張家口市
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張家口(ちょうかこう、チャンチアコウZhāngjiākǒu、モンゴル語:Чуулалт Хаалга [Čūlalt Hālga])は中国の河北省北西部にある都市(地級市)。かつてはモンゴル語で万里の長城の「門」をあらわすハルガhālga またはカルガ kālga(その元の形はkaghalga)から、カルガン(Kalgan)の名でも知られていた。『北京の北門』とも呼ばれ、北京の北を取り巻く万里の長城の主要な門「大境門」のすぐ外側に位置し、ここを制したものは北方から北京を攻める場合にも、北京を守る場合にも有利になるという。
面積は36,829平方メートル、人口は449万人である(市街地人口は84万人)。北は内モンゴル自治区に、南は万里の長城をへだてて首都・北京市と河北省保定市に、東は河北省承徳市に、西は内モンゴル自治区と山西省とに隣接する。市域は南北300km、東西228kmに渡って広がり、張家口市街のはるか北、張北県・康保県にまで広がっているが、逆に南側の懐来県・宣化県・涿鹿県にも広がっており、これらは北京から20kmも離れていない。
北京~包頭間を結ぶ鉄道のほか、近年高速道路ネットワークが急速に建設されている。河北省と内モンゴル、中国西北部・モンゴル国と北京とを結ぶ、交通の要衝であり、物資の集散地であり、軍事的な要地でもある。
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[編集] 沿革
市域の北部は歴史的には遊牧民族の支配地域、市域南部は漢民族らによる農耕地域であった。しばしば遊牧民族による征服を受けたが、次第に農耕地域が拡大し遊牧は廃れていった。
- 春秋時代、北部は匈奴や東胡の居住地で、南部は燕国や代国の領土であった。
- 秦代には代郡・上谷郡に改属した。
- 漢代には烏桓・匈奴・鮮卑らの支配するところとなった。
- 隋代には東部を涿郡、西部を雁門郡とした。
- 唐代には大部分が河北道の偽州および新州に属し、残りは河北道蔚州に属した。
- 北宋の時代は武州、蔚州、奉聖州、帰化州、儒州、偽州に属したが、遼による激しい攻撃を受けた。
- 南宋の時代には全て遼、後には金の領土となった。
- 元代には中書省上都路宣德府に属し、西北部は共和路(いまの張北県)に属した。
- 明代には延慶州、保安州、雲州、蔚州および万全都指揮使司十二衛の地となった。宣徳4年(1429年)には張家口堡を築き、京師宣府鎮に属させた。1449年、土木の変が土木堡で発生。
- 清代には北部に遊牧民族を管理する口北三庁(多倫諾爾庁、獨石口庁、張家口庁)が設置され、張家口市域の大部分は張家口庁に属していた。南部は宣化府(今の宣化区)に属していた。
- 中華民国の時代になり、張家口の町は宣化府万全県に属した。民国2年(1913年)には、直隸省(現・河北省)察哈爾(チャハル)特別区の口北道に属した。1928年から1952年まで、直隸省から分離し新設された察哈爾省(チャハル省)の省都となった。1937年9月、日本軍が侵攻し、同年対日協力政権である察南自治政府が成立、その首都となる。1939年には蒙古聯合自治政府の首都となり、張家口特別市が置かれた。
- 1952年、察哈爾省は解体され、張家口市は河北省に編入された。1955年には宣化市を併合、宣化区とした。中ソ対立の際はソ連の侵攻に備え張家口の陸軍が増強された。1993年には周囲の張家口地区と合併し、地級市・張家口市が誕生した。
[編集] 地理
張家口市は河北省西北の山間の盆地に位置する。市域北部は高原で、南部は洋河の谷間になる。冷帯の大陸性の乾いた気候であり、年平均降水量はわずか406mm、年平均気温は7.5℃である。
蔚県と涿鹿県の境にある小五台山山地は平均海抜2000mで、その主峰・東台は2882mの高さとなり、河北省の最高峰である。
