牛歩戦術
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牛歩戦術(ぎゅうほせんじゅつ)は、日本の国会において少数派が議院規則の範囲内で議事妨害を行う手段の一つ。これに関連する議事妨害の手段として牛タン戦術(ぎゅうたんせんじゅつ)がある。
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[編集] 牛歩戦術
日本においては与党の強行採決に抵抗する形で野党が使う。投票までの間、時には立ち止まったり足踏みしたりしながらゆっくり前進し、投票のために並んだ議員の列を妨害して時間稼ぎをする戦術。立ち止まりすぎると、投票の意思がないとみなされて棄権と扱われるため、少しずつ前進していく。
賛成する議員が反対する議員を明らかに上回る時、反対する議員が議題の可決を阻止するために行う。衆議院規則では、議長職権により投票時間を制限できる規定が明記されているが、参議院規則にはない。しかし、参議院でも議長職権により投票時間を制限されて投票を打ち切られたケースがある。
牛歩戦術の狙いは次の3つ。ただし、牛歩のみによって妨害が成功したケースは少ない。
- 議場(議会が開かれている部屋)を一度出てしまうと、その議会が終了するまで議場に入れないという決まりがある(議場閉鎖)。このため、たとえば賛成派議員の中からトイレを我慢できなくなって、投票する前に部屋を出る議員が現れてくれれば、その分賛成票を減らすことができる。
- 午前0時、つまり日付が変わった時点で投票が終了していない場合は、その投票自体が無効になるという決まりがある。このため、議題の可決をある程度先延ばしすることができる。
- 法案は、国会の会期中に可決するか、継続審議の手続きを行わないと廃案となる。会期末まで牛歩を続ければ、理論上は廃案にできる。
日本では戦前、帝国議会で1929年(昭和4年)、小選挙区制法案に反対した野党・立憲民政党により、既に近い行動が見られたという。ただ、議長に催促されるまで自席に座ったままでいるというもので、目的は同じだが、牛歩そのものではなかった。最初の本格的な牛歩戦術は、戦後、初めて議会に進出した社会党や共産党が行ったといわれる。日本国憲法が公布された、帝国議会から国会となってから、本格的な牛歩の最初は、野党時代の自由党が、大野伴睦の発案で行われた。自民党政権下では、社会党や共産党が得意とした戦術であり、現在も民主党などが行うことがある。ただし、民主党は党としては行わず、議員個人の裁量に任せるという形を取っている。一回の投票での最長記録は1992年の下条進一郎参院国際平和協力特別委員長問責決議案での13時間8分である。
[編集] 主な実行例
- 1929年、立憲民政党が不完全ながら衆議院で実行。小選挙区法案阻止が目的。結果的に成功。
- 1946年8月21日、社会党、共産党が衆議院で実行。樋貝詮三議長不信任決議案の討論打ち切り動議に対抗。時間稼ぎのみ。
- 1947年、自由党が衆議院で実行。臨時石炭鉱業管理法案阻止が目的。保守政党に有利な修正がなされたため、一部成功。
- 1987年、社会党、公明党、共産党、民社党、社民連などが衆議院で実行。売上税法案阻止が目的。結果的に成功。
- 1988年、社会党、共産党、第二院クラブが衆参両院で実行。消費税法案阻止が目的。失敗。
- 1992年、社会党、共産党、連合参議院、社民連などが衆参両院で実行。PKO法案阻止が目的。五泊六日で抵抗するも失敗。共産以外は一部の牛歩に参加せず。連合参議院は民社系議員は参加せず(民社党は賛成)。
- 1999年、民主党、共産党、社民党などが参議院で実行。通信傍受法案など、組織犯罪対策三法案阻止が目的。議長による投票打ち切りで失敗。民主は一部の牛歩に参加せず。
- 2004年、民主党、共産党、社民党などが、衆参両院で実行。年金改正法案阻止が目的。失敗。
- 2005年、民主党、共産党、社民党などが不完全ながら衆議院で実行。会期延長の議決時、本会議場に酒気を帯びて出席している自民党議員への抗議が目的。その後、民主党議員にも飲酒者がいたと自民党が反論。懲罰動議の応酬となった。
[編集] 牛タン戦術
