強行採決
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強行採決(きょうこうさいけつ)とは日本の政治において、与党が野党の了承なく、数の論理で採決をすること。
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[編集] 概説
日本の国会では通常、与野党間で採決日に関する合意をしてから、採決を行うのが慣例とされている。しかし、与野党の合意がつかない場合は、与党が単独で採決日を決めて採決を行うことがある。この与党の議事運営方法が強行だと野党から批判される(近年では通信傍受法、国民年金法改定案、イラク特措法である。)
なお、与野党の採決日の合意そのものは法律で定められているわけではないが、与党の議事運営方法が問題であると野党が判断する場合、与党の議事運営方法が民主主義に反すると主張することがある。
議題を可決することによる問題点を審議過程で野党が明らかにしても、野党が採決で議題を否決しようとせず、最初から採決そのものを否定するのは、与党の党議拘束などによって数の論理を背景に議題が可決される見込みが高く、議題を否決できないことがわかっているためである。与党内から造反が見込める場合は野党が与党の分裂を歓迎しているため、強行採決と批判せずに本会議の採決で否決しようとする(例、郵政国会など)。
強行採決は通常、与党の若手議員が質疑打ち切りの動議を審議途中に挙手して口頭で提案して、それを可決するか、委員長の職権で質疑終局の宣告をして始まる。場合によっては、議題の採決を阻止したい野党は、委員長を委員室に入れなかったり、委員長のマイクを奪うなど、物理的に議事運営を止める手段に入る。本会議の場合、野党は議長を本会議場に入れなかったり牛歩戦術などをして議事妨害を図る、あるいは長時間にわたる発言を行ったり、内閣不信任決議案や議長不信任決議案等を提出してその議案の審議をストップさせるといった手法がある。委員長又は議長が与党出身者であると円滑に採決が行われるが、野党出身者の場合は採決に支障をきたすことが多い。この場合は、本会議において中間報告を求め、直ちに本会議での審議に移行して採決させるという手法をとることが多い。
与党の強引な議事運営に関しては強行採決との批判は多い。しかし、それに対しては、議題の廃案にするために与党議員を造反させて採決で否決する工作を殆ど念頭におかずに、議事を物理的に妨害することのみに終始していることなどから、野党の対応への批判もある。
[編集] 背景
このような強行採決は、外国の議会ではあまり例を見ない[要出典](ただし、韓国や台湾の議会では行われる[要出典]ようである)。日本でのみ繰り返されてきた理由としては、
- 日本の国会の審議時間が極めて短いこと
- 会期が短く、継続審議をしないと会期終了とともに廃案となる制度があること
- 与野党とも造反が少ないこと
が挙げられる。 まず、審議時間の短さから、日本の政治では“議論が尽くされていない”という野党側の言い分が成立しやすい。また、会期が短いうえに、継続審議をしないと期限切れで廃案となるために、早めに採決をしなければならないという与党の事情と、採決を引き延ばせば廃案になるという野党の事情があり、採決の日程で合意に至らない要因になっている。さらに造反が少ないので、採決に持ち込まれた場合はほぼ与党が勝利する形で終わる。このような事情から、強行採決が続くこととなっている。
この点に関して、多くの先進国[要出典]の議会では
- 審議時間がたっぷり確保されている
- 1年~4年の会期がある。
- 造反が多い
という状況であるために、急いで法案を採決にかける必要もなく、引き延ばしも無意味であり、例え採決になっても造反によっては否決されたり、そうでなくても造反が多ければ政権へのダメージになるため、強行採決をする必要は無いといえる。
[編集] 日本の強行採決
日本の強行採決は、多くの場合は事前に与党側から野党側やマスメディアへ通告されることが慣例となっており、抜き打ちではないため、純粋な意味での強行採決ではなく、議員のパフォーマンスであるとの指摘もある。
与党が強行採決する際は、国会対策委員長同士や会談や委員会の理事懇談会といった非公式な場で、「○時○分に採決に踏み切る。」とか、「○○議員の質疑終了後、質疑を終局する。」といった内容の事前通告が野党側にされているため、採決間近になると、与野党の議員が集結の準備を整えており、マスコミ各社のカメラもスタンバイを終えている。採決する時間も、NHKの生中継がしやすい時間帯を選んで設定されている。
与野党が対立する法案にあって、どうしても妥協点が見出せない場合、ギリギリの落とし所として、強行採決が選択される。与党は法案を可決させるという「実」を取り、野党側は「体を張ってこの法案を阻止しようとした。」という姿を国民にアピールする「名」を取る。ある意味、与党は野党の顔を立てたものと言える。
ある対立法案の採決で、一部の野党が出席して強行採決に踏み切る予定が、段取りを間違え全野党議員が欠席のまま採決してしまったため、数時間後、改めて野党議員の出席を求め強行採決をやり直した例もある。
日本の強行採決は、長らく政権交代のない55年体制、国対政治で醸成された日本的慣習・慣例であるといってよい。
1999年に行われた通信傍受法案の採決では、野党内でも本気で廃案を目指す議員と、従来通り国対などで打ち合わせを済ませた議員で対立があったと伝えられた。最後まで本気でやり合うか、落としどころを見つけて適当に退くかといった軋轢が表面化したのは、55年体制終結に伴う変化と言えるかも知れない。また、前者の議員には打ち合わせの内容が知らされないケースがままあるようである。
2006年の教育基本法改正案採決でも、委員会での強行採決の後、衆議院での内閣不信任決議案提出に加え、参議院でも安倍晋三内閣総理大臣問責決議案提出を共産、社民、国民新は要求したが、民主が問責決議提出を阻止し、ほとんど無抵抗のまま可決を許している。この時も、共社など本気で廃案を狙う議員には、取引の内容は知らされなかったようである。
[編集] 野党の強行採決
強行採決は与党しか行わないものと思われがちだが、政権基盤が不安定で、委員会において議題への否決派が多数を占めている場合、野党が与党の了承を得ずに審議を打ち切る形で強行採決を行う場合がある。
例として、1948年2月の片山内閣の予算案否決がある。社会党右派を首班とした片山内閣は政権が進むにつれて次第に社会党右派左派の意見対立などによって政権内部の基盤が不安定になっていた。そして、1948年2月5日、予算案における与党調整が整わないうちに、衆議院予算委員会では24人の与党議員が席を外している隙を野党が狙って、与党でありながら社会党左派であり首相と対立していた鈴木茂三郎予算委員長の議事の元で24対1による野党議員の過半数で予算案が否決された。
[編集] 関連項目
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