江島神社
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江島神社 | |
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所在地 | 神奈川県藤沢市江の島2-3-8 |
位置 | 北緯35度18分02秒 東経139度28分47秒 |
主祭神 | 多紀理比賣命 市寸島比賣命 田寸津比賣命 |
社格等 | 県社・別表神社 |
創建 | 欽明天皇13年(552年) |
本殿の様式 | 権現造(辺津宮・中津宮)、入母屋造(奥津宮) |
例祭 | 4月最初の巳の日 |
江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
目次 |
[編集] 祭神
宗像三女神を祀る。島の西方の「奥津宮」に多紀理比賣命、中央の「中津宮」に市寸島比賣命、北方の「辺津宮」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。
江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれ、日本三大弁天の一つに数えられる(他の2つは竹生島の宝厳寺と宮島の厳島神社)。現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。辺津宮境内の奉安殿には八臂弁財天と妙音弁財天が安置されている。
[編集] 歴史
社伝によれば、欽明天皇13年(552年)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。
当社には岩本院・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があった。岩本院は総別当とされ、江島寺とも称した。寛永年間に上ノ坊は岩本院に吸収された。岩本院と下ノ坊の両社は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。
神仏分離によって、仏式を廃して神社となり、「江島神社」に改称した。明治6年に県社に列した。
[編集] 交通
[編集] 外部リンク
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