似たような行動に「牛タン戦術」と呼ばれるものがある。牛歩戦術をもじったもので、時間制限のある(例外あり)議場での演説で延々と喋り続ける行動を指す。フィリバスターは議事妨害全般をさすが、日本では牛タン戦術を意味することが多い。時間稼ぎの一種であるが、長時間の演説によって最後の説得を試みるという積極的な意味もある(ただし、政党の党議拘束が強い日本のようなケースでは、説得としての効果は非常に薄い)。アメリカ合衆国上院やイギリス下院では、ほぼ演説の時間制限が無く、討論打ち切りの条件も厳しいため、牛タン戦術への抵抗は比較的少ない。
しかし、日本の国会では通常、演説や答弁の時間は割り振りで決められており、時間超過すれば議長は制止、強制排除等の命令を下せるため、米英ほどの長時間にはならない。それを以って「力ずく」で採決に持ち込んだと言いがかりをつけ、内閣不信任や大臣の問責・議長の不信任決議案を提出するという戦法でもある(内閣不信任決議案を提出できるのは衆議院のみなので、参議院ではそれぞれの大臣の問責決議案を提出することになる)。
[編集] 主な実行例
最初の例としては、帝国議会で1929年(昭和4年)、前出の立憲民政党と無産政党などの議員が行った。特に武富濟は5時間30分にわたり演説を続け、副議長により発言を打ち切られた。小選挙区法案はしばしば牛タン戦術の対象となった。たとえば、1947年には社会党の鈴木義男が3月25日の修正案趣旨説明で1時間40分、3月26日の反対討論で2時間行ったと言われる。
1999年(平成11年)8月11日の組織犯罪対策三法案審議では、法務委員会で強行可決した直後であったことから、野党側は時間無制限の討論を認めさせた。民主党の円より子が2時間8分行ったのを始め、野党議員は軒並み1時間前後の演説を行った。しかし、会期末まであと2日に迫っていたため、与党は衛視を動員して強制的に討論を打ち切らせると、社民党の三重野栄子議院運営委員を脅した。そこで三重野は福島瑞穂の討論を打ち切らせ、そののち、与党側は討論時間を10分間に制限する動議を提出し、可決させた。
2004年6月4日、年金改正法案審議で、民主党の森裕子が3時間1分行った。マスコミには最長記録と報じられたが、武富の例よりは短く、マスコミは対象を戦後の国会に限定していると思われる。
2007年3月2日から3日にかけて、平成19年度予算案の審議に先立って行われた、予算委員長解任決議案について、趣旨弁明にたった民主党の枝野幸男が午後10時30分から始まった本会議で約1時間20分にわたって演説を続けた結果、河野議長が午後11時50分に翌日午前0時10分から本会議を開くと宣言して延会の手続をとった。再開された本会議では、趣旨弁明の時間を15分に制限する動議が可決され、15分で趣旨弁明を打ち切らざるを得なかったが、その結果衆議院の予算の通過が1日遅れることになり、予算の自然成立が4月1日にずれこませることには成功した。
変わったところでは、政府側の答弁でもノロノロと喋り、別の意味で牛タン戦術と呼ばれることもある。たとえば、内閣総理大臣当時の小泉純一郎(自民党)など。衆議院の質疑では質問時間は質問と答弁、いずれでも消費する(これを「往復方式」と呼ぶ)。当然ながら、質問時間はほとんどの場合制限があるため、答弁を引き延ばせば、質問者は次の質問を行えずに時間切れになってしまう。ここに政府の側が牛タン戦術を使う理由が生まれる。参議院では質問者の質問時しか時間を消費しないため(これを「片道方式」と呼ぶ)、答弁での牛タンは通用しない。2006年、参議院でも試験的に往復方式を試みたが、とたんに政府側の答弁が長くなったという(山根隆治「参議院議員 山根隆治メールマガジン 2006/ 3/16 「片道質問 往復質問」「深い傷」」)。もっとも、往復方式では片道方式より設定される時間は長くなるため(片道では答弁時間が入っていないから当然といえる)、時間ぎりぎりまで質問者が一方的にしゃべり続けることもできてしまうという指摘もある(簗瀬進「国会通信 No.465」)。また、往復方式でも揚げ足を取られないよう、そうそう答弁の引き延ばしはしないという反論もある(「霞ヶ関官僚日記 ■[政治]参院予算委総括質疑は「片道方式」」)。
[編集] その他
発明王トーマス・エジソンは押しボタン投票装置の特許を取得し、アメリカ合衆国各州の議会に売り込みを図ったが「牛歩戦術ができなくなる」とほとんどの場合野党の反対を招き、実用化されなかった。
日本では幾度が議論された末、1998年に参議院でのみ押しボタン式投票が導入された。ただし、出席議員の1/5以上の要求があれば、従来通り記名投票が可能なので、牛歩が行える。
[編集] 参考文献
- 前田英昭『エピソードで綴る国会の100年―明治・大正・昭和・平成』(原書房、ISBN 4562021594)