成田文男
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成田 文男(なりた ふみお、1946年10月2日 - )は、東京都足立区出身(秋田県生まれ)。昭和後期(1960年代後半-1980年代前半)のプロ野球選手(投手)。
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[編集] 来歴・人物
修徳高等学校から1965年に東京オリオンズに入団。速球と切れのいいスライダーを武器に、入団2年目から主力投手として活躍する。1968年から1970年にかけて3年連続20勝をマーク。この間1969年8月16日の対阪急ブレーブス戦でノーヒット・ノーランを達成。1970年には25勝でパ・リーグ最多勝に輝き、同年のロッテのリーグ優勝に大きく貢献した。
1971年2月23日からチームのアメリカ・アリゾナキャンプに参加し、オープン戦ながらサンフランシスコ・ジャイアンツを延長10回、1失点に抑える快投を披露した。成田のピッチングは当時メジャーリーグを代表する打者であったウィリー・メイズやウィリー・マッコビーも驚かせ、メジャーの球団からも誘いを受けた。
1973年には2度目の最多勝(21勝)に輝き、最多奪三振、ベストナインなどのタイトルも獲得。金田正一監督のもと、1974年の日本一にも貢献。木樽正明、金田留広、村田兆治とともに投手陣四本柱を形成する。
向こうっ気が強く、スマートな投球スタイルであったためか金田とは折り合いがあまりよくなく、しょっちゅう喧嘩していたという。400試合登板という記念の試合でも4回2/3で交代を命じられるなどした。
1980年、日本ハムファイターズに移籍。1981年のリーグ優勝には多彩な変化球を使いこなしてリリーフ投手として貢献した。1982年に引退。
現在は岐阜県山県市で喫茶店を経営しながら少年野球のコーチなどを務め、野球普及活動に尽力している。打撃の良い投手としても知られ、満塁2本を含む通算15本塁打をマークしている。
実名で登場している漫画、アストロ球団では、金田監督の指示により主人公の球一の頭部に死球を与えて退場させるという極悪なプレーを見せている。
ビートたけしと同じ中学であり、たけしが野球部に所属していたときの投手のレギュラーは成田であった。
[編集] スライダー
成田は伊藤智仁・宣銅烈とともに、最もキレの鋭いスライダーを投げた投手として知られている。
成田のスライダーは非常に球速の速い高速スライダーである(今で言うカット・ファスト・ボールの一種であるという説もある)。その投げ方は人差し指と中指を直球よりもそろえて握り、斜め上回転を加えることでスピードが落ちないようにするというものだった。後に首位打者のタイトルを獲得する佐々木恭介は、新人の年の開幕戦1打席目に成田と対戦し、スライダーで3球三振に倒れている。そのスライダーの球速について佐々木は「140キロをゆうに越えていた。」と語っている。
またコントロールにおいても優れており、成田は「ホームベースの角を1ミリか2ミリはずれることはあっても、狙ってほぼ同じコースに投げることができた。」と語っている。
[編集] 略歴
- 投打 右投右打
- 球歴・入団経緯 修徳高 - 東京・ロッテ(1965~79年)- 日本ハム(1980~82年)
[編集] 年度別成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 安打 | 本塁打 | 四死球 | 三振 | 自責点 | 防御率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1965年 | 東京 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 4 | 0 | 1 | 2 | 2 | 9.00 |
1966年 | 東京 | 45 | 5 | 1 | 0 | 8 | 7 | - | 172.2 | 144 | 23 | 41 | 101 | 61 | 3.17(17) |
1967年 | 東京 | 55 | 10 | 3 | 5 | 14 | 16 | - | 272.2 | 208 | 23 | 54 | 179 | 64 | 2.11(3) |
1968年 | 東京 | 49 | 19 | 2 | 2 | 20 | 11 | - | 306.2 | 238 | 33 | 95 | 187 | 99 | 2.90(10) |
1969年 | ロッテ | 48 | 21 | 9 | 4 | 22 | 13 | - | 317 | 276 | 29 | 79 | 185 | 96 | 2.73(9) |
1970年 | ロッテ | 38 | 21 | 3 | 2 | 25 | 8 | - | 277.2 | 217 | 36 | 75 | 195 | 99 | 3.21(9) |
1971年 | ロッテ | 35 | 7 | 2 | 1 | 11 | 9 | - | 189 | 169 | 34 | 66 | 121 | 90 | 4.29(22) |
1972年 | ロッテ | 41 | 13 | 2 | 2 | 11 | 14 | - | 233.2 | 229 | 37 | 64 | 122 | 115 | 4.42(23) |
1973年 | ロッテ | 52 | 16 | 7 | 3 | 21 | 10 | - | 273.2 | 203 | 27 | 99 | 178 | 80 | 2.63(3) |
1974年 | ロッテ | 37 | 7 | 0 | 0 | 9 | 10 | 3 | 178 | 139 | 21 | 63 | 96 | 65 | 3.29(16) |
1975年 | ロッテ | 31 | 11 | 2 | 2 | 15 | 9 | 0 | 203 | 186 | 28 | 59 | 107 | 75 | 3.33(16) |
1976年 | ロッテ | 35 | 4 | 1 | 2 | 10 | 10 | 1 | 165.2 | 164 | 17 | 45 | 98 | 63 | 3.42(18) |
1977年 | ロッテ | 15 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 43 | 47 | 5 | 21 | 21 | 26 | 5.44 |
1978年 | ロッテ | 9 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 35 | 40 | 3 | 14 | 18 | 16 | 4.11 |
1980年 | 日本ハム | 27 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 3 | 58.1 | 43 | 6 | 14 | 31 | 16 | 2.48 |
1981年 | 日本ハム | 14 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 50.2 | 49 | 4 | 17 | 16 | 14 | 2.47 |
1982年 | 日本ハム | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2.1 | 10 | 2 | 1 | 0 | 8 | 36.00 |
通算成績 | --- | 534 | 135 | 32 | 23 | 175 | 129 | 8 | 2781 | 2366 | 328 | 808 | 1657 | 989 | 3.20 |
[編集] タイトル・表彰・記録
- 最多勝 2回(1970年、1973年)
- 最多奪三振 1回(1973年)
- ベストナイン 1回(1973年)
- ゴールデングラブ 1回(1973年)
- ノーヒットノーラン (1969年8月16日)
- オールスターゲーム出場 8回(1966年~1973年)