日曜洋画劇場
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日曜洋画劇場(にちようようがげきじょう)とは、テレビ朝日系列で、毎週日曜日の21時から放送されている映画番組。開始当初は『土曜洋画劇場(どようようがげきじょう)』というタイトルで、今の『土曜ワイド劇場』の枠で放送されていた(放送期間は1966年10月1日~1967年4月1日)。1967年4月9日より現在の枠に移動。
基本的にはタイトルどおり、外国映画 (洋画) を放送するが、しばしば邦画や『Xファイル』、『ナイトライダー』、『西部警察 SPECIAL』のなどのテレビドラマも『特別企画』(特に開局記念番組)として放送することがある。
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[編集] 放送時間と編成
毎週日曜日21時00分~22時54分(JST)。基本的には映画の全編は放送せず、所々をカットして放送するが、カットの仕方が悪く(後述)視聴者からの苦情が多い。2時間映画などの長尺の映画を放送する場合は、放送時間が23時を超す事もある。ただし、淀川長治が存命時の1998年より前の基本的時間延長の決まりがある。本編120分を基本に放送時間が決まる。
本編120分以下 名作、傑作・・・ノーカット
佳作、凡作、駄作、未公開は2時間枠に収まるようにカット
本編120分以上 名作、傑作・・・30分延長で放送
佳作・・・15分延長で放送
凡作、駄作・・・2時間枠に収まるようにカットして放送
他局に比べ、2時間枠に放送時間内で収めるということが多い。 なお、毎年7月の「全英オープンゴルフ」(最終日)、総選挙、参議院選挙投票日当日に「選挙ステーション」などで番組自体が中止される事もある。また、氷点(2006年)など、通常の土曜ワイド劇場枠と合せた「土・日連続スペシャルドラマ」が放送される場合もあり、その時は日曜洋画劇場としては放送休止となる。(スポンサーも通常の日曜洋画のものではなく特番用のものが入る)
[編集] 歴代解説者
番組放送開始の1966年10月以来、映画解説者の淀川長治が映画の冒頭と終了後の解説を担当してきた。しかし1998年11月15日放送の「ラストマン・スタンディング」の解説を最後に、89歳で現役のまま死去した。 その後、映画の解説自体をせずに放送する状態が続いていたが、2003年10月、テレ朝の開局45周年と六本木ヒルズの新社屋移転を機にオープニングやロゴなどを一新。週替わりで芸能人や作家、スポーツ選手などの有名人・著名人らが冒頭でその映画についての思いを語る形式になった。その後はオープニングのナレーションの担当である声優の大塚明夫が行っている。また、過去には小林一枝などテレ朝のアナウンサーが、次回予告などのナレーションをしたことがある。
[編集] 歴代オープニング
(オープニングは、現行のものを含めて5種類の可能性があります。この項については、ノート:日曜洋画劇場も参照してください)
- 「バレリーナとカウボーイのシルエットが動く切り絵アニメ」(当初モノクロ、後にカラー)1966年10月~1972年9月まで
- 「万華鏡」1972年10月~1986年?まで
- 「夕日と鳩」1986年?~1989年3月 まで
- 「撮影現場のシルエット」1989年3月~1996年9月まで あかのたちお「日曜洋画劇場オープニングテーマ」
- 「チャールズ・チャップリン」1996年10月~2003年9月まで 大林宣彦・演出
- 「天動説」2003年10月~現在使用中
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- 使用時期不明 神津善行 「NET日曜洋画劇場テーマ」
- エンディング・テーマとして、後に映画となったミュージカル「キス・ミー・ケイト」の挿入曲『ソー・イン・ラヴ(So in Love)』(コール・ポーター作曲)をモートン・グールドがカヴァーしたもの(1951年のアルバム『Curtain Time』収録)が長年にわたって使用されていた。
- モートン・グールド編曲の《ソー・イン・ラヴ》、あるいは『日曜洋画劇場』の旧エンディング・テーマ
[編集] 歴代高視聴率獲得作品
[編集] 担当プロデューサー
- 植木明
- 中島孝三
- 猪谷敬二
- 山田ゆみ子
- 圓井一夫
- 福吉健
- 松田佐栄子
- 岡田真由子
[編集] 特色
本番組は、映画番組の中でも最も長寿の番組枠である。本番組で淀川が映画解説をしていた時代では、複数の特色があった。
[編集] 発足から1980年代まで
