稲葉篤紀
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稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手。ポジションは外野手(主に右翼手、中堅手)。背番号41。愛知県出身。愛称は アツ 名前の篤紀(あつのり)から。
右頬にある痕がトレードマーク。
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[編集] 来歴・人物
中京高校(現・中京大附属中京高校)から法政大学(中退)を経て、1994年のドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。ヤクルト時代は打線の中軸に座り、攻撃・守備両面でヤクルトの3度の日本シリーズ優勝に貢献した。
2004年オフにフリーエージェント宣言し、メジャーリーグへの移籍を行おうとしたが、応じる球団がなく断念。1月いっぱいまでしか待てないとしたヤクルトに対し、早くから声をかけ2月以降も待つ姿勢を見せた日本ハムへ移籍し、FAによって日本ハムに移籍した初の選手となった。また、FAによってセントラル・リーグ球団からパシフィック・リーグ球団に移籍したのは、仲田幸司(阪神→ロッテ)以来9年ぶり。だが、キャンプに合流したのが遅れた影響か、2005年序盤は不振に陥り、夏場に復調したが結果的に不本意な成績に終わった。
2006年は森本稀哲、新庄剛志とともに強肩・堅守揃いの外野陣を組んでゴールデングラブ賞のパ・リーグ外野手部門を日本ハム勢で独占(同一球団の独占は1978年の阪急ブレーブス以来)。打線でも小笠原道大(現:巨人)、フェルナンド・セギノールと共に強力なクリーンナップを形成(クリーンナップの合計本塁打数は両リーグ最多、打点は両リーグ3位)し他球団の脅威となった。打率.307、本塁打26、打点75を記録して日本ハムのリーグ優勝に貢献し、アジアシリーズでは、不在のセギノールに代わって四番を打った。
日本ハムでは打順は五番(稀に四番)に座ることが多い。ヤクルト時代は中軸を打つことが多かったが、一・二番を打ったこともある(ただし四番はわずか)。2007年は小笠原の巨人移籍により、ヤクルト時代に多かった三番に入る可能性が高い。内角のボールには滅法強く、また落ちるボールをバットの先で拾うようにして本塁打を放つ技術は天下一品。中距離タイプの強打者であるが、ヤクルト時代には得点圏打率が低いのが悩みの種であった。攻守交代時に全力疾走することが有名で、セ・リーグから表彰を受けたこともある。
[編集] プロフィール
- 身長・体重 1m86cm、85kg
- 投打 左/左
- 出身地 愛知県西春日井郡師勝町(現・北名古屋市)
- 血液型 O型
- 球歴・入団経緯 中京高校-法政大学(中退)-ヤクルト(1995年-2004年)-北海道日本ハム(2005年-)
- ドラフト年度・順位 1994年ヤクルト3位
- 英語表記 INABA
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時点)
年度 | 所属 | 背番号 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 打率 | 失策 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | S | 41 | 67 | 248 | 215 | 22 | 66 | 10 | 0 | 8 | 100 | 40 | 3 | 2 | 2 | 1 | 25 | 5 | 33 | 5 | .307 | 1 |
1996 | 125 | 496 | 436 | 63 | 135 | 26 | 3 | 11 | 200 | 53 | 9 | 5 | 7 | 7 | 38 | 8 | 66 | 9 | .310 | 3 | ||
1997 | 130 | 494 | 439 | 71 | 117 | 24 | 4 | 21 | 212 | 65 | 9 | 6 | 10 | 1 | 37 | 7 | 67 | 6 | .267 | 5 | ||
1998 | 88 | 280 | 258 | 29 | 72 | 17 | 2 | 5 | 108 | 23 | 4 | 2 | 2 | 1 | 13 | 6 | 42 | 2 | .279 | 7 | ||
1999 | 68 | 142 | 132 | 15 | 35 | 11 | 1 | 2 | 54 | 22 | 3 | 1 | 1 | 1 | 7 | 1 | 26 | 3 | .265 | 2 | ||
2000 | 87 | 290 | 274 | 36 | 77 | 13 | 0 | 11 | 123 | 30 | 0 | 0 | 4 | 2 | 8 | 2 | 42 | 2 | .281 | 0 | ||
