法政大学野球部
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法政大学野球部(ほうせいだいがくやきゅうぶ、HOSEI University Baseball team)は、東京六大学野球連盟に所属する大学野球チーム。法政大学の学生によって構成されている。
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[編集] 創部
[編集] 歴史
1915年(大正4年)法政大学野球部が正式に発足。グランドは柏木。コーチに 早稲田大学野球部の八幡恭助氏を迎える。
1917年(大正6年)四大学リーグに加盟。野上豊一郎氏が部長に就任。 神田橋グランドを使用。
1930年(昭和5年)悲願の初優勝。(加盟以来14年)
[編集] 本拠地
神奈川県川崎市中原区今井仲町260
[編集] 記録
リーグ優勝は42回で、東京六大学最多。
[編集] 主な出身者
※多数につき、Category:法政大学野球部の選手を参照。
- 藤田省三
- 藤田宗一
- 苅田久徳 - 大学時代は遊撃手。史上最高の天才二塁手。
- 若林忠志 - リーグ初優勝に大きく貢献。その投球術は「七色の魔球」といわれた。
- 西垣徳雄 - 元国鉄スワローズ監督、ロッテオリオンズ球団代表
- 島秀之助
- 田川豊
- 根本陸夫
- 関根潤三 - 終戦直後にエース・主力打者として奮迅の活躍。
- 田丸仁 - 1960年代前半に監督。今日の黄金時代の基礎を築く。
- 新山彰忠 - 昭和30年代の主戦投手。戦後法政の再建に貢献。
- 山崎武昭 - 同上
- 長池徳士
- 田淵幸一 - 「法大三羽烏」リーグ本塁打記録を22本に大きく更新。主将。
- 山本浩二 - 同上
- 富田勝 - 同上
- 江本孟紀
- 高代延博
- 江川卓 - 「法大 花の49年組」通算47勝
- 植松精一 - 同上
- 木戸克彦
- 小早川毅彦
- 秦真司
- 西川佳明 - 六大学野球16連勝現・保持者。南海ホークス時代に清原和博に新人王をさらわれる
- 猪俣隆
- 石井丈裕
- 稲葉篤紀
- 根鈴雄次
[編集] 外部リンク
東京六大学野球連盟 法政大学 | 東京大学 | 立教大学 | 早稲田大学 | 慶応義塾大学 | 明治大学 |
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