張家口市の市街地は清水河の両岸に広がり、東、西、北の三面を山に囲まれ市街地は南北に細長く、南面にわずかな平原がある。万里の長城の支線が北の山をうねりながら伸び、市内から見ることができる。気候のせいもあり市外を囲む山々は緑が少ないが、市民の長年の努力で、いくつかの森林公園が完成した。
土地のうち、耕地が30%、牧草地が15%、森林が20%を占める。特に牧草地面積は河北省では承徳市に次いで第二位で、康保、尚義、張北、沽源の北部4県に集中している。これら北部地域は牧畜が主産業で、河北省の牧畜基地である。
南部を流れる桑干河、洋河、潮白河の沿岸は肥沃な平野になっており、穀物や果物を産する。川や地下水が多く水資源は豊かで、127のダムのほか地下水くみ上げ施設などがあり、その水は灌漑に使われる。ダムのほとんどは小型ダムだが、大型ダムが2基存在する。
[編集] 民族
民族は漢族が主であるが、遊牧民族との境にあるため、また中国各地からの工場などへの流入があるため、民族構成は複雑である。回族、満族、モンゴル族、チベット族、朝鮮族、ぺー族(白族)、ウイグル族、イー族(彝族)、リー族(黎族)、チワン族(壮族)、トン族(侗族)、プイ族(布依族)、高山族、トゥチャ族(土家族)、ミャオ族(苗族)、カザク族(哈薩克族)、ダグール族(達斡爾族)、オロス族(俄羅斯族)、ヤオ族(瑶族)、ハニ族(哈尼族)、タイ族(傣族)、シェ族(畲族)、ラフ族(拉祜族)、シボ族(錫伯族)、エヴェンキ族(鄂温克族)など26の少数民族が住む。
[編集] 経済
産業はとうもろこし・コーリャン・小麦・ジャガイモなどの農業の区域と、牛・馬・羊など牧畜業が盛んな区域の境目に位置し、食品製造産業、皮革・毛皮・毛織物産業が立地する。
また、石炭・鉄鉱石・鉛・リン・ゼオライト・グラファイトなど鉱業も盛んであり、精錬・機械工業もある。
[編集] 行政区画
4区13県を統轄する。なお、市内の行政区を再編する計画(県を市に変える、区を分割するなど)がある。
- 区
- 橋西区:面積141平方キロ、人口23万。
- 橋東区:面積113平方キロ、人口25万。
- 宣化区:面積276平方キロ、人口29万。
- 下花園区:面積315平方キロ、人口7万。
- 県
- 宣化県:面積2,095平方キロ、人口30万。県人民政府所在地は張家口市宣化区。
- 張北県:面積4,232平方キロ、人口37万。県人民政府所在地は張北鎮。
- 康保県:面積3,365平方キロ、人口28万。県人民政府所在地は康保鎮。
- 沽源県:面積3,601平方キロ、人口23万。県人民政府所在地は平定堡鎮。
- 尚義県:面積2,621平方キロ、人口19万。県人民政府所在地は南壕塹鎮。
- 蔚県 :面積3,216平方キロ、人口46万。県人民政府所在地は蔚州鎮。
- 陽原県:面積1,834平方キロ、人口28万。県人民政府所在地は西城鎮。
- 懐安県:面積1,706平方キロ、人口25万。県人民政府所在地は柴沟堡鎮。
- 万全県:面積1,158平方キロ、人口22万。県人民政府所在地は孔家庄鎮。
- 懐来県:面積1,793平方キロ、人口34万。県人民政府所在地は沙城鎮。
- 涿鹿県:面積2,799平方キロ、人口33万。県人民政府所在地は涿鹿鎮。
- 赤城県:面積5,238平方キロ、人口28万。県人民政府所在地は赤城鎮。
- 崇礼県:面積2,326平方キロ、人口12万。県人民政府所在地は西湾子鎮。
[編集] 出身有名人
[編集] 教育
高等教育機関:
- 張家口教育学院
- 河北北方学院
- 河北建築工程学院
- 張家口職業技術学院
- 北方機電工業学校
[編集] 交通
北京と包頭を結ぶ鉄道・京包線沿線の重要な都市である。ほかいくつかの支線(豊沙線、沙蔚線、大秦線)、鉱山鉄道(宣龐線、宣煙線)がある。
高速道路は北京~張家口を結ぶ京張高速公路、張家口市宣化~山西省大同市を結ぶ宣大高速公路、丹東~ラサを結ぶ丹拉高速公路が走る。包頭~フフホト~張家口を結ぶ高速道路も2005年夏に開通した。
[編集] 古跡・観光地
万里の長城の主要な門「大境門」や、古い城壁都市・宣化城などがある。 崇礼县紅花梁区には、中国国内で最初(2004年)に誕生したスノーリゾートであるといわれている、万龍スキーリゾートがある。