2001 | 138 | 601 | 527 | 94 | 164 | 32 | 5 | 25 | 281 | 90 | 5 | 4 | 13 | 2 | 43 | 16 | 89 | 6 | .311 | 4 | ||
2002 | 116 | 488 | 448 | 59 | 119 | 19 | 3 | 10 | 174 | 39 | 3 | 1 | 8 | 4 | 21 | 7 | 77 | 2 | .266 | 0 | ||
2003 | 69 | 289 | 260 | 46 | 71 | 8 | 3 | 11 | 118 | 30 | 4 | 1 | 3 | 1 | 18 | 7 | 48 | 6 | .273 | 1 | ||
2004 | 135 | 473 | 437 | 61 | 116 | 20 | 3 | 18 | 196 | 45 | 6 | 3 | 5 | 2 | 23 | 6 | 85 | 3 | .265 | 2 | ||
2005 | F | 58 | 127 | 441 | 414 | 55 | 112 | 28 | 4 | 15 | 193 | 54 | 3 | 3 | 1 | 1 | 21 | 4 | 82 | 5 | .271 | 2 |
2006 | 41 | 128 | 518 | 473 | 66 | 145 | 20 | 2 | 26 | 247 | 75 | 5 | 5 | 6 | 2 | 27 | 10 | 74 | 6 | .307 | 3 | |
通算 | 1278 | 4760 | 4313 | 617 | 1229 | 228 | 30 | 163 | 2006 | 566 | 54 | 33 | 62 | 25 | 281 | 79 | 731 | 55 | .285 | 30 |
年度 | 外野 | 一塁 | ||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
1996 | 122 | 213 | 10 | 3 | 4 | .987 | 2 | 14 | 1 | 0 | 1 | 1.000 |
1997 | 127 | 224 | 5 | 5 | 5 | .979 | 9 | 30 | 0 | 0 | 3 | 1.000 |
1998 | 70 | 87 | 0 | 5 | 0 | .946 | 20 | 146 | 9 | 2 | 13 | .987 |
1999 | 25 | 41 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 6 | 36 | 4 | 2 | 0 | .952 |
2000 | 76 | 129 | 5 | 0 | 2 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ─ |
2001 | 137 | 278 | 12 | 4 | 1 | .986 | ─ | |||||
2002 | 115 | 215 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | ─ | |||||
2003 | 69 | 145 | 6 | 1 | 0 | .993 | ─ | |||||
2004 | 130 | 248 | 3 | 2 | 0 | .992 | ─ | |||||
2005 | 125 | 244 | 14 | 2 | 7 | .992 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 |
2006 | 126 | 275 | 7 | 3 | 1 | .989 | ─ |
- 初出場・初先発出場:1995年6月21日、対広島東洋13回戦(広島市民球場)(八番・一塁手として先発出場)
- 初安打・初本塁打・初打点:同上(2回表、投手:紀藤真琴)
- 初盗塁:1995年8月3日、対阪神21回戦(阪神甲子園球場)(6回表)
[編集] タイトル
- 最多補殺
- 1回(2005年)
- 日本シリーズ最優秀殊勲選手賞(MVP)
- 1回(2006年)
- ベストナイン(外野手部門)
- 2回(2001年、2006年)
- ゴールデングラブ賞(外野手部門)
- 1回(2006年)
[編集] 記録
- プロ初打席本塁打
- 日本シリーズ(5試合制)最多打点
- 1回(2006年、7打点 シリーズタイ記録)
※第1打席から 順に三塁打(1回)、本塁打(4回)、単打(5回)、二塁打(5回)で達成。5回まででの達成は史上最速で、降雨コールドゲームでの達成も史上初。また、同じ日に複数の選手(稲葉と村松有人(当時福岡ダイエー)、史上57人目)がサイクルヒットを達成したのも史上初。
[編集] 受賞
- スピードアップ賞
- 1回(2000年)
- スワロー・エクスプレス賞
- 1回(2001年)
[編集] エピソード
