。実際奄美や沖縄では、集落ごとにそのオリジナルの民謡を持っていることが多く、また多くの市町村に広まっている歌であっても、集落ごとに異なった歌詞のバリエーションを持っていることがある。現在も、専業または兼業で島唄を生業とする者は多く、奄美民謡大賞などの賞も存在する。同賞の受賞者で、後に全国デビューした歌手には、元ちとせなどがいる。
[編集] THE BOOMの「島唄」
シングル個々の詳細は「島唄 (ウチナーグチ・ヴァージョン)」「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」「島唄 Shima uta」を参照。
日本のロックバンド・THE BOOMは1992年1月22日発売のアルバム「思春期」で三線や琉球音階など沖縄の音楽的要素を取り入れた「島唄」を発表。 またその年の12月12日には沖縄の方言(ウチナーグチ)で歌われた「島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン)」を沖縄県限定でリリース、瑞穂酒造の泡盛クロッシーのテレビコマーシャルソングに起用され(このCMも沖縄県限定)、沖縄だけで1万枚を超える売り上げを記録した(後に全国発売され、50万枚近くを売り上げている)。
一方、標準語で歌われた「オリジナル・ヴァージョン」のシングル全国発売の要望も高かったが、もともとその予定はなかったようである。THE BOOMのボーカルで「島唄」の作詞・作曲を担当した宮沢和史も当時の沖縄ブームに便乗したシングルリリースには否定的であったが、いろいろな人に意見を聞いた結果、「オリジナル・ヴァージョン」をシングル発売することにした。特に喜納昌吉(現参議院議員)から贈られた「(「島唄」を単なる沖縄音楽の真似事、と批判する者もあるが)音楽において、『魂』までコピーすれば、それはもうコピーなんかじゃないんだ」という言葉に背中を押された、と宮沢はTV番組でコメントしている。
こうして1993年6月21日、「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」が全国発売となり、150万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。その年にTHE BOOMは大晦日のNHK紅白歌合戦に出場、「レコード大賞」でも「ベストソング賞」を受賞した。また記憶に新しいのは、アルゼンチンでアルフレッド・カセーロが日本語のままカバーした「SHIMAUTA」が2001年に地元で大ヒットし、サッカーの2002年日韓ワールドカップ・アルゼンチン代表チームの応援曲に起用されたことである。その影響もあり2002年、THE BOOMの「島唄」とアルフレッド・カセーロの「SHIMAUTA」を収録した「島唄~Shima Uta~」が改めてリリースされ、10万枚を売り上げるリバイバル・ヒットとなった(オリコン最高10位)。現在では国外内問わず多数のミュージシャンにカヴァーされ、学校の音楽や英語、地理の教科書に採用されるなど、THE BOOMの「島唄」は日本を代表する楽曲としてその名をあげている。
また、この歌について宮沢和史は1996年にねじめ正一とのテレビ対談において「坂本九の『上を向いて歩こう』のような歌を作りたかった」と述べている。
THE BOOMの「島唄」が全国的なヒットをしていた当時、沖縄県ではこの曲について批判的な意見も相次いだ。「本土の人間に『島唄』の名を安易に使ってもらいたくない」という地元新聞への投書があったほどである。また、この曲がヒットして「島唄」の語義が不正確になってしまったことを嘆く向きがある。一つは「島唄=沖縄民謡」として一般に知られたことにより、もともと奄美大島の民謡を指す言葉であった「島唄」という言葉が琉球民謡と同じような使われ方をされるようになったこと。これは狭義の「島唄」(奄美民謡)の担い手と、琉球民謡の担い手との双方の一部にこのことを嘆く立場が存在する。もう一つは「島唄=BOOMの島唄」という認識が強くなってしまったことで、もともとあった伝統的な「島唄」の影が薄くなってしまったことである。
[編集] 外部リンク
- THE BOOM MUSIC GALLERYTHE BOOM公式サイト
- THE BOOMと沖縄
- [1]THE BOOMと島唄
- [2]宮沢和史と沖縄