江の島
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江の島(えのしま、 江ノ島)は神奈川県藤沢市にある陸繋島である。古来は引き潮の時のみ洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた。関東地震で島全体が隆起して以降は常に陸地と地続きとなった。湘南のシンボルでもある。神奈川県指定史跡名勝。
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[編集] 歴史
記紀に江の島の記述はないが、「江ノ島縁起」によれば、欽明天皇13年(552年)4月に海底より塊砂を噴き出し、21日で島ができたと伝えられている。
江の島は天武天皇元年(672年)、役小角が開基したといわれる。以来島全域が聖域としてあつかわれ、源頼朝が弁財天を勧請したのを始め多くの要人が参拝したと言われる。
室町時代の宝徳2年(1450年)、関東管領上杉氏重臣長尾景仲による鎌倉公方足利成氏政権転覆の計画が明らかとなり、鎌倉を脱出して江の島に逃れた成氏とこれを追跡してきた景仲の間で江の島を巡って攻防戦が行われた(江ノ島合戦)。
戦国時代は後北条氏によって庇護され、慶長5年(1600年)には徳川家康も参拝した。
江戸時代にはいると、手軽な観光地として江戸から多くの町民が訪れにぎわった。特に弁財天は音曲をつかさどる神として知られたため、検校など盲人音楽家や歌舞伎役者なども数多く参拝した。
また盲目であった杉山和一が管鍼術(鍼治療の一種)に開眼した場所として知られ、盲人の信仰も厚かった。東海道藤沢宿から江の島に至る「江の島道」と呼ばれる道筋には、和一により寄進された道標が数基現存している。
江の島の頂上部には植物園があった。これは与願寺(よがんじ)の菜園だったのを明治2年(1869年)に来日した英国人貿易商のサムエル・コッキングが買い取って別邸の付属庭園として造営したものを起源としている。コッキングの庭園は関東大震災で崩壊したが、跡地はその後1949年に藤沢市によって江の島植物園として整備、現在は再整備され江の島サムエル・コッキング苑として公開されている。
江の島の奥には岩屋と称する洞窟があり、古く「富士や猿島の風穴と繋がっている」という伝説があった。崩落の危険があったために閉鎖となっていた期間もあったが、調査・整備の後、現在は拝観可能となっている。
2003年には、1951年に建てられた、江の島灯台が建て替えられ、江の島展望灯台として新たにオープンした。
[編集] 施設
- 神奈川県立女性センター
- 江ノ島ヨットハーバー
- 江の島サムエル・コッキング苑(旧:江ノ島植物園)
- 江島神社
- 江の島大師
- 兒玉神社
- 江の島展望灯台
- 江ノ島エスカー
- 龍恋の鐘
[編集] 交通
- 1216年:干潮時に徒歩で江の島に行けるようになる。
- 1897年:初めて橋が架けられる。往復3銭徴収。
- 1930年:橋が県営になる。往復2銭徴収。
- 1949年:橋桁がコンクリート製の江の島弁天橋が完成。往復5円徴収。
- 1958年:鉄筋コンクリート製の現在の江の島弁天橋が架けられる。
- 1964年:自動車用の江の島大橋(神奈川県道305号江の島線)が架けられる。
[編集] 鉄道
- 最寄り駅
- 利用目的によっては有用な駅。
- 江ノ島電鉄江ノ島駅(徒歩12分)
- 湘南モノレール江の島線湘南江の島駅(徒歩15分)
[編集] バス路線
[編集] 道路
国道134号より、江の島弁天橋(歩行者、自転車専用)と自動車専用道路神奈川県道305号江の島線(江の島大橋)がある。
[編集] 江の島の地域猫
80年代頃から江の島では捨て猫が急増し、現在では至る所で多数の野良猫を見かけるようになった。なお猫好きな観光客や釣り人がエサを与えるなどしたため、ほとんどの猫は人を恐れない。島内の至る所で猫が無防備な姿でいるため、猫好きの人間もよく訪れる。
一部でこれらの野良猫を観光資源ととらえて新たな江の島名物とする動きがある。餌場をつくり猫に餌を与えたりする一方で、野良猫に避妊手術を行うための募金活動を行ったり、全島に犬・猫を捨てないよう訴える看板を掲示するなど、これ以上野良猫が増えないような対策も平行的に進められている。いわば島民一体になって野良猫の地域猫化を進めていると言えよう。
[編集] 地名表記
しばしば表記が揺れる「江ノ島」と「江の島」だが、現在、藤沢市が正式な地名としているのは「江の島」である。これは時代によってその表記が「江乃島」「江之島」「江ノ島」「江の島」などと変わっていることにも起因している。 なお、江ノ島電鉄や小田急江ノ島線の駅名はそれぞれ「江ノ島駅」「片瀬江ノ島駅」であるが、湘南モノレールの駅名は「湘南江の島駅」となっている
[編集] 文化
[編集] 音楽
- 『江ノ島の曲』- 山田流箏曲、1777年 (安永6年) 山田検校作曲。江戸で活躍した盲人音楽家、山田検校(1757年(宝暦7年)- 1814年(文化14年))の処女作品。この曲において浄瑠璃を取り入れた当時では新しいスタイルの箏曲を確立、山田流を創始した。初夏の江ノ島の風景をうたい、貝の名を連ねた「貝づくし」や竜の口の伝説などを織り交ぜつつ弁財天の神徳を讃えた曲。
- 『春の江ノ島』- 箏曲、1935年 (昭和10年) 富崎春昇 (とみさき しゅんしょう) 作曲、笹川臨風作詞。江島神社亥歳大祭に奉納するため作曲された。江ノ島、湘南ののどかな春景色と弁財天の神徳を詠っている。手事物形式で手事は二段あり互いに合奏できるほか、雅楽を模した「楽の手」が特徴的。作曲者により胡弓の手も付けられている。
[編集] 関連項目
- 岩本院
- 弁天小僧菊之助「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ、白浪五人男)」
- 江ノ島丼
- 岩屋洞窟
- サザンオールスターズ
- NAGISA (映画)
- 神奈川県指定文化財一覧#史跡名勝
- 江ノ島ベイビィラジオ
[編集] 外部リンク
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