テレビで洋画を見るというコンセプトで開始される。吹き替え放送であったこと、またカットやトリミングを余儀なくされることなどの技術的な問題や映画ファンの間には、まだ、「映画は劇場で観る」という意識が強かったこともあり、決して順調なスタートとは言えなかったが、淀川の軽妙で親しみやすい解説と放送される数々の名画により、徐々に人気が出始め、看板番組として定着するようになった。なお当時の名称はNETテレビ(NETとは日本教育テレビの略)という名前だった。また、映画に対しては、硬派な視点を持つ淀川も本番組については「劇場で映画を見に行くようにさせるための手引き」という観点からこの番組を行なっていたようである。
[編集] 1980年代から1998年まで
80年代に入ると、放送権の高騰などにより、メジャー系の大作映画を確保することが困難になってしまう。その状況を打開するため、日本では未公開の作品や低予算作品を発掘、放送することが多くなった。それらの作品には『宇宙から来たツタンカーメン』等の珍作もあったが、内容の充実した作品もあった。主なラインナップとしては、ジェームズ・キャメロンのデビュー作「殺人魚フライング・キラー」等がある。また、「ヒドゥン」「狼の血族」「ターミネーター」等、アボリアッツ映画祭でグランプリを受賞した作品や、ジョン・カーペンター作品等ホラー・サスペンスの知られざる佳作も放送された。映画の質が落ちながらも、幅広い知識と視点で視聴者に解説する淀川や、編集や吹き替え製作にも力をいれたスタッフの尽力もあり、看板番組として高い人気を保持し続けた。
一方で視聴者の志向の変化により、娯楽性の高い作品や話題作も積極的に取り上げ、前出の「スーパーマン」を始め、「ダイハード」(29.1%)や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(23%)等の人気作品をいち早く放送し、高視聴率を上げた。大作にも積極的であり「アマデウス」、「ラストエンペラー」、「JFK」、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」等の超大作は時間延長して放送された。また、当時テレビ朝日で放送されていた人気海外ドラマ「ナイトライダー」、「特攻野郎Aチーム」、「X-ファイル」等のスペシャル版も放送されていた。特に「特攻野郎Aチーム」では、主役のジョージ・ペパードが急逝した折には、追悼放送がされるなど人気演目の一つであった。
この1980年代から淀川が死去するまでの1998年までは、文字通り番組の黄金時代であったといえる。また、邦画も放送されることもしばしばあったが(特別企画として放送)、その場合は淀川の解説は全くなかった。これは、淀川と映画会社やスポンサーサイド、映画スタッフとの軋轢を避けるためであった。
[編集] 淀川死後から、現代まで
淀川の死後と平行して、映画の放送媒体の普及、また、放送時間の節約などにより、粗の目立つカットやスタッフクレジットの短縮、放送作品のマンネリ化などの弊害が顕著となっている。歴史ある洋画劇場という存在と、多様化する放送ニーズ、高額な映画放送権との折り合いなど、今までの伝統をいかに適応させていくかが、本番組の課題であるといえる。
[編集] 2007年現在の番組スポンサー
- パート提供は交代になっている(21時台・22時台)。
- Aパート:花王、松下電器、新日本石油、積水ハウス、LEXUS(もしくはTOYOTA)、KIRIN
- Bパート:MITSUBISHI MOTORS、小林製薬、canon、FRISK、SUNTORY、Softbank(元々・アート引越センター)
[編集] スポンサーについて
- 番組のスポンサーは当初「土曜洋画劇場」から引き継いだ松下電器・サントリー・レナウン・ネッスル日本(現ネスレ日本)の4社で放送されていたが、90年代に入りレナウンが当時経営難でスポンサーを降板したため、トヨタ自動車と花王(1998年9月まで非表示だったが、現在は表示している。)が替わりに加わったが、淀川長治の死去に伴いスポンサーを増量することになりサントリーの枠にハーゲンダッツジャパンが提供していた時期もあった。さらにその後松下電器・ネスレ日本枠も減らし、新たなるスポンサー(ミシュランタイヤやvodafoneなど)を開拓していったが、2005年9月末でレナウンに次ぐ番組提供の長かったネスレ日本も降板(10月以降は当初1社提供だった「ポカポカ地球家族」と新規に提供している「報道ステーション」の毎週金曜日に移動している)。※「報ステ」は2006年3月31日で一時降板している(この他、エプソン販売が提供していた時期もあった。三菱自動車が番組提供する前の数ヶ月間のみ)。
