春風亭小朝
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春風亭 小朝(しゅんぷうてい こあさ 1955年3月6日 - )は、落語家。東京都北区出身。東京電機大学高等学校卒業。本名は花岡 宏行(はなおか ひろゆき)。前座名は春風亭小あさ(読み同じ)。出囃子は『さわぎ』。キャッチフレーズは『横町の若様』。
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[編集] 経歴
- 1970年
- 5代目春風亭柳朝に入門(前座名の春風亭小あさとして)。2番弟子となる。
- 1976年
- 二つ目昇進。
- 1980年
- 真打昇進。36人抜きで話題となる。兄弟子春風亭一朝や師匠柳朝の弟弟子林家九蔵(現三遊亭好楽)、林家上蔵(現桂藤兵衛)などよりも先に真打になる。
- フジテレビ『THE MANZAI』では明石家さんまとコンビを組み、『オレたちひょうきん族』にもコンビ漫才を披露した。また『ひょうきん族』の母体番組『笑ってる場合ですよ!』にて木曜レギュラーとして出演を果たす(1981年頃まで)。
- 1987年
- 1997年
- 2003年
- 落語界の斜陽化を憂う賛同者と六人の会を結成。
[編集] 林家正蔵との関係
- 師匠柳朝は8代目林家正蔵(後の彦六)の総領弟子。8代目の孫弟子に当たる。また、彦六にとっては2人目の孫弟子である。なお、彦六存命中に真打になった孫弟子は小朝だけである。
- 妻は、シンガーソングライターだった泰葉(3代目林家三平の次女、7代目林家正蔵の孫)。9代目林家正蔵と林家いっ平は義弟。
- 真打昇進前後にTBSラジオ『夜はともだち』のパーソナリティーを務めていたこともあり、「くるくるダイヤル ザ・ゴリラ」のパーソナリティーの経験のある義弟との共通点の1つでもある。
- 2005年4月3日、MBSヤングタウンがMBSの東京スタジオから生放送された際に、正蔵らとともに出演。そこで正蔵の物真似(「あにちゃん、こんなの食べられまちぇんよ」)を披露し、爆笑を買っていた。現在でも枕話でこの物真似を披露することがある。しかも「正蔵襲名前のこぶ平時代」とは変化をつけて物真似をする周到ぶりである。
[編集] エピソード
- 多趣味として知られ、クラシック音楽などにも造詣が深い。趣味の域を超えており、オーケストラの指揮者をしたこともある。
- ギャグのセンスも冴えており、バラエティ番組の出演も多い他、漫才や俳優にも挑戦するなど、従来の『落語家』のイメージを覆した点は大きく評価されている。近年は髪を金髪にしている他、駄洒落の被り物をして高座に上がる事もある。
- TBSラジオ『夜はともだち』内で放送された『それ行けスネークマン(俗に言うスネークマンショー)』を毛嫌いしていた為に、放送前には「またいやなものが始まった」と話す事もあった。
- 若手落語家の注目株として多忙を極めてしまい、肥満体になっていた時期がある。これは、ようやく仕事の空いた時間に焼き肉屋へ飛び込み食事をする生活が続いてしまったからである。ある日、通院した医者から「あの人は、もう当分落語どころじゃなくなる」という言葉を耳にしてしまう。それからダイエットを実施し、見事にやせて健康になった。
- 立川談志が参議院議員だった時、噺の稽古をつけてもらった事がある。しかも、場所は議員宿舎という凄さである。
- 近年は、六人の会の結成や9代目林家正蔵の襲名披露パレードなど、プロデューサーとしての手腕が注目されている。なお小朝のプロデュースを行っているのは妻の泰葉である。
- 明石家さんまが18歳の時に(師匠笑福亭松之助のカバン持ちをしていた時)出会った。その時は小朝について凄い奴が東京にいるというを聞いて出会った。
- さんまが27歳頃に小朝と一緒の新幹線になって小朝に「兄さんは落語で成功して下さい、僕は落語をやめてテレビで成功しますから。」と話した。その時の事を小朝は落語をやめた潔さ、自分の将来の事を言われた事などで衝撃を受けて、運命を変えた一言だったと話している。
- 妻の泰葉にさんまはプロポーズをしたと話している。泰葉は、さんまは本気だったんじゃないか、私がきれいだったら結婚してたんじゃないかと未だに思っている。その時、泰葉がさんまと結婚して、さんまが林家三平の名前を取ろうとしているんじゃないかと一門で大騒ぎになった。