榮久庵憲司
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榮久庵 憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - )は 日本のインダストリアルデザイナー(工業デザイナー)のパイオニア。広島国際大学客員教授。
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[編集] 略歴
- 1929年 東京都生まれ。
- ハワイ、広島県福山市に転居。
- 1945年 広島市に転居。
- 1951年 広島県立福山誠之館高校卒。
- 1955年 東京芸術大学美術学部図案科卒業。
- 1957年 GKインダストリアルデザイン研究所設立、所長となる。
- 1973年 第8回世界インダストリアルデザイン会議実行委員長。
- 1979年 コーリン・キング賞(工業デザイン界のノーベル賞(国際インダストリアルデザイン団体協議会))受賞。
- 1985年 国際科学技術博覧会会場施設デザイン専門委員。
- 1987年 世界デザイン博覧会(名古屋市)総合プロデューサー。
- 1998年 世界デザイン機構を設立し初代会長に就任。
- 1992年 藍綬褒章、通産省のデザイン功労者表彰。
- 1996年 英国ミシャ・ブラッグ賞受賞
- 1997年 フランスより芸術文化勲章受章。
- 1999年 THE LONDON INSTITUTEより名誉博士号授与。
- 2000年 勲四等旭日小綬章受章。
- 2003年 ラッキーストライク・デザイナー・アワード受賞。
- 2004年 フィンランド獅子勲章コマンダー章受章。
- 2005年 広島国際大学客員教授に就任(6月1日付)。
他、日本インダストリアルデザイナー協会理事長、国際インダストリアルデザイン団体協議会会長他を歴任し現在、(株)GKデザイン機構会長、国際インダストリアルデザイン団体協議会名誉顧問、Design for the World(世界デザイン機構)会長、日本デザイン機構会長、道具学会会長などを勤めている。
[編集] 解説
1945年、原爆が投下された8月の終わりに広島市へ入る。実家のお寺は爆心地から500メートルのところにあった。焼け野原に焼けただれた寝台の枠や鉄かぶと、自転車、市電が壊れてひっくり返っていた。消えようとしているモノたちの助けてくれと言う叫び、一方で四輪駆動のジープに乗ったGIのポケットには、チューイングガムやチョコレート。モノ不足は辛く、進駐軍がユートピアに見えた。壮絶な地獄絵とモノへの憧れが重なった。父の跡を継いで仏門に入ろうとした時期もあったが、この体験が榮久庵をID(industrial design)の世界に向わせた。
東京芸大在籍中に友人とともにデザイン会社を設立。当時、ビジネスの世界では、デザインという概念・価値はまったく認知されていない時代だったが、地道なプロモーション活動を続ける。
1961年、有名な「キッコーマンしょうゆ卓上びん」をデザイン。この年大ヒットし、「しょうゆ=キッコーマン」というブランドを打ち立てるのにも大いに貢献。この商品は40余年一度もデザインを変えることなくロングセラーを記録、近年は日本国内以上に日本国外でよく売れている。
その後は電車、オートバイ、自転車、冷蔵庫、洗濯機、電話機、印刷機械、ミシン、パソコン、カメラなど多数のデザインを手がけている。日本の工業デザイン界の草分けにして、今日に至るまで日本の第一人者として知られている。
[編集] 主な作品
- 日本楽器製造(ヤマハ)Hi-Fiオーディオ(1953年)
- 岡村製作所オフィス家具
- キッコーマン卓上醤油瓶(1960年)/(グッド・デザインマーク商品1993年選定)
- 大阪万博ゴミ箱、ベンチ(1970年)
- ヤマハオートバイMORPHOII
- 新幹線E3系電車(秋田新幹線「こまち」)
- 広島市新交通システムアストラムライン
- JR東日本253系電車(「成田エクスプレス」)
- JR東日本209系電車
- JR東日本255系電車(「BOSO VIEW EXPRESS」)
- JR東日本E217系電車
- JR東日本E231系電車
[編集] 著書
- 「道具考]
- 「人の心とものの世界」
- 「幕の内弁当の美学」
他多数。
[編集] 外部リンク
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