- 2005年末-2006年始の特番編成中は「ポカポカ地球家族」の休止分を「30人31脚全国大会2005」と「資生堂スペシャル岸恵子特番(1月4日午後1時30分-2時55分放送)に「報道ステーション」の休止分を「グランプリフィギュアースケートファイナル」にそれぞれ放送された時もあった。2006年2月現在のスポンサーは松下電器・サントリー・トヨタ自動車・花王以外に新日本石油・小林製薬・アート引越センター・キヤノン・カネボウフーズ(FRISK名義)・三菱自動車・積水ハウス・アステラス製薬の12社で番組提供している(2006年10月の改編でアート引越センターが降板。代わりにソフトバンクモバイル(旧vodafone)がスポンサーに加わった。アート引越センターは手前の番組笑いの金メダルと2006年10月5日以降の木曜ドラマ枠に提供枠を移動し、2007年4月にはアステラス製薬が降板し、代わってKIRIN キリンビールが加わった)。
- なお、1989年1月8日は昭和天皇の崩御による休止、1995年1月22日以降しばらく松下電器・トヨタ自動車・サントリーが阪神・淡路大震災の影響でCMを自粛し、ACが流れたこともあった。また、時代劇系の作品を放送するときは花王がクレジットを外すときもある。さらに、2004年3月頃から11月中まで三菱自動車がリコール隠し騒動に伴うCMの自粛でACが流れたこともあった。
- 2006年4月よりサントリー・トヨタ自動車(もしくはLEXUS)・小林製薬・アート引越センター(ソフトバンクモバイル)・FRISK・三菱自動車・花王・積水ハウス、近年ではKIRIN キリンビールの9社はカラー表示しているが、小林製薬と三菱自動車は社名文字が黒字のためロゴマークのみにカラーで表示されている。
[編集] 過去にネットしていた放送局
- 青森県:青森放送(深夜に不定期放送。1991年、青森朝日放送の開局により終了)
- 岩手県:テレビ岩手(1969年12月開局~1971年12月で打ち切り、日本テレビ系列の同時ネットに変更、以後岩手朝日テレビ開局まで岩手では未放送)
- 宮城県:ミヤギテレビ(1970年10月開局から21:30より一週遅れネット~1975年9月まで遅れネットで放送、東日本放送開局により終了)
- 山形県:山形放送(1980年4月~1993年3月、山形テレビのネットチェンジにより終了。YBCでの同時ネット前はYTSで日曜夕方に2~3週遅れで放送)
- 福島県:福島中央テレビ(1970年4月開局~1981年9月、福島放送開局により終了)
- 新潟県:新潟総合テレビ(1981年4月ネット開始~1983年9月、新潟テレビ21開局により終了)
- 長野県:テレビ信州(1980年10月開局~1991年3月、長野朝日放送開局により終了)
- 福井県:福井テレビ(時折放送されていたが、現在は放送されていないらしい)
- 中京広域圏(愛知県・岐阜県・三重県):中京テレビ(1969年4月開局~1973年3月、名古屋テレビ(メ~テレ)との間の変則クロスネット解消により終了。中京テレビ開局前はメ~テレで異時ネット)
- 関西広域圏(大阪府・京都府・兵庫県・滋賀県・奈良県・和歌山県):毎日放送(第1回~1975年3月、朝日放送との間のネット交換(いわゆる腸捻転解消)により終了)
- 鳥取県・島根県:日本海テレビ(1972年10月21:30より数週遅れネットで放送開始~1975年10月より同時ネット。1989年9月、日本テレビの完全系列化(マストバイ)により終了するが、実質的にはBSS(山陰放送)に引き継がれている)
- 岡山県:岡山放送(放送当時の呼称はテレビ岡山。1969年4月開局~1979年3月、香川県の瀬戸内海放送の乗り入れ開始により終了)
- 愛媛県:テレビ愛媛(放送当時の商号は愛媛放送。日曜昼に2~3週遅れで放送。1995年3月、愛媛朝日テレビ開局により終了)
- 高知県:高知放送(土曜ワイド劇場とともどもに不定期放送だったが途中打ち切り(時期失念)、でも現在は不定期の日曜午後に放映中)
- 長崎県:長崎放送(『ゴールデン映画劇場』というタイトルで土曜深夜に1ヶ月遅れで放送。1990年、長崎文化放送開局により終了)
- 熊本県:テレビ熊本(1969年4月開局~1989年9月、熊本朝日放送開局により終了)
- 大分県:テレビ大分(日曜午後に2~3週遅れで放送。1993年、大分朝日放送開局により終了)
- 鹿児島県:鹿児島テレビ(1969年4月開局~1982年9月、鹿児島放送開局により終了)
[編集] 新たにネットを開始した局(いずれもサービス放送より)
[編集] 開始当初から放送のない地域
[編集] 関連項目
- 土曜映画劇場(1969年から1977年まで放送された映画番組【現在の土曜ワイド劇場の枠】 いわゆる日曜洋画劇場の姉妹版だった)
- 木曜洋画劇場(テレビ東京系の映画番組)
- 日曜邦画劇場(日曜21時から日本映画専門チャンネルで放送されている映画番組)
- 映画番組一覧
[編集] 外部リンク
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