不動明王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
---|
基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
|
部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
|
ウィキポータル |
不動明王(ふどうみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一つ。密教の根本尊である大日如来の化身、或いはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。不動尊の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王(無動尊)などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い。
目次 |
[編集] 起源

サンスクリットではAcalanatha(アチャラナータ;古代インドではシヴァ神の異名)と言う。「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「不動の守護者」の意味である。チベット密教等ではCandamaharosana(チャンダマハローシャナ)と言うが、日本に伝えられた不動明王とは図像的に全く異なるものである。
弘法大師空海が中国より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像が持ち込まれたと言われる。「不動」の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」に「不動使者」として現れるのが最初である。「使者」とは、大日如来の使者という意味である。
密教では、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という3つの姿で現れるとする。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを指し、「正法輪身」(菩薩)は、説法する姿を指し、「教令輪身」は、仏法に従わない者を教化し、仏敵を退散させる、実践的な働きを指す。
不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩をかかえ、もっとも救いがたい衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。
また、釈迦が成道の修業の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せたところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに超力で降伏したと伝えられるが、不動明王はその際の釈迦の内証を表現した姿であるとも伝えられる。穏やかで慈しみ溢れる釈迦も、心の中は護法の決意を秘めた鬼の覚悟であったというものである。他にも憤怒の相は、我が子を見つめる父親としての慈しみ=外面は厳しくても内心で慈しむ父愛の姿を表現したものであると言われる。
[編集] 像容
密教の明王像は多面多臂の怪異な姿のものが多いが、不動明王は1面2臂を基本としている(密教の図像集などには多臂の不動明王像も説かれるが、立体像として造形されることはまれである)。
像容は肥満した童子形につくることが多く、怒りによって逆巻く髪は活動に支障のないよう弁髪でまとめ上げ、法具は極力付けず軽装で、法衣は片袖を破って結び、右手に降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩を断ち切る)、左手に羂索(けんじゃく=悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を救い上げるための投げ縄のようなもの)を握りしめ、背に迦楼羅焔(かるらえん=三毒を喰らい尽くす伝説の火の鳥「迦楼羅(元はインドのガルーダ(金翅鳥))」の形をした炎)を背負い、憤怒の相で粗岩(磐石(ばんじゃく))の上に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的である(日本では坐像の他、立像も数多く存在している)。
インドで起こり、中国を経て日本に伝わった不動明王であるが、インドや中国には、その造像の遺例は非常に少ない。日本では、密教の流行に従い、盛んに造像が行なわれた。日本に現存する不動明王像のうち、平安初期の東寺講堂像、東寺御影堂像などの古い像は、両眼を正面に見開き、前歯で下唇を噛んで、左右の牙を下向きに出した、現実的な表情(平常眼)で製作されていた。しかし時代が降るにつれ、天地眼(右眼を見開き左眼をすがめる、あるいは右眼で天、左眼で地を睨む)、牙上下出(右の牙を上方、左の牙を下方に向けて出す)という、左右非対称の姿の像が増えるようになる。これは10世紀、天台僧・安然らが不動明王を観想(思い浮かべる)するために唱えた「不動十九観」の影響によるものである。