- 野村克也(現・東北楽天監督)がヤクルトの監督だった頃、息子の野村克則(当時、明治大学在学中)目当てで東京六大学野球を観戦した際に、法政大の稲葉のプレーが目に止まり「是非稲葉が欲しい」と獲得に至った。
- 1995年9月9日のヤクルト対巨人戦(東京ドーム)でテリー・ブロスがノーヒットノーランを達成したが、この試合では川相昌弘のヒット性のライトライナーをダイビングキャッチし、記録達成の陰の立役者と絶賛された。
- 2006年8月5日の西武戦(インボイスSEIBUドーム)、8回裏に西武・佐藤友亮の打ったファウルフライを追う際、フェンスの金網に突っ込んでしまい負傷、担架で運ばれ退場したが、日本ハムのファンだけでなく西武のファンからも稲葉を励ます大声援が起こった。
- 2006年8月13日の千葉ロッテ戦(札幌ドーム)、8回表無死一・二塁の場面でヴァル・パスクチの放った右翼フェンス上部を直撃する打球を、捕球できるかのようなポーズを取って走者を幻惑し、進塁および得点を阻止する、というトリックプレーを行い、「演技による頭脳的ファインプレー」と評判になった。また9月17日の千葉ロッテ戦(札幌ドーム)でも9回表一死一・三塁という場面でもトリックプレーを用い、俊足ランナーである3塁走者西岡剛(現TSUYOSHI)の本塁突入を阻止した。ちなみにこの試合は延長11回裏に日本ハムが金子誠のサヨナラヒットで勝利したのだが、もしあのプレーがなかったらこの試合の勝利もなく、最終的には2位西武ライオンズと1ゲーム差しかなかったことから、ひょっとしたらパ・リーグ優勝・日本一もなかったかもしれない。このプレーがいかに重要だったかを物語るエピソードである。ちなみに同種のプレーはかつて秋山幸二も行っている。
- 稲葉が出場した4度の日本シリーズ(ヤクルト:1995年、1997年、2001年、日本ハム:2006年)は、いずれも4勝1敗で日本一となり、本拠地で日本一を決めている。
- 現在は登場曲であるQueenの「I Was Born to love You」に合わせるメガホン回しや「稲葉ジャンプ」「稲葉シェイク」「イナバイブ」等と呼ばれる飛び跳ねる応援が定着し、札幌ドームの試合ではその震動でカメラの映像が大きく揺れる。この揺れは震度3~4に相当する(札幌ドームは震度7まで耐えられるよう設計されており、大丈夫とのお墨付きが出ている)。なお、この応援スタイルは夏前頃に外野スタンドの一角から発生、それがどんどん規模を増していつの間にか球場全体が飛び跳ねるようになった。由来ははっきりとはしていないが因幡の白兎の神話から「いなば」を引っ掛け、ウサギのように飛び跳ねる、という発想から発案された説がある。ファンの間では先に挙げた呼称の他、様々な呼び方がなされている。
- 元チームメイトの小笠原道大とは仲が良い事で知られる。小笠原はFA権を行使したその夜に、稲葉に「来季のチーム戦力がまとまらない中で、勝手な事(移籍)をしてすみません。僕は移籍しますが、後のファイターズの事は頼みました」と頼んだらしい。
- 稲田直人とは一緒にすすきのに出向くほどの仲。
[編集] 関連項目
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1 森本稀哲 | 3 田中賢介 | 4 アンディ・グリーン | 5 フェルナンド・セギノール | 6 田中幸雄 | 7 坪井智哉 | 8 金子誠 | 9 小田智之 | 10 木元邦之 | 11 ダルビッシュ有 | 12 鎌倉健 | 13 須永英輝 | 14 ライアン・グリン | 16 金村曉 | 17 宮本賢 | 19 清水章夫 | 20 糸数敬作 | 21 武田久 | 22 建山義紀 | 23 尾崎匡哉 | 24 陽仲壽 | 25 立石尚行 | 26 糸井嘉男 | 27 江尻慎太郎 | 28 金澤健人 | 29 八木智哉 | 30 高橋信二 | 31 小谷野栄一 | 32 選手兼コーチ 中嶋聡 | 33 橋本義隆 | 34 吉川光夫 | 35 木下達生 | 36 MICHEAL | 37 小山桂司 | 38 武田勝 | 39 川島慶三 | 40 金子洋平 | 41 稲葉篤紀 | 42 ブライアン・スウィーニー | 43 星野八千穂 | 44 山本一徳 | 45 今浪隆博 | 46 植村祐介 | 47 菊地和正 | 48 中村渉 | 49 内山雄介 | 50 市川卓 | 52 紺田敏正 | 53 工藤隆人 | 54 稲田直人 | 55 佐藤吉宏 | 56 駒居鉄平 | 57 飯山裕志 | 58 高口隆行 | 59 金森敬之 | 60 伊藤剛 | 61 押本健彦 | 62 今成亮太 | 63 渡部龍一 | 64 鶴岡慎也 | 65 鵜久森淳志 | 66 ダース・ローマシュ匡
88 監督 トレイ・ヒルマン | 90 白井一幸 | 77 淡口憲治 | 81 佐藤義則 | 74 厚沢和幸 | 82 平野謙 | 83 デーブ・オーウェン | 78 二軍監督 福良淳一 | 80 野村収 | 73 島崎毅 | 79 島田一輝 | 76 大村巌 | 71 山中潔 | 72 水上善雄 | 75 川名慎一 |