浄土宗
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基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
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ウィキポータル |
浄土宗(じょうどしゅう)は、法然上人が開祖である、浄土教専修念仏を宗旨とする日本の仏教宗派の一つ。本尊は阿弥陀如来(舟後光立弥陀)。
目次 |
概要
勢至丸(後の法然)は父の漆間時国の遺言通り僧侶になる事を誓う。
比叡山に登る前、叔父の菩提寺という寺院に行った。そこの住職の観覚上人の下で勉学に励んだ。
しかし、4年の歳月が過ぎ師僧の観覚上人から「お前に教える事はもう何もない、比叡山に行ってはどうか」と言われ、勢至丸は比叡山へわずか13歳(1145年)で行く事となる。
その後、叡山根本中堂に於いて源光上人より学ぶ。また、源光上人が勉学を教えられなくなり、皇円阿闍梨の下で学ぶ。ここで勢至丸・15歳(1147年)、正式に得度する。
勢至丸・18歳(1150年)の時、黒谷の別所に移り慈眼房叡空上人に師事して法然房源空(源光・叡空より一字ずつ名を貰った)と名のる。
承安5年(1175年)43歳の時、善導大師の観無量寿経疏(観経疏)によって専修念仏に進み、比叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えを弘めた。この年が、浄土宗の立教開宗の年とされる。
その観経疏にある立教に至った文字は、
- 一心に専ら弥陀の名を称えいつでも何処でも時間の短い長いに関係なく常にこれを念頭に置き継続する事が往生への道である。その理由は弥陀の本願に順ずるからである。
- 一心専念弥陀名号
- 行住坐臥不問時節久近
- 念念不捨者是名正定之業
- 順彼佛願故
「南無阿弥陀仏」=阿弥陀仏に帰依します。弥陀佛の選択によって、浄土宗における念仏はここから始まったと言っても良い、。
『選択本願念仏集』が浄土宗の根本聖典となっており、教義の集大成となっている。
また、浄土宗の立教と共に旧来の仏教である天台宗や奈良の興福寺から批判の声が上がり、やがて法然は讃岐へ流罪にさせられるが、その地においても布教をした。
- 一紙小消息(いっしこしょうそく)
浄土宗寺院特徴
- 本尊:阿弥陀仏、
- 本尊左:勢至菩薩、
- 本尊右:観音菩薩、
- 左:善導大師、
- 右:法然上人、
- 注)下記二名は鎮西派(浄土宗)。
- 注)下記一名は西山派(西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派)。
- 二祖:證空上人
浄土宗教典
浄土宗宗歌
- 「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」
この宗歌は法然二十五霊場、十八番月輪寺の詠歌からとったものである。
浄土宗(鎮西派)日常勤行式
- 香偈(こうげ)
- 三宝礼(さんぼうらい)
- 四奉請(しぶじょう)←関西ではこちらを使う
- 歎仏偈(たんぶつげ)
- 懺悔偈(さんげげ)
- 十念(じゅうねん)
- 開経偈(かいきょうげ)
- 読誦(大経の中から四誓偈、観経中から真身観文、小経、般若心経など)
- 聞名得益偈(もんみょうとくやくげ)、本誓偈(ほんげいげ)など
- 一枚起請文、一紙小消息など
- 摂益文(しょうやくもん)←関東は和文で読む事もある
- 念仏一会(ねんぶついちえ)
- 総回向偈(そうえこうげ)
- 十念
- 総願偈(そうがんげ)
- 三唱礼(さんしょうらい)←節が付く
- 三身礼(さんじんらい)
- 三キ礼(さんきらい)←節が付く
- 送仏偈(そうぶつげ)
- 十念
総本山
鎮西七大本山
関係学校
大学
中学校・高等学校
- 芝中学校・高等学校(東京都) - 旧浄土宗学東京支校
- 東海中学校・高等学校(名古屋市) - 旧浄土宗学愛知支校
- 東山中学校・高等学校(京都市) - 旧浄土宗学京都支校
- 上宮中学校・高等学校(大阪市) - 旧浄土宗学大阪支校
- 上宮太子中学校・高等学校(太子町) - 旧浄土宗学大阪支校
- 鎮西中学校・高等学校(熊本市) - 旧浄土宗学九州支校
関連項目
外部リンク
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