時代をさらに下ると、不動明王像は天地眼による表現がほぼ完全に主流となっていったが、天地眼の刻み方が一般的になっても、運慶の静岡・願成就院の不動明王・二童子立像など、一部には両目を見開き、牙が両方とも下を向いて咬んでいる古来の相に倣って刻まれた像が見受けられる。
願成就院の不動明王像とほぼ同時期に運慶が制作した、神奈川県・浄楽寺の不動明王立像は、胴部が願成就院とほぼ同一の造形であるものの顔面が天地眼の相で彫られていることから、運慶が相の彫り分けを行っていたことが伺え、相が平常眼か天地眼かは単に時代の変遷によるものとは限らず、依頼主・発願主の意向や目的等によって彫り分けていた可能性がある。ヒノキ材の寄木造りの本像は、小仏師十人と共に運慶が、和田義盛の発願によって造像したことが分かっている。
[編集] 不動三尊・不動八大童子

不動明王は、八大童子と呼ばれる眷属を従えた形で造像される場合もある。ただし、実際には八大童子のうちの2名、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式で絵画や彫像に表わされることが多い(不動明王二童子像または不動三尊像と言う)。三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に制多迦童子、左(向かって右)に矜羯羅童子を配置するのが普通である。矜羯羅童子は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表わされるものが多く、制多迦童子は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い。
八大童子の残り6名は、慧光(えこう)童子、慧喜(えき)童子、阿耨達(あのくた)童子、指徳(しとく)童子、烏倶婆伽(うぐばが)童子、清浄比丘(しょうじょうびく)である。これら八大童子の彫像の作例としては、高野山金剛峯寺不動堂に伝わった国宝の像がよく知られる。東京都世田谷区の世田谷山観音寺には、鎌倉時代の仏師・康円(運慶の孫)作の不動明王及び八大童子像があるが、これは奈良県天理市にあった廃寺・内山永久寺から移されたものである。
なお、不動明王の眷属として八大童子を配することは、サンスクリット経典には見えないようで、中国で考案されたものと言われている。
[編集] 真言
大咒:不動明王火界咒(ふどうみょうおう かかいのじゅ)
- のうまく さらばたたぎゃていびゃく さらばぼっけいびゃく さらばたたらた せんだまかろしゃだ けんぎゃきぎゃき さらばびぎなん うんたらた かんまん
中咒:不動明王慈救咒(ふどうみょうおう じぐのじゅ)
- のうまく さんまんだ ばさらだん せんだんまかろしゃだや そはたや うんたらた かんまん
小咒:不動明王一字咒(ふどうみょうおう いちじのじゅ)
- のうまく さんまんだ ばざらだんかん
*大咒と中咒にある「せんだんまかろしゃだ」とは不動明王の元の名(チャンダマハロシャナ)の意である。
[編集] 不動明王を祀る主な日本の寺院
- 岩手・吉川寺 千厩不動尊 木造不動明王立像
- 宮城・松島瑞巌寺五大堂 (秘仏)木造不動明王坐像(五大明王)(平安時代、重要文化財)
- 千葉・成田山新勝寺 木造不動明王二童子像(鎌倉時代、重要文化財)
- 東京・瀧泉寺(目黒不動)
- 東京・金剛寺(高幡不動) 木造不動明王二童子像(平安時代、重要文化財)
- 神奈川・大山寺 鉄造不動明王二堂子像(鎌倉時代、重要文化財)
- 富山・日石寺 不動明王立像(凝灰岩磨崖)(平安時代、重要文化財)
- 長野・光前寺 秘仏(鎌倉時代、重要文化財)
- 滋賀・延暦寺 木造不動明王立像(鎌倉時代、重要文化財)
- 滋賀・石山寺 木造不動明王像(平安時代、重要文化財)
- 滋賀・西明寺 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財)
- 京都・東寺講堂 木造不動明王坐像(五大明王のうち)(平安時代、国宝)
- 京都・鹿苑寺(金閣寺) 石造不動明王像
- 京都・東寺御影堂 木造不動明王坐像(平安時代、国宝)
- 京都・同聚院(東福寺塔頭) 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
- 奈良・法隆寺護摩堂 木造不動三尊像(平安時代、重要文化財)
- 奈良・法隆寺 木造不動明王像(南北朝時代、重要文化財)
- 奈良・東大寺 木造不動三尊像(南北朝時代、重要文化財)
- 奈良・新薬師寺 木造不動三尊像(平安時代、重要文化財)
- 奈良・唐招提寺 木造不動明王像(江戸時代、重要文化財)
- 奈良・長谷寺 木造不動明王坐像(平安時代、重要文化財)
- 大阪・観心寺 木造不動明王立像(南北朝時代、重要文化財)
- 和歌山・金剛峯寺 木造不動明王立像(平安時代、重要文化財)
- 和歌山・金剛峯寺(護摩堂) 木造不動明王坐像(鎌倉時代、重要文化財)
- 和歌山・高野山南院 木造立像 (波切不動)(平安時代、重要文化財)
- 兵庫・神呪寺 木造像 (平安時代、